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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第一章
14/226

1559信長上洛


短いですが、新年の連続投稿ラストです。これからは毎週水曜日に投稿します(なので、明日も投稿なんですよね)。

 






 ーーーーーー




 色々ありつつ、北畠・織田連合軍は上洛を果たした。朝廷工作や将軍との謁見など、やることは満載だ。優先されるのは朝廷。これにはいくつか理由がある。


 第一に朝廷の方が権威が高いこと。幕府権威など吹けば飛ぶようなものだが、朝廷は戦乱の世のなか、色々なことがありつつ残っている。


 第二に経済状況だ。大名などから献金があるとはいえ、一番の収入であった荘園からの年貢がなくなったことで困窮している。だから献金すると喜ばれる。懐柔は比較的容易といえた。


 第三に感情。具房は問題ないが、信長は尾張守護である斯波氏を追い落として支配している。斯波氏は足利一門であり、現将軍・義輝は面白くない。謁見できても返せと言われる可能性さえあった。そこで朝廷に承認してもらってから会うことで、言い出せないようにする。なぜなら、将軍の地位もまた朝廷から保障されているものだからだ。


 具房は真っ先に久我家に挨拶へ向かった。北畠家は村上源氏である。久我家もまた同族であり、何よりかの家は源氏長者であった。挨拶をしないと失礼にあたる。だが、目的はそれだけではない。献金して、信長が公卿と折衝できるよう工作をお願いする。


「いいでしょう。父にもお願いしておきます」


「かたじけない」


 久我家の現当主・通堅(十五歳)から協力を取りつける。彼の祖父は五摂家筆頭の近衛尚通であり、そちらにも顔が利いた。久我、近衛両家が動くと、朝廷もまた動く。


 信長は莫大な献金と引き換えに、従五位下尾張守へと叙任された。さらに複数の貴族から幕府に対して、信長を尾張守護にするようにとの勧告が出ている。朝廷の援護射撃と、実際の官位。これで幕府も信長を無視できなくなった。


 なお、具房も位階はそのままで左近衛少将となっている。具教の官途をたどるためだ。数年のうちに、従五位上左近衛中将となる予定だ。


 そんな実績を引っ提げて将軍・義輝との謁見に臨んだ両名。官位もあり、謁見を断られることはなかった。だが、その表情は見るからに面白くなさそうだ。政治をする人間としてそれでいいのか、と具房は思う。もちろん口にはしないが。


「お目通りが叶い、恐悦至極に存じます」


「ふん」


 具房たちの挨拶に対しても、鼻を鳴らすだけだ。よく来た、とも言わない。そのまま上辺だけのやり取りで済むのかと思いきや、義輝が口を開いた。


「北畠。そちの勇名はこの畿内にも届いておるぞ。伊勢を平定し、国司家の面目躍如というところではないか」


「主上より賜った任を果たせるようになったことは嬉しく思います。ですが、わたしの力など微々たるもの。まだまだの若輩者でございます」


 飛び出したのはまさかの嫌味であった。字面的に褒めているが、実際は幕府の後援者である六角家の力を削ぎやがって何してくれとんじゃボケ! と怒っている。


 これに対して具房は、伊勢を統一したことで朝廷から与えられた伊勢国司としての任務が果たせる。これまでは六角なんかに邪魔されてできなかったんだけど、と言い返しつつ、自分はまだまだと謙遜した。


「……ふん」


 義輝は鼻を鳴らした。本日二度目。己の不利を悟って引いたが、面白くない。


(北畠の子息ならば、この程度の嫌味の言いあいは慣れておるか……)


 ということで、義輝はターゲットを信長に変える。所詮は尾張田舎侍。そのようなことはできないだろう、と考えてのことだ。


「織田。武衛家を救ったこと、褒めて遣わす。誠、天道を知る者よ」


 意訳:斯波家を助けてくれてありがとう。だけど、その後は当主を追放したりと好き勝手やってるらしいじゃん。そんなこと許されると思ってるわけ?


 といった具合に責めているのである。これに対して信長は、


「長尾家のごとく」


 とだけ答えた。越後守護の家系が途絶えると、守護代(長尾家)に家督を譲ったよね。それと同じことをしただけだよ、と。細かい事情は異なるが、結果だけを見るとそういうことになる。穴があるようだが、これでいいのだ。


 なぜか。それは越後上杉家の家督を相続するのが景虎(後の上杉謙信)でなければならなかった理由はないのに、景虎に家督を継がせたためだ。血筋からいえば、山内や扇ヶ谷上杉家などから後継者を出せばいい。にもかかわらず景虎が家督を継承し、守護となることを認めた。


 であるならば、国内が信長の下で安定を見せているのに、他国の勢力を迎え入れようとした守護を追放して成り代わってもいいよね、というのが信長の理屈だ。景虎の先例がある以上、義輝はノーと言えなかった。


「……よいだろう」


 義輝は反論することもなくそう言った。こうして信長は朝廷、幕府の両方から尾張支配の承認を受けることになったのである。


 憮然とした表情の義輝に対して、具房たちは能面のような無表情であった。それは彼らが居所に戻るまで変わらなかった。しかし、居所で人目がなくなると、


「「ぷっ!」」


 吹いた。そのまま誰憚ることなく笑い転げる。愉快だ愉快だ、と。


「あの悔しそうな顔を見たか? あれで我らを見下していた態度も許せるというものよ」


「ですな。愉快痛快、ここに極まれり」


 こうして二人は家臣に何事かと止められるまで笑いあっていた。これもまた、二人を仲よくさせる格好の材料になった。会ってからひと月と経っていないのに、もはや幼なじみともいえるほどに仲よくなっている。


 結果としては、信長の上洛は大成功といっていいだろう。それには北畠家の存在が大きく、大きな爪痕を残すことができた。具房としては満足できる結果だ。


 具房は当初の心配はどこへやら。信長ともっと過ごしたいと思った。しかし、二人は自身の領国がある。あまり長い間空けておくわけにはいかず、用事が済めば帰らなければならなかった。美濃大垣までの道中、二人は時間があれば常に話し込んでいた。そこに行きのときのような無理をしている空気はなく、側でずっと見ていた一益も驚いている。


 だが、いくら別れを惜しんだところでそのときはやってくる。一行は美濃大垣に到着した。二人はまだ日は高いが、無理をすることはないと言って、ここで軍を止めて一夜を過ごすことにした。


 その夜。信長が具房の陣を訪ねてきた。そして、互いに小姓だけの状態にして話をする。そこで信長は唐突に切り出した。


「太郎殿は、松平蔵人佐をご存知か?」


 知らないはずがない、と咄嗟に答えようとして慌てて止める。松平蔵人佐と言われると誰かわからないが、それは後の天下人、徳川家康のことだ。日本中世史の研究者として色々と語りたいところだが、ここはグッと堪え、ある程度の知識を披露するに留める。


「ええ。三河松平家の嫡子で、今は駿府に出仕しているのですよね?」


「ああ。竹千代ーー今は蔵人佐か……彼は一度、織田家で人質になっていたことがある。そのとき面識もあってな。約定を交わしたのだ。『オレは西を攻め、上洛し、天下を取る。ゆえに竹千代は東を任せる』と」


「そうなのですか……」


 具房の言葉は本心からのものだった。後世のでっち上げだと思われた信長と家康の約束は実話だったのだと。衝撃の事実である。なぜ豪族のひとりでしかない家康にそのような話をしたのか、と根掘り葉掘り訊きたい。研究者としての血が騒ぐが、やはり我慢だ。


「それに、太郎殿も参加してほしい」


「もちろん」


 信長へと手を貸すことで北畠家の生き残りを考えていた具房に応じない理由がなかった。いささかの迷いも見せず快諾する。


 翌朝。いよいよお別れというときに信長から一枚の書状が手渡された。曰く、具教への書状だという。今回の協力についてお礼が書かれているらしい。


「後日、礼物も届けさせる。ゆえによろしく伝えてくれ」


 そう念を押される。


「必ずや」


 具房は絶対に渡します、と確約して別れた。







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