兜割り作戦
【読者の皆様へ】
いつも誤字報告ありがとうございます。今回は少しご説明しておきたいことがあり、前書きを書いております。
前回の誤字報告で『甲佐同盟』は『甲常同盟』が正しいのでは? というご指摘をいただきました。作者の方で調べてみたのですが、『甲佐同盟』が正しい呼び方です。これを提唱したのが丸島和洋氏(大河ドラマ『真田丸』の時代考証を担当し、放送後にTwitterで解説をされていた方なのでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか? 現在は東京都市大学で教鞭をとっておられます)で、佐竹家の家臣が書いた同時代史料に武田を「甲」、佐竹を「佐」と書いてあることから両者の同盟を『甲佐同盟』と称したそうです。なぜ佐竹だけ名字からとったのかというと、丸島氏曰く、北関東から東北には国単位の勢力が存在しなかったため、名字を用いるのが慣例となっていたため、とのことです。
ーーーーーー
伊勢に戻った具房は毱亜を見舞う。お腹を大きくした彼女は縁側から庭を見ている。お市によれば、たまに侍女の付き添いを得て庭を散歩しているという。庭は毱亜のお気に入りスポットらしかった。
そんな彼女の周りには具房の娘たちがいる。宝をはじめ、嫁入りが近い年長組が多い。誰もが毱亜を労っている。自分がそうなったときのことでも考えているのだろうか、具房にはよくわからない世界だ。しかし、ひとつだけいえるのは、
(もうすぐ宝は結婚か……)
宝は去年十六歳となり、本来なら蒲生治秀と結婚しているはずだった。だが、直前に石山攻めが入り、治秀が所属する大和兵団が出征することになっため、挙式が見送られたのである。刻限が伸びたことで、具房が小躍りしたのは秘密だ。
そして今回もまた武田攻めということで、式は再び延期された。大和兵団は参戦しないので式を挙げてはどうかという意見もあった。実際、花嫁側はほとんど何もしないのだから妥当なところではある。が、これは具房が全力で阻止した。
『娘を見送ることもできないなどあり得ない!』
と、誰も見たことがないほど怒りを露わにした。お市や葵が何とかなだめたものの、数日は不機嫌だったという。この一件で具房の家族愛の強さが改めて知れ渡り、彼に対する結婚の催促は禁止という不文律が家中に生まれた。
閑話休題。
「あっ。お父様、お帰りなさいませ!」
光が具房に気づく。
「「「お帰りなさいませ」」」
彼女に続いて、毱亜を囲んでいた娘たち全員が挨拶した。ただいま、とそれに応えつつ具房は毱亜に目を向ける。そして、
「ただいま帰った。変わりはないか?」
と、慈しみを込めた目と言葉で彼女を気遣う。
「大丈夫でス」
お市も葵も自身が、あるいは身内が何度も出産したことでお産には慣れている。初産の妊婦の面倒を見るなど簡単なことだ。
二人が、さらにいえば周りの侍女なども含めて泰然としているので、最初は不安だった毱亜も落ち着いている。だから何も問題はない、と毱亜は応えた。
「それはよかった」
安堵したが、
「すまないな、どうも立ち会えそうにない」
と続けた。これが石山攻めのように単独での動きなら、予定を繰り延べしてでも出産に立ち会うところだ。しかし、武田攻めは他家との合同作戦。作戦の立案は終わり、初動の刻限は決まっている。出産に立ち会っている暇は、残念ながらなかった。
「頑張ってくださイ」
毱亜は一瞬、悲しそうに目を伏せる。が、すぐに具房を見つめて激励の言葉をかけた。その心遣いがとてもありがたい。
「必ず勝ってくる」
それがお腹の子への誕生祝いだ、と具房は勝利を誓った。
翌日、休む間もなく具房は駿河へ向けて旅立つ。鶴松丸も今回の戦で初陣となる。十五歳となり、軍学校や実地研修も修了した。本人曰く、大名の息子が雑兵に交じって泥まみれになりながら訓練する姿に、兵士たちは奇異の目を向けられたという。最終的には「仲間」として受け入れられたらしいが。
「気をつけなさい」
「はい。母上」
「兄上。来年は自分も初陣ですから」
「先にやるぞ、亮丸」
「すぐ追いつきます」
お市は鶴松丸の身を案じ、兄弟でも特に仲のいい亮丸は激励を送っていた。亮丸の場合、来年は自分の番だから油断するなと挑発してさえいる。よきライバルだ。
もっとも、具房がそうであるように鶴松丸を最前線に立たせるような真似はしない。とりあえず、今は戦場の空気を知っていればいい。
「では行ってくる」
「「「いってらっしゃい!」」」
家族に見送られ、具房たちは駿河に向けて行軍を始めた。従うのは三旗衆。伊勢、伊賀、志摩兵団は既に現地にいる。後は具房たちだけだ。
今回は陸路で駿河を目指す。船を使った方が楽で早いのだが、今は物資輸送に忙殺されていて数千の人間を乗せるスペースはなかった。
途中、立ち寄ることになる岡崎などで徳川軍の動員の様子を見るが、順調そうだ。諜報によれば、この動きを察知した武田も動員を開始しているという。とはいえ動きが遅い。これならば先手をとれそうだ、と具房は安堵する。
着陣すると北条家に使者を飛ばす。同盟を受けるか否かを聞くためだ。この件に関しては具房に全権が与えられていた。つまり織田、北畠、徳川、浅井同盟に北条を加えるかは具房の考え次第、というわけだ。
なぜこんなことになったかというと、文書をやりとりしていたのでは作戦の期日に間に合わないからだ。ちんたら調整していたのでは武田の動員が終わってしまう。だからもっとも近い位置にいる具房にすべてが任されたのだ(家康は遠江に行っている)。
(これで拒否されたらどうしよう……)
ついそんなことを考えてしまう。実際にそうなったときに備えて修正案も考えている。だが、調整が面倒だなと思う。これが中間管理職というものか、と胃が痛くなった。
「無駄になればいいが……」
杞憂に終わればそれでいい、と具房。祈るような気持ちで使者の帰りを待った。
それからおよそ一週間後、使者が帰ってきた。北条家の使者を連れて。
「お初にお目にかかります、内府様(具房)。拙者は北条陸奥守(氏照)と申します」
「相模守の弟か。噂は聞いている」
「恐縮です」
北条家の交渉窓口である氏照自ら来たのは、具房がわざわざ出向いてきたからだ。内大臣という、朝廷のトップ層に位置する具房に対して使者を出して終わりというわけにはいかない。当主が来れないまでも、それなりの立場にある人間を寄越さなければならなかった。氏照が来たのはそういう理由である。
「貴殿が来たということは、返事が聞けるのかな?」
「はい。小田原評定にて決定されたことをお伝えしに参りました」
「聞こう」
緊張の瞬間。たった数秒のことなのに、五分や十分にも感じられた。そして氏照の口から返答がある。
「右府様(信長)ならびに内府様のご高配に感謝申し上げ、ありがたくお受けいたします」
「っ! そうか!」
具房は飛び上がらんばかりに喜ぶ。面倒なことをしなくて済む! と。が、その本音は隠して、
「よし、これから我らは盟友だ。共に手を携えていこう」
数週間前、信長に言っていたことをよくよく思い出せ、と突っ込みたくなるような言葉を氏照にかけていた。
同盟が無事に成立したことは、すぐに信長たちに知らせた。また、氏照には作戦計画とある物資を渡す。
「間に合うか?」
「問題ありません」
丁度、兵を出すところでしたので、と氏照。これで楽になると笑っていた。その夜は例によって同盟成立を祝う宴が開かれる。陣中にもかかわらず出てきた料理のレベルに氏照は圧倒された。
(これが上方の軍か)
もちろんそんなことはない。北畠軍が異常なだけだ。しかし氏照はそのように認識し、氏政や氏直も彼の報告から上方の軍は戦陣でも美味いものを食っている、という誤解が広まるのだった。
翌日、具房は帰国する氏照を見送る。昨晩、彼が気に入った酒や保存がきく食品をお土産に持たせた。そこには無論、氏政たちへ宛てたものもある。
「今度は甲斐で会おう」
「必ずや」
ここでも具房は甲斐での再会を約束した。
氏照の姿が見えなくなると、具房は司令部天幕へ入る。北条家との同盟が成立して計画が本格的に始動したため、作戦計画も機密指定が解かれたのだ。天幕の中には既に主だった幹部が集まっていた。
「それでは武田領侵攻作戦ーー作戦名「兜割り」について説明します」
参謀が指揮棒を持ち作戦を説明する。「兜割り」という作戦名は、武田家の家宝である楯無の鎧を割る、つまり武田を打ち倒すことを意味している。
「作戦第一期は武田領への侵入です。一番手は美濃の織田左近様(房信)。二番手が三河、遠江の徳川駿河守様(家康)。三番手が北条相模守様。最後が我々です」
断続的に侵入することで武田軍の対応が間に合わなくなることを狙っていた。ベストは戦力の逐次投入による各個撃破だ。もっともそれは理想論。現実には主力とぶつかった軍が責任を持って処理することになっていた。
総兵力では武田と比べるのも馬鹿らしくなるほど差があるが、一軍だと戦力が武田軍と拮抗する場合もある。消耗した状態で敵主力と激突すれば負ける可能性もあった。地の利は敵にあるのだから、油断はならない。
そこで考え出されたのが決戦思想だ。電撃戦理論に基づき、敵の防御拠点(城や砦)を迂回して敵領深くに侵攻する。遭遇戦は仕方がないものの、なるべく戦力の消耗を防ぐ。敵主力と激突した場合は無理に勝とうとはせず、遅滞戦術などを駆使して釘づけにする。時間を稼げば稼ぐほど他から攻め入っている味方が楽になるのだ。
急報に接して敵が動揺したところが狙い目。反転したところへ攻撃を仕掛ける。殿はいるだろうが、これを各軍が多少なりとも保有する火砲で打ち崩し、敵主力へと打撃を与えるのだ。戦いの原則として、死傷者が続出するのは退却戦(追撃戦)である。複数の軍が攻め入っている利点を活かした作戦だった。
「続いて、我々の動きについて説明します」
動きとはいっても、ルートが細かく決められているわけではない。最終的な目標が甲府というだけで、具体的なルートは実際に敵がどこに布陣しているか、主力がどう動いているのかによって決定される。
何にせよ、まずは峠の麓にいる武田軍を追い払わなければ始まらない。初動は一斉攻勢だと誰もが理解していた。
「自分にやらせてください!」
志願したのは伊賀兵団を指揮する藤堂房高。具房に対する忠誠度がかなり高い。また活躍することがご恩返しだと、何事にも積極的だった。
「俺たちに任せてくれ!」
そう負けじと名乗り出たのが柳生宗厳。殴り込み部隊こと志摩兵団の指揮官である。
「伊勢兵団の準備は整っています」
静かに名乗り出たのが権兵衛。伊勢兵団の団長だ。参加している部隊すべてが先陣を望んでいる。普通ならどこにしようかと悩むところだが、具房の腹は決まっていた。
「伊勢兵団には砲撃支援を命じる。志摩兵団はその支援の下、敵陣に突入せよ」
「了解です」
「わかった!」
命令を受けた二人は喜びを露わにする。対して命令を受けなかった房高はこの世の終わりみたいな顔をした。具房は大袈裟だと苦笑する。
「早合点するな。まだ命令は終わっていないぞ?」
一拍置き、
「伊賀兵団は峠の武田軍を排除後、全軍の先鋒として甲府を目指すように。道程の選択権はすべて団長に一任するものとする」
と言った。それは事実上の全権委任であり、信頼の現れである。
「必ずや一番乗りを成し遂げて見せます!」
房高は感激し、甲府への一番乗りを約束した。
ちなみに、なぜ伊賀兵団を先鋒にしたのか。それは彼らが山岳での行動に慣れており、山がちな甲信地方で素早く行動できるからだ。
伊賀兵団は装備も山岳戦に向けたものになっている。たとえば大砲。これはすべて「山砲」で占められていた。普通の大砲は馬で曳くが、山砲は分解して人間が運べるように工夫されている。これによって道が悪いところでも砲兵が円滑に行動できた。
また、補給面も考えられている。伊賀兵団は地形が悪い場所での交戦を主眼に置いていた。しかしそういう場所は道が悪く、補給が滞る可能性がある。そこで伊勢兵団など通常の部隊は兵士ひとりにつき六十発を携行しているのに対し、伊賀兵団や志摩兵団、三旗衆といった精鋭は百二十発を携行。多少、補給が滞っても継戦能力が落ちないようになっていた。無論、銃弾だけでなく砲弾や食糧なども、定数が通常の部隊よりも多くなっている。
伊賀兵団はこのような特徴を持つ部隊であり、まさしく甲斐侵攻の尖兵にうってつけの存在だった。
「ではそれぞれ準備にかかれ」
「「「はっ!」」」
攻撃に備え、北畠軍の陣地は一気に慌ただしくなった。