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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十一章
146/226

四国へ

 



 ーーーーーー




 古代ギリシア哲学の大家・アリストテレスは述べた。曰く、何事も中庸が大切である、と。中庸とはすなわちバランス。正と負、どちらに傾きすぎてもいけない。両者の間で絶妙なバランスをとるべきだと。


 なるほど、的を射た言葉だ。具房もこれに接して以来、常に心がけている。だから仕事に没頭せず、暇を見つけては家族や仲のいい家臣たち(猪三や権兵衛など)と遊んでいた。


 先日行われた具長の元服は公の行事、つまりは仕事の側面が強かったが、その後の宴会はただ騒いだり雑談していたりしただけ。具長にとっては仕事だったかもしれないが、具房にとっては遊びだ。


 であるならば、次に来るべきは仕事の時間ということになる。というわけで具房は信長の許に向かった。今後の打ち合わせをするためだ。お土産ということで柑橘のゼリーを持ってきている。


「ぜりーにすると蜜柑の酸味が抑えられて食べやすいな」


 信長は気に入ったのかパクパク食べる。現代で「蜜柑」といえば温州蜜柑を指すが、この時代では紀州蜜柑を指す。酸味が強いことが特徴だが、蜜柑とは甘酸っぱいもの(やや甘み強め)という認識の具房は、あまり好きではなかった。そこで考え出したのが、ゼリーにしてしまうこと。原料の寒天は容易に手に入るし、蜜柑の保存にもなる。かくして蜜柑ゼリーが誕生し、今や上流階級の贈答品として用いられていた。もちろん具房たち北畠家はガッチリ! である。


「種を取り除かなくてよくなるのも嬉しいですよ」


 紀州蜜柑の特徴は酸味以外にも種があることが挙げられる。温州蜜柑には種がないが、今は武士の世。種がない=子孫ができないとして、種なしの温州蜜柑は敬遠されていた。現代人からすれば非科学的なことこの上ないが、この時代の人々は至って真面目にそう考えている。だから具房もそれに倣っていた。……表向きは。


 裏では個人的に楽しむため、温州蜜柑の栽培を行わせている。果樹園があるのは無論、紀伊。家臣のなかには縁起が悪いと諫言する者もいたが、子どもが両手の数では足りないほど生まれている具房に、「種なし」とはとても言えなかった。かくて伊勢を中心に、種なし説は迷信という考えが広まりつつある。


 同席していた光秀が種はあった方がいいのでは? と言ってきたが、具房は自分が種なし蜜柑(温州蜜柑)を食べていると明かし、子どもはたくさんできているから俗説の類だろう、と切って捨てた。これに信長が反応する。


「温州蜜柑は甘いのか?」


「もちろんです」


 品種改良を行い、従来のものより甘くなっている。現代の品種からすればまだまだだが、この時代の基準であれば十二分に甘かった。実はお市たちの大好物だったりする。曰く、女子は種がなくても問題ない、だそうだ。


「いくらか融通してくれ」


「いいですよ。今度、贈ります」


「自分もいいでしょうか?」


「ええ」


 後日、信長と光秀に温州蜜柑が贈られ、二人はその甘さに感動した。褒美として家臣に与えられ、その美味しさが評判となる。そして因習に囚われない織田家家臣を中心にブームが起きるのはまた別の話である。


 さて、今日の用向きは今後の方針について。既に大まかなプランは見えている。信長は毛利家の相手に専念し、具房は四国平定に向けた動きを行う。その後は揃って九州へ。このように、これからは西国に力が注がれる。


 東国は既に片づいたも同然だ。強敵・武田家を滅ぼし、北条家は恭順した。残る敵は上杉家と佐竹家、東北に割拠する小大名くらいのものだ。こちらは岐阜の房信や東海の徳川家康、北陸の浅井長政が対応する。伊達や最上といった友好的な東北の大名を加えれば、まともにやりあって負ける敵はいない。


「中国はとりあえずサル(羽柴秀吉)に任せる。我はキンカン(明智光秀)と畿内を落ち着かせ、然る後に西国へ向かう」


「わたしはとりあえず、交渉から入ってみようと思います」


「そう言うと思っていたぞ。だからキンカンに畿内を任せたのだ」


 信長は具房のやり口を予想していたらしい。光秀が畿内に配置されたのは、四国との交渉窓口にするためだった。彼の重臣である斎藤利三、その妹が元親に嫁いでいる。そのコネクションを利用しようというのだ。


 ただし、状況はあまりよろしくない。元親は四国平定を信長に許されていたが、信長がそれを反故にして具房に四国を与えると言い出したからだ。これで両者の関係は拗れる。


 話はそれだけでは終わらない。


 阿波では三好家の当主・長治が長宗我部家との戦いで敗死し、国の一部を失陥する。背後には要塞と化した淡路島(織田家の領地)があり、三好家は織田と長宗我部という敵に完全に挟まれてしまった。家の舵取りを担うことになった十河存保は抗戦は不可能と判断し、織田家への恭順を願い出る。例によって具房に与えるという話もしたが、存保は家が滅ぶよりはマシと受け入れた。


 こうなると話はややこしくなる。信長はぶっちゃけ、四国が具房のものになって代わりに大和が貰えるならどうでもいい。三好家が味方になろうが、長宗我部家が味方になろうが気にしなかった。


 だが、四国で戦っている当人たちからすれば重要な問題だ。もはや他家の庇護を受けなければ滅んでしまう三好家は大名でなくなることを許容したが、自分でやっていけている長宗我部家は承服しかねる。光秀もどうにか説得を試みているが、交渉は完全に暗礁に乗り上げてしまっていた。


「ーーという次第でして」


 光秀の説明を受けた具房は、


「やはり戦うしかないか……」


 と、早々に協調路線を放棄しにかかる。彼も光秀を通じて元親の説得を試みたことがあった。四国と大和との交換話が持ち上がったときのことであり、最近は忙しくて完全に放置していた。その間に状況はややこしくなっていたのである。思考を放棄したくなる気持ちもわからなくはない。


「実はもうひとつあるのだが……」


 言いにくそうにしながらも、信長は新たな話題を持ち出す。それは伊予について。同地の有力な勢力は中予〜東予を支配する河野氏と南予を支配する西園寺氏。伊予は毛利、大友といった大勢力がしばしば介入するのだが、最近はそれぞれ忙しく、構っている暇はなかった。その間隙を上手く突いて、長宗我部家が食指を伸ばそうとしているらしい。それを敏感に察知した両家は、暇な大勢力である織田家にSOSを送ってきた。


「厄介な」


 伊予は毛利に与するだろうと容赦なく叩き潰す気でいた具房。用意していたプランは、長宗我部と連携して三好、河野、西園寺を倒す。三好と連携して長宗我部、河野、西園寺を倒す。あるいは、四国にいる大名まとめて倒す。それがひっくり返りそうだということで、頭を悩ませた。


 しかし、状況の変化はあって当然だ。四国攻略を考え始めてからそれなりの時間が経っているのだから。変化に合わせて対応を変えるだけである。


「河野、西園寺との仲介をお願いしても?」


「もちろんだ」


 信長は快諾した。元々、頼られた時点でその話はしている。とはいえ、この時代は顔見知りでなければ話ができない。仲介役は大事だ。


「西園寺については本家からも口添えしてもらいましょう」


 伊予の西園寺家と公家の西園寺家は同じ一族である。分家は南北朝時代あたりのことだが、ある程度の影響力はあった。彼らの地域支配は西園寺家という公家の権威を利用して成立しているのだ。本家から見放されればそれが崩れる。だからある程度は話を聞かなければならない。


(最悪の場合、本家の人間を連れて行けばいいか)


 たまに逆転することもあるが、概ね本家の方が分家よりも偉い。具房が武力を背景に乗り込めば体制変更も容易だろう。当代の西園寺一族から人を出してもらってもいい。傀儡だが、荘園の回復などを餌にすれば応じてくれるはずだ。何なら、猶子などという手で具房の子どもを一族にしてしまうウルトラCもある。


「しかし、伊予には毛利が出てくる可能性があるのでは?」


「十兵衛殿(明智光秀)の言う通り。だから中国攻めの筑前守(羽柴秀吉)と協調したいのです」


 中国は無論、四国にも一定の影響力を持つ毛利家。その戦力も強大だ。いくら最大勢力の織田家が西国に兵力を集中させるとはいえ、苦戦は免れない。北畠軍はより規模が小さいので、部隊の戦闘力は高くとも万が一がある。安全マージンとして、秀吉との協調を考えた。


 戦闘正面が増えれば、一方面における敵の数は減る。中国にいる秀吉が山陽、山陰から。具房が四国に攻め入れば、毛利家の正面数は三つ。大友家への対策も考えれば四つということになる。単独で攻め入るより、送られてくる戦力は少なくなるはずだ。そこを部隊の戦闘力で押し切る。


 本当ならば、四国は経済封鎖してしまいたい。そうして干上がるのを待ち、弱ったところを叩くのだ。だが、制海権は淡路島を境に東を織田家が、西を毛利家が握っている。淡路海戦で大打撃を与えたが、まだ戦力は残っていた。


 そもそも、淡路島で勝てたのはあそこが開けた海だったから。どこに敵がいるか、開けた海なら丸わかりだ。しかし、瀬戸内海は違う。島が点在しており見通しが利かない。大型船が中心の織田水軍では、島陰に隠れた敵船を見逃し、思わぬ奇襲を受ける可能性がある。だから織田水軍を預かる九鬼嘉隆は、瀬戸内海での行動に慎重だった。


 北畠海軍も事情は同じだ。群島が多く、大型船を主力とするため奇襲に弱い。一応、小型のフリゲートはいるが、地の利がない。翻弄されるのが目に見えていた。だから経済封鎖で干すことはできない。地道に両岸を攻略し、安全地帯を広げるしかなかった。


「わかった。我からも話しておこう。義弟殿はいつごろ渡るつもりなのだ?」


「う〜ん、一年後くらいですかね? 準備もありますし、兵も休ませないといけないので」


 物資は腐るほどあるし作ればいい。だが人は有限だ。簡単に増やせるものでもない。このところ戦いが続いて部隊が消耗していた。さらに長期の出兵は生産力に悪影響を与える。兵士になっている若者は、村や町では重要な労働力だ。労働力が不足している北畠領において、兵役によって若者がとられるのはぶっちゃけ痛い。経済面だけを考えるなら、今すぐ兵役なんて廃止すべきなのだ。そうしないのは、軍隊がいなければ領地を守れないから。理由としてはそれだけだったりする。


 武田攻めに参加していないのは紀伊兵団だけ。奥の手として部隊数を増やすという手段もあるが、非常時に限定している。数を増やせばさらに生産力に影響する。一般に、兵士の数が成人男性の十五パーセントに達すると、日常生活に影響を与えるほど生産力が低下するとされていた。太平洋戦争で日本が降伏したのも本土空襲による被害以上に、大規模な兵力動員による食糧危機があった。


「とりあえず、淡路島を補給拠点として物資の集積と艦隊を集結させますか」


 倉庫のある長島からえっちらおっちらと物を運んでいたのでは間に合わない。だから近くの拠点に必要と思われる物資を集め、戦地の部隊の要請に応じて求められたものを素早く届ける。ただ、必要と思われる物資を集めているので、なかには要らなかったというものも多い。そういう場合、処分に困ってしまうという難点もあった。長島へ送り返せるものならいいのだが、そうでないものは本当に困る。


 なお、具房が模範とするアメリカ軍も同じ問題に悩まされていたが、近年では二次元バーコードを利用した物資管理体制を構築。ネット通販のように部隊からの注文をシステマチックに処理して無駄を省いている。やはりコンピューターは偉大だ。


「淡路に船を? 早すぎるのではないか?」


「島の警備もあるので」


 津には大規模な港湾設備が整えられ、北畠家の通商拠点であるとともに海軍の根拠地にもなっている。ここを守るため、小規模ながら海軍も陸上部隊を保有していた。所謂、海兵である。とはいえ本格的な戦闘は想定しておらず、基地警備がせいぜいという内容だ。それでも鉄砲に擲弾筒と、大名の軍勢より強力なのだが。


 これは駿河、和歌山といった拠点にも分派され、基地警備を担っていた。それを淡路島へ送り込むのである。略奪に遭って物資を奪われたのでは堪らない。現代のように落とし物を交番に届ける、人の物は奪わないという道徳意識がある世界ではない。だから警備は絶対に必要だった。


 その後、具房は具長の元服に信長が参加してくれたことへのお礼を改めて述べ、別れた。







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― 新着の感想 ―
[一言] 次は四国が相手か。 四国の武士たちも決して侮れない。特に長宗我部元親は・・・。 具房がどう立ち回るのか見物です。
[気になる点] 交換と言うなら本来、信長が四国を平定するべきなんだよな
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