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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十章
137/226

兜割り作戦 2

 



 ーーーーーー




 甲府にて勝頼は軍勢を集めていた。織田、徳川、北畠軍が軍の動員を始めたという情報を掴んだからだ。しかも一ヶ所だけではない。美濃、三河、遠江、駿河と四ヶ所で万を超える軍が集まっている。見込み違いであってほしいところだが、想定される敵軍は十万を超えていた。


「老若男女など関係ない。身体が動く者はすべて参集させよ!」


 兵力が足りない。普通に軍を集めてもせいぜい二万が限界だ。だから勝頼は普通ではない軍の集め方をした。そう。根こそぎ動員である。老いも若きも、男も女も問わず武器が扱える者はすべて集まれというのだ。


(とんでもないところへ来てしまった……)


 客将という立場で甲斐にやってきた久政は、今更ながらに後悔する。こんなことなら命令違反を覚悟で西国へ行くべきだった、と。


 東国では武田、北条、上杉を除けばほとんどが親織田勢力。そして武田は絶賛、滅亡の危機に晒されていた。赤壁の戦いのような奇跡的勝利を収められればいいが、それは望み薄。雲を掴むような話だ。


 仮に武田が滅亡したとすれば、後は地獄でしかない。上杉と北条の関係は最悪だ。現在の上杉家当主景勝は、ライバルだった景虎(北条氏政の弟)を殺した。北条からすれば上杉は身内殺しの仇敵。手を組むはずがない。孤立し、すり潰されるだけだろう。


 勝頼はさらに北条家へ援軍を求めようとした。対応としては遅いが、これは仕方がない。というのも、動員には若干のタイムラグがあったからだ。それで情報が届くタイミングがずれ、判断が遅れたのである。


「御屋形様。北条家から使者が参っております」


「おお! すぐに通せ!」


 使者を出そうとしていたそのとき、折よく北条家からの使者がやってきた。勝頼はすぐに面会する。用件を聞いたら援軍の件を切り出すつもりだった。しかし、


「本日は手切れをお伝えするために参りました」


「「「……」」」


 場を沈黙が支配する。誰も何も言わない。言われたことが呑み込めないのだ。


「す、すまない。使者殿。もう一度聞かせてくれぬか?」


「何度でも申し上げます。我ら北条家は武田家と手切れといたします」


 聞き間違いではないかという一縷の望みは、使者がはきはきとした声で言葉を反復したことで打ち砕かれた。嫌でもこれが現実であることを思い知らされる。


「な、なぜだ……」


「なぜ? なぜとはまた面白いことを仰られますな。本当に理由がおわかりでない?」


「……」


 心当たりはあるが、それを言うことは憚られた。しかし、使者はずけずけと物申す。


「我が仇敵、上杉家と和した上、三郎様(上杉景虎)への援軍に赴きながらも北信と上野を譲り受ければ掌返し。和睦が破られても何ら行動をとらない。このような家との関係を維持することはできません」


 それは氏政たち北条一門の総意であった。真面目に戦って力及ばなかったなら責めることはない。だが、武田家は援軍を引き受けておきながら、ろくに戦うこともなく景虎を見殺しにした。それどころか、自分は領土を譲り受けている。こんなことをしておいて仲よくしましょうと言われても、ふざけるなとしか言いようがない。


 戦国の世は非情である。ゆえに、右の頬を打たれたなら左の頬を差し出す、などという友愛精神は通用しないのだ。


 だが、ここで北条までも敵に回られると、武田はほぼ終わりである。勝頼は必死にこれを思い留まらせようとした。


「さ、三郎殿は上杉家の人間ではないか」


 そして地雷を踏み抜く。


「なるほど。他家に入った者はもはや関係ない、とそう仰られるのですな」


「そ、そうだ」


「しかし、それは解せませぬな」


「どういうことだ?」


「もしその通りだとすれば、なぜ一条殿(信龍)や穴山殿(信君)たちは一門衆に列せられているのでしょう?」


「……」


 勝頼は黙った。矛盾しているからだ。しかしここで諦めてはならない、と必死に頭を回転させて言い訳を考える。


「一条や穴山は武田の分家だ」


「なるほど。では諏訪家はどうなのです?」


「むっ」


 痛いところを突かれた。あるいは一条や穴山はジャブだったのかもしれない。諏訪家を話題に上げ、これを以って勝頼を批判しているのだ。


 勝頼は信玄の四男として生まれ、諏訪家を継いだ。兄たちが後継者レースから脱落したため棚ぼた的に宗家の家督を継いだが、本来は諏訪家の人間である。だが、勝頼の論理が正しいとすれば彼は家督を継ぐ資格はない。完全なブーメランだった。


「北条はそれでよいのか? 我らの力は要らぬと?」


 反論する余地がないため、勝頼は話題を変えた。それでいいのか、というのは武田家との関係を断ってやっているけるのかということだ。武田家との同盟がなくなれば、北条家は周りすべてが敵になる。大変な思いをするぞ、と脅したわけだ。


 しかし、それは脅しにはならない。なぜなら北条家は既に信長たちと提携関係を結ぶことで合意しているからだ。それで囲まれることになるのは武田家の方だ。実情を知っている側からすれば、勝頼の言葉が彼自身にそっくりそのままブーメランとして突き刺さる。


 すべてを知る使者は心のなかで冷笑しながら、


「問題ありません」


 と自信満々に言い切った。


「見ると、戦支度が整っているご様子。我らがお相手仕りましょう」


 ついでに事実上の宣戦布告がなされる。本国では既に動員が始まっていた。具房が里見氏などと話をつけているため、難色を示す佐竹への抑えは置いているものの、北条家のほぼ全軍が武田攻撃へ向かう。


 北条家の援軍が状況を打開する唯一の策。一筋の光明。蜘蛛の糸だっただけあり、勝頼の怒り様は相当なものだった。叩き斬ろうと刀に手をかけたが、さすがに家臣たちが止めた。戦国の習いに反した行動は武田家の恥になる、と。


「後悔しないことだな!」


 勝頼にできたのはそう吐き捨てて使者を追い返すことだけだった。


 その後、兵力の割り振りを再考する。新たに増えた東部戦線にも若干の兵を割かなければならない。上杉家に援軍を要請したが、既に断られている。こうなれば自分で何とかするしかない。


 勝頼は思案の末、後世でいうところの機動防御を考えついた。国境にある城砦に徹底抗戦を命じ、時間を稼ぐ。勝頼は本隊を率いて侵攻してきた味方を順次、救援していくというものだ。これなら総合的には劣勢でも、局地的には優勢になれる。敗戦が続いたことで数こそ減っているが、精強な騎馬隊ーーつまり自らの強みを活かすことのできる戦術だ。


 だが、問題がないわけではない。致命的な問題として、同時に攻められれば終わるというものがあった。


(せめて少しでも時間差があれば……)


 ほんの少しでもいいから侵攻のタイミングをずらしたい。できなければ滅亡待ったなし。勝頼は必死の外交工作を行った。


 まず徳川と北畠は止める術がない。駿河、遠江の諸城には「一歩も退くな」という厳命を出していた。


 北条には北関東諸侯を嗾ける。これで敵の狙いであろう上野に攻め込む敵の数を少しくらいは減らせるはずだ。厩橋城の北条高広や真田昌幸らにも同じく「一歩も退くな」と命令する。


 そして織田には、人質とされていた信長の五男・御坊丸を返還することとした。これで関係が多少なりとも改善し、北条へと注力できればと考えている。信長との関係が改善すればセットでもれなく具房もついてくるだろう。気に入らないが、滅ぶよりはマシである。北条をどうにかした後、叩き潰せばいいのだ。


 だが、これらの試みは上手くいかない。北関東諸侯は佐竹家を除いて冷淡な態度をとられ、関係の構築に失敗。北条軍が当初の予想を超えた規模で侵攻して来そうな状況になった。


 織田家にも御坊丸を返したものの、あっそうのひと言で済まされてしまった。宥和ムードなど微塵も生まれず、今もなお岐阜城には軍が集っている。


「伊予守(木曾義昌)に守りを固めるように伝えよ」


 勝頼は仕方なく対応を指示した。数日後、織田軍が岐阜を発ったとの報告が上がる。これに対応するため、まず武田信豊率いる先鋒部隊を派遣。やや遅れて揃った兵一万五千を率いて勝頼は後に続いた。




 ーーーーーー




 ところ変わって岐阜。房信は軍勢の召集を終え、信濃へと軍を出しつつあった。


 先鋒は森長可。その兵力は五千。


 房信率いる本隊は二万。ここには織田家一門衆も含まれ、他に軍監として滝川一益も同行している。信長は弱ったとはいえ武田は強大であり、作戦に際しては老練な一益とよく相談するように、と言いつけていた。


 その後ろからは信長直率の畿内軍が進軍してくる。こちらも二万五千という大軍で、合計すると織田軍のみで五万五千を数えた。


 うち、精鋭と目されるのが信長の馬廻り衆、房信の馬廻り衆、滝川軍だ。数にして五千にも満たないが、鉄砲は無論のこと大砲まで装備しており、対人火力は高い。特に石山での戦闘で消耗していない房信、滝川軍は弾薬も潤沢で、武田軍と遭遇すればその火力で打ち払うつもりだった。


「まずは木曽へ向かうぞ」


 房信は第一目標を木曽とした。これは信長からの指示である。武田攻めが決まった後、信長は木曽を支配する木曾義昌に接触していた。義昌は信玄の娘を妻に迎え、武田一門に連なっている。が、それは飛騨や美濃の国境に領地を持っているからであり、一門とはいえいい扱いを受けていない。武田の尖兵として国境で戦い続きの日々を送る。使い潰されていると感じながらも強い武田の一員として戦うことは、武士としての闘争心が満たしてもいた。


 しかし、勝頼に代替わりすると様相はまったく異なる。連戦連敗で、兵を出しては大きな被害を受けた。あるいは味方の尻拭いをさせられ、何度命の危険を覚えたことか。数えればきりがない。


 さらに、勝頼の代になって義昌の扱いはより悪くなった。負け続けて武田の力は衰えていく。それを回復するために、配下に対して重い賦役と税を課したのだ。新府城の造営が始まると負担はさらに増す。


 義昌の本拠地である木曽は林業が盛んで、極貧というわけではない。多少の負担は受忍するが、領民を飢えさせてでも武田を支えろという勝頼にはもはや付き合いきれなかった。そんなとき、信長から寝返りを打診される。義昌の葛藤を諜報から見抜いたのだ。


 信長の要望は信濃の道案内だった。山道には地元の人間しか知らないような抜け道が多い。それを使った奇襲を防止するためにも、地元の人間の道案内はほしいところだ。見返りは本領安堵は無論のこと、追加で北信濃二郡が提示された。


 義昌としては甲斐で人質となっている嫡男と娘、実母が気になるところ。だが、勝頼のことだ。降伏すれば人質を殺すだろうし、自分が死ねば嫡男を立てて木曽奪還を試みるはずだ。そのとき、織田家が助命してくれるとは限らない。どの道、嫡男は助からないのだ。ならばと義昌は領地を保つ道を選んだ。織田方への寝返りを決断し、先鋒の森長可たちを迎え入れる。


「武門の意地はないのですか!」


「そなたの兄(勝頼)に使い潰されることを武門の意地とは言わぬ」


 義昌の妻・真理姫はこのことに激怒した。だが、既に織田軍が領内に入っており、逃亡しても追いつかれて捕らえられることは明白。そこで彼女はまだ幼い三男を連れて寺へ入って抵抗の意思を示した。とはいえ、武田の圧政に怒りを覚えていたのは領民も同じ。支援する者はおらず、孤立無援という状況だった。


「捕らえましょうか?」


「放っておいていいだろ。何もできないさ」


 長可はそう判断した。先鋒部隊は木曽軍を吸収して松尾城を目指す。その途上で武田信豊率いる木曽救援軍(義昌の裏切りを知ってからは懲罰軍)と遭遇した。


「武田軍と遭遇しても、本隊が到着するまで手は出さぬようにとのことですが……」


「平八郎(団忠正)。オレたちは手を出したんじゃない。手を出されるんだ」


 屁理屈をこねて長可は合戦を決断する。


「裏切り者に罰を与えよ!」


 信豊はおよそ二千と小勢な森軍を見て、血祭りに上げてやると攻撃を命じた。


「かかってこいや!」


 長可は愛槍・人間無骨を振るい武田軍の攻撃を正面から受け止めた。しかし倍以上の兵力を誇る敵に、森軍は苦戦を強いられる。


「ふん、この程度か。尾張兵はやはり弱兵よ。それ、押し切れ!」


 信豊は戦力を一気に投入し、勝負を決めにかかった。そのとき、


「武田の背後を突くぞ!」


「これまでの恨み、晴らしてくれん!」


「それっ! かかれ!」


 武田軍の背後を団、河尻、木曽軍およそ三千が急襲した。義昌の案内で抜け道を使ったのだ。武田軍はこれを知らず、挟撃を受ける。戦力を注ぎ込んでいたため予備戦力がほぼなく、いきなり大将(信豊)が危機に陥ることとなった。


「くそっ! 引け! 撤退だ!」


 勝ち目がないと悟ると、信豊は撤退を開始する。が、大半は森軍に釘づけにされており、逃れられたのはわずかに信豊とその周りにいたわずかな兵だけだった。残りは討たれるか降伏している。


 信豊はその後も激しい追撃を受け、松尾城に入るのを諦めて勝頼率いる本隊への合流を目指す。織田軍に追い回される信豊の姿を見ていた松尾城主・小笠原信嶺は孤立無援となったことを悟り、織田軍に降伏した。








 戦国版、国防人民委員令第227号発令

 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 左の頬云々はマタイ伝(聖書)では? ハンムラビ法典なら復讐法なので、左の頬を打たれたら、左の頬を打ち返すではないでしょうか。
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