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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十章
135/226

関八州

 



 ーーーーーー




 天正七年(1579年)になった。前年の暮れ、信長は右大臣に進み、具房も内大臣となった。武家が大臣職のうち二つを占めているという異常事態だが、朝廷は具房をあくまでも公家として扱っている。だから信長も文句を言えない。


 さらに年明けには信長が正二位、具房が従二位にそれぞれ位階が上げられた。石山を落とし、畿内を平穏に導いたことを評価した、というのが公式の理由だ。


「織田、北畠。両者相和し、泰平を実現せよ」


「「はっ」」


 二人は正親町天皇から勅を受けた。


 御所から出ると二人は仕事モードだ。年始は挨拶が多く、なかなか時間がとれない。この後も既に何件ものアポを入れていたり、入っていたりする。


 今年の目標は武田家の打倒。二人ともその意識を共有している。既に準備はほとんど終わっていた。


「後は北条がどう出るか……」


「上杉の乱で身内が討たれたのです。ここで何もしなければ、彼らの威信に関わります」


 具房は北条がこちらに靡くと確信していた。だから信長に待つよう言い含める。信長としては石山を独力で落とせなかった以上、ここで目立ちたいところ。やる気十分で、既に各方面の準備は終えていた。後は命令するだけで武田討伐の大作戦が動き出す。


 その日は予定があるため、独断専行はなしということを確認するだけで終わった。二人はその後すぐに年始の挨拶をしたり受けたりする。当初はしに行くばかりだったが、今となってはこちらから訪ねる家は摂関家や本家の久我家など、指折り数えるほどだ。立場の変化を最も感じる瞬間だ。


 家にいれば向こうから勝手にやってくるので、年始の挨拶は昔ほど苦ではない。こうして移動時間が削られたことで、大名としての仕事にもかなりの時間を割くことができた。


 こちらは相変わらず大変だ。大量の書類を読んでは決裁していく。領地が広くなるにつれて出来ることもやりたいことも増えていっている。大変だが、とてもやり甲斐があった。もちろん家族との時間も忘れない。産まれたばかりの福丸をあやし、敦子や蒔とも仲を深める。


「ご機嫌ですわね、あなた様」


「……御所様(具房)、楽しそう」


「楽しいぞ。福丸の成長を見るのは」


 福丸を抱いているときに言われたので、てっきりそのことだと思って返事をする具房。だが、妻たちからそうではない、と指摘される。


「最近、楽しそうにお仕事をされているな、って思いましたの」


「……生き生きしてる」


「あ、そういう……」


 言われてみるとそうかな? という気分になる。最近はやらなければならない仕事が落ち着き、新規の事業計画を練っていた。今の北畠家には何が必要なのかを考え、事業を興していく。先進的な技術をいかに戦国時代の技術レベルで実現させるかーーそれを考えるのは大変だが、楽しくもある。彼女たちはそれを指しているのだろう。


「それは結構ですが、わたくしたちのことを忘れないでくださいね」


「もちろんだとも」


 楽しいからといって仕事に打ち込むほど具房は真面目ではない。適度な息抜きはむしろ望むところだ。


 私生活は楽しいが、京の生活全体は気苦労が絶えない。公家との付き合いは家格や歴史、伝統などなど様々な要素を勘案して行わなければならず、かなり疲れる。そして、これをさらにややこしくしているのが信長だ。


 信長は鳴かないホトトギスを殺してしまう系男子で、武田討伐だと気炎を上げている。北条参加まで待つようなだめるのに具房は苦労していた。


(そろそろ使者を送っているだろう)


 具房はそう思って気を強く持つ。もっとも、仮にそうだとしても届くにはまだしばらく時間がかかる。その間もなだめ続けねばならない。ネットは偉大なものだと改めて感じる。地球の裏側にいてもほぼリアルタイムで情報が伝達されるのだから。


(早くしてくれ)


 具房まで焦れてきた。毎日、胃が悲鳴を上げていて落ち着かない。そんなある日、京の屋敷で執務をしていると家康からの書状が届いた。


「何だ?」


 武田が攻めてきたのかと思ったが、そういうわけではなかった。用件は彼の領地を訪ねてきた珍客について。それは国境でバチバチと睨みあっている敵、北条家から同盟を打診されているどうしよう? といった手紙だった。


「しまった!」


 具房は思わず声を上げる。己の大きな失敗に気づいたからだ。


 今回の武田侵攻は徳川家には伝えていない。徳川領内で大規模な動員が確認されると、武田が警戒して国境を固めるかもしれないからだ。抜けなくなるわけではないが手間がかかる。できるだけ楽をしたい、というのが具房の本音だ。なので、家康には何も伝えていない。


 とはいえ、大量の物資が長島から駿府に運ばれている。対外的には定期輸送だが、通常の商船にも物資を乗せて密かに運んでいたりと、集積は完了していた。事情を知っている本多正信ならば、具房の意図を看破しているかもしれない。


(だから使者が来たのか?)


 具房たちに話を持って行った方が早い、と正信が判断した可能性は十二分にあった。


 その真相はともかくとして、今は北条の使者を京へ呼び寄せるのが先だ。具房は返信を書くとともに、武田攻めの作戦を武官に持たせて派遣した。


 しばらくして、北条家から待望の使者が到着する。信長と時間を合わせて面会した。


「北条相模守(氏政)よりの書状です」


 差し出されたそれを信長、具房の順で読む。使者は二人(笠原康明、間宮綱信)だが、まさか信長と具房の両方に一気に会えるとは思っていなかったのか、かなり緊張した面持ちだ。


(こっちから誘ったんだけど、そんなに警戒するか?)


 今のところはとりあえず、仲よくしてくれればそれでいいのだ。難しいことは後から考える。


 書状の内容は単純明快。武田との同盟を破棄し、信長と協調関係を築くというものだ。文言としては『関八州を見参に入れん』とあるので従属に近しい。とはいえ、それはリップサービス。北条家の勢力を考えれば、とても従属勢力とは見做せない。北畠家のように、パートナーのような存在になるだろう。


 さらに氏政は隠居し、家督を氏直に譲るとあった。自分の隠居を以て敵対していた時代を清算し、息子の代で新たな友好関係を築いてください、という意思表示だ。


(ま、実権は氏政が握るんだろうがな)


 彼の父・氏康も同じだった。蛙の子は蛙というが、その格言は正しいのだろう。とはいえ、それは安定的な継承ができているという証左であり、戦国大名としては満点だ。


 また、同盟の安全保障として信長の娘と氏直との婚姻も条件に含まれていた。


「相わかった。返書は後日。今日のところはゆるりと休まれよ」


「「お心遣い、感謝いたします」」


 使者を返して二人になった具房たちは協議を始める。とはいえ、受け入れることは規定の方針であり、話すのはその条件について。


「義弟殿の勝ちだな」


「そんなことは……」


「いや、上杉の内乱から北条の離反まですべてを読んでいた。千里眼の持ち主だな」


 信長は正直、本当にそうなるのかと疑っていたという。理屈は理解できるが、そう上手く行くのかと心のなかでは疑っていた。しかし、蓋を開けてみると面白いように予想は的中する。


「そ、それより北条に出す条件を話しましょう!」


 褒め殺しにされた具房は強引に話題を変える。信長という戦国史上の大スターに褒められて悪い気はしないが、知識チートであるがゆえに申し訳なさが先に立つ。


 が、具房は気づいていない。御館の乱は本来、年を跨ぐ長期戦になるはずだった。それを景勝への援助によって短縮し、年内までに終わらせている。かといって、景勝が楽に勝てたかというとそうではない。景虎にも若干の援助を行い、互いに消耗させている。結果、上杉家は大きく力を落とすことになった。それも具房が裏から手を入れたからだ。


 そして、そんなことができたのは、具房が各地に通商網を構築し、工業化を進めていたからだ。基礎的な工業力、技術力がなければ船を大量建造できないし、他家に輸出するほどの武器(特に鉄砲と火薬)は生産できない。つまり、御館の乱は具房がこれまでやってきたことの集大成ともいえるのである。信長の評価は妥当であった。


「それで北条への条件だが、関東をどうするか……」


 信長が悩むのは理想と現実の不整合だ。北条家が理想とするのは関東の独自支配。それは『関八州を見参に入れん』という文言からも確認できる。私は関東を領有した上で従います、という意思表示だ。先祖代々の宿願ということで相当、思い入れが強い。


 しかし、現実は異なる。上野は上杉や武田の勢力を排除できず、下野や常陸などもほとんど手が出せていない。房総方面も里見氏を撃破するには至らず、支配には程遠い。こんな状態で関東を支配したい、と言われても困ってしまう。だからこそ、落とし所を見つけなければならなかった。


「いっそ諦めさせるか」


「それは難しいかと。名目だけでも関東支配を実現しなければ」


「どうするのだ?」


「そうですね……」


 具房は腕を組んで思案する。手っ取り早いのは武力を使うことだ。しかし、怠い。現代であれば関西から関東へ行くなど何でもない。新幹線なり飛行機であっという間に行ける。だが、この時代は大変だ。どうしても手段がないときにしか使いたくない。そんな怠惰な根性がある案を導く。


「千葉家のように、姻戚関係を結んだ北条優位の緩やかな関東支配、というのはどうでしょう?」


 お家騒動によって勢力を落とした千葉家。北条家は婚姻を結んで自身の傀儡とした。その度合いは強く、関東のすべての勢力が敵に回った時期でさえ味方している。


「しかし、関東の諸侯が従うだろうか?」


「そこは交渉次第かと」


 そうは言うものの、具房は(国際関係論における)リアリスト。ペンの力を否定するわけではないが、最後の武器である剣(武力)を用意しない、使わない理由はない。ここでいう交渉で頼むべきは当然、武力である。


「わたしは関東の諸侯とそれなりの付き合いがあるので、話くらいは聞いてくれると思います。義兄殿は伊達や最上と連絡を。最悪の場合、そちらから圧力をかけましょう」


 無論、北条からも圧力がかかる。これで大半の領主は受け入れるしかないだろう。南北から挟み撃ちされれば、弱小勢力はとても抵抗できない。


「佐竹は受けるか?」


「難しいところですが、受けないと思います」


 具房はそう予言する。岩城などにも勢力を伸ばしつつある常陸の佐竹家は圧力を受けても抗戦できるだけの力があった。この時代、判定勝ちすら見込めないほど圧倒的な差がない限り、脅迫されたからといってはいそうですか、と要求を呑むはずがなかった。


「武田と同盟し、逆に北条を挟むかもしれません」


 所謂、甲佐同盟である。


「……なるほど。そういうことか」


 ここまで話が進んだところで、信長はひとり納得する。具房の論法が見えたからだ。


 佐竹は敵の敵は味方理論で、武田家と同盟を結ぶ。それで北条家からの圧力を幾分か緩和することが狙えるからだ。しかしそれは信長たちへの牽制材料とはならない。佐竹家と信長たちは領土を接していないからである。


 そして、北条との同盟が発効されれば、直ちに連合軍が武田領へと侵攻を開始する。上杉家は国内の反乱分子、攻め寄せる外敵への対応で手一杯。佐竹家は領地が遠い。援軍など見込めない状況だ。武田軍もここ最近は弱体化しており、攻略には一年かからないと考えられる。負けるなど微塵も思っていない。むしろ、質・量ともに勝った状態で負けたとあれば、後世までの笑いものだ。


 武田家が滅ぼされれば、佐竹は寄る辺を失うことになる。背後を気にしなくてもよくなった北条家にすり潰されることになるだろう。降伏か滅亡か、どういう形で決着がつくかは知らないが、最終的には北条家の勝利に終わるはずだ。だから、佐竹家がどう動こうと、この際関係ないのである。既に勝負は決まったも同然なのだから。


「悪くはない。が、これでは北条が大きくなりすぎないか?」


「たしかに、関東は未だ未開の地。ここを一円支配するとなると、侮り難いものがあります。ですが、だからこそ婚姻なのですよ」


「はあ?」


 発言の意図がわからず怪訝な顔をする信長。そんな彼に、具房は己の考えを聞かせた。


「関東諸侯に話をする際、婚姻による連合はあくまでも方便だと説明するのです。別に家を嫡子が継がなければならないというわけでもありませんし」


 関東諸侯との婚姻によって北条家は実質的な関東支配、という実を得る。これでは関東諸侯が損をするだけ。このままだと武力をちらつかせて要求を呑ませることになるだろう。そこで、婚姻関係という曖昧な関係作りを勧める。


 具房が言ったように、嫡子だからといって家が継げるわけではない。この世は戦国。実力がものをいう世界なのだから。求めるのは北条家の女を妻に迎えることだけ。今なら信長たちの「感謝」もついてきます。「感謝」しているから、何か困ったことがあれば力になるよ、と。


 かなり迂遠な言い方だが、要するに関東諸侯は北条家の女を妻にする。信長たちが求めるのはそれだけ。別に正室から生まれた子に家を継がせなくてもいいよ。それから、要求を呑んでくれてありがとう。困ったとき、例えば北条家が無茶を言ってきたときには力添えをするよ、ということを関東諸侯に約束するのだ。


 こうすることで、北条家は宿願だった関東支配を実現できる。関東諸侯は実質的に独立を保って家を守ることができる。信長たちは関東情勢を落ち着かせることができる。誰も損をしない素晴らしい関係を築けるのだーーという安定と信頼の二枚舌ブリカス外交だ。


「関東諸侯をこちらに取り込み、関東支配の枠組みを崩すのです」


 これは別に裏切ったわけではない。信長たち中央は約束を履行した。関東諸侯が嫡子に家を継がせなくても、それは彼らの家の問題。それに中央が関知しないのは武家の伝統である、と言い訳ができた。また、仮に北条家が実力行使に出たならば、関東(あるいは日本)の平和を乱したとして、中央が実力行使する大義名分になる。


 かくして北条の関東支配を形式化させてしまおう、というのが具房の策であった。


「面白い」


 北条家には形式的なものを実質化してくれと言い、関東諸侯にはあくまでも形式だからと言う。なおかつこちらが非難されないように気を配った具房の策を、信長はえげつないと思った。だが面白くもある。痛快だ。


 この具房の策略を前提として、北条家による関東支配は容認されることとなる。ただし、上野(にある武田領)は上杉家との緩衝地帯として織田家のものにするという条件がついた。


 二人でまとめた案を引っ提げて使者と交渉する。焦点となったのはやはり上野。北条家としてここは譲れないらしく、頑として引かない。結局、上杉家との敵対状態が解消されるまで、という条件つきで織田家が北条家から上野を借りる、ということで決着がついた。


「色よい返事を期待しておるぞ」


「それと、これはわたしから相模守への書状だ」


「しかと受け取りました」


「お返事は早くにできると思います」


 関東支配をもぎ取り、使者たちは意気揚々と帰っていく。その後、具房たちもそれぞれ武田攻めを実行に移すべく行動する。具房は駿河へ向かうため、京を離れた。別れ際、信長と誓う。


「それでは義兄殿ーー」


「おう、義弟殿ーー」


「「甲府で会いましょう(会おう)」」


 と。








 見返して思うんですけど、具房ってかなりクズな性格してますね(どうしてこうなった……)

 

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― 新着の感想 ―
[一言] クズで上等、過酷な戦国の世の中ですものね。 面白いと思う信長さんも、流石です。
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