兜割り作戦 6
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「走れ走れ! 速度が勝負だぞ!」
山道を駆ける集団がいた。伊賀兵団である。国境にいた武田軍を撃破すると、戦場の片づけを他の部隊に任せ、伊賀兵団は進撃を始めた。
志摩兵団が武田軍を撃破したが、そのとき捕虜が発生している。指揮していたのが穴山信君だったので、甲府の手前ーー河内領に住んでいる者が多くいた。そのなかから数名を選び、道案内をさせている。
また、団長の房高には甲府方面の情報も入ってきた。現地に侵入している花部隊の隊員から、武田軍の動向がもたらされる。
「武田の主力は上野へ?」
「はっ。信濃から帰国後、すぐに向かいました。数はおよそ二万」
その報告から、房高は武田軍主力と会敵する可能性が高いと判断した。各地が危ないとはいえ、本拠地を攻められて放置するような間抜けはいないからだ。
夜、房高は部隊の幹部を集めて会議を開く。議題はもちろん、今後の対応について。志摩兵団のような脳筋がいるにはいるが、その比率は低い。だから突撃だ! という単純明快な脳死戦法を主張する人間は少なかった(居るには居る)。隊内で大勢を占めたのが、長篠合戦のような野戦である。
「堅牢な陣地を築き、敵を誘き出すべきだ」
という具合に、野戦を望む声は大きい。彼らは長篠の再現だ、と息巻いていた。精強で知られる武田軍を完膚なきまでに打ち破ったあの戦いが忘れられないらしい。
しかし、それに反対意見が出される。それは数少ない脳筋ーーではなく、長篠合戦に参加していない若手の参謀だった。
「待ってください。あのときとは状況が違います」
「どういうことだ?」
「長篠では事前に大量の物資を備蓄し、敵の来襲に備えていました。しかし、今回はほぼ我々が携行している弾薬のみ。戦い方には気をつけるべきです」
弾がない、という切実な理由だった。いうまでもなく、北畠軍の強さはその火力にある。この時代ではチートレベルの工業力で武器弾薬を大量生産。前線の部隊にこれでもかと送りつけてくる。それを消費するのが部隊の仕事、みたいなところがあった。
この火力がなければ、待っているのは地獄の消耗戦である。白兵戦ではどうしても負傷者が出てしまうし、武田軍(敵)は自分たちの倍以上いるのだ。補給が約束されていない状況で、正面からぶつかって勝てる相手ではない。参謀はこれらの理由を並べ立て、野戦案に反対する。
「それは逃げ回れということか!?」
「そうは言っていません」
古参の士官が激怒し、参謀も毅然と言い返した。激しい論戦になるーーが、士官は自分の主張が苦しいことはわかっているので、時間の経過とともに同じことばかりを繰り返すようになる。つまり、言葉がなくなった。
「双方、それまで」
そこで房高が仲裁に入る。それ以前に止めろよという話だが、言い分を聞かないままに判断を下すことがないように、とは具房が常々、口にしている言葉だ。証拠、論拠を以って真偽を判断せよ、というのは元学者である彼らしい教えだった。そして、房高はその信奉者であるため、その教えを忠実に守っている。
房高としては、ここまで話を聞いていて参謀の意見に妥当性があると考えた。しかし、そこには欠けているものがある。具体案だ。彼は『戦い方には気をつけるべき』と言っただけで、具体的にどう戦うのかを示していない。
「遅滞戦術をとるとして、具体的な作戦案を決めるぞ」
方針が示された。軍隊は縦社会。こうなればぶつぶつ文句はあれど、それを呑み込んで目標の達成に邁進する。……だって責任は責任者がとってくれるから。だから下っ端は気楽に、思ったままのことを口にする。所謂ブレインストーミングのようになっていた。
「解消されるべきは補給と兵力不足です」
「補給は殿に仰ぎましょう」
「問題は届くまでに時間がかかるので、その間、どのように戦い続けるか……」
「遅滞戦術なら時間を稼ぐ……森での不正規戦?」
「一撃離脱ならば、兵力差はそこまで問題にはなりませんね」
「釣り出せた部隊がこちらを下回っていれば、これを殲滅することもできるか」
そんな具合に次々とアイデアが出される。一時間ほどでアイデア出しが終わり、整理統合していく。かくして出来上がった作戦案が、遅滞戦術を用いて敵を拘束しつつ本隊へ誘導、そこで撃破するというものだった。
基本は大隊単位で行動し、一撃離脱戦法で敵を釣り出す。出てきた部隊が大部隊ならそのまま引き上げるが、小部隊なら戦闘に突入して殲滅する。こうして徐々に武田軍の戦力を削り、本隊との決戦が楽になるようにした。
だが、ブレストの段階でこのような意見が出された。即ち、
「敵が乗ってこなかった場合はどうするのだ?」
と。房高たちは、勝頼が自分たち(北畠軍)に対してかなりのヘイトを募らせていることを知っている。彼の動向は武田領内に構築された諜報網を通じて入ってくるし、ある程度の情報は高級文武官に開示されていた。その書類に『いついつ北畠軍を罵倒』と書かれているのを見て目を疑うというのは、この時期に高官となった北畠家臣の通過儀礼である。
そういう知識を有しているから、勝頼は寡兵である自分たちを追ってくるだろう、と思い込んでしまった。これは極めて拙い。根拠が薄弱すぎる。
冷静に考えれば、あちこちから攻め入られている状況で、ひとつの勢力に感けている暇はない。普通はさっさと兵力を別のところへ差し向ける。優先度第一位は、信濃支配の重要拠点である高遠城だろう。高遠城が落ちれば北信濃と分断されてしまうからだ。
勝頼が怨恨をとる可能性もあるが、冷静に実利をとる可能性もある。いくつもプランを立てておくのが普通だが、その考えがすっかり抜け落ちていた。
その後、順調だったブレストは停滞してしまう。まったく考えていなかったからだ。明日は英語の試験だと頑張って対策していたら、突如、数学の試験が加わったような衝撃。思考回路が違いすぎて、上手く動かない。思わぬ落とし穴に落ちてしまった。
そこから脱却できたのは、先に長篠合戦の再来を提唱した古参士官のアイデアがあったから。
「我々を攻めるよう仕向けるのはどうだろうか?」
「具体的には?」
「躑躅ヶ崎館(武田家の拠点)を一度、制圧するとか」
「……なるほど」
房高は一考の余地があると思った。現在の武田軍を見るに、かなり無理をした動員を行なっている。ならば、各拠点にそれほど兵力は残っていないだろう。駿河方面の備えと思われる部隊は先日、志摩兵団の急襲を受けて壊滅した。今、甲府はガラ空きだ。
暫定的に甲府一時占拠案が定められ、各方面へ確認に走る。勝頼率いる武田本隊の最新の位置情報だとか、躑躅ヶ崎館の攻略に弾薬を使ったとして、その補給がいつ受けられるかの照会だとか。やることはたくさんあったが、出た結論は可能。ということでその作戦は採用されることとなった。
「急行してきている武田軍がいるが、こちらの方が早い」
房高はそう呟く。
完全に制圧する気はないので、館へ乗り込んで獲ったどー! と叫び、いい具合に敵が近づいたらバーカ! と言ってトンズラする。後に作戦内容を知った具房はそう表現した。そりゃ勝頼も怒るわ、と。
作戦が決まると、伊賀兵団は動き出した。これまでより速度を上げる。物資は自分が身につけている武器弾薬、食糧のみ。駄載の大型砲さえも置き去りにして、甲府目指して突き進む。
今回の作戦はいうまでもなく速度が命。武田本隊が戻るまでに躑躅ヶ崎館を落とせなければ即撤退と決められていた。そのため北畠軍では少し意地の悪い措置がとられている。
「行軍の時間を少しでも稼ぐため、これより携行食糧のみを食すように。また、小休止の間に食べること」
食事を作る時間は残念ながら与えられない。悲しいかな、温食とはしばらくおさらばだ。しかも携行食糧はカロリー摂取に重点を置いたものが多く、質はともかく量には欠ける。しかも強行軍といって差し支えない移動距離。小休止であるため何個も食べられないし、そもそも行軍中に食べている暇はない。仮に食べられたとしても、補給が来るのはしばらく先のこと。食べ過ぎれば食糧が先に尽きてしまう。だから兵士たちは腹ぺこで過ごさなければならなかった。
まあ、この程度のことは訓練でもやっている。それに三日三晩ほぼ不眠不休、無補給での戦闘訓練など、伊賀兵団に所属している兵士は一度くらい経験がある。空腹も別に悪いことばかりではなく、負傷したときに死ににくいというメリットもあった。食後は血圧が上がって止血に時間がかかるが、空腹では比較的血圧が低いからだ。余談だが、そのような事情があるのに、第二次世界大戦のアメリカ海兵隊は上陸作戦の朝食に景気づけとしてステーキを振る舞っていたりしている。
食事制限をかけて締め上げていれば反乱が起きかねないため、ちゃんと飴も用意している。それが甲府だ。要するに、甲府を早く占領すれば、温かくて美味しいご飯が食べられるよ、というのである。某鉄とポテトの国の宰相様のお言葉を具房が房高に吹き込んだわけだが、この世界ではこのような形で使われた。そして、この飴は空腹の馬の前にぶら下げられた人参のごとく、凄まじい効果を発揮する。
兵士たちは先を争うようにして甲府を目指した。どうせ武田本隊が来たら、苦しい苦しい退却戦なのだ。泥水を啜り、汚泥に塗れ、足裏が擦り切れても走り続ける。温食など食べられるはずもなく、ごく少量の文字通りの冷飯を食うことになるのだ。ならば、少しでも長く楽な生活を送りたいと思うのが人情。それは精鋭部隊である伊賀兵団でも変わらなかった。それでも部隊単位での行動を崩していないのはさすがというべきだろう。
そんな強行軍で甲府目前までたどり着いた伊賀兵団。さすがに前日は休養をとっているので、疲労感はあれどくたくたというわけではない。むしろ、天国を目の前にしてアドレナリンが大量に分泌されていた。やる気マックスの状態で兵団は戦闘に入る。
一方、甲府は大混乱に陥っていた。勝頼は限界まで動員を行なっていたので、まともに戦える人間はほとんど残っていない。なけなしの兵力を集めてみたが、その数は千にも届かなかった。伊賀兵団は数千と規模的に小さいのだが、それにすら抗えない。戦争末期の敗戦側はいつの時代も悲哀に満ちていた。
圧倒的に不利な状況にありながらも、武田軍は館に籠もって徹底抗戦の構えを見せた。無論、既に勝頼へ使者は送っているし、慌てて戻ってきていることも知っている。それまで持ち堪えられれば武田軍の勝ちだ。
しかし、装備が違いすぎた。伊賀兵団は小銃の他、刀剣類、手榴弾、擲弾筒というかなりの軽装だったが、それでも中世城郭ひとつを落とすくらい訳はない。とりあえず降伏勧告をするも無視される。なら仕方ない、と攻撃が始まった。
籠城側は堀を利用して防ごうとしたが、誰が好き好んで矢弾が飛んでくる場所に突っ込むのか、と伊賀兵団は対岸へと擲弾を撃ち込んで対岸の掃討を行う。大砲の砲弾と異なり、運搬が容易な擲弾の補給は目処がついていた。だから何の遠慮もせず、バカスカ撃ちまくる。
朦々と煙が立ち込め、それを煙幕にして伊賀兵団は堀を渡り始める。その段階になると擲弾は沈黙したが、代わって小銃による援護射撃が行われた。特に目標はない。現代戦における機関銃のように敵の反撃を挫き、味方の攻勢を援護することが狙いだ。ボルトアクション小銃の連射力を前に、武田軍は有効な反撃を行えない。ガッツのある人間は構うか! とその身を晒すが、その末路は悲惨である。
「お、カモ発見」
同様に突撃支援の任務を与えられているスナイパーたち(竜舌号を装備)に発見され、どこかしらの位置で身体を上下に分断されて絶命した。
スナイパーからすれば、語尾に音符をつけてしまいそうなほど絶好のカモ。武田軍からすれば容赦のない殺戮に見えた。勇気ある行動が、却って士気を下げる結果になってしまう。
で、躑躅ヶ崎館の内部に入ってしまえば、もはや伊賀兵団のもの。内部をガサ入れする警察のごとく探し回り、隠れている人間を片っ端から片づけていく。「片づける」とはいえ、それはイコール殺害ではない。降伏勧告をしながら闊歩し、大人しく従うなら穏便に。抵抗するようなら殺す。
さすがに敵の本拠地だけあって、防備はそれなりにしっかりしている。なので、たまに反撃を受けて死傷者が出たが、怪しい場所にはとりあえず一発という米軍戦術を叩き込まれている伊賀兵団は、攻城戦にしては恐ろしく少ない被害で躑躅ヶ崎館を制圧した。
「婦女暴行は厳禁だからな!」
部隊長は口を酸っぱくして兵士たちを統制する。戦闘の興奮と、延々と続いた野郎だらけの生活で、女性を目にすればつい襲いたくなってしまうのは仕方のないことだ。しかし、それをやられると今は楽しくとも、人々の感情が悪化。後々、統治に支障が出る可能性がある。そういうことは後で、ちゃんと金を出してやれ、というのが北畠軍全体の方針だ。
おいたをしかける奴は、近くの同僚が総出で止める。普通に軍法違反。犯人は栄誉をすべて剥奪された上で軍法会議にかけられる。相場は三年だ。だが、不利益を被るのは加害者本人だけではない。部隊長は当然ながら監督不行届で処分を受けるし、兵士もその場に立ち会っていた場合、それを止めなければ処分を受けることになっていた。降格の可能性があり、給料も下がる。誰しもそれは嫌だから、殴ってでも止めさせた。
無論、状況によって処分は変わる。婦女子に暴力を振るったとはいえ、それが刃物を持って敵対する意思を明らかにしていた場合などは対象外だ。怪我させても殺しても問題にはならない。一部は楽しんだ後に殺してしまえばいいという者もいたが、モラルの低い人間は伊賀兵団のしごきには耐えられないため、そのような行為をする者はいなかった。
そして内部を制圧する過程で思わぬVIPと出会う。勝頼の正室である北条夫人だ。北条家前当主・氏政の妹である。彼女はあくまでも武田勝頼の正室として振る舞い、降伏勧告には一切応じなかった。現場の兵士は困り、最終的に房高が出向くことになる。
「奥方。十分に戦われたでしょう。大勢は決しました。矛を収めてください」
「お断りします! わたくしは生まれは北条なれど、今は武田の女です! 辱めを受けるくらいならーー」
懐の短刀を抜き、自らに突き立てんとする北条夫人。
「っ! 御免!」
それを房高が慌てて止めた。手を押さえて動きを止め、刃物を叩き落とす。とりあえず自殺を防ぐと、ここは間もなく戦場になるため、さっさと後送することにする。勝頼の家族は別として、北条夫人は適当にチョイスした籠に乗せた。
目的地は小田原だが、ひとまず駿府に送られる。そこからは使者が北条家に向かい、迎えを寄越してもらうことにしていた。道中、北条夫人は敵に捕まった女騎士のごとく殺せ殺せと喚いている。それは駿府に着いてからも変わらなかった。このままでは本当に自殺しかねない。そうなれば外交問題だ。そう憂慮した具房により厳しい監視体制がとられ、また具房自身が(蒔を伴ってだが)面会して精神の安定を図った。
前世では学者ロードを突き進んでいた具房だが、チキンな彼は逃げ道として一応、教員免許を取得している。課程のなかで初歩的なメンタルケアも学んでいた。捕らえられたことを恥と思っている彼女に、武田家ではなく実家の方へ意識が向くよう誘導する。
「夫人。越後三郎殿(上杉景虎)が亡くなられたとき、お家(北条家)がどれほど悲しまれたか、想像に難くないはずです。そして今、あなたまでとなれば、一族は更なる悲嘆に暮れるでしょう」
なんてことを微妙に表現を変えながら、何度も何度も言い聞かせる。同じことを言われ続け、意識にすり込む催眠みたいなものだ。また家族という情に訴えかけることで、夫人とはいいつつまだ十代の少女の思考を誘導する。会うのを拒否られても内大臣という地位を利用して強引に会う。権力万歳。
北条夫人は最初こそ何このおじさん。ウザいんですけど、と内心思いつつ、蔑ろにすると後が怖いので仕方なく会っていた。だが、会う度に極上の甘味(最中や花鳥風月を模った練り切りなど)を土産にしてくるので、美味しいものが食べられるならおじさんの話を少しは聞いてあげよう、ということになり、話を聞いているうちに意識を誘導され、辱めを受けるくらいなら死んでやる! という思考はどこかへ行ってしまった。
このような具房の努力により、北条夫人の自殺願望は消滅した。だが、後から経緯を振り返ると、完全にパパ活常習者の所業であり、具房が落ち込んだのはまた別の話。
具房はメンタルに傷を負ったが、その代わりに北条家からの信頼を得ることになった。
「感謝いたします、内府様(具房)!」
よく助けてくれた! と北条家は大歓喜。どれだけ喜んでいるかといえば、重石として小田原城に残っていた氏政自ら駿府に顔を出し、具房に謝意を伝えるレベルだ。いやー、昔から妹(北条夫人)は頑固者で、と氏政。それを聞いて具房は、よく説得できたなと自分の手腕を褒めるとともに、頑固なら感情のベクトルが変わることはなさそうだと安心した。
「……ところで、内府様。律(北条夫人の名前)のことなのですが」
「何かおかしかったか?」
「いえ。そうではなく、律を内府様の側室にと思いまして」
「へ?」
なぜそうなる? と驚く具房。しかし氏政にも考えがあった。信長とは婚姻の約束をとり交わしたが、畿内の有力者は彼だけではない。具房もそのひとりだ。歴史ある名家ゆえに公家たちとの人脈は信長よりも太い。しかも太平洋沿岸を通って蝦夷地と通商している関係で、関東を押さえる北条家はとても重要だ。港町の発展も期待できる。徳川の実質的なパトロンでもあるようなので、変な動きを見せればストッパーとして活用できた。
今後は内政に注力することになる北条家。リスクはなるべく排除したいし、援助する勢力も欲しい。となると、北畠家はとても魅力的な相手だった。是非とも関係を深めておきたい。
「だ、だが歳が離れすぎていないか?」
律さん、御歳十六。対する具房は三十三。ダブルスコアである。敦子以上の犯罪臭がした。
「側室ですから」
年齢を理由に断ろうとしたが、この時代に年齢差など関係ない。史実の徳川家康は(晩年にだが)十三歳とか十六歳の側室を抱えた。当時の感覚では孫や曾孫という世代だ。それからすればまだまだ常識的な範囲だといえるだろう。
とはいえ、これ以上の嫁は現代人としての感覚を残す具房からすれば勘弁してほしい。何股かけても平気でいられるほど、具房は器用ではなかった。どうにか回避しようとするが、氏政は譲らない。
律と年齢の近い具房の弟は何人かいるが、本来は家臣に嫁がせるような出戻りを正室にするのは彼我の家格からして無礼である。最低でも側室なわけだが、それなら具房とくっつけた方がいい。具房としてもそれがわかっているので、断りたいという意思を示して相手が引き下がってくれることを期待した。ただし、実現はしなかった。
それでも、「NO」と言える日本人に俺はなる!
翌朝。
「おはようございます、内府様」
残念ながら、具房は「NO」と言えなかった。
なんか、嫁が流れで増えた