勢揃い(上)
少し長くなったので、二分割して上下編でのお届けです。
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白地で延々と交渉が続く。長宗我部家は少しずつ要求を引き下げていたが、最低ラインは土佐一国らしい。そうなってからは譲らず、逆に北畠家に譲歩を求めてきた。
「無理だって」
元親からすれば臣従するのだからそれでいいだろ、みたいな感覚なのだろうが、他の家臣に領地を与えていない以上、例外は認められない。両者の決して埋まらない溝が見えてきていた。原則が違う以上、交渉が妥結する見込みはゼロだ。
具房にとっては予想通りの展開なのだが、外野から見ると違うらしい。畿内の光秀からは、長宗我部家に譲るよう求めてくる書状がスパムメールのごとく届いていた。いい加減、うんざりする。そんな主君の顔を見て、たまたま横にいた房高が苦笑い。
「明智殿は長宗我部の肩を持ちますね」
「重臣(斎藤利三)の妹婿だからな」
見捨てたとあっては風聞に関わるし、何より利三は光秀にとって代えがたい重臣だ。稲葉一鉄から諍いを起こしてまで引き抜いた人材であり、彼に愛想を尽かされると立場がなくなる。
「それに、長宗我部もそれをわかって明智殿を突き上げているんだろう。当たりか、蒔?」
「……うん。最近、畿内へ土佐からの使者が頻繁に向かってる」
蒔は防諜網に引っかかりまくっている長宗我部家の使者の数を列挙する。手の指では足りず、数ヶ月の間に出された使者の数としては異例だ。それだけ切羽詰まっているということだろう。
「ただいま戻りましたーーあっ、蒔母上、それに藤堂殿!?」
「これは若殿。お帰りなさいませ」
「戻ったか」
交渉を終えた具長が戻ってきた。入室すると、房高がいることに驚く。彼は伊賀兵団を預かっているので、なかなかいない。今回は報告のために来ていただけだ。
「どうだった?」
進展はないだろうが、報告は受けなければならない。いつものように、土佐を安堵しろとしか言わなかったんだろうと思っていると、具長は意外なことを口にした。
「それが、急に毛利と手を結ぶと言い出したのです」
「は?」
「それは一大事ではないですか!」
まさかの事態である。もし本当に毛利と手を結ぶのなら、戦略を考え直さなければならない。毛利は河野氏とも水軍を通じて関係があり、中予へは容易く兵を出せる。東予を押さえているが、そこを守っている三好軍は半壊状態で、とても毛利軍を防げるとは思えなかった。仮に河野氏が攻めてきたときは現地の軍が防衛しつつ、白地から援軍を出すという算段になっていたが、毛利軍が相手ではそれも厳しい。片手間で相手できるほど弱くはないのだ。
「本当なら、作戦を考え直す必要があるぞ」
「はい……」
重苦しい雰囲気になる。だが、それを打ち破ったのは蒔だった。
「……それはおかしい」
蒔は土佐から毛利に使者が向かった形跡はない、と言う。
「お前たちの腕を疑うつもりはないが、万一ということもある」
具房は長宗我部と毛利が通じていないか、調査をするよう命じた。そして光秀を逆に利用する。元親が光秀を介して圧力をかけてきたのとは逆に、具房が光秀を介して圧力をかけるのだ。毛利に走るのなら穏便な態度はとれないぞ、と。光秀は織田家臣である以上、敵である毛利家に与しようとする相手の仲介はできない。長宗我部家が交渉を実現させようとしているなら、かなりの効力を発揮するはずだ。
「そもそも、毛利にそのような余裕があるのでしょうか?」
房高がそんな疑問を呈する。たしかに、近年は秀吉の猛攻によって毛利軍は戦線をじりじりと後退させていた。そんな軍に四国へ派兵する余裕があるのかというと、疑問が残る。
「藤吉郎殿(秀吉)に訊いてみるか」
具房は光秀に対して長宗我部に釘を刺すよう求める書状を送るとともに、秀吉にも戦況を訊ねることにした。
はたして、秀吉からの返答は毛利軍は羽柴軍を前に押し込まれているという状況だった。毛利家は鳥取城を寝返らせるが、秀吉は兵糧攻めにしてこれを奪還。さらに兵を進め、備中へと侵攻しようとしている。また、尼子旧臣たちが主導して出雲国へも調略をかけているという。
「備中への援軍、出雲の抑えに九州の守り。この上、四国にまで出てこられるか?」
「考えにくいかと」
「蒔はどうだ? 毛利に何か動きは?」
「……特にない」
騒ぎにはなったが、調査の末にそこまでの脅威ではない。むしろブラフの可能性が高い、という結論になった。
「派手に脅してやれ」
舐めた真似をしやがって、と具房は白地城から見える山を砲撃して禿山にするよう命じた。脅しである。また、交渉で具長も毛利と結ぶなら交渉を打ち切ると通告した。光秀からも強く言われたのか、以後、元親は毛利に与すると言わなくなる。
それからまた睨み合いと交渉の日々が続く。気がつけば夏の嵐が過ぎ、赤く色づいた紅葉も落ち、雪がちらつくような季節になる。年明けまで一ヶ月ほどというタイミングで、信長から連絡があった。
「『馬揃えをやるから来てほしい』か」
信長は年始のタイミングで馬揃えをやるつもりらしい。京の公家たちからちらほら情報は入っていたが、このタイミングとは予想外。だが、信長はかなりやる気だ。家康や長政、はては北条家にも参加を求めている。しかも全員が参加するそうだ。これは断れない。
「ーーというわけで、わたしはしばらく四国を離れる。(島)左近、与右衛門(房高)、後は頼む」
「「承知しました」」
普通は具長に兵を預けるところだが、今の彼は隊付将校でしかないため、兵権は左近と房信に託されることとなった。後を託すと、具房は雪部隊を伴って戦場を離脱した。長宗我部軍による奇襲も警戒されたが、そんなトラブルもなく勝瑞城に至る。さらに淡路島へと渡ろうとしたのだが、折悪く海が荒れており足止めを食らってしまった。予定より数日遅れて京に入る。
京に着くと、真っ先に信長の許を訪ねた。到着の挨拶と、遅れたことを詫びるために。
「無事に着いて何よりだ。遅れたのも天候が悪かったせいだろう? 気にすることはない」
信長は豪快に笑い飛ばす。が、その後にボソッと漏らした呟きを具房は聞き逃さなかった。
(……雪殿が怖いしな)
(あいつは何をやったんだ……?)
婦女子に甘いところのある信長だが、今の呟きは優しさというより恐怖だ。雪は自分や他人に厳しいところがある(ただし具房を除く)が、信長相手にも発揮されたらしい。
(そういえば、房信は尻に敷いているんだっけか)
岐阜(房信の居城)は完全なカカア天下になっているらしく、織田家の機密情報がホイホイと入ってきた。蒔たちが構築している諜報網より速いため、対抗意識を燃やされていたりする。
疑問は尽きないが、藪蛇になりそうなので踏み込まないでおく。君子危うきに近寄らず、だ。その後、四国の状況について軽く話す。進捗と信孝について。
「追撃戦では巧みに兵を動かし、長宗我部軍に大打撃を与えていました」
「そうか」
信長の反応はこれだけだったが、薄らと笑みを浮かべている。なんだかんだいっても、息子の活躍は嬉しいらしい。他の仕事との兼ね合いもあり、信長との面談はこれで終わりとなる。別れ際、
「徳川殿や雪殿も来ているから会うといい」
「はい」
家康は信長から饗応を受けており、織田屋敷に滞在していた。また、雪は房信に付いて京を訪れている。こちらは事前に手紙が送られてきており、生まれた甥っ子を見せたいそうだ。そのためにわざわざ京まで来るのだから、その行動力には驚かされる。
最初に訪ねるのは家康。序列とか色々とあるのでこうなった。面倒なので取っ払いたいのだが、そうもいかない。接待役となった信長の小姓の案内で、家康の許へ向かう。
「失礼いたす」
部屋から光秀が現れた。スタスタと具房の方に向かってくる。
「やあ、明智殿」
「っ! これは右府様(具房)。失礼いたしました」
光秀は驚き、先に挨拶しなかったことを詫びてくる。具房は失敗したと思いながら、構わないと言った。
「無事のご到着、祝着至極。ですが申し訳ありません。某、所用があるためこれにて御免」
そう言って足早に去っていく。長宗我部のことを話したかったのだが、忙しいなら仕方がない。
「こちらです」
小姓が案内したのは先ほど、光秀が出てきた部屋。ここが家康に宛てがわれた部屋のようだ。光秀も家康に用事があったらしい。それが何かはわからないが。
小姓が家康に許可をとり、承諾を得て襖を開ける。具房は小姓に礼を言ってから部屋に入った。
「お久しぶりです、右府様(具房)」
「こちらこそ、駿河殿(家康)」
挨拶は大事だ。家康には特に用件があるわけでもないので、軽く雑談をする。話題に困ったので、具房は光秀のことについて聞いてみた。もちろん、差し支えない範囲で。だが、その返答は思わぬほど詳しかった。
「それが……明智殿は某の饗応役を任されているのですが、先日、織田様(信長)にお叱りを受けたんですよ」
家康の説明によれば、光秀は夕食に京料理を用意したらしい。ところが信長は伊勢料理(具房が広めた現代日本の料理のこと)を望んでいたらしく、薄味の京料理が気に入らなかった。光秀を激しく叱責するとともに、作り直しをさせたという。今日はそのときの謝罪に訪れたのだそうだ。
「巷では伊勢料理が流行っていますから、明智殿は趣向を変えようとしたのでしょう」
とは言うものの、家康の本音としては京料理は嫌だったのだろう。具房は家康の態度から何となく察した。
見た目の美しさと素材本来の味を楽しむべく薄味に味つけされているのが京料理の特徴だ。しかし、慣れていないと味がほとんど感じられず辛いものがある。信長や家康は間違いなくそれだ。
日本人の味覚は東西で違う。関西では公家の文化が根強く、昆布出汁を基調として素材本来の味を活かす味つけを関西人は好む。対して関東は武士の文化であり、カツオ出汁がメインで濃い(塩辛い)味つけが関東人のスタンダードだ。その境界については諸説あるが、凡そ関ヶ原や長良川のラインといわれている。
光秀は趣向を変えてと思ったのだろうが、裏目に出た形だ。ちなみに具房は薄味でも濃い味でもどちらでもいい。慣れているからだ。
「四国攻めは順調ですか?」
「ええ。来年には落とします」
夏までに長宗我部家を片づけ、秋には伊予へ攻め入る予定だと具房は明かした。長宗我部といえば、と家康は最近、流れているという噂を話す。
「明智殿が、長宗我部の和睦をまとめられなかったことに非難が集まっています」
公家や商人たちの間で、光秀の手腕が疑問視されているという。
「それは……悪いことをしたな」
「いや、そこまで気にしなくても……」
家康は、こうなったのは光秀に責任があると思っていた。たかだか四国の半分を持つだけの長宗我部家が、畿内でも最強といわれる北畠家を相手にまともに戦をして敵うわけがない。派手に負けた段階で光秀が強く出ていれば、話はここまで拗れなかったーーと考えている。
だが、具房はそこまで割り切れない。元親はあまり知らないので非情にもなれるが、光秀とは親しくしている。相手の立場にも立ってあげたい。とはいえ、家を優先せざるを得ないために軽々しく妥協はできないのだが。
その後、家康と戦や領地の話をして別れた。具房が次に向かったのは雪のところだ。途中、小姓から侍女へとバトンタッチ。
「奥方様、兄君がおいでです」
「通して」
入室を許され、具房は部屋に立ち入る。微かに杉の香りが漂う。見れば、アロマを焚いていた。伊勢の特産品で、女性たちにバカ売れしている商品のひとつである。
「お兄様、見てください」
挨拶もそこそこに、雪は自分の子どもを見せてくる。私にとっての甥っ子は三法師と名づけられた。房信の幼名である奇妙丸は絶対に嫌だと雪が主張し、この名前になった。自分の子どもを「奇妙」というセンスの持ち主は信長だけだ。まあ、最近では子どもに「人」と名づけており、それに比べれば「奇妙」はまだマシな名前になっているのだが、どちらにせよ嫌だった。
三法師はすやすやと眠っている。抱き上げようとしたが、具房が止めた。起こすと悪い。それもそうですね、と雪。代わりにお茶を立てると言ってきた。
「頂くよ」
断るのが申し訳ないというのも受けた理由だが、それ以上に彼女が立てるお茶は美味い。煎茶や紅茶は毱亜だが、抹茶は雪のものが好きだった。優雅な手つきで茶を立てる雪。美人なので、それだけでも絵になる。
「あっ、叔父上(具房)」
そこへ房信がやってきた。具房がいると聞いて来たのだろう。雪が茶を立てて出すところだった。それを見た房信は、自分にも欲しいと言う。
「……わかりました」
雪は不機嫌になる。取り繕ってはいるが、幼少期から知っている具房にはわかった。先ほどまでの優雅さはどこへやら。乱暴一歩手前の仕草で房信の茶を立てる雪。無言で機嫌が悪いというアピールをしていた。ここまであからさまになるとさすがの房信も気づく。茶を飲むと、そそくさと立ち去った。蔑ろにされれば怒ってもいいところだが、雪には強く出れないらしい。あるいは惚れた弱みか。とにかく、具房は念のためにフォローを入れておく。雪におかわりを求めつつ、厠と言って部屋を出た。
「雪がすまない」
「いえ。叔父上とは久しぶりに会ったのです。邪魔をしてはいけませんね」
房信は心優しい青年だった。具房はとても好ましく思う。
「すまんな。時間があれば、二人で飲もう」
「はい、是非」
埋め合わせを兼ねて飲もうと約束し、二人は別れた。具房が戻ると、雪は嬉しそうにニコニコしている。女の子の二面性を垣間見た。
「お兄様、甘味もご用意しました」
「ありがとう。雪はできる子だ」
「そんなことありませんよ」
と言いつつ、いやんいやん、と嬉しそうにする雪。侍女たちがいるので加減されてはいるが、許されるギリギリのラインまで甘えてきた。可愛いのだが、怖い。
(根はいい子なんだけどな……)
原因は間違いなく、具教たちが雪を冷遇したことだ。そのために根幹がねじ曲がってしまった。具房は雪の甘えを受け入れつつ、父(具教)たちを恨んだ。