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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十一章
158/226

敵が正面から来るとは限らない

 



 ーーーーーー




 北畠軍が攻撃を開始するとされた春。同軍の陣地で具房は諸将を集めた。


「机の上に作戦計画書がある。開封日時は本日、午前八時」


 そう言ったのとほぼ同時にチーン、チーンと卓上ベルのような音が鳴る。これは時計の音。ヨーロッパで使われていたものを輸入した。ひとつひとつがハンドメイドなので数が少ない上、とても高い。それでも兵団の司令部と役所には配置していた。


 戦国時代の日本は不定時法が使われていた。夜明けと日暮れを基準に時間を定めるというものだが、それでは何かと不便であった。そこで具房は官庁において定時法を導入する。時計を輸入して各官庁に一台ずつ配置したものの、それだけでは不足してしまう。コピーして増産しようとしているが、部品が精巧であるためかなり時間がかかるとの見立てであった。当面は輸入品を大事に使うしかない。


「開封」


 時計が鳴ったため、部隊ごとに一部配られた作戦計画書を開く。各自はそれを一読し、揃って目を見開く。


「おいこれ」


「本当かよ……」


 そこかしこでヒソヒソと話す。作戦計画が予想外のものだったからだ。全員が読んだ段階で、具房は高らかに宣言する。


「明日より『雪崩』作戦を開始する。各員、その義務を尽くせ」


「「「はっ!」」」


 諸将はこれに応じ、士気を上げた。作戦の発動を前にして北畠軍の動きが活発化する。その動きは長宗我部軍にも察知されていた。


「申し上げます。敵兵の動きが活発になりました」


「敵の動きが慌ただしくなったか……来るな」


 元親は作戦開始の兆候だと気づき、自軍に攻撃を準備させる。敵が攻撃に出てきたところを逆に攻撃する、というのが彼らのプランだ。


 翌日、元親の予想通りに北畠軍が攻撃を始めた。朝から砲弾が降り注ぐ。爆炎と土煙で城は被害を受ける。だが、長宗我部軍はそれを煙幕代わりにして身を隠し、北畠軍との距離を詰めていった。


「これまでの屈辱を晴らしてくれる!」


 これは元親の言だが、武将たちは概ね同じ気持ちだ。好き放題にやられて黙っていられない。せめて一矢報いてやる、と強く決意していた。


 反撃のため、長宗我部軍はなけなしの鉄砲を持ち出す。会敵するやこれを斉射して敵の出鼻を挫き、その間に肉薄。白兵戦に持ち込もうというのだ。北畠軍は銃砲を用いた戦いが得意だが、白兵戦も苦手というわけではない。それは元親もわかっていたが、勝機は白兵戦にしかない。鉄砲の数は北畠軍が数万丁あるのに対して、長宗我部軍はせいぜい千丁。銃砲での戦いで敵うわけがなかった。被害を受けることはわかっている。だが、勝利はその先あると信じて長宗我部軍はひたすら前進した。


 ところが、元親にとって誤算が生じる。北畠軍は砲撃こそ始めたが、その他の部隊は攻撃していなかったのだ。準備すらしていない。そのため、遭遇戦で戦いにもつれ込むという当初の計画は破綻した。


「逸ったか」


 元親はタイミングが合わなかったと悔やむ。仕方ない、撤退だと言おうとしたそのときだった。無数の銃弾が長宗我部軍を襲う。


「っ! 敵襲!」


 長宗我部軍は奇襲を仕掛けるつもりが、逆に奇襲を受けてしまった。


「構うな、撤退だ!」


「城へ退け!」


 即座に撤退を決断する元親。まともに戦えばとても敵わない相手であることは、これまでの戦いで思い知らされていた。むしろ下手に戦って戦力を消耗することこそを避けるべきだという計算が働く。家臣たちもそんな彼の意図を読み、異論を唱えなかった。


 しかし、具房はみすみす撤退を許すほど甘い相手ではない。


「逃すな!」


 長宗我部軍が撤退する動きを見せた時点で追撃を指示した。しかも差し向けたのは白兵戦のスペシャリストである抜刀隊。森での戦いであるため槍は使いものにならず、剣術では勝負にならない。さながら雑兵狩りであった。


 また、後続の一般兵団(大和、紀伊兵団)も活躍していた。彼らが持つ銃は長さがおよそ一メートルだが、銃剣を着けた状態では約一・五メートルになる。長宗我部軍が持つ刀は一メートル弱の長さしかないため、リーチの差で優位に立つ。距離があれば射撃し、混乱させたところへ斬り込む。長宗我部軍がやろうとしたお手本のようだった。北畠軍にそんな意図はないが。


 この戦いで長宗我部軍は豊永勝元、大西頼包といった武将を失う。やっとの思いで集めた兵も再び万を割ってしまった。控えめにいって致命的だ。まるでロープまで追い詰められたボクサー。いつダウンしてもおかしくない瀕死の状態だ。


(拙いぞこれは!)


 元親は城内で焦燥感に駆られていた。領国に残された戦力はごくわずか。しかも老兵ばかりだ。手持ちの戦力は消えてしまった。もはや逆立ちしても北畠軍には抗えない。こんな状態では土佐の安堵すら怪しくなってくる。もはやあれこれ条件をつけていられる状態ではなくなった。それを自覚した元親は土佐の知事という北畠家が提示する条件を呑むことを決断する。事実上の無条件降伏であった。


 とにかく、息の根を止められる前に行動しなければならない。元親はすぐさま北畠家にそのことを申し出た。応対したのは交渉担当の具長。話を聞くと、


「英断ですね」


 と申し出を受ける姿勢を見せた。


「ならば!」


 元親はこれで助かった、と喜ぶ。だが、それは早計だった。交渉がまとまりそうということで笑顔を見せた具長だったが、すぐさま一転して険しい表情になる。


「ですが、そうであれば父上に話を持っていかなければなりません」


「ならばすぐにでも」


 この日、元親は正装でやってきていた。具房に会っても恥ずかしくない格好である。とにかく速さが求められるため、元親はグイグイ押す。しかし、具長からは残念だ、という言葉が出る。


「生憎と、父上はお忙しくて時間がとれません。また後日ということで」


「どうにかならないのか?」


「話は通しておきますので」


 元親は食い下がったが、具長の答えは変わらなかった。結局、この日は面会叶わず城へ戻ることになる。


 では、具長が『忙しい』といった具房は何をしていたのか。答えは何もしていない、だ。別にサボっているわけではない。仕事が手につかないというべきだろう。


 戦闘は戦争の象徴であるが、それはあくまでも戦争の皮層、氷山の一角にすぎない。戦いに備えた作戦立案、物資の調達や輸送、よりマクロ的な視座からの行動指針(戦略)の策定など、戦闘の前後に行われるこれらのことすべてを含めての戦争なのだ。


 戦争を構成する様々な要素のなかに衛生管理がある。特に病気(感染症)は要注意だ。蔓延すれば部隊が壊滅しかねない。そのため衛生に軍隊は特に気を遣う。長宗我部軍が城に退くと追撃を止め、戦場の片づけを行う。つまり、死体の処理だ。


 死体を放置すると腐乱し、疫病の原因になる。他にも、味方の戦死者を収容してお骨と遺品を故郷に送るという目的もあった。圧倒的な勝利であっても、やはり犠牲者は出てしまう。これが具房にとって、大名をやっていて一番心が痛む瞬間だった。死者は自分が命令した結果であると思うと辛くなる。人(敵)を殺すことに抵抗はないが、それにしたって人が死ぬことに何も感じないわけではない。


 そんなわけで、具房は戦の後は心の平穏のためにしばらく塞ぎ込むことが通例となっていた。現代人なので仏門に入るとかキリスト教に入信するとかはなく、自分なりに祈る。その間、避けられる相手は面会謝絶だ。


 具房が閉じ籠もっている間にも雪崩作戦は進行する。そしてそれは、この戦いを終結させるべく具房が繰り出した渾身の一撃であった。情報は、具房になかなか会えないと悶々としている元親にすぐさま伝わる。


「も、もう一度言え!」


「はっ。桂浜に敵軍が襲来。岡豊が落ちました!」


 これこそ具房の一手。敵の後方への奇襲上陸だ。白地から志摩兵団を離脱させ、作戦に当たらせた。阿波の港で船に乗り、海路で土佐へ向かう。上陸地点は現代では坂本龍馬像が建っていることで有名な桂浜。岡豊城にも近い、絶好の位置だった。


「誤報ではないのか?」


「信じられん……」


 家臣たちは信じられない様子。だが、報告が正しいことは薄々察していた。なぜなら、報告している人間は身なりがボロボロだからだ。衆寡敵せず落ちた岡豊城から逃げ出す際、敵の激しい追撃を受けた。十数人いた仲間も次々と討たれてひとり辛くも逃げ出したという。


 土佐は驚くほど防備が薄い。長宗我部軍は度重なる敗戦で戦力を失い、留守をしていた兵士までも動員している。阿波との国境(特に白地)ばかりに戦力が集中し、後方はスカスカだった。船員すらも前線に駆り出していることからも、彼らの窮状が察せられた。おかげで制海権は北畠軍のものとなっている。拠点である岡豊城が呆気なく陥落したのは、そんな事情も手伝っていた。


 岡豊城を落とした北畠軍は止まらない。志摩兵団に続いて上陸した伊勢兵団が白地へ向けて進撃を開始する。留守をしていた伊勢兵団だが、ここが勝負所と見た具房が投入を決断した。彼らを残したのは東国で変事が起きたときの初期対応に当たるためだが、まともな敵といえるのは上杉と佐竹のみだ。しかも徳川、北条、浅井、伊達、最上と豪華な面子が揃い踏み。房信も東部方面を監視しており、初期対応に北畠軍が当たる必要はない。予備役を招集して留守部隊も編成されており、引き抜いても問題ないと判断した。


(終わった……)


 元親は長宗我部家の大名としての命脈が断たれたと気づく。戦に負け続けた末に居城を落とされたとなれば、土佐を預けるという話も白紙になるかもしれない。


(まさか、それが狙い?)


 具房がなかなか面会に応じないなか、北畠軍が土佐へ侵攻した。元親はサボタージュが具房の策略ではないかと考える。だが、それは誤解だ。元々、具房はこの作戦で元親を降伏に追い込むつもりだった。これ見よがしに作戦準備をして攻撃目標は白地だと思わせ、敵が守りを固めた(他所が手薄になった)ところで奇襲上陸。岡豊城を落として降伏させるというのが当初のプランだ。


 ところが、長宗我部軍は作戦準備の段階で先手必勝! とばかりに攻撃してきた。この動きは完全に予想外。大敗を喫するや降伏を申し出てきて、作戦の前提は狂っていた。通信技術が未発達なので、作戦の中止は部隊に伝えることができない。その結果として、岡豊城が落ちるまで具房が面会を拒否する形となった。しかし、これは結果論である。


 そして数日後、伊勢兵団が背後に着陣して北畠軍に挟撃されるなか、元親は具房との面会が叶った。こんなことになってそれまでの約束はすべて反故にされることも覚悟していたが、そうはならない。


「色々と状況は変わったが、わたしとしてはこれまで通り、そなたを土佐の知事としたい」


「ありがとうございます」


 具房は自分が勝っていながらも条件を維持した。北畠家における知事とは日本の都道府県知事というよりも、アメリカの州知事に近い。州内であれば政治、軍事の最高責任者となる。アメリカと違うのは、知事が完全に独立した存在ではなく、具房の監督下にあることだ。


 条件を維持することに家臣たちは反対していた。だが、土佐が平定されればそれでいいのである。具房は考えを変えなかった。ただし、息子の信親は伊勢に行くことが条件に加わる。人質という側面もあるが、それ以上の狙いは北畠家のやり方に慣れてもらうことだ。史実では聡明な人物とされ、九州征伐で戦死したときは惜しまれた。将来が期待できる人材であり、是非とも家風に染めておきたい。元親も仕方がない、と了承した。


 交渉がまとまると、具房は休むことなく伊予侵攻を命じる。信長が西進を始める前に四国を落としておきたい。毛利攻めに加わるようにとは言われていないが、瀬戸内海を睨むことで支援になる。そうして織田家に恩を売りつけるのだ。すべては北畠家の安定のため。時間はあまりない。先日、信長から京で軍を集めているとの手紙が送られてきたからだ。


「中予には大和、伊賀、志摩兵団。南予には伊勢、紀伊兵団だ」


 各方面に数万の大軍を張りつける。豪族レベルの力しか持たない河野氏、西園寺氏には抵抗する力はなかった。圧倒的な戦力差を見せつけたところで降伏を促す使者を出す。西園寺氏については、京の本家から人を呼んで説得にあたらせた。その甲斐あって、西園寺氏は降伏する。河野氏は大友、毛利と結んで抵抗する動きを見せたが、大友は島津、龍造寺の相手で手一杯。毛利も織田との戦いで忙しく、とても四国には手を回せない。見捨てられた格好となった河野氏は抵抗を諦めて降伏。具房の四国平定は成功した。







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