兜割り作戦 4
【解説】膅発
前回の誤字報告にて「膅発」を「暴発」ではないか? とのご指摘をいただきました。ありがとうございます。これ、間違ってはいません。ただ、作者の意図とは異なるため本文は「膅発」のままにしております。以下、なぜ不採用なのか解説します。
概念的な話なのですが「暴発」とは火器における撃発事故全般を指すもので、「膅発」は撃発事故のなかでも砲弾(あるいは炸薬)によって砲身が破裂する事故のことを指します。つまり「膅発」は「暴発」の一種というわけです。ちなみに「膅発」は旧海軍における略称で、彼らは膅内爆発、膅中爆発とも呼びました。Wikipediaでは「腔発」で紹介されています。
今回、徳川軍で起きている自作の大砲による事故は、装薬の爆圧に砲身が耐えられず爆発するというものなので、特に「膅発」という狭義の概念を用いました。
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勝頼が北条軍の来襲を知ったのは、徳川軍を粉砕せんと飯田城に迫っているまさにそのときだった。
「上野に北条軍、およそ四万が来襲! 至急、救援を!」
使者の声はもはや悲鳴であった。北条氏邦を大将とした北条軍四万が来襲。厩橋城へと進軍しているという。
「ええい、このようなときに!」
まだ北条と織田の同盟を知らない勝頼は、ある意味で絶妙なタイミングで侵攻してきた北条軍を呪った。それと同時に、彼は大きな選択を迫られた。このまま徳川軍と戦うのか、それとも北条軍に対応するのか。
対応に関しては、軍内でも意見の相違があった。というより、リベンジに燃える信豊が決戦を主張し、それ以外が撤退を主張したのだ。
「恥辱を晴らす機会を!」
「待たれよ。既に落とされた城より、今窮地に陥っている城を救うべきだ!」
「然り」
という具合に信豊は総スカンを食らう。勝頼に縋るような目を向けたが、彼もまた決戦には反対であった。たとえここで敵を破っても、後ろから敵軍(しかも主力)が続いている。ボロボロの城でこれを防ぐには、かなりの軍勢を貼りつけておく必要があった。そんな余力は武田家にない。
「上野へ向かうぞ」
「御屋形様(勝頼)!」
「典厩(信豊)。そなたの気持ちはわかる。だが、ここは堪えよ」
「くっ!」
信豊は悔しそうに歯噛みする。だが、彼も心情的に納得できないだけで、これが合理的な判断だということはわかっていた。
武田軍の失敗は、直前に兵力の増強を図ったことだ。これによって進軍が遅れ、飯田城の救援が間に合わなくなってしまった。もっともこれは後知恵の類であり、究極の原因は徳川軍が城を落とすのが予想以上に早かったことである。
その日のうちに武田軍は回れ右をした。一族の仁科盛信が守る高遠城に兵士を多く入れ、固守を命じる。最後の一兵となっても戦え、と。そうして時間を稼ぎ、その間に北条軍を撃破。返す刀で織田・徳川連合軍を撃破する。それが勝頼が描く青写真だ。
時間が経過するとともに詳細な情報が入ってくる。そしてそれは、勝頼にとってあまり喜ばしい報告とはいえなかった。
「後続に三万……」
北条軍四万が上野に来襲したということだが、それはあくまでも第一派にすぎなかった。後ろから北条氏直率いる三万の兵が続いているという。合計七万の大軍である。本格的な攻撃が重なり、勝頼は己の不幸を呪った。
「駿河の北畠も警戒せよ」
織田、徳川と攻めてきて、駿河に兵を集めている北畠が動かないはずがない。勝頼はそちらを担当する穴山信君に注意を与え、上野へ向けて軍勢を発進させた。
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上野では激しい戦いが起きていた。北条軍のーーというか、氏邦のやる気が半端ない。それは、この戦いが景虎の敵討ち第一幕みたいなものだからだ。
「行け行け!」
氏邦は凄まじい意気で指揮をとる。その熱量が兵士たちを感化した。
「三郎様(景虎)の弔い合戦じゃ!」
戦乱の時代、戦で肉親のひとりや二人は誰しも犠牲になっている。その敵討ちをしたいという思いは兵士の誰もが理解し、共感した。また、犠牲になった肉親のことを思い、士気を上げる。
極めて高い士気を背景に、北条高広が籠もる厩橋城を激しく攻め立てた。具房から供与された大砲も使っている。もっとも信康のように撃ちまくったわけではないので、効果は極めて限定的だった。
「ここを抜かれれば終わりぞ!」
対する城将・北条高広は必死に抵抗した。彼は上杉家に仕えていたが、御館の乱で支持していた景虎が敗北。今は武田家に従っている。この戦いはアピールする絶好の機会だ。誰にアピールするのかといえば、武田家と北条家である。
武田家には自分を受け入れてもらった恩義があった。だが、新参者ということで、立場は決して盤石ではない。しかも元上杉家臣であり、上杉家との友好関係のために売られる可能性がある。景勝からすれば、景虎に味方した人間ということで高広は粛清対象だった。そうならないためにも、自分は使える人間だとアピールしておかなければならない。
とはいえ、悲しいまでに戦力差が開いている。今、猛攻を仕掛けてくる四万の兵でも心が折れそうなのに、その後ろにはさらに三万の兵が続いているのだ。さすがに耐えられない。沼田から真田昌幸が支援してくれているが焼け石に水である。
高広はタイミングを見て降伏することも考えていた。そのとき大切なのは、自分が生きられること。景虎に味方して戦ったことは評価されるかもしれないが、見方を変えれば敗死させた人間ともいえる。仇一号、みたいに殺されたのでは堪らない。だから徹底抗戦し、北条側に大きな被害を出させる。そうして交渉の余地を見出し、自分の価値を最大限に高めて売りつけるのだ。
交渉相手は北条氏直。氏邦は殺る気マックスで話を聞いてくれそうにない。氏直ならそこまで復讐に燃えているわけではないだろうから、話を聞いてはくれるだろう。後は高広の能力の高さ如何だ。それを示すべく、北条軍を押し返す。
「殿。真田安房守(昌幸)よりの書状です」
「ああ」
高広は使者が持ってきた書状を読む。そこには比較的余裕がある昌幸が調べた周辺情勢ーー主に北条軍の動向ーーが書かれてあった。
「北条本隊の到着はまだしばらく先か……」
さらに武田本隊が向かっているとの情報も入る。が、七万の大軍の前に二万そこそこの兵で対抗できるのか? という疑問はつきまとっていた。だが、とにかくやれるだけやって、無理そうなら降伏というプランを思い描き、戦い続ける。
他方、攻めている氏邦はやきもきしていた。こんな場所で停滞していてはいけない。武田軍が織田、徳川軍に引きつけられている間に上野を落とす。一応、将来的に上野は北条のものとなるが、実力でもぎ取って正真正銘、織田家に貸しつけることでそれを確実なものとするのだ。
(武田をこの手で滅ぼせぬのは癪だが、仕方がない)
自分たちだけでやろうとすれば何年かかるかわからない。だから最低限、上野を落として武田に勝利する。それを以て景虎を見殺しにした武田への復讐とするのだ。
しかし、その思いも虚しく城の攻略は進まなかった。高広と籠城する兵士たちがよく守ったのもあるが、昌幸がゲリラ戦を展開して補給を妨害。食糧などが不足していた。野盗に扮して周辺の村々も襲い、食糧の類を奪っている。焦土戦術だ。
北条軍は仕方なく本領から食糧を運んできている。その荷駄を真田軍のゲリラ部隊が襲うため、補給が途絶えがちになっていた。腹が減っては戦はできぬ。北条軍の動きは完全に鈍っていた。
「これで時間が稼げる」
昌幸は沼田城で厩橋城の戦況を聞きながら独白する。たまに北条軍の反撃を受けてゲリラ部隊が被害を受けるものの、数万人分の食糧だ。すべてを守ることなどできない。ゲリラ活動による戦果は概ね満足できるものだった。
ゲリラ戦と厩橋城に籠もる北条高広を支援するのは、自分に被害が及ばないようにするためだ。厩橋城と高広はいわば被害担当。この戦いで受けるすべての損失を背負ってもらう。そのために、野盗に扮した真田兵が厩橋城周辺の村々を襲って略奪を行った。同じ上野国内の人間だと遠慮するかもしれないので、本拠地のある信濃から連れてきた兵を使っている。
同時に北条軍の輜重部隊への攻撃も行っていた。このように裏で色々と立ち回り、狙い通りに戦況を停滞させることに成功する。これでとりあえず一、二ヶ月は稼げたと読んでいた。
彼の目的は自領に被害なく有力勢力の庇護を得ることだ。厩橋城の周辺は勝とうが負けようが荒廃するだろう。対して真田領はほぼ無傷で残る。しかも、手許には略奪してきた大量の物資が。これを利用して上野国内における真田家の地盤をさらに盤石なものとする。
昌幸は武田が滅びると半ば確信していた。今回、周辺の諸勢力がほぼ同時に攻めてきている。勝頼たちは不運ーーつまり単なる偶然だと考えているらしいが、昌幸からすればそんな偶然があって堪るか、と声を大にして言いたい。あまりにもタイミングがよすぎる。何らかのカラクリがあると考えるのが妥当だろう。
ではそのカラクリとは何か。この状況で答えはひとつしかない。それは、上杉を除く周辺勢力がすべて反武田で同盟を結んだということだ。同盟破棄を伝えに来た使者は、武田と敵対することになっても構わないと言ったという。勝頼たちはそれを、たとえ武田を敵に回しても景虎の敵討ちをする、という意味で受け取ったらしいが、そんなことはないだろうと昌幸は思う。
(北条家は過去の怨恨を棚上げして上杉と和を結んだこともある。そのような感情に流されるわけがない)
何らかの出来事により、武田との同盟が必要なくなったと考える方が妥当である。その出来事とはつまり、織田家とその味方との同盟だ。本願寺を下して勢いに乗る織田家。鞍替えするには申し分ない相手だ。
こう考えればすべての辻褄が合う。ゆえに昌幸は近いうちに北畠軍が動くと確信していた。さすがに勝頼もそれは想定していると思うが、連携をとられているとまた話が違う。
敵が波状的に侵攻してきていることを逆手にとり、各個撃破を狙うという機動防御戦術を昌幸は評価していた。だが、無理だろうと思っている。戦力が絶望的に足りないからだ。さらに戦線も東は上野、西は信濃と広い。山地が多く、移動にも時間がかかる。不利な要素がいくつも重なり、名案も愚策と成り果てていた。
武田が滅ぶと半ば確信してからの昌幸は、表向き厩橋城を支援しつつ、裏で上杉、北条、徳川という周辺の有力大名に接触を図っていた。とにかく、今の所領が安堵されるなら主君は誰でもいいのだ。
とはいえ、予想が外れる可能性もあるので、今は頑張って味方を支えているというわけである。もし勝てたとすれば、上野方面を支え続けたとして評価されるだろう。
「さて、北畠はいつ動くか」
恐らく、この戦いの帰趨を決定するであろう存在の動きを、昌幸は注視していた。