カブラルの畿内視察
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フロイスからの書簡には、具房は歴史ある名族のひとりであり、織田政権に大きな影響力を持つ。また強大な軍事力を有しているため敵対は危険であり、今すぐ融和的な布教方針に切り替えるべきだ、ということが書かれていた。それを読んだ日本布教区責任者、フランシスコ・カブラルはその内容を鼻で笑う。
「何が貴種だ。所詮は下等な種族。我々に敵うはずもないだろう」
「そうですな」
「カブラル様の仰る通り」
周りの宣教師たちが追従する。彼らは日本のヨーロッパ化を掲げるカブラル派で、前日本布教区責任者トーレスの遺志を継いで適応主義を掲げるトーレス派とは対立していた。
トップがカブラルなので、ヨーロッパ化が会としての方針になっている。しかし、フロイスなどは拠点がある九州から離れているのをいいことに、方針を無視して適応主義をとっていたが。
カブラルはフロイスの請願を退け、重ねてヨーロッパ化を推進するように命じた。書簡を処理すると次の書類を読む。それは貿易関連の書類だった。
「オオトモが強力な武器を求めているようだ」
「ああ、彼らはシマヅやリューゾージに負けていますしね」
「シマヅは鉄砲をよく使うなど、下等民としてはそれなりにできるようですぞ」
「そういえば以前、フランキ砲を売っていたな。あれを追加で売ってやれ」
ちょっと議論してフランキ砲を売ることに決定。カブラルは商人に依頼するよう指示した。フロイスの書簡を即決したのに対して、こちらは少し時間を使っている。対応に大きな差があった。それで仕事は終わりだと解散。カブラルは自室へと引っ込んでいる。
鉄砲は量産化に成功していたが、大砲を製造できるだけの技術を持つのは北畠、織田だけだった。他はこれらに頼るか、ヨーロッパ人に頼るかしか選択肢はなかった。
現在、中国を支配している明は海禁政策をとっており、貿易はヨーロッパ人が仲介している。彼らが扱う商品は主に中国や東南アジアの産物。硝石や香辛料、薬草、生糸などを輸入していた。
輸出品の主力は工芸品と人(奴隷)である。フロイスたちトーレス派は具房の要請で人を止めようとしていたが、カブラルたちが助長しているせいで効果は限定的だ。
とにかく、カブラルは日本人(アジア人)は低能であり、文化的に劣っている。ヨーロッパの優れた文化を教えてやらなければならない、という思想で凝り固まっていた。畿内の実力を軽視しているのは、フロイスの書簡をほとんど顧みなかったことからも明らかである。
返信を受けたフロイスは危機感を募らせる。
「このままではキタバタケ様を怒らせてしまう」
フロイスの関心は具房に向いていた。信長も保護を与えていたが、具房は資金を援助してくれるなどより積極的に支援してくれている。そんな人物を怒らせれば、築いてきた関係が壊れてしまう。また、程なくして信長たちの軍は九州に向かうと確信しており、そのとき高圧的なカブラルの布教を見れば具房がどう思うか。フロイスの脳裏に浮かんだのは、具房との会談だった。
『わたしは人々が何を信仰しようと構わないと思っている。神であろうが仏であろうがな。実際、経典の解釈なんかの違いで、色々な宗派に分裂している。それはキリスト教も同じだろう。だが、もしもどれかひとつを選べと言われたなら、わたしはわたしに最大の利益を与えてくれるところを選ぶ』
具房はそう言った。彼はまた、ヨーロッパにおける宗教改革にも言及。そのなかでイエズス会がオーストリアやポーランド、ドイツ南部のプロテスタント勢力を抑制したことを評価した。このことから明らかなのは、ルターの宗教改革のことを知っているということ。しかも、イエズス会などカトリックが異国の地で熱心に布教するのは信者の獲得が目的にあることを看破している。
わからない。
遠い東の果てに居ながら、ヨーロッパの情勢を正確に把握している。具房にその情報を与えているのが誰なのか、フロイスは調べさせたが一向にわからなかった。だが、具房が布教の許可を交渉のカードとして使ってくる可能性があることはわかる。それが極めて有効であることもわかった。
(禁教だけは回避しなければ!)
そんな危機意識の下、フロイスはカブラルに対して再考を求めた。拒否されてもしつこく食い下がる。キレたのはカブラルだった。
「わたしの言うことが聞けないのか!?」
最初は説得しようとしたが、短気な彼はすぐに我慢の限界を迎え、喚き散らした。周りの宣教師は短気すぎないかと内心では思っていたが、睨まれたくないのでカブラルに然り然りと同意する。
とはいえ、こういう状態になったカブラルはいつ爆発するかわからない爆弾と同じ。いつもなら早く怒りが収まってくれないかな、と思いながら過ごすのだが、今回は違っていた。
「ここはカブラル様が直接赴き、指導されるべきなのでは?」
と言ったのは取り巻きのひとり。すると、
「おお、それはいい」
「カブラル様の指導力を以てすれば、フロイスも考えを改めるでしょう」
他の宣教師たちもお怒りのカブラルを追い払えると気づき、口々に畿内行きを勧める。俺のアイデアだろ、パクるなよ! と言い出しっぺが非難する目を向けたが、パクった側は俺たちが協力した方がいいだろ、という目で返す。それもそうだな、と納得した。普段はカブラルに気に入られようと足を引っ張りあっている彼らだが、こういうときは連帯感を発揮する。
ヨイショされて気持ちよくなったカブラルは、
「そうか。なるほど。その手があったか」
とその話に乗る。一同、心のなかでよっしゃ! とガッツポーズ。だが、喜ぶのは少し早かった。
「ではひとり、ついてくるように」
「「「……」」」
お祭り騒ぎから一転、お通夜モード。取り巻きたちに緊張が走る。
(お前行けよ)
(嫌だよ、そういうお前が行けよ)
(持病の癪が……俺行けない)
((逃げんな!))
適当に決めておいてくれ、と言ってカブラルは部屋を出ていく。その後、取り巻きの間で激しい押しつけあいが始まった。結果、一番若い宣教師が選ばれた。面倒なことは若い人間に押しつけられるという、若者の悲哀である。
「留守は頼んだぞ」
「「「お任せください」」」
カブラル、居残りの宣教師たちはとてもいい笑顔。対してお供になってしまった宣教師は、
(行きたくない……)
ひとり、今まさに屠畜場へと送られようとしている家畜がするような死んだ目をしていた。
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「新しい宣教師?」
「イエ、キューシューニイテ、コノクニデノフキョウノセキニンシャデス」
具房はフロイスの来訪を受け、偉いさんが九州から来ると言われた。はあ、としか言いようがない。そんなことを知らされても、だからどうした? としかならない。
「面会したいのか?」
用件などそれくらいしか思いつかなかった。
「ソウデスガ……」
「? 歯切れが悪いが、何かあるのか?」
その問いにフロイスは沈黙する。カブラルの所業、九州でのイエズス会の活動の実態を具房に知られてしまっていいのか? と自問自答を繰り返した。
(ええい、どうせカブラルが来ればバレるのだ!)
フロイスはしばらく悩んでいたが、隠し事が他人からバレるより自白した方が心象がいい、とひとり決意を固める。そして意を決して、九州におけるイエズス会の実情を具房に話した。
「そんなことか」
知ってるぞ、と軽く流される。フロイスは驚愕した。なぜ? と。だが、具房にしてみれば知られている方が困る。諜報網がバレているからだ。なぜ知っているの? というフロイスの疑問には答えず、具房は宣教師たちに友好的な態度をとり続けていたのかを説明する。
「九州において奴隷貿易が続いていることは事実だ。しかし、現実に奴隷たちは帰国できている。それは貴殿らの尽力のおかげだ。収容施設にしても、困難であるはずだがきちんと運営している。わたしは貴殿らの努力に感謝しているのだ」
その努力に免じて、このことは不問にすると具房。それを聞いて、フロイスは肩の荷が降りたような気がした。
ただし、具房としてはそれで満足はできない。あくまでもお目こぼしの範疇であり、是正してもらわなければ困る。対応はきっちりやってくれ、と注文をつけることは忘れなかった。
「今後の関係のためにも、対立を招くような要因は極力排除すべき。そう思わないか?」
「ソノトオリデス」
布教の許可を盾にされていることはフロイスに伝わる。ただ頷くことしかできない。約束を守れなければ、相手から約束を守ってもわえるわけがないのだから。布教の禁止はカトリックを広めようとするフロイスたちの志に反するものだ。何としても回避しなければならない。
一番の障害は、適応主義を否定するカブラルたちの存在だ。これを排除できればこの危機を脱することができ、奴隷貿易についても実効的な対策を打つことができるようになる。
(あるいは、考えを変えさせる?)
カブラルは指導のため畿内へと来る。そのとき、自分たちの主張が正しいと認めさせることができれば状況も変わるはずだ。そのための活動は具房の利益にもなる。カブラルの排除ないし翻意という点において、具房とフロイスは利害が一致していた。
「オネガイガアリマス」
フロイスはそれを活かし、ある作戦を提案した。
数週間後、カブラルがやって来た。
「フロイス、わたしの指示に従わないとはどういうことだ?」
「そう申されましても、カブラル様のご指示は実情に即しておりません。だから反対しているのです」
高圧的に命令するカブラルに、フロイスは毅然として言い返す。譲るつもりはなかった。
「世迷言を……低能な日本人ごとき、我らの手にかかれば容易く粉砕できるのだ! お前は黙ってわたしの言う通りにしていればいい!」
「……これ以上の問答は時間の無駄ですね」
「何だと!?」
カブラルは激昂するが、フロイスは聞き流した。
「この国には『論より証拠』、『百聞は一見に如かず』という言葉があります。ですから、これ以上の問答は不要。代わりに証拠をお見せしましょう」
「証拠だと?」
「はい。ついてきてください」
フロイスはカブラルを伴って京郊外の平地にやってきた。移動は具房に用意してもらった馬車で行われる。カブラルは馬車を見てヨーロッパへの迎合が進んでいるではないか、と己の考えの正しさへ自信を深めた。だが、そんなものはすぐ吹き飛ぶこととなる。
郊外には先客がいた。北畠軍である。四国侵攻を目前にして、留守を務める伊勢兵団を除く各兵団は畿内へと集結していた。京郊外では彼らによる合同演習が行われている。これこそフロイスの作戦だ。北畠軍の強大さを見せつけ、間違いを悟らせるというもの。
「っ!?」
カブラルは息を呑む。眼前には数万の大軍がいた。見渡す限り人人人。彼らは統一した軍装に身を包み、列は乱れていない。恐ろしいまでの練度だ。
目を引くのは彼らの装備。右手に持っているのは鉄砲だ。それが数万人分。兵士全員が鉄砲を持つ軍隊など、ヨーロッパのどこにもない。さらにその後ろには大砲が並ぶ。これもカブラルたちが未だかつて目にしたことがない数だ。伊賀兵団を除き、一兵団につき野戦砲三十六門。さらに普段は外征しない野戦重砲中隊(大口径砲十二門)も随伴しており、合計一四四門の大砲が並ぶ。実質的な大砲である擲弾筒に至ってはすべての歩兵小隊が装備しており、その数は千を数える。
(こんなもの、見かけだけのものに違いない!)
北畠軍の威容に圧倒されたカブラルだったが、虚仮威しだと自分に言い聞かせる。現実逃避しないと、彼のなかの価値観が壊れてしまいそうだった。だからこれはある種の自己防衛である。
「これはフロイス殿、久しぶりだな」
「副王北畠様。お久しぶりです」
カブラルが驚いていると、具房がやってきてフロイスと挨拶を交わす。具房を副王と呼んだのは、彼が織田政権のナンバー2だから。このときのスペイン帝国は「書類王」ともあだ名されたフェリペ二世が統治しており、アラゴン王国にあった副王制を活用して中央集権体制を構築していた。副王は地方行政を担うため、具房のような戦国大名を指す言葉としてはうってつけだった。
「カブラル様。こちらは北畠副王。この軍を率いている人物です」
「はじめまして、カブラル殿」
「あ、はじめまして……ん!?」
具房とカブラルは挨拶を交わす。普通に。カブラルはそれに違和感を覚えた。
「どうかしたか?」
「いや、何でも……」
と言い繕いながら、カブラルは混乱する頭を落ち着かせようとする。落ち着け自分。まずは情報整理だ、と。
先ほど、自分と北畠と名乗る男と普通に挨拶を交わした。カブラルはスペイン人、北畠は日本人。なのになぜ挨拶が通じたのか? 解、北畠がラテン語を話していたから。
(っ!? そんなバカな、。低能な日本人がラテン語を話す? あり得ない! あってはならない!)
否定を重ねるが、それが現実だった。元々、具房はラテン語を理解していた。前世の記憶の賜物である。それを使って外国商人に先制パンチを食らわせたのはいい思い出だ。とはいえ、できるのはライティングのみ。話すことはできなかった。ある日、外国人とコミュニケーションしたい、と思いたった具房はフロイスたち宣教師を相手に駅前留学。日常会話くらいはこなせるようになっていた。前世、日本の最高学府に通っていただけあり、地頭はいいのである。
必死に現実逃避するカブラルに、具房はとてもフレンドリーに接した。
「今日は我が軍の演習を見学したい、と貴殿が希望しているとフロイス殿から伺った。それほど大したものでもないが、参考になればと思う」
そんなことを言った覚えはないカブラル。どうなっている!? と問い質すためにフロイスを見る。が、フロイスはアルカイックスマイルを浮かべて我関せず。具房がおばちゃんのようにマシンガントークをするので、カブラルは抜け出せない。
(くっ、言葉が通じないわけでもないのにわたしが話を打ち切るのは負けたようで格好がつかんではないか!)
日本人への差別意識を逆手にとり、カブラルをその場に釘づけにする。その間に演習は粛々と進行された。まずは退場行進。軍隊の基本的な動きであり、それゆえに練度が如実に出る。
縦横の隊列、出す足や手の角度までもきっちり揃えて進む。所定の位置にくると、見事な足運びで直角にターン。立て銃、担え銃への移行もスムーズで、なおかつ動作が完璧に揃っている。
北畠軍では最初にこれらの動作を徹底的に叩き込むため、その技量は芸術の域に達していた。カブラルは圧倒される。他人事として事態を傍観していたフロイスも、数万人による団体行動に見入っていた。
だが、こんなものは前座。演習の本番はこれからだ。
長くなったので演習のシーンは分割しました。打ち切り漫画のラストみたいな終わり方ですね