握手しながら足を踏むのはアリ
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「たったこれだけか……」
白地城へ逃げ込んだ長宗我部元親は、集まった味方を見て絶望する。追ってきた敵軍は城を半包囲してきた。それが謎を呼ぶ。
(これだけの差がついていれば包囲できるはず。なのになぜ……?)
考えてみるが、答えは出ない。だが、今はそんなことを考えるより現実に対応する方が先だ。元親は白地が抜かれて土佐と讃岐が分断されることを恐れた。白地だけは何としても守る、という決意の下、各地に備えとして置いていた兵力を集める。かくして土佐本国をほぼ空にするという博打を打ちながら、一万の兵を結集させた。
しかし、こんな限界ギリギリの体制でいつまでも戦えるはずがない。リミットは来年に必ず来る。防備を固める一方で、元親は縁のある明智光秀を仲介として和睦をもちかけるのだった。
そのころ、北畠軍は白地へ物資を移動させていた。輜重科の将校を隊長にして複数の荷駄隊を編成し、港から白地まで物資を運ぶ。運搬には三好領民を動員していたが、彼らには好評だった。賦役ではなく労働であったからだ。
「大変だな」
途中、荷駄隊が村を通ると村民が賦役で駆り出されていると思って同情する。だが、荷駄隊の村人はそんなことはないと否定した。
「銭が出るから楽なもんだ」
「飯も出るしな」
「美味いんだ、あれが」
とむしろ好意的。給金は安いが、三食出ることを考えれば割はいい。北畠軍の兵士が隊に随伴しているから出た世辞ではなく、村人たちの本心だ。
最初はそんなバカなと思っていた。しかし、村を通ったどの隊の村人も同じようなことを言う。そういうことが続くと、どうも本当らしいということになる。具房にはそういう意図はまったくなかったのだが、口コミで噂が広まり、各地の村人が次々に志願してきた。
「募集する手間が省けたな」
特に何かをしたわけではない具房は、理由は不明だが志願者が集まって荷駄隊が楽に編成できることを無邪気に喜んでいた。だが、現場は違う。彼らは四国という土地で荷駄隊を編成するのは難しいと思っていた。実際、最初は三好家が領民を徴発するという形で編成している。それが、時間が経つとともに荷駄隊はいい仕事と宣伝されて人が集まってきた。現場の人間はそれを具房の深慮遠謀だと考え、彼の株が爆上がりした。
そのようにして大量の荷駄隊を編成したのは、白地への補給だけが目的ではない。讃岐と東予へ侵攻するためだ。既に準備は整っている。勝瑞城からは再編成を終えた大和兵団が、白地からは紀伊兵団がそれぞれ讃岐へ侵入。同地の親長宗我部派の豪族を掃討する。
また、伊賀兵団も白地から東予へ向かう。豪族のみなら単独で平定。仮に河野氏が出張ってきたときは大和兵団の来援を待って攻略、という予定になっていた。
「秋までには片づけてほしい」
「お任せください!」
「任せろ!」
伊賀兵団を率いる藤堂房高、紀伊兵団を率いる徳次郎は自信を覗かせる。ここにはいない島左近も同じだ。それを頼もしいと思いつつ、具房は出陣する彼らを見送った。
「さて、問題は十兵衛(明智光秀)殿だな」
兵たちを見送ると、具房は仕事モードになる。優先課題は光秀からの注文だった。先日、具房の許に光秀から、長宗我部家との和睦の仲介をしたいという書状が送られてきていた。これにどう対応するのかが現状の課題である。信長からは「任せる」と言われていた。
「……どうする?」
蒔が対応を問う。
「受けるさ」
具房は鬼でも悪魔でもない。相手が死ぬまで殴り続けるようなことをするつもりはなかった。だから交渉には応じる。とはいえ、戦争とは自らの要求を実力(軍事力)で達成するためにするもの。交渉でそれができないから行われるのだ。交渉には応じるが、要求が実現されるまで、具房は実力行使を止めるつもりはなかった。
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紀伊兵団を率いる徳次郎は、正式な名前を武田信隆という。武田信虎に料理人としての腕を見込まれ、入り婿という形で武田家の一員となった。分家として勢州武田家を興したが、先の武田攻めによって宗家である甲斐武田家が滅亡する。その際、北畠軍に降った武田一族を預かるとともに、宗家を継承していた。つまり、具房の立場からすると徳次郎が武田家の正式な継承者なのである。彼は信玄の娘・松姫を娶った。将来的には松姫の子どもが甲斐武田家を継ぐことになる。
そんなこともあり、武田一門をまるっと家臣に加えた北畠家。徳次郎が率いる紀伊兵団にも当然いる。先鋒を務めるのは武田信廉だ。
劣勢である長宗我部軍は城に籠もって抵抗を試みる。甲斐にいたころは刈田をしたり坑道を掘ったり、とにかく城攻めというものには途方もない時間がかかった。だが、今は違う。
「放て!」
信廉の命令で城に対する砲撃が開始された。砲弾は城壁も櫓も館も、まとめて破壊する。しばらく撃てば丸裸になり、後は野戦感覚で攻め込めば城が落ちてしまう。犠牲も少なく、甲斐の時代からは隔世の感がある。
「楽なものだ」
この力があれば上杉謙信でさえも粉砕できただろう。信玄が言い遺したように、瀬田に武田の旗を立てることだって夢ではなかったかもしれない。
それはともかくとして、武田旧臣の加入は具房にとって喜ぶべきことだった。彼が悩まされていたのは高級指揮官の払底だ。六角承禎(義賢)、鳥屋尾満栄などは老齢のため第一線を退いている。権兵衛や徳次郎、島左近、藤堂房高と各兵団の団長は確保していたものの、旅団長や連隊長クラスの指揮官には能力的に微妙と思われる人物を止むを得ず就けていた。だが、武田一門の加入によって満足できるレベルの人材を登用し、育成中の指揮官が育つまでの繋ぎとすることができる。
讃岐へ侵攻した北畠軍は連戦連勝。かなりのペースで進撃する。阿波での戦いで大打撃を受けた上、東西から挟み撃ちにされているのだ。長宗我部軍には満足に抵抗する能力は残されていなかった。同行していた十河存保は、これを信じられないという顔をして見ていた。強敵だった長宗我部軍がこうも容易く破られるのだ。現実とは思えなかった。
讃岐を任されていた香川親和(元親の次男)は残存兵を集めて天霧城へと籠もる。北畠軍は長宗我部一門をなるべく生かしておくように命じられていたため、徹底的に砲撃を加えて城の防御施設を破壊。その上で降伏を勧告した。長宗我部家臣が白地へ落ち延びることを許容する破格の条件である。
「止むを得まい」
親和はこれを受け入れ、家臣とともに城を退去した。かくして讃岐は北畠家のものとなった。
他方、東予へ侵攻した房高もまた豪族の軍を圧倒的な火力で破砕して回っていた。事前に降伏勧告を送っていたのだが、ことごとく拒否されている。それもこれも、中心的な豪族である金子氏が「長宗我部に味方し、数年も経たないうちに北畠へ味方する変節漢になっていいのか?」と呼びかけたせいだ。おかげで豪族たちはそれぞれ抵抗している。
「まったく戦わないというのはつまらんが、こうも小勢で向かってこられると鬱陶しい」
「まるで夏の蚊のようだな」
房高の言葉に「蚊のようだ」と肯定したのは一条信龍。彼もまた武田一門で、なかでも戦上手といわれた人物である。山がちな甲斐で戦ってきた手腕を見込まれ、山岳兵たる伊賀兵団の副団長となっていた。
ひとつ倒してもすぐ別のが現れるというモグラ叩き状態で、面倒なことこの上ない。房高と信龍は手分けして掃討にあたる。だが、幸いにも懸念されていた河野氏の介入はなかった。
順調に掃討を進め、高峠城に東予の豪族たちを追い詰める。例によって降伏勧告を出すも拒否されたため攻撃を始めた。金子元宅らは捨て身の突撃を敢行したが、数千丁の鉄砲(しかもボルトアクション式)と擲弾筒、大砲の前に全滅する。わずかな生き残りはどこかへ逃げていった。
豪族たちを全滅させたことは統治体制が崩壊したことを意味しており、その統治という面倒な課題が生まれる。房高は少し悩み、
「十河殿、よろしく頼む」
三好家に丸投げした。
「えっ!?」
指名された十河存保はびっくり。再考を求めるが、房高は既定路線であるかのように振る舞い、取り合わなかった。面倒な仕事は他人に押しつけるに限る。三好軍はボロボロだが、さすがに治安維持くらいはできた。白地からそれほど離れていないので、河野氏がちょっかいを出してきてもすぐに駆けつけられる。それに、何もかも北畠軍がやってしまうと三好家の面目丸潰れなので、房高なりの配慮であった。
こうして北畠軍はほんの一ヶ月足らずで讃岐と東予を占領。統治は三好家に任せ、自分たちは白地へと再集結した。その圧倒的な軍事力を見せつけつつ、具房は長宗我部家との和睦交渉に入る。といっても実際に交渉するのは具房ではなく、嫡男の具長だった。
「なぜですか?」
「さすがに右大臣が出向くわけにはいかんからな」
格の問題だ、と説明した。元親は宮内少輔を自称しているのに対して、具房は歴とした右大臣。同じ大名ではあるが、なるほど両者には月とすっぽんレベルの差があった。
……とはいうが、具房は基本的にそんなことは気にしない。本当の理由は別にある。まず具長の社会勉強。次の北畠家当主として、今のうちから経験を積んでもらう。この交渉は絶好の材料だった。なぜなら、具房に交渉をまとめるつもりがないからだ。
具房の目的は北畠家による四国統治。対する長宗我部家は土佐と阿波半国の安堵を求めていた。長宗我部側としては讃岐を放棄することで具房の譲歩を引き出そうとしたが、既に讃岐は落ちた後である。取引材料にはなり得なかった。それでも土佐の安堵は求めてくるだろうが、具房が土地持ちを認めていない以上、両者は水と油。妥協する余地がないのだ。
(土佐の安堵はできない。移動を確約した上なら土佐に置くこともできるが……)
受け入れないだろう、というのが具房の見立てだ。譲れるラインはそこまでであり、その条件を呑むならよし。呑まないなら、来春に予定されている大規模攻勢で叩き潰す。とにかく、具長の役割は交渉の場の空気を味わうこと。その場でははいはいと適当に頷いておいて、具房のところに報告を上げることが彼の仕事である。
「しっかりやれよ」
「はい」
そう声をかけて具房は息子を送り出した。
交渉は白地城外、両軍の間に置かれた天幕にて行われた。弓矢や鉄砲が当たらない距離ということなのだが、実は北畠軍の鉄砲は届いてしまう。具長たちに万一のことがあってはならない、とスナイパーが待機していた。
そして北畠側、長宗我部側双方の代表者が天幕で顔を合わせた。長宗我部側の代表は、予想通り元親本人。彼は開口一番、具房がいないことを訊ねた。
「父は『右大臣が出ては宮内殿(元親)が心苦しいだろう』と」
「我らを愚弄するか!」
元親は激怒した。凄まじい剣幕だが、具長は動揺しない。彼はお坊ちゃんだが、大名となる以上は文武両道となるべく厳しく育てられた。武術は無論のこと、文筆や歌道など。芸事は公家の専売特許であり、具房は彼らと親しいことからその道の第一人者を講師に招き、とんでもないサラブレッドに仕上げられていた。
とはいえ、具房は可能な限り本人の意思を尊重する。仕方なく色々と仕込んではいるが、本人のやりたいことに力点を置いていた。そんななかで具長が興味を示したのが軍事だった。士官学校に入っているのだが、学校でも部隊でもしごかれた。大名の子どもでも容赦ない。そのなかで怒鳴られることもしばしばあったので、この程度では動じなかった。
「そんなつもりはありませんよ」
いやだなあ、と具長。とても太々しい態度だ。ヘラヘラしていると表現されそうなその姿は具房に似ている。
具長を子どもだと思い、脅して交渉を優位に運ぼうとした元親だったが、その狙いは外されてしまう。そして交渉に入ると、具長の態度が変わった。ヘラヘラして掴みどころがなさそうな雰囲気から、強い意思を感じる眼光鋭い面立ちに。同行した北畠家臣たちはふとお市の顔を思い浮かべる。彼女そっくりであり、具長が具房とお市の子であることを示していた。
にわかに威厳のある雰囲気を纏った具長は冒頭、
「我が家臣に城や田畑を持っている者はいません。貴殿らに土佐を預けることはあっても、それは永遠ではないということを頭に入れていただきたい」
と言い放った。長宗我部家が土佐を管理することはできても、領有することはできない。飛ばされても文句を言わないように、というわけだ。讃岐を放棄して土佐と阿波半国を得ようとしていた元親の機先を制する格好となった。
「我々は讃岐を北畠家に渡す代わりに土佐と阿波半国で手打ちとしたい」
「話になりません」
元親の提案を具長は一蹴する。取りつく島もないといった態度だが、元親はさらに切り込んだ。
「和睦しようというのに讃岐や東予へ攻めんこんだことについては?」
その点を突いて譲歩を引き出そうとするものの、
「そのときはまだ話は決まっていなかったはずですが?」
和睦の話が出ただけでそんなことをしていられるか、と言い返される。しかも、具房に長宗我部家と和睦する意思はない。光秀が斡旋したので彼の面目を立てるために仕方なく応じただけで、結末は長宗我部家の全面降伏以外にあり得なかった。そして、そうなる過程は平和的手段でなく、暴力的なものであっても具房としては問題ない。
「ならば保障がほしい」
「貴殿の手腕は父上も高く買っておられます。御子息も。ゆえに、一国を任せる都督に二代続けて登用されることは間違いないでしょう」
具房が元親、信親親子のことを評価しているという話をし、国を任せられると言った。しかし、それは元親にとっては不満の残る回答だった。
「我らを買ってくれていることは嬉しいが、確かな形で保障してもらいたい」
「それはどのような?」
「婚姻だ」
元親は長宗我部家から北畠家に娘を嫁がせるか、北畠家から信親に(具房の)娘を嫁がせてほしいと要望した。
「それについては帰って父上と相談します」
具長は自分の一存では決められない、として回答を保留した。それからも交渉は続いたが、元親がどう迫ろうとも具長は動じない。両者の溝は埋まることなく、初回の交渉は終わった。
「よくやった」
交渉の席での対応を聞き、具房は息子を激賞する。
他方、
「何も得られなかったわ。口惜しい」
与し易いと見た具長が意外と難敵だった(見誤った)ことに、元親は悔しさを滲ませた。