地獄 ーゲヘナー
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演習は野戦において敵陣を突破するという想定で行われる。役割は三つ。遠距離からざっくりと敵を耕す役、中距離から前進する味方を援護する役、敵陣へ突撃する役である。それぞれ砲兵、狙撃兵、歩兵の担当だ。
砲兵は味方歩兵の攻撃より少し前に準備砲撃を始め、敵陣の障害物などを破壊。進路を啓開するとともに、兵員に打撃を与える。砲撃は恐ろしいものだ。音もなく頭上から降り注ぐ暗殺者。ミサイルなどが発達した現代でも、陸兵が挙げる攻撃されたくない兵器ナンバー1だ。
準備砲撃が終わると、歩兵部隊が突撃を開始する。砲兵部隊は引き続き砲撃で援護するが、そこへ新たに加わるのが狙撃兵だ。元雑賀衆をはじめとして各部隊から選抜された射撃の名人が揃っており、砲撃のアバウトな支援とは対照的に、繊細な支援を提供する。一部が装備する竜舌号は今日でいう対物ライフルであり、多少の障害物も貫徹してしまう。銃器のなかではピカイチの打撃力を誇っていた。狙撃兵の大半が使うミニエー銃にしても、この時代の鉄砲より射程、威力ともに優れている。数が多いため、弾幕を張って敵を制圧できた。役割は機関銃に近い。
突撃する歩兵部隊は銃剣を装着し、ひたすら走る。ノリは徒競走だ。一発だけ入った銃を握り、ひた走る。発砲したら適当な遮蔽物に身を隠し、弾を再装填して走り出す。それを敵陣に着くまで繰り返すのだ。なお、頑強な抵抗に遭った場合は迫撃砲や手榴弾で吹き飛ばす。
誤射の危険があるため、演習では砲撃、援護射撃と突撃は別方向に向けて行われる。前者は山へ向けて。後者は麓の標的へ。住民には事前に入らないよう通告している。もしかしたらいるかもしれないが、一週間も前に言ったのだ。巻き込まれても知らん、と開き直っていた。
「野戦砲、試し撃ち方」
砲撃だって適当に撃っていればいいというわけではない。ある程度は狙いをつける。最も練度の高い部隊が試射を行って照準し、諸元を算出。それを他の部隊に伝えることで照準が完成した状態で砲撃でき、目標へ効率的に打撃を与えることができた。
(ふん、やはり見せかけか)
そんなことを知らないカブラルは、ごく一部の大砲だけが撃つのを見て北畠軍が張りぼての軍隊だと結論する。しかし、それは気が早い。
各砲、五発程度を撃ったところで砲撃を止める。カブラルは弾が尽きたものだと思った。下等民族が自分たちの真似をしようとしてできず、狼狽している……と優越感に浸るカブラル。このとき各砲で弾込めが行われていたのだが、猿真似だという先入観から気にしていなかった。
「野戦砲、各隊、砲撃始め! 弾数二十!」
隊長の命令が下り砲撃が始まる。一門ずつ微妙に間隔を開けて発砲することで砲身の過熱を防ぎ、継続的な砲撃を実現した。各部隊の一中隊につき十二門。五秒間隔で砲撃すれば一分。大隊は三個中隊で成るため、一門が三分間隔で砲撃することになる。
また、重砲は砲弾自体が重いので、発射間隔は分間一発が限度だ。なのでこちらは間延びして一門につき十二分間隔で砲撃した。その代わり威力は絶大だが。
規則正しく砲撃しているので、着弾の間隔も規則正しい。たっぷり一時間、合計二二二〇発の砲弾が撃ち込まれた。使われたのは榴弾なので、着弾すると爆発エネルギーを周囲に撒き散らす。クレーターができるのはもちろんのこと、周辺の木々を薙ぎ倒していた。それが二千発。山が禿げる。今なら自然破壊だと抗議されそうだが、この時代にそんな観念はない。撃ち放題であり、自衛隊員が泣いて喜びそうな環境だ。
「……」
魂を飛ばしかけるカブラル。木々が生い茂っていた山が、一時間足らずで円形脱毛があちこちで起きている禿山に変えられてしまった。
(ありえない、ありえない、あってはならない!)
カブラルは自己防衛のために全力で現実逃避した。下等民族と蔑んでいた日本人の圧倒的な軍事力を見せつけられる。逃げられればいいのだが、具房とフロイスが連携して逃さない。頭を掴まれ、強制的に見せられている感じだ。そうして現実を容赦なく突きつける。
そして、これはあくまでも「準備」砲撃。本番はこれからだ。その本番を、カブラルはこう表現した。
地獄、と。
「砲撃始め!」
発射間隔が短くなった。これまでは大隊規模で撃っていたが、味方の突撃を支援するためには継続性より密度が重視される。ある程度の過熱を覚悟の上で間隔を狭める。およそ一分につき一発だ。山がますます禿げる。
火力支援とはいえ、戦国時代の技術では火砲での狙い撃ちなどできない。史実でも、そんな芸当ができるようになったのはコンピューターが発達し、複雑な計算を一瞬で終わらせてくれるようになってからのことだ。だから撃ちまくる。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる理論だ。
とにかく派手な砲兵と比べると目立たないが、狙撃兵部隊も地味に仕事をしていた。竜舌号持ちは板塀に次々と風穴を開け、ミニエー銃を持つ者は、盛土の上にある的を狙い撃つ。銃撃は当たらなければ意味がないように思えるが、目的は敵を殺傷することではなく敵を拘束することだ。撃ちまくることで敵が思うように動けなくなり、突撃する味方が有利になる。だから命中させられるかはそれほど重視されない。味方に当たらなければそれでいいのだ。
「突撃ッ!」
白刃を振り下ろし、歩兵による突撃が始まった。突撃の号令は中隊長が行うが、その後は分隊長の命令で動く。敵陣を同時多発的に攻撃することで一箇所における敵兵力を希薄化させる。兵士ひとりの戦闘力は北畠軍が圧倒的に上であり、同数ならーー状況にもよるがーーまず負けることはない。その強みを活かして自軍に優位な状況を築き、複数箇所で突破する。後続の部隊はこうしてできた穴に飛び込み、それを広げていく。野戦であれば騎兵が飛び込み、後方へ回り込んで半包囲の形を作る。
防御の堅いところは迂回するが、多少堅いくらいなら強引に突破する。そのとき使われるのが擲弾筒だ。これは曲射の他、水平撃ちして直射することができる。敵の密集地に撃ち込めばどうなるかは、述べるまでもないだろう。
演習ではそういうポイントがいくつか設定されており、適切に攻撃していったかが重要な評価項目になっている。喊声たまに発砲音と、比較的静かな歩兵部隊。だが時折、大きな爆発音が響く。これは擲弾を直射して、そういうポイントを破壊した音だ。
定められたポイントに歩兵部隊が到達したところで演習は終わる。そのタイミングで、ようやくカブラルは場を離れることができた。
(何ということだ……)
ひとりになり、改めて戦慄するカブラル。なるほど、フロイスが言うように日本の軍は強い。あんな攻撃を受ければひとたまりもないだろう。思い出しただけでも身震いする。
普通なら強大な軍事力を見せつけられれば諦めるはずだ。侵略の意思は消えないまでも、軍事力を自分も強化しよう、と。だが、カブラルの考えは違っていた。
(そうか! 蛮族同士で争わせればいいのだ)
北畠軍をどう倒すか考え、人海戦術に行きついた。崇高な教え(キリスト教)を理解しない低能な人間のなかでも特に愚鈍な人間を北畠軍に嗾ける。いかに北畠軍が強くとも、次々と来襲する敵を前にすれば打撃を受けるに違いない。自軍も大打撃だが、そこで死ぬのは異教徒である。いくら死のうが構わない。
(戻って異教徒をまとめなければ)
面倒だと思いながらも、これでこの地にも主の教えが広まるのだ、とひとり悦に入る。が、それは今の段階では絵に描いた餅であった。しかし、日本人を劣等人種と思っているカブラルにとって、自身の構想はすなわち予定された未来なのである。
かくして、フロイスは適応主義を維持することに成功した。しかし、具房やフロイスの意図には反して、カブラルは打倒北畠に燃えることとなった。
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具房は台風の季節が来る前に四国へ渡るつもりだった。この時代、気象予報なんてものはない。雲行きを見て、明日は晴れだとか雨だとか言っているレベルである。だから細かい予測はつけられない。
しかし、おおよその傾向は存在する。この時期はこんな天気になる、という感じに。台風であれば、夏から秋にかけて日本に近づく。だから動くなら春か冬がいい。そんなわけで、具房は春のうちに渡海してしまうことにした。
渡海に先立って、具房は兵士を集めて訓示を行う。長ったらしい口上は嫌われるので手短に。
「諸君、今回の戦場は四国である。三好家を助けるための出兵だ。しかし、本作戦の意義はそれだけではない。四国を押さえることは中国で戦う羽柴軍を助けることにもつながるし、将来的に大きな利益を我々は得ることになるだろう。各員の奮戦を期待する」
具房はそう話を締めた。これから部隊は順次乗船し、四国へ渡る。三好家では既に受け入れ準備が進んでいた。安宅信康が死没し、淡路は完全に三好咲岩が支配するようになっている。彼を連絡役として、具房と三好家側とで連絡がとられていた。
北畠軍が四国制圧を担うわけだが、織田軍も少し混じっている。これを率いるのは信長の三男、信孝だ。これには光秀が随行している。船の順番が回ってくるまでは暇なので、暇つぶしとして具房を交えた三人で話をした。
「叔父上(具房)はどのように四国を攻めるのですか?」
「それは秘密です」
四国攻めの具体的な作戦を訊ねられたが、具房は秘密だと教えない。漏れたら意味がないので、情報の隠蔽には気を遣っている。部隊でも作戦を知る人間はごく一部だ。
「右府様(具房)であれば、何か面白いことを考えておられるのでは?」
「さあ、どうかな?」
光秀が記者のように質問してきたが、具房は政治家のようにはぐらかした。簡単には吐かない。
代わりに具房が質問する。
「三七郎(信孝)殿。お父君(信長)は西へ注力されるのか?」
「はい。東は兄上(房信)に任せられるようです」
「若殿(房信)に武勲を上げさせるためでしょう」
光秀が言い添える。房信は前年の武田攻めで徳川家と共同で信濃を陥落させるという武功を上げていた。しかし、世間的には北畠軍の活躍が注目され、インパクトはいまいち。これでは武功がものをいう武家社会では舐められてしまう。そこで具房が四国攻めをしている間に、房信に上杉を滅ぼさせようというのだ。これならしっかり房信が注目される。
「義弟殿(房信)であれば上手くやるだろう」
「はい」
具房、信孝そして光秀も上杉は滅ぶと思っていた。上杉攻めが失敗する可能性はゼロに近い。内乱でボロボロの敵を三方から寄って集ってボコボコにするだけの簡単なお仕事だ。有能な房信はやり遂げる、と疑っていない。
「我らも頑張らねばな」
「右府様のお力であれば問題ないのでは?」
「いや、油断は禁物だぞ十兵衛殿(明智光秀)。そうした慢心が、桶狭間になりかねないからな」
「なるほど」
それはたしかに、と光秀。だが、一方で具房は憂鬱だった。
「しかし、結局のところ戦か」
長宗我部氏との交渉は予想通り難航し、やはり決裂した。光秀は説得に尽力したが、元親は納得しなかった。気持ちはわかる。信長は一度、彼に四国を任せるとのお墨付きを与えたのだ。それをいきなり、自分に何の落ち度もないのに反故にされた。理不尽以外の何物でもない。
(まあ、よくあることだけど)
前世、指導教授のおかげで論文作成に苦労させられた具房は達観していた。こんなことは慣れっこである。理不尽を嘆いていても仕方がないので、割り切って生きるしかない。
勝つ見込みはあるのかを冷静に計算し、行動を決める。家中に納得しない者がいれば、そいつらを最前線に送り込む。勝ちそうならそれに乗じればいいし、負けたなら「家臣が勝手にやったことだ」としらを切ればいい。根回しさえちゃんとしていれば生き残れる。
裏切ってでも自分が生き残ることが大切な戦国時代。そんな世の中でも、たまに譲れないものがあるとばかりに破滅の道を突き進む者がいる。具房にはその神経がわからなかった。命あっての物種だろうに。
「世に名高い叔父上の戦ぶり、見学させていただきます」
「そんな大したものではないぞ」
「ご謙遜を」
信孝世代にとって、具房はスターといえる存在だ。戦に強いことは無論、統治も上手い。内乱が起きるほど荒れていた家内を統一。四分五裂していた伊勢も平定すると、勢いそのままに伊賀、大和、紀伊の三国を領有する大々名になった。信長と並び、身近なサクセスストーリーの具現者である。
そんな具房の戦いを側で見られるというのだから、興奮してしまうのも仕方がない。ここでお目付役の光秀が釘を刺した。
「侍従様(信孝)。油断はなりませんぞ」
「わかっている。それに、これもあることだしな」
信孝はおもむろに着物の中に手を入れ、ロザリオを取り出した。
「これは?」
「叔父上が贈ってくれたものだ」
光秀が視線を寄越したので、具房は肯定の意味を込めて頷いた。
「以前、三七郎殿がキリスト教に興味があると聞いてな。信者が持つロザリオを贈ったのだ」
「見事な細工だろう、日向(明智光秀)?」
信孝はロザリオを自慢する。アクセサリー類は伊勢ブランドのひとつであり、人気が高い。材質は銀で、中央に嵌め込まれたダイヤモンドが特徴だ。
「これは金剛石だ。南蛮では金剛石に『征服されざるもの、何よりも強い』という意味があるそうだ」
自慢気に、誇らし気に信孝は語る。左様ですか、と光秀。彼はキリスト教にそれほど興味はなかった。しかし、ロザリオがいい物であることはわかったので頷く。
具房がロザリオを贈ったのは、フロイスに相談されたからだ。曰く、信孝はキリスト教に興味があるようだが、信長の顔色を窺っており困っているようだ、と。そこで具房がロザリオを贈ることで、信孝がキリスト教に関連する物を持っていても具房からの贈り物だ、という言い訳ができるようにした。これなら信長の勘気を蒙ることもない。具房に文句は来るかもしれないが、二人の関係はその程度で壊れるものではなかった。
(まあ、味方は多い方がいいよな)
具長やその子、孫の世代に至るまで織田家との関係は続いていく。とりあえず次代のために、未来の織田家の有力者と友好的な関係を築いておけば損はない。
「護符のようなものがあるのはいいですが、戦場では何があるかわかりません」
「わかったわかった」
信孝は生返事を返す。あまり真面目に捉えていないようだ。気持ちとしては、親にあれやりなさいこれやりなさいと指示されるのに反発する子どものそれか。
しかし、具房には響いた。油断大敵とはいうが、自分に慢心はなかったか? ないとはいえない。どこか消化試合みたいに思っていた。これではいけない、と具房は気を引き締めるのであった。