殖産興業
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永禄三年(1560年)になった。この年には信長が戦国史へと本格的に登場するビッグイベント、桶狭間の戦いが起こる。念のため今川領に放っておいた忍びがキャッチした情報によれば、駿河や遠江で人や物の動きが激しくなっている。軍を発する予兆だろう。具房は私信として警告する手紙を送っていた。
だが、これについて具房はこれっぽっちも心配していない。勝確だからだ。であるから、特に気を揉むことなく内政に勤しむ。
何をするにも金が要る。その原理原則はこの時代でも変わらなかった。今まではトランプやリバーシで小金を稼いでいたが、その程度で大規模な開発はできない。夢物語であった。
そこで、具房はより稼げる商売をすることにした。伊勢志摩といえば真珠。その養殖を行なってこれを堺へ運び、南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)に売る。この時代、真珠は天然でしか産出しないためとても高価だ。だが具房は、幼いころ川で水泳をした際、淡水真珠の養殖に成功した。そのノウハウを海でより大規模に行おうというのである。
志摩有力豪族であり、取りまとめ役でもある鳥羽成忠に声をかけて英虞湾を提供してもらう。
「何をするつもりなんです?」
「海で金を獲るのさ」
そんなナゾナゾのような答えをしつつ、具房は用意をする。周辺の漁民に手当てを出してアコヤ貝を獲らせた。その数、およそ千個。それに真円状に削った小石を外套膜とともに挿入する。この作業には、集英館で養育していた子どもたちを従事させていた。
「そう。そうやるんだ。上手いぞ」
具房はひとりひとり丁寧に教えて回る。褒めて伸ばしていく方針だ。もちろん、ふざけた子どもは叱る。だが、純粋な失敗には目を瞑った。山本五十六曰く、やって見せ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ、の精神である。彼らが今後、北畠家の財政で大きな役割を果たすのだ。念には念を入れる。
こうして母貝の養育ができた。あとは一ヶ月ほど波の穏やかな場所に置き、核の挿入で失った体力を回復させ、それが終わると沖に出して一年から二年ほど(貝の掃除などをしつつ)放置する。すると貝の中には真珠ができているのだ。まあ、途中で死んでしまうことも多いのだが、それでも百個単位でできればかなりの収入になる。
「彼らの世話は頼むぞ」
「はぁ……」
成忠は微妙な表情だ。まあ、彼からすれば何やってるんだという話なのだから仕方がない。結果は見てのお楽しみ、というやつだ。一年後には仰天するだろうーーと具房は悪い顔をしていた。
北畠家の秘密が詰まっているため、成忠の護衛以外にも、半蔵配下の花部隊がそれとなく見守っている。これで情報漏洩はまずなくなるだろう。それを確認すると、具房は安濃津城へと帰還した。
ただ、真珠の養殖は博打の要素が強い。そこで具房は別の手立てを考えていた。志摩から帰って溜まっていた政務をこなすと、その足で山間部の農村へと足を運ぶ。中伊勢にあるそこはかつて、戦火に焼かれた廃村だった。そこへ具房が資金を投下し、村として整備した。水田はもちろん、田畑も四角形にきっちり区画されている。今後はこのような農村を領内のスタンダードにしたいという考えから、ここを『模範村』と呼んでいた。
「ここに来るのは久しぶりだな!」
「そうね」
今回は護衛に猪三を、文官として葵を連れてきた。加えて、雪部隊千五百のうち第一大隊(五百名)が随行している。前に来たときと同じ面子だった。兵たちは適当に駐屯させ、具房たちは勝手知ったる様子で村に入っていく。そこで暮らしていたのは、やはり集英館の子どもたち。加えて、戦で夫を亡くした未亡人たちだ。
「「「ようこそ、若様!」」」
彼らは揃って出迎えてくれた。それに簡単に応えつつ、村の中心に建つ小屋に入る。その中には、びっしりと棚が置かれていた。緑の葉っぱが敷き詰められ、白い何かがウネウネと動いている。
「よく育っているな。蚕は」
ウネウネしている白いものの正体は蚕だった。具房は虫があまり得意ではないため、見るだけだ。だが、この蚕こそ山における金策手段である。日本では高品質な中国産の生糸が珍重されているのが現状だ。しかし具房の知る歴史では、江戸中期から明治にかけて国産化に励み、輸出する側に回っている。つまり、やればできるのだ。品質さえどうにかなれば、国内市場は押さえられるーーと具房は踏んでいる。北畠家の家名を使って朝廷に売り込んでもいい。きっと喜ばれるだろう。
「はい。順調です。糸も多くできております」
責任者からの報告を受け、打ち合わせをする。特に品質は重要なので重点的に。前に取引している商人に村で作った生糸を見せたところ、十分使える出来だが、品質は中国産に劣るという評価だった。具房的に、日本製が中国製に遅れをとるのは許せない。品質改善を急がせた。
品質改善を早めるため、具房はいくつかの班を作らせた。別々に製糸の研究を行わせ、商人に見せる。そして最初に評価が中国産よりもよかった研究班に所属する者に賞金を与え、今後設立される製糸工場のトップとして雇うことを約束した。
なお、一ヶ月に一度のペースで報告会を開き、成果を隠さず公表することとした。こうすることで違う角度からの考え方を知り、よりよい方法を編み出すための刺激を受けさせるのだ。なお、報告会で隠し事をしていたことが発覚した場合、条件を満たしても報酬は出ない。具房はしっかりとそれを説明している。
そして具房の金策はこれだけではない。これまでは捨てられていた蚕のサナギで、漢方薬に使われる冬虫夏草を栽培させている。養蚕において、糸を取ったサナギは捨てるしかなかった。それが活用できるのだから、一石二鳥といえる。これも商人に見せたのだが、飛び上がらんばかりに喜んでいた。既に注文が殺到しているそうだ。本場の中国とは違う種なのだが、日本ではあまり気にされない。中国から輸入するよりも安く済むので、日本市場はほぼ独占していた。大儲けできそうで何よりだ。
打ち合わせを終えると、具房は近くの丘に登った。そこからは村が見渡せ、周囲には桑畑が広がっている様子が見えた。猪三は護衛とともに周囲の警戒にあたっており、具房の近くにいるのは葵だけだ。
「上手く行っているな。ありがとう、葵」
「すべては太郎様のお力です」
「そんなことはない。お前や佐之助が助けてくれるからできるんだ」
具房はありがとう、と重ねて感謝する。今度は葵は何もいうことはなく、静かに体重を具房に預けた。
とはいえ、具房はこれでは止まらない。陶磁器産業にも手を出し、ボーンチャイナを造らせる。白磁よりも低温で焼成するため、より色鮮やかに仕上げることができ、こちらもまた朝廷などで珍重された。
ボーンチャイナに牛の骨を使うため、畜産にも力を入れる。それに伴って食肉の文化も少しずつ普及させた。これについては徳次郎が大きな役割を果たしている。
このように産業を育成するのと並行してインフラ整備も進めている。領土全体の街道整備を行い、安濃津の開発も始めた。その資金は産業で得たものに加え、税収(年貢)からも得ている。
計画的に産業育成をするためには予算を組まなければならない。だが、予算を決めるためにはどれだけの税収があるのかわかっていなければならなかった。従来の物納ではそれが難しい。なぜなら、同じ量でも物価によって変わるからだ。
というわけで、金納にした。それだけだと負担をするのが領主から農民になるだけだ。間に商人を挟むため、利益の中抜きもあり得る。そこで具房は交換所を作った。直近五ヵ年の平均値を出し、そのレートで交換する。農民たちには受けがいい。反面、商人からは苦情が出た。が、そこは産業育成で生産されるようになったものを売ることでカバーしている。
「さあ、今日も仕事を頑張りましょう」
ある日、やけに艶々した葵が出勤するやそう宣言する。今の彼女は元気百倍。理由は具房から元気(意味深)をもらったからだ。日々増えていく行政文書も的確に捌いていく。その横で佐之助は悲鳴を上げていた。
「若様! これ以上はーー」
「これくらいでへこたれない!」
具房にSOSを送ろうとする佐之助だったが、葵が見事にインターセプト。大丈夫。本当の限界はまだ先にあるわ、とブラック企業で働いてきた熟練の社畜のようなワーカーホリックぶりを見せる。そのせいで彼の声は届かなかった。状況が改善されるのは、まだ先のことになりそうだ。
作中では中国製品をディスってますが、他意はありません。ネタとしてお楽しみください。