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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十一章
145/226

成長

 



 ーーーーーー




 唐突にぶっこまれた爆弾、雪の妊娠。驚いていた房信だったが、やがてなぜ自分に知らせなかったのかと憤慨する。


「曰く、心配をかけたくなかったそうだ」


 だからそんなに怒らないでやってくれ、と具房。ならなぜ具房には知らせたのかということになるが、これは雪曰く具房が負けるなど微塵も思っていないからだという。一度、具房は彼女に自分の認識を問い質したくなった。もっとも、訊いたところで答えは決まっている。神様みたいな扱いだ。


「わかりました」


 不満そうだが、房信はとりあえず納得することにした。そういう理由を聞くと、自分のことを考えてくれての行動なんだ、と嬉しく思う。具房にだけ先に伝えていたことには、どうしても納得できなかったが。


 ちょっとしたトラブルはあったが、何とか円満に別れて具房たちは伊勢へと戻ってきた。


「城だ。帰ってきたな。今回の戦、どうだった、鶴松丸?」


「戦場の空気を感じました。父上が仰ったように……あれは凄まじい」


 鶴松丸はわずかに身体を震わせる。戦いとは何か。呼び方は色々ある。攻撃戦、防衛戦、野戦、夜戦、市街戦などなど。なかには聖戦などと美化する場合もあるが、いずれにせよ共通しているのは人間同士の殺し合いということだ。これは古今東西変わらない絶対の真理である。


 人間は命がかかると必死になる。当然だ。生存欲求はマズローが説くところの欲求階層、その第一層にあたるのだから。本気になった人間は気迫が違う。鬼気迫るような気配があちこちで立ち上り、激突し、混沌を生む。それは狂気の混沌だ。


 具房の本音は、子どもをそんなものに触れさせたくない、だ。温室でぬくぬくと育ってほしい。が、そうはいかないのが戦国という時代である。弱肉強食の時代。生きるためには強くなければならず、温室育ちは役に立たない。


 しかし、あまりに野性的に育ってもらっても困る。猪三のような突撃番長になられてもそれはそれで問題だからだ。


 鶴松丸が戦いに恐怖心を覚えたことは正常な反応といえる。それでいて恐怖心に呑まれていない。きっちり「戦とはそういうもの」と思えている。完璧だった。


「その気持ちを忘れるな」


 自分の命令で敵味方関係なく人が死ぬ。そのことだけは決して忘れてはならない。この先、城から現地に指示を出すだけになっても、そのことだけは忘れてほしくなかった。だから連れて行ったのだ。


「殿!」


 今回の戦の総括をしていると、先触れに出していた兵士が戻ってきた。何かあったのか? と鶴松丸と目を見合わせる。


「何事だ?」


「はっ。お帰りと聞き、この先に御方様(お市)がお待ちです」


「「お市(母上)が?」」


 何で? といった様子の鶴松丸に対し、具房は苦笑いを浮かべている。具房にはなぜ彼女が来たのかが察せられたからだ。


「大丈夫!? 怪我していない!?」


「大丈夫です、母上。というか、文を差し上げたはずでは?」


「まあそう言うな。わかっていても、やはり心配だったのだろう」


 鶴松丸が心配性だと言うが、具房がそうフォローを入れた。だが、ここで少し誤算が生じた。お市が鶴松丸を離さなかったのだ。一日中。ようやく解放されたのは夜のことである。


「う〜む」


 毱亜が産んだ息子(天使ラファエルにちなんで颶風丸と命名)をあやしながら、具房は難しい顔をする。お市が鶴松丸に構いっぱなしであるので、寂しいのだ。もちろん周りには葵をはじめとした妻たちがいる。が、お市がいてこそ完璧だと思っているので、どこか寂しかった。


「まあまあ。しばらくすればまた元に戻りますから」


「……心配しなくてもいい」


 古参の葵、蒔はそう大らかに構える。


 毱亜は颶風丸の世話に忙しく、それどころではない。


 新参の律は、お市のことは置いておいて自分を構ってというスタイルだった。


 また大変なことになりそうだ、と具房は心のなかでため息を吐いた。ただ、幸いにも敦子が来たときのように立場がどうのこうのと悶着が起きることはない。律は実家の立場や何よりも出戻りということで、具房の側室に収まっているだけでも奇跡である。そのことを彼女も弁えており、それ以上の立場は望まなかった。


 しばらくお市は鶴松丸に構いっぱなしだったが、数日経つと具房のところにも顔を出すようになる。葵や蒔が予言したようになったわけだ。


 日常が戻ったわけだが、あまりゆっくりしていられない。鶴松丸の元服に加え、宝の結婚式もある。上洛のついでに、宝を大和へ送り届けるつもりだった。


「……よし、行くか」


 具房はいつものように三旗衆を伴って津を出発する。今回の上洛には具房の他に鶴松丸、宝、お市が同行していた。


 最初の目的地は多聞山城。そこに大和兵団の駐屯地があり、宝の夫となる治秀はそこの兵舎に住んでいた。さすがに彼女をそんなところに住ませるわけにはいかないので、戸建ての住宅が用意されている。


 宝は多聞山城で白無垢に着替え、治秀の家に向かう手筈だ。祝宴に具房は出席できないため、彼女を城で見送る。


「息災でな。嫌なことがあれば遠慮なく言ってこい」


 嫁いでも娘は娘だからな、と具房。


「はい。ありがとうございました。それと、ほどほどに」


 立場を利用して干渉する気満々の具房を宝はたしなめた。とはいえ、それだけ自分を大切にしてくれているのだと心が暖かくなる。最後に具房は彼女を抱きしめた。お別れのハグだ。服装が崩れないよう軽く済ます。


 その夜、珍しく具房は深酒をした。懐から一枚の紙を取り出し、床に置く。それは肖像画だった。白黒の筆絵。宝が手習いとして描いたものである。モデルは具房。コレクションはいくつもあるが、一番の傑作だ。


 絵を眺めながら手酌をする。思い出に浸りながら飲んでいると、つい量が多くなってしまう。アルコールが回るが、具房の脳は宝と過ごした日々を想起するためのレコーダーと化しており、そのことに気づけず、意識が落ちるまでそのままだった。


「んあ?」


 翌日、具房が起きたのは昼だった。日中の強烈な光を浴びて目が覚める。寝ぼけ眼で太陽を恨めしそうに睨む。と、唐突にそれが遮られた。


「目が覚めた?」


「……お市?」


「そうよ。珍しくたくさん飲んでたわね。いじけて、子どもみたい」


「かもな」


 お市は具房の子どもっぽい行動を珍しがる。普段、同い年にもかかわらず、自分よりどこか大人びた雰囲気の具房。そんな彼が子どもみたいにいじけている姿に、彼女は萌えた。三十代の年齢的にはおじさんとはいえ、顔が美形なので見た目は二十代。とても絵になる。


 彼女がそのような印象を抱くのは、具房に前世の記憶があるからだ。精神年齢としては六十のおじいちゃんであり、お市より大人びているのは当然といえる。だが、前世は学生で人生を終えたため、娘を嫁に出すのはこれが初めて。未経験のことについては、未熟な反応になって当然だった。


「茶々たちもいるのに、大丈夫かしら?」


「どうせこんな調子だよ」


「あ、不貞腐れた」


 ペタペタと身体を触ってくるお市。言葉こそないが可愛い〜、と弄っている。ちょっとイラッとした。


「きゃっ!?」


 お市の手を取り、自分の方へ引っ張る。力の差に加え、まったく予期していなかった彼女はされるがままになり、具房の胸に収まった。


「「……」」


 その態勢のまま数分が経つ。と、急にお市がモジモジし始めた。


「何もしないの?」


「何かしてほしいのか?」


 意地悪く返してみた。すると顔を赤くした後、すっと伏せて拗ねてしまう。そんな彼女にひと言。


「夜にな」


 とだけ言っておく。お市は相変わらず俯いていたが、長く艶やかな黒髪から覗いた頬が窪んでいて、笑みを浮かべていることは丸わかりだった。


 宣言通り、夜に揶揄された仕返しをした具房。だが、やりすぎてしまったのか回復に時間がかかり、翌日に出発できないというアクシデントが発生した。


「父上……」


「すまん」


 鶴松丸が非難した。何をしていたのかはさすがにわかっている。やりすぎだ、と言っているのだ。申し開きのしようがなく、平謝りするしかない。


 結局、大和滞在は伸び、京には一日遅れでたどり着いた。日程は余裕をもって組まれていたので、予定が狂うという最悪の事態だけは回避できている。具房は過去の自分を褒めた。


「お市、大事ないか?」


「大丈夫。心配かけてごめんなさい」


 信長に面会した具房夫妻。その場でお市は体調を気遣われる。遅れた公式の理由が、お市の体調が優れなかったということになっているからだ。嘘は言っていない。


 だが、さすがは信長というべきか。妹のわずかな違和感に気がつき、原因が別にあるのだと察した。二人になったときに訊ねられ、具房は止むなくゲロることになる。


「そういうことだったのか。義弟殿(具房)の女子贔屓も筋金入りだな」


「こればっかりは性分なので」


 娘の嫁入りごときで何をくよくよしていると信長は言うが、こればかりは価値観の違いだから仕方がない。彼も長い付き合いなので、細かな違いにいちいち突っ込むような真似はしなかった。


 そして元服当日。会場は北畠屋敷だ。信長が烏帽子親となる。注目されるのは名づけ。房信のときに具房が散々悩まされたあれである。偏諱は信長の「長」で確定。それが前か後ろかで、彼の北畠家の認識がわかる。


「これよりはーー」


 緊張の瞬間。場の空気が張り詰める。そして、いよいよ名前が発表された。


「具長と名乗るがよい」


「はっ」


 鶴松丸は具長と名づけられた。これはつまり、織田家はこれからも北畠家と協力していくという証だ。臣下ではなく盟友として扱われるということ。


 具教はニヤニヤしていた。それを見た具房は思う。面倒なことにしないでくれ、と。具教がこういう顔をしたときはロクな目に遭わないからだ。もっとも、それは叶わぬ願いだろうが。


 式が終わると、恒例の宴会に雪崩れ込む。今回は鶴松丸の元服ということで、参加者たちはとんでもないご馳走が出るとウキウキしていた。


 出席しているのは具房たち在京の北畠一族、信長以下の織田家臣、近衛前久などの公家、今井宗久をはじめとした商人。京にいたり、近いところにいる人間が中心だ。この他にも徳川、浅井家からも人が派遣されていた。


 祝いの席ということで、食事のメインはやはり鯛。一尾をまるまる塩釜焼きにした。柑橘と一緒にすることで、塩を崩したときに爽やかな香りが広がる。


 具長は今回の主役ということで、招待客を回って挨拶をしていた。具房は付き添いをせず、その姿を見守っている。ひとりでできるだろう、と。


「甥が元服か。時の流れは速いものだ」


 同じように具長の姿を眺めている信長がそう呟いた。どことなくおじさん臭がするな、と具房は思いながらも、その感想を心の奥底に止める。


「これも義兄殿(信長)のおかげです」


「何を言うか。義弟殿がいてくれるからだ」


 信長は北畠家の貢献をかなり評価しているようだ。畿内や北陸にかなりの兵力を割けたのは徳川家を具房が支えていたからだし、鉄砲を軸とした部隊運用ができるのは北畠家の武器弾薬の提供があってこそ。かなりの金が必要だが、南蛮人から買うよりは安くつく。しかも、鉄砲という飛び道具のおかげで、近接戦を嫌う農民兵が戦力となった。これは大きい。他家との戦いを優位に進められる。


「殿、よろしいでしょうか?」


「どうした、キンカン?」


 具房と信長が話しているところに現れたのは「キンカン」こと明智光秀だった。


「いえ、内府様(具房)にご挨拶をと」


「今さらそのような堅苦しいことをする仲でもないでしょう?」


「そう言って頂けるのはありがたいのですが、今回はそこを曲げてお願いします」


 変な言い方だな、と具房。だが、信長は何かに気づいたらしく、そうだったと膝を打つ。


「義弟殿。今回、キンカンに畿内を任せることにしたのだ」


「っ!? ……それは、おめでとう」


 具房は一瞬、身構える。が、すぐに祝福の言葉を送った。心中はとても複雑だったが、大名生活で身につけたポーカーフェイスがそれを隠す。


「ありがとうございます。このような要地を任せていただいたからには、上手く治めて見せます」


「わたしも、気心知れた十兵衛殿が畿内を担任するのは喜ばしい」


 光秀なら色々と便宜を図ってもらえそうだ。純粋に商売の利益を追求したならば、彼が畿内を任されたことを喜べる。だが、具房の脳裏にはある事件が思い起こされ、複雑な思いを抱えるのだった。







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