異形の軍
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土佐国岡豊城。長宗我部家の拠点であるこの城にいた長宗我部元親は阿波、讃岐方面の異変について報告を受けていた。
「三好に援軍?」
「はっ。旗印の多くは笹竜胆。わずかに木瓜紋が見えます」
「北畠か!」
具房率いる北畠軍。圧倒的な火力で次々と難敵を撃破してきた。その強さはある種の神話となっている。強敵の襲来に元親は慄く。それははたして恐怖によるものか、興奮によるものか……。
そんな武士としての顔とは別で、大名としての元親が計算を始めていた。気になるのは北畠軍の数だが、まずはわかっていることから検討していく。
(三好の軍は壊滅させたから、考えなくともいい)
白地城は土佐から見ると伊予、讃岐、阿波へと出るときの蓋のような存在で、とにかく邪魔だった。これを落とし、重清城も攻略している。その際、内乱で弱体化していた三好軍、特に主力である十河軍を大破した。さらに讃岐の有力豪族、香川氏に次男を養子に送り込んで傀儡化。羽床氏も寝返っている。讃岐、阿波はほぼ全土を押さえ、残っているのは東部の一部だ。
三好攻略はとんとん拍子に進んでいたが、伊予攻略は苦戦していた。南予に攻め入った軍は久武親信が討ち取られるなどの損害を受ける。東予は金子氏などを取り込んで手にしたものの、中予の河野氏は毛利氏と結んで対抗。なかなか手を出せずにいた。
領地のほとんどを失った三好家に軍を再建する力はない。十河軍は少しばかり回復しているかもしれないが、長宗我部軍に抵抗できるだけの数が易々と集まるとは思えなかった。こう考えると敵は事実上、北畠軍のみとなる。
問題は勝てるかどうか。地の利を活かせればいいのだが、相手には三好がいる。地理的なアドバンテージはないも同然。後は純粋な戦闘力だが、それは比較にならない。元親は一領具足という精鋭部隊を抱えているが、半農半兵であり、武器も刀や槍。無数の鉄砲を持つ北畠軍にはとても敵わない。
(讃岐、阿波は領有しておきたかった……)
三好領という足がかりがあることで、北畠軍の侵攻を容易にさせる結果となってしまった。讃岐、阿波を押さえた状態なら躊躇させることができただろう。それを元親は悔やむ。今更いっても仕方のないことだが。
(伊予は……動かせんか)
味方は少しでも多い方がいい。伊予の諸勢力を味方にできればよかったのだが、それは難しいだろう。元親は伊予に攻め込んでいるからだ。南予の西園寺氏と戦っていたし、中予の河野氏はその勢力圏(東予)を奪っている。味方になってくれるわけがなかった。
総合すると、元親が置かれた立場は極めて厳しい。ここにきて降伏はあり得ないので、できるところまでやる。相手を苦戦させればより有利な条件で講和できるはずだ。土佐、阿波を元親、讃岐を香川氏の養子とした親和が治めることになれば大成功。讃岐は諦めることもできるが、土佐と阿波は譲れないラインだ。
「北畠軍はどれほどいる?」
「五千ほどです」
「それだけか?」
北畠軍は少なくとも万はいるはずであり、五千というのはあまりにも少なすぎた。元親は追加の調査をさせるとともに、動員をかけるよう命じる。北畠軍が攻めてくるのは間違いないので、それに備える必要があった。
その後、調査が続けられて北畠軍が一万、一万五千、二万……と増えていったことが確認される。最終的に五万となった(内訳は北畠軍四万五千、織田軍五千)。
「何という数だ……」
元親は愕然とする。長宗我部軍も集められるだけ集めた。結果、二万の兵を揃えている。間違いなく全力だが、敵は余裕を残してなお自分たちを凌駕していた。さらに、元親はどこを攻められるかわからず各地に兵を置かなければならないのに、北畠軍は好きなところへ侵攻できる。単純な戦力の比較で倍以上の差がある上、実際にはもっと大きくなる可能性があった。
そして睨み合い。北畠軍は動かず、滞陣を続けている。元親が最も避けたかった事態だ。大動員をかけて無理くり二万を揃えたが、その中身は農民兵であり、秋には農作業のために帰らなければならない。それまでに決着をつけなければ軍は自然と解散する。
(こちらから仕掛けるか)
五万もの大軍ともなれば食糧の確保にすら苦労するはずであるが、敵にそんな様子は見られない。むしろ長宗我部軍の方が食糧の調達に苦労していた。戦わずして追い込まれていく。元親は隙を見て攻撃することとした。
「敵の動きを注視せよ」
と北畠軍の警戒監視を命じるのであった。
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そのころ、北畠軍の陣地では具房が優雅に過ごしていた。
「おっ、これは大きいぞ!」
船を一隻チャーターし、糸を垂らす。釣り上げたのはタイだった。鳴門のタイだ! と具房は大興奮。自分で釣り上げるとやはり嬉しい。
他にも具房は色々とやっていた。中隊単位で運動会をやったり、射撃大会をやったり。武術大会で剣や槍などの部門別、無差別と競い、優勝者には賞金を出した。歩兵は格闘術、騎兵は乗馬競走、砲兵は重量挙げといった具合に、それぞれの兵科の特色にあわせた追加種目でも競っている。
また、本領から娼婦を連れてきて駐屯地近くに借りた家屋に住まわせた。そうして簡単な色街を作る。兵士たちは暇を見つけて通っていた。性欲の発散は重要だ。下手に我慢させると暴走してしまうかもしれない。そのリビドーが住民に向くと困る。四国は将来的に北畠家のものになるので、悪印象は抱かれたくなかったからだ。
まるで数万人単位で遠足に来たようなものである。これに不満を覚える者がいた。信孝だ。彼は具房が鮮やかに敵を撃破する姿をこの目で見ようと思っていた。それが、実際は遊び惚けている。期待は怒りに変わった。
「叔父上(具房)! なぜ戦わないのです!?」
ある日。具房が護衛の蒔と陣幕でお茶を飲んでまったりしていると、信孝が怒鳴り込んできた。冷静な信孝が激昂したことに面食らう具房。蒔も隣で驚いている。
「まあ落ち着いて」
深呼吸深呼吸。吸って、吐いて。また吸って、吐いて……と落ち着かせようとする。だがそんなことは関係ない、と信孝は詰め寄った。
「なぜそんなに慌てる?」
「こんなところで呑気に遊んでいるからです! 我らは四国を平定しに来たのですよ!?」
「気持ちはわかるがまずは落ち着け」
ちゃんと説明するから、と具房。信孝は渋々といった様子で座った。具房もその前に座る。
「三七郎殿(信孝)が言うようにたしかにわたしたちは遊んでいる。だが、それには理由があるのだ」
「どのような?」
「敵が攻めてくるのを待っているんだよ」
理由を聞いた信孝は懐疑的な顔をした。
「敵が攻めてくるとは限りませんよ?」
「いや、攻めてくる。間違いなく」
信孝の懸念を具房は一蹴した。そして改めて言う。長宗我部軍の来攻は予定された未来だと。別に具房は格好つけているわけではない。確信があるから断言しているのだ。
「我が軍は常備兵で成っているが、敵は農民兵だ。秋が来れば収穫のために帰らねばならない。だからその刻限までに攻めてくる」
ただそのときを待てばいい、と具房。遊んでいるのは暇潰しにすぎない。
「ならば、ここまで早く渡らなくてもよかったのでは?」
「野分が来るからな」
海が荒れ、船が沈没する可能性がある。戦いでならともかく、そうでない場面で兵を失うのは馬鹿らしかった。多少の出費はあるが、人命に比べれば安いものである。
「蒔。敵の間諜はどれほど来ている?」
「……三人、始末した。五人は泳がせてる」
蒔は具房の護衛のみならず、戦場における諜報や防諜を担っている。花部隊の隊員が怪しい人間を摘発していた。信孝はそんなにいたのかと驚く。
「よし、核心的な情報は渡すな。他は適度にな」
「……うん」
遊んでいるばかりだったわけじゃないんだよ、というアピールだ。
「まあ、そういうわけだからもうしばらく我慢してくれ」
暴れる機会は作るから、と具房は説得する。信孝もそこまで言うなら……と引き下がった。怒りの原因は具房が遊び呆けていたからだが、そうではないとわかると怒りは雲散霧消する。
「いつも肩肘張っていると疲れてしまうからな。気を引き締めるときと緩めるときをきっちり区別することが大事だぞ」
具房はアドバイスを送る。気楽に行こう、と。
「……はい」
信孝も納得し、それから夏にかけて一緒になって遊んだ。今風にいえばバカンスである。場所が南国の四国であることもバカンス感を助長した。これに信孝が指揮する織田軍も巻き込まれ、気づく。
(これは遊びだ。だが、鍛錬でもあるのか!)
遊びながら鍛錬(訓練)するという手法に、信孝は衝撃を受けた。北畠軍と織田軍(本軍)はともに常備兵が主体だが、前者の方が圧倒的に強い。それは装備だけの問題ではなく、練度の差が影響していた。
織田軍はほとんど訓練されていない。兵たちの士気が低いからだ。常備兵とはいっても、織田軍の場合は金で雇われた兵士ーー傭兵に近い。彼らの目的は金であり、それさえ貰えれば後はどうでもいいのである。戦では旗色が悪くなるとしばしば逃げ出した。だから信長は農民兵があまり動員できない秋に攻め込んだり、大軍を用意したりして勝てそうに見せている。運用では割と苦労していた。
ならば農民兵でいいではないかと思うが、先述のように農作業が忙しい春や秋(田植えや収穫)の時期には動員できない。無理して動員できないこともないが、そう何度も使える手ではなかった。また、農民であるため彼らの死は農業生産量の減少に直結する。それはイコール税収の低下であり、国力や軍事力の低下でもあった。
常備兵と農民兵。一長一短ある兵制だが、具房はこれを超越した。徴兵により、農民も町民も構わず兵士にする。これは農民兵の要素だが、違いは本格的な訓練を施していることだ。三年間兵士とするのが常備兵の特徴である。兵役は名誉なものだと教育し、忌避感を抱かせない。故郷に帰ればヒーローだ。だから多くの者が真面目に取り組む。このような制度に強力な兵器が加わり、強い北畠軍を生み出していた。
北畠軍の強さは承認欲求を刺激し、これを満たすことにある。そのための思想教育であり、地域の活動だ。訓練の要素を取り入れた遊びは所詮、退屈しのぎの遊びにすぎない。だが、信孝は遊んで訓練することが強さの理由だと思った。
(我らとは似ているようで違う……)
信孝は本能的に北畠軍の異質さを感じとるのであった。
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そのころ、長宗我部軍の陣地では元親がキレていた。
「我らを愚弄しているのか!?」
あまり重要でない情報は元親に伝わっている。そのなかには、北畠軍と織田軍が遊んでいるというものも含まれていた。自分が真面目に戦争やっているのに対して、相手が舐めた真似をしている。その怒りには並々ならぬものがあった。
厳しい戦いになる、そう思っていた。ところが、蓋を開けてみると敵が遊び呆けて油断している。大軍の驕りだと元親は考えた。
そして脳裏にチラつくタイムリミット。民を重んじる元親は、動員が長引くことを好まなかった。今回は無理をして動員しているため、一年延長策を使えない。
(彼我の戦力差を埋めなければ安心して軍を解けぬ)
その二つの理由で、元親は決断した。
「出陣! 他所者を四国から叩き出せ!」
元親は出陣を命じた。長宗我部軍は勇躍出撃。北畠軍に決戦を挑む。
この動きは具房もすぐに察知した。急報が舞い込むや、具房は全軍に集合を命じる。事前に集合の合図は定められており、ラッパや空砲、狼煙などの様々な手段で広範囲に迅速に伝えた。
各部隊は近場で活動していたこともあり、すぐさま集合。具房は勢揃いした部隊を前に訓示を行う。
「諸君、休暇は終わりだ。先刻、長宗我部軍が動き出した。我々はこれよりこれを打ち破り、一気に戦の形勢を決めるぞ!」
「「「はっ!」」」
瞬時に意識を切り替えて行動する。遊びモードから一転、戦闘モードになった。北畠軍の基本戦略は防戦からの反攻だ。守って敵を消耗させ、頃合いを見て反撃に出る。圧倒的な火力で前線を突破。敵を崩壊させて追撃戦を行う。防衛、追撃ともに自軍が有利だ。具房の思考はシンプルであり、いかに自分が有利な状況を作るかということで作戦指導は終始一貫していた。そこに戦力差や経済力の差が加わり、抜群の結果を残している。
今回も北畠軍は待ちの作戦をとった。敵の攻撃を凌ぎ、消耗した段階で反攻に出る。防御といっても陣地構築がされており、簡単な攻城戦に相当した。攻城戦においては攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要だという。逆にいえば、防御側は攻撃側の三分の一、安全マージンをとっても半数で済むということだ。この理論に基づき、具房は自軍の半数を防衛に、残りを予備部隊として後方に配置していた。これで敵が撤退を始めたとき、予備部隊で追撃ができる。追撃における被害が損害の多くを占めるという。その観点からいけば、具房の作戦は極めて合理的だ。
両軍の合戦は翌朝未明から始まった。攻撃を仕掛けてくる長宗我部軍に対し、北畠軍は大和兵団が迎撃。それを伊賀兵団がサポートし、残りの志摩、紀伊兵団が予備とされた。織田軍も予備扱いである。信孝は戦いを望んだが、
「では追撃を任せよう」
と具房が言えば引っ込んだ。戦えるならそれでいい。追撃ならばよほどの下手を打たない限り負けはないから、楽に手柄を挙げられる。むしろありがたかった。
一方、長宗我部軍は直前で進撃を停止。隊形を整える。先頭は精鋭の一領具足だ。元親は彼らに注意を与える。
「敵の鉄砲は我らのものより強力らしい。だが、案ずることはない。近づいてしまえばこちらのもの。ゆえに、決して止まるな」
「「「応ッ!」」」
「よし、かかれっ!」
元親の号令がかかり、長宗我部軍は突撃を開始する。しばらくは何事もなく進めていた。しかし、設定された境界線を越えたのを確認するや、北畠軍は猛烈な銃砲撃を開始する。
「撃て!」
命令が下ると、北畠軍は中隊単位で統制された射撃を始めた。十字砲火ができるように配置が工夫されており、効率的に敵を倒していく。銃が長射程ということもあり、この時代の常識ではかなり手前から倒れる。
それでも長宗我部軍は止まらない。元親の命令に従い、犠牲を顧みずひた走る。その心を打ち砕くように、天から砲弾が降り注ぐ。ヒュルルル〜といささか間抜けな音を立てているが、効果のほどは絶大だ。着弾から数秒遅れて爆発。破片を撒き散らす。満足な防具を着けていない足軽はそれだけで負傷して脱落した。防具をしっかり着けている者は破片による被害は限定的だったが、爆風に襲われた者は吹き飛ばされる。
「狼狽えるな! 敵はすぐそこーー」
兵士を鼓舞していた武将の頭が爆散した。お馴染み、竜舌号の狙撃だ。
「あれは?」
「田中弥平左衛門です」
「問題なしだな」
孫一は側にいる三好家臣から敵将の名前を訊き、元親でないことを確かめてから撃つ。元親を殺すと敵が復讐に燃えるだろう、ということでターゲットから外されていた。
軽い調子で引き金が引かれ、轟音とともに大口径弾が吐き出される。その威力は絶対で、遥か先の指先くらいの大きさでしかなかった敵が倒れた。頭部が消失した状態で。これを見ていた三好家臣は肝を冷やす。
(あんな死に方はしたくない……)
武士だから戦で死ぬのは仕方がない。だが、死に方くらいは選びたかった。少なくとも、眼前で多発しているスプラッタだけは御免である。
驚くポイントは竜舌号の威力のみならず、ボルトアクション式ゆえの装弾の速さだ。五発撃つだけならば、槓桿を引くだけで再装填できる。自分たちが持っている鉄砲では考えられない発射速度、そして威力に三好家臣たちは恐怖した。
そして恐れを抱いたのは三好家だけではない。元親もまた次々ともたらされる家臣討死の報に頭を抱え、恐怖していた。
(聞いていない! こんな遠距離でも鉄砲が当たるなど!)
元親は北畠軍が鉄砲を多用して戦いに勝利してきたことを知っていた。しかし、射程については知らなかった。知識に含まれていなかったからである。単に鉄砲とだけ聞いていたので、自分が持っている鉄砲の性能に無意識のうちに当てはめてしまった。それが根本的な判断ミスの原因である。
「敵は思った以上に守りを固めていたようだ。ここは一度退き、体勢を立て直すぞ」
もっともらしい理由をつけて、元親は自軍に後退を命じる。被害が大きくならないうちに、というのは正しい判断だったが、北畠軍はそれで逃げられるほど甘い相手ではなかった。
「押し出せ!」
長宗我部軍の撤退を見た具房は織田軍と伊賀兵団に追撃を命じた。信孝は張り切って追撃戦を行う。明確な勝ち戦において織田軍は強い。傭兵みたいな存在なので、勝つとわかればやる気を出す。猛烈な追撃を仕掛けて殿を瞬く間に撃破。その後も目につく敵を執拗に討っていった。
織田軍が個人(恩賞)のために動く一方で、伊賀兵団は全体のために動く。細かな部隊は織田軍に任せ、伊賀兵団は山岳兵という強みを活かして長宗我部軍本隊を追う。元親はどうにか白地城に逃げ込む。そこで味方を待ったが、参集した兵は三千ほどしかいなかった。