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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十一章
147/226

懐は暖かいが体は寒かった

 



 ーーーーーー




 北畠領内はここのところ好景気が続いている。それを牽引しているのは軍需の売れ行きだ。武田家を滅ぼし、北条家が味方になった。彼らが新たな大口の客となる。距離などの関係から、堺や国友といった鉄砲の生産地よりも安価に売れた。だから注文が集中する。


 さらに、弾薬もセットで販売。織田家や徳川家などの友好勢力に卸していた分も合わせると、黒色火薬の供給が追いつかなくなりつつあった。嬉しい悲鳴である。だが、既に増産が進められており、年々、その生産量は増えていた。余剰が出ることを警戒するが、余ったなら肥料にしてしまえばいい、と具房は大増産させている。それが奏功した形だ。


 硝石の生産であったり、鉄砲などの軍需品を製造する労働者から好況の流れが生まれる。それはまず海運業に波及した。商品は船で東国へと運ばれる。この需要が、駿河に駐屯する部隊への補給に充てられていた船舶の余剰を上手く吸収した。


 さらに北条家は佐竹家との対決に備えて銃器の大量購入を決定。その需要を満たせるのは北畠家しかいなかったため、すべての注文が舞い込んだ。結果、余りつつあった船舶は足りなくなる始末。増産の号令が造船業にかかった。


 これらは公営事業であるが、トップである具房は労働者に理解がある。増産で忙しくなり、残業することも少なくない。具房は残業代をきちんと出した。出される要件は厳しいものの、労働意欲を下げないために金額は多めに設定されている。結果、労働者たちの懐は暖かくなった。


 この影響を受けたのがサービス業だ。具体的には飲食、風俗、商店。忙しくなれば残業にはならずとも、かなり疲れる。当然ながら腹ペコだ。労働者の多くは独身の若者で、食事は店でするのが日常。給料は高いとはいえず、安いところで済ませるのが常だ。だが、今は財布に金がある。酒を飲み、美味いものを食べるか、となるのは必然だった。


「おっちゃん、いつもの!」


「あいよ」


 馴染みの店ともなれば「いつもの」という言葉だけで注文が通る。出されるのはビールと唐揚げ。労働者たちに鉄板のメニューだ。肉は季節に関係なく入手できるが、特にメニューが少なくなる冬場に人気である。


 揚げたてサクサクの唐揚げを口に入れ、歯を立てる。瞬間、衣を割って肉汁がドバッと溢れ出す。火傷しそうな程の熱さだ。大火事が起こっている口内にビールを投入。消火を試みる。


 もちろん冷えたビールだ。季節は冬。小氷期にあたる戦国時代は普通に雪が降る。それを使って冷やしていた。


「美味い! 仕事の後にはこれだよ」


「いい食べっぷりだ。お次は刺身だよ」


 出されたのはマグロとブリの二種盛だ。朝に水揚げされた魚を使っており、とても新鮮である。お供は日本酒。脂の多い魚だが、それを酒が洗い流してくれる。


「おっちゃん、おすすめある?」


「そうだな〜、おっ! そういえば、伊賀のいい肉が入ってたんだ。美味いぞ? 値は張るがな」


「いいぜ。懐は暖かいんだ。大きいのを頼むよ」


「任しときな」


 金はあるので、ステーキが注文される。分厚いやつをレアで。サシはあまり入っていない、今日でいうところの外国産牛肉のような赤身が主体だ。だが、それが脂っこさを抑制してくれていた。


 こうしていつもの食事のみならず、奮発して高いメニューを頼む客が増えている。おかげで飲食店も儲かっていた。


 また、キャバクラのような場所で綺麗所に囲まれて酒や料理を楽しむ者もいた。職場は力仕事が多い関係で、事務職を除けば女性はいない。だからこういう店に足を運ぶ。そして、気に入った女の子と懇ろになることが多かった。


 風俗店で働く女の子もそういう目的で来ている。労働者は農村から出てきた者が多い。彼らは大抵、農家の次男以下。つまりは家が継げない者たちだ。普段ならあまり見向きもされない人々である。だが、労働者をやっているので稼ぎがいい。女の子たちはそこに目をつけた。


 具房は色々と商品開発を進めたが、そのなかでも売れに売れているのがソックス関係。冬の寒さを凌ぐための長いソックスーーハイソックスやニーソ、ストッキング(タイツ)が売れまくっている。とはいえ、これらは絹を使っている関係でどうしても高くなってしまう。生活に余裕がある農家でもちょっと厳しい。


 しかし、労働者は好景気を背景に農家よりも収入がよかった。労働者と結婚できれば、農家では考えられないプチ贅沢ができる。さらに、上手いこと出世頭を捕まえればもっと贅沢な日々を送ることができるのだ。それを夢見て北畠領のみならず、美濃や尾張、三河などからも働きに来ている。そんな事情もあって、風俗店は割と人気の職場だった。


 労働者を起点に、都市で生活する人々に余裕が生まれる。すると、物を買いに商店を訪れるようになった。生活雑貨は前々から需要があったが、好景気に押された消費者はそれだけで満足しない。次々と物が売れた。


 ある人はいい機会だと衣類を買い足し、奥様は旦那をせっついて豪華な着物などを買わせた。旦那は負けじといい酒や食べ物をねだる。結婚予備軍は高かれどアクセサリーを購入して微笑みあった。真珠の産地として有名になった伊勢では、商品にならない真珠(形が悪い、キズが多いものなど)をアクセサリーにして庶民向けに販売していた。発案者はもちろん具房。これが売れ、現代の結婚指輪のような扱いになっている。彼が想像していた以上に、真珠はプレミアだったのだ。


 商店が立ち並ぶ区画は朝から夜まで賑わっている。客層は主婦から職人まで様々。もちろん武士も含まれていた。


「賑わっているな」


 人でごった返すなか、傘をかぶって歩く風来坊がひとり。彼がそう呟いた。この風来坊は誰あろう、具房である。顔バレしているので、城下を歩くときはこうして顔を隠しておかなければならない。


「か、関東に販路が増えたおかげです」


 お供は佐之助。猪三はこういう隠密行動ができないし、権兵衛や徳次郎はそもそも津にいない。それに佐之助は内政を担っており、町の状況に詳しかった。


 変装して見なくとも、堂々と視察に行けばいいだろうと思われるかもしれない。だが、ポチョムキン村の例を出すまでもなく、お偉いさんの行くところには大抵、演出が加えられている。それが政治的意図を持つものにせよ、自己保身にせよ、実態を把握できないという点では共通する。


 なのに責任は偉い人が負う。誤った情報を基に判断しても、誤った判断をした偉い人が悪い、と。理解はできるが理不尽だ。後知恵であれこれ言われても、と思う。が、それが政治なのである。政治家の対応は二つ。ひとつは誤りを誤りだと認めず正しいと言い張ること。もうひとつは誤った情報を掴まされないよう、何らかの工夫をすることである。具房は後者の方法を採っていた。


「しかし、寒いな……」


 具房は身体を震わせる。町が活気づいついるのは嬉しい限りだ。寒さなんて関係ねえ、とばかりに人々は行き交っている。が、具房はそう思えなかった。袖から風が入ってきて寒い。


「そこの兄ちゃん。寒そうだな」


「ああ、寒いよ」


 露店の親父に話しかけられたが、適当に返事をする具房。しばらく城下町を歩こうと思っていたが、こうも寒いとやってられない。今日のところはさっさと帰ろう、と考えていた。


「汁粉はどうだい? 温まるよ?」


「……二杯くれ」


「まいど」


 親父に代金を払い、碗を受け取る。ひとつは佐之助に渡した。


「あ、ありがとうございます」


「そこに座って食べよう」


 店先に用意されていた長椅子に座り、お汁粉をいただく。熱々の汁が体を温め、小豆の甘さが疲れを癒す。お汁粉あるいは善哉は江戸時代が発祥だ。しかしこの世界では具房が軍のメニューとして考案し、それが一般に広まった。


 小豆は蝦夷地で生産されており、比較的安価に手に入る。だが、砂糖の供給量が限られているため総合的には高い値段設定。それでも連日人気の商品だ。特に女性受けがいい。いつの時代も女性は甘い物が好物らしかった。


「美味かったぞ」


「それはよかった。これからもどうぞ、ご贔屓に」


「近くに来たら寄ろう」


 お汁粉で体を温め、具房は城へ戻った。しかし、お汁粉効果はほんの一瞬。ポカポカしていた体もどんどん冷たくなっていく。


「あ〜、寒い」


 火鉢の前に陣取って離れない具房。手が、足が冷えて仕方がない。仕事をしていても手がかじかみ、一時間も経たないうちに火鉢に手をかざす。温まれば仕事、冷えると火鉢、というサイクルを繰り返していた。


「また火に当たってる」


 やや呆れたという様子で声をかけてきたのはお市。寒がりな夫(具房)に対してもの申したい様子だ。


「寒いんだよ……」


 具房は小さく抗議の声を上げた。かく言うお市は平気そうだ。それはそうだろう。足下は厚手のニーソックスを穿き、その上から足袋を履くという二重の防備。さらに一枚で一キロほどの着物を複数枚も重ねている。しかも毛糸の腹巻きまで装備していた。


「子どもたちが真似をするでしょ」


「暖まるのは悪くないだろ」


「そうだけど、危ないじゃない」


「それはたしかに」


 ファンヒーターは衝撃を与えると消えるが、火鉢は消えない。現代の暖房器具ほど安全ではなかった。しかし、気密性がない上に部屋がだだっ広いので、火鉢を置いておく程度では暖かくならない。結論、


「風が冷たいから仕方ないよね」


 ということになる。具房は再びぬくぬくし始めた。


「はあ〜」


 思わずため息が出てしまうお市。女性や嫡男以外の子どもたちに優しく接し、またどれだけ官位が上がっても鼻にかけない点は好ましい。だが、こういう自堕落なところは減点だった。


「いいから改めて!」


 火鉢の没収をちらつかせる。そんなー、と抗議の声を上げるも、それでお市が意見を曲げなければ具房は従う。こんなことで家庭内に不和を招くなどバカらしいからだ。


 家内円満のためには手段を選ばない具房。彼はとうとう常識破りに出た。……まあ、前々から色々とやらかしてはいる。お市たち女性陣は普通にニーソを履き、学生たちは学ランやセーラー服に身を包んでいた。そして今、自分に変化を起こそうとしている。


 その日、縫製工場から腕のいい職人たちが呼ばれた。


「お前たちに来てもらったのは他でもない。ひとつ、わたしにも服を仕立ててもらいたいのだ」


 具房の目的は服を作ってもらうことだ。和服に綿を入れるなどの対策はとられていたが、それとは根本から異なる防寒方法。


「「「喜んで!」」」


 職人たちに否はない。縫製工場で働く熟練工のほとんどが孤児の第一世代ーーつまり、具房が孤児の保護を始めた当初に保護された人だ。今では当たり前となったが、当時は画期的なことで、そのときの孤児たちは具房に対する忠誠心が高い。彼ら彼女らにとって、具房に何か依頼されることは無上の喜びだった。


(何これ? 新興宗教?)


 やけにキラキラした目で見られ、具房はたじろぐ。そして心のなかでヤバい宗教みたいだと思った。だとすればその教祖は具房自身で、それを広めている元凶は葵だったりするのだが、幸か不幸か彼はそのことを知らなかった。


 内心引きながらも具房はオーダーを伝えた。といっても、変なものを頼もうとしているわけではない。所詮は学ランの延長だ。具房が求めたのは軍服である。頭のなかにあったのは、某ドラマで見た明治日本陸軍の軍服(明治37年戦時服)。それを作るよう依頼した。


 依頼を受けた職人たちは早速、仕事にとりかかる。取り寄せた生地は綿布を濃紺色に藍染めしたもの。それを採寸して作った型紙通りにチョキチョキ裁断し、チクチクと縫っていく。ミシンなどというものはない。研究は進んでいるが。


 一緒に靴も作らせた。乗馬用のブーツだ。具房は基本的に馬に乗って行動するので、こちらの方が便利だった。それに草鞋なんかと違って風に当たらない。


「どうだ?」


 で、お披露目。この時代の日本人は背が低いのでずんぐりむっくりした印象になりがちだ。しかし、具房は幸いにも身長が高く、日々の運動(剣の稽古や乗馬)で身体も引き締まっている。そのため、洋装はスラッとした体型を強調した。イケメンフェイスも相まって、貴公子のようだった。二角帽子でも被らせれば完璧だ。


「お似合いです」


 具房がやることは基本全肯定する葵。その姿勢は未だにブレない。


「「「……」」」


 だが、他の妻たちにはイマイチ響いていない。外国の民族衣装に違和感しか抱かないのと同じようなものだった。学ランなどで多少の耐性はあるとはいえ、未だ彼女たちにとってはカッコいい、悪いの前によくわからないものなのだ。


 妻たちには概ね不評だったが、子どもたちには受けた。具長以下、同じような服がほしいとねだる。彼らは純粋で、そういった固定観念を持たない。だから、意識を変えるためには長い時間と子どもへの教育が大事なのだ。


 実際、洋服は便利だ。シャツ、ズボン、上着と素早く着れる。和服のように長襦袢、着物と着る段階で何度も紐を結んでと面倒な作業をせずに済む。以後、具房とその子どもたちは外部からの来客があるときを除き、洋装で過ごすことが普通になるのだった。










【コラム】東條英機


 皆さん、東條英機についてどのようなイメージを持っていますか? 一応、誰だよそいつという方のために簡単に説明しますと、東條英機は太平洋戦争直前に首相になった陸軍軍人で、マリアナ失陥まで首相を務めました。戦後は東京裁判にてA級戦犯として死刑となり、巣鴨プリズンで刑が執行されています。後年、靖国神社に合祀され、各方面から反感を買うこととなりました。


 さて、多くの方が東條を日本版ヒトラーやムッソリーニ(要は独裁者)と思っているかもしれません。たしかに東條は憲兵隊とのコネを利用して敵対勢力を弾圧したり、富永恭次や田中隆吉といった子飼いの軍人を重用して陸軍のなかで強権的な振る舞いをしたりと、色々と悪いことをしています。ご年配の方を中心に、名前も聞きたくないという人もいるでしょう。このようにすこぶる評判の悪い東條なのですが、近年の研究で見直しが進んでいる人物のひとりだったりします。評価項目としては日米交渉、大政翼賛会の実態、東條の行動があります。


 ひとつ目の日米交渉とは、対米開戦を回避したい昭和天皇の意向を汲み、開戦が半ば決まっていた組閣の段階でそれを撤回して日米交渉を継続したことです。東條は昭和天皇に対する忠誠心が篤く、なるべくその意向に沿うように行動しました。このような姿勢は木戸幸一(昭和天皇の側近)や重光葵(終戦時の外相)も高く評価し、何より昭和天皇自身が同時代の軍人たちを次々と否定的な評価を下すなかで、東條のことを好意的に評価しています。


 次に大政翼賛会の実態について。昔の教科書では、大政翼賛会を軍や政党、政府が一緒になった独裁政党みたいに説明されています。しかし、これは誤りです。当時から幕府論というものが存在し、軍事と行政が一体化した組織(大政翼賛会)は幕府も同然で、明治憲法体制は将軍(や摂関)の存在を否定しているから、大政翼賛会の存在は違憲である、と批判を受けています。これをかわすために大政翼賛会は政治結社ではないと説明したので、ただ諸団体が集まっただけのほとんど意味のない組織へと成り下がってしまいます。今日でいえば、自公政権に立憲民主や共産党などの野党勢力が合流したようなもので、そんな組織で意見が一致するかといえばしません。大政翼賛会はただの置物も同然といった存在となり、なまじ議会で多数を占めるため、これらの説得に東條は四苦八苦することになります。とても独裁者の姿ではありませんね。


 最後に東條の行動です。彼は面白い政治手法をとっていました。各地に視察へ赴くとき、普通は鉄道を使うのですが、東條は飛行機で飛び回っています。また、市民生活を知るためにゴミ箱を漁っていたという話も伝わっており、官邸や参謀本部、陸軍省で踏ん反り返って偉そうに指示を出していた、というわけではないのです。


 このような東條の振る舞いが知られるにつれ、日本史史上最も誤解されている人物、として再評価されています。興味を持たれた方は、是非とも書籍をあたってみてください。さしあたって作者が紹介するのは、古川隆久『日本史リブレット人 東条英機』(山川出版社)です。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 極悪人のレッテル貼って吊し上げておかないと収まりがつかないからね。 東條英機は貧乏籤引いたと思うけどね。 あのとき誰が首相になっても開戦して、A級戦犯まっしぐらだから。
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