陸奥からの来訪者
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石山を見事に攻略した具房。戦地では廃墟と化した本願寺の片づけなどに兵士たちが従事している。色々と貴重なものを燃やしてしまったことには歴史学者として罪悪感を覚えるが、仕方がないと割り切った。
降伏した門徒たちは二つの道をたどる。ひとつは普通に故郷に帰る者。これが大半だった。帰る故郷がない者、身寄りのない者については北畠領内の開拓村や都市へと送り込んだ。今も昔も、とにかく人が足りない。急速な産業の進展によって、領内は慢性的に人不足であった。
今は戦国時代。日本全国で戦いが起きている。戦ーーすなわち戦争とは果てしない消費行動。ゆえに、物がいくらあっても足りない。需要は際限なくある。戦時工業さながらに生産が続けられた。
具房によって技術革新が起こされ、他所よりも大規模で品質がいいものを供給する。作っても作っても足りないので、生産が拡大し続けた。そうなると顕在化するのが人手不足だ。機械がないため、人力で生産している。生産力は人間の数に比例するから、生産量が増えるにつれて労働者数も増えていった。
そうなると北畠領内だけでは人が足りず、他所から集めることとなる。幸いというかなんというか、伊勢周辺ーー畿内と東海地方ーーでは頻繁に戦が起きていた。今のご時世では村を焼かれて住めなくなるとか、口減らしに追い出されるとかいう事例は枚挙に暇がない。そんな人間をスカウトし、人が足りないところへ送り込む。
津をはじめとした都市では工場労働者や土木作業員として、開拓村では人口増加に伴う食料増産のための労働者として、それぞれ需要は尽きない。また、このような手段をとってもなお人員が足りているわけではなかった。
(移民は大歓迎だ)
京へ向かう馬車のなかで、具房は今後について考える。北畠家は手広く商売をしていた。蝦夷と伊勢を繋ぐ商船が航行する東日本の太平洋沿岸を中心に、仲のいい織田信興が治める敦賀といった日本海にも手は伸びていた。信長には秘密だが、上杉家や北条家などとも取引がある。そういう相手には容赦なくぼったくっていた。
(四国が手に入ったら九州とも交易ができるか)
そこまで手が伸びれば、堺を通さずに大陸との交易ができるようになる。そこから先は未開拓のフロンティアだ。中国市場に直接、物を売れるのは大きい。東南アジアからの輸入品も。香辛料などはいくらでも欲しい。単価が安くなるのはありがたかった。
さて、北畠軍の兵士たちが働いているなか、具房だけが京に向かっているのには理由がある。それは信長に呼ばれたからだ。
「義弟殿。まず、石山攻略ご苦労だった」
「いえいえ。大したことはしていませんよ」
改まって言われるとむず痒い、と具房は軽く流した。しかし信長は軽く済ますわけにはいかない。何年も攻略できなかった石山をほんの数ヶ月、ただ一度の攻撃で落としてしまったのだ。
当然、報告は受けている。彼らがどのように戦ったのかを。これまで織田軍が撃ち込んだ砲弾数を遥かに超える量を使い、あまつさえ城壁を爆薬で吹き飛ばすなどという前代未聞の攻城戦を展開した。この戦いで一体どれだけの金が使われたのか、想像しただけで頭が痛くなる。北畠軍の強大さを改めて思い知らされた形だ。
「武田攻めは問題ないか?」
「ええ。石山が片づき次第、準備を始めます。遠いので、綿密に予定を立てて歩調を合わせていきましょう」
「うむ。倅(房信)にも連絡せねばならんな」
房信の名前が出たことで子どもの話になり、鶴松丸の元服をどうするという話になった。
「来年、年始にお願いしたく思います」
「わかった。準備を整えよう」
時期が決まり、武田攻めはその後にということになった。
「あ、そうだ。実は先ごろ駿府に行ったときに会った人がいましてーー」
具房は人払いを頼んだ上で、北条氏と接触したことを明かした。織田家との協力を彼らが前向きに検討してくれる、とも。
「越後の騒乱が片づけばこちらに味方してくれるでしょう」
「義弟殿は、三郎(上杉景虎)が負けると思っているのか?」
「ええ」
信長の疑問はもっともだが、史実を知っている具房はそう読んでいる。そしてそうなるよう、武器を景勝側に流していた。無論、景虎側にも流してはいるが、規模は小さい。趨勢が揺らぐことはないだろう。
「武田の仲介で一時は講和したようですが、すぐ破談になっています」
そして、講和の条件は予想通り、川中島と上野の所領を引き渡すことだった。越後へ侵入を試みた北条軍は国境で足止めを食らっており、いよいよ具房の予言が現実味を帯びてきている。
大体の話がまとまったところで具房は織田屋敷を出る。帰って子どもの顔を見るのだ。仕事はその後。
「帰ったぞ」
「お帰りなさいませ、あなた様」
屋敷では敦子を筆頭に出迎えを受ける。福丸の様子を訊ねると、どうやら寝ているらしい。
(先に仕事をするか。だが……)
寝顔だけ拝んどこう、と具房は福丸がいる部屋に踵を向ける。だが、敦子から待ったがかかった。
「お待ちください。お仕事が先ですわ」
「少し寝顔を見るだけだ」
「いえその……」
「どうした?」
「お客様がお待ちです」
「……」
それを先に言え、と具房。慌てて進路を変更した。
「お客様」がいる部屋に入った具房。そこにいたのは幼い子どもと保護者役らしい男がひとり。
「お初にお目にかかります」
保護者役が挨拶し、子どもたちが続く。話によると、この子どもたちは浪岡北畠家の一族、その生き残りだそうだ。彼らがここにいるのは、浪岡北畠家が滅んだから。大浦弥四郎(大浦為信)が突如として浪岡御所を攻撃。当主の顕村以下、主だった者は討死するか自害した。戦えない子どもたちが逃され、安東家に保護されたという。
「浪岡家再興のためにも、大納言様(具房)のお力をお貸し願いたいのです」
保護者役はそう言って頭を下げる。また、安東家当主の愛季からも書状を預かってきたと言われ、それを読んだ。書いてあることは同じ。浪岡北畠家再興に助力してほしい、というものだ。
「……」
具房は言葉が出ない。何から話せば、と困惑するしかなかった。
気持ちはわかる。だが、その支援を具房に求められても困るのだ。浪岡北畠家が拠点としていたのは青森県の辺り。具房たち伊勢国司北畠家の拠点は三重県。遠い。絶望的に。頑張れば何とかなるとか、そういう精神論が通用する世界ではない。
軍隊を送るには補給が難しい。物資を先に揚陸しておくにしても、準備に何年かかることか……。また、兵站を支えるだけの船がない。現地調達できるものならともかく、武器弾薬は伊勢から送る必要がある。それから食糧も。
現代では米所として知られる東北だが、この時代は稲作よりも畑作が多い。寒いから。だから食糧も運ばねばならず、それが補給を圧迫する。まさか、食べ物を買い上げて地元の人間を飢餓に陥れるわけにはいかない。
このような理由から、軍を東北に派遣しても継戦能力は低い。兵站能力に見合った兵力を派遣するとすれば、せいぜい一個大隊(約五百)だろう。ゲームチェンジャーになれるとはとても思えない。
物資を送るにしても、供給量が問題だ。ここでもやはり船の数が足りなかった。商売相手は彼らだけではない。目下、絶賛内乱中の上杉家にも莫大な需要が生まれているのだ。金がいくらあっても足りないので、儲けのチャンスは逃したくない。
ここら辺の理由を具房は丁寧に説明した。
「もちろん、協力しないというわけではない。だが、今は無理だ。時を待ってくれ」
「……承知しました」
この後、子どもたちを解放して保護者役と話を詰める。既に安東家はやる気らしく、為信を征伐して浪岡北畠家を再興するための兵を挙げることが決まっているという。その神輿として、子どもたちも連れ帰るとのことだった。ただし、例外がひとり。
「湊様のことはお願いいたします」
「わかった。大切に預かろう」
本家の娘である湊(当主顕村の娘)だけは具房の下で養育されることとなった。理由は、浪岡北畠家の血を絶やさないため。最悪の場合に備え、彼女を残しておくという。もしものときは、伊勢国司北畠家の一族から婿を出して浪岡北畠家の名跡を継げるようにする。こうすれば、少なくとも浪岡北畠家が断絶することはない。
「それでは御免」
翌日、一行は早々に帰っていった。一刻も早く動きたいらしい。
「手を貸されますか?」
「もちろんだ。できる範囲でな」
敦子の問いにこう答える。浪岡北畠家は遠い遠い親戚。現代人の感覚からすれば、そんな相手を助ける理由はない。だが、戦国時代ではーー弱まってきているとはいえーーそういう血縁は無視し得ない要素だ。
北畠家はいざというときに助けてくれる
そんな評判が、国人の懐柔や大名との交渉で役に立つこともある。しかも、支援の内容は物資を送ること。「送る」という言葉には「売る」という意味も入っていた。つまりこれは武器を売る商売。儲かる上に評判も上がる、具房にとっては一石二鳥な話だ。
武田攻めという大作戦に備え、長島から駿府へと物資の輸送が始まっている。さらに石山からの余剰物資の引き揚げ、兵員の移動、通常の交易と船が活用される場面は多い。領内各地にある造船所で建造が急ピッチで進んでいるが、需要が年々増大していくため、余裕はなかった。
(もう少し増やすか?)
あるいは和船の建造をより減らすか。しかし、徳川家も力をつけつつあり、北条家も間もなくこちらの味方になる。和船の需要は拡大することが見込まれるので、維持するか増やしたいところ。そうなると、やはり造船所を増やした方がよさそうだ。
具房は廊下で建設地を選定するように指示する。が、難しい政治の話はそこまで。それらを一旦すべて忘れ、福丸を可愛がるのであった。
丁寧な説明、と聞くとどうも胡散臭く感じてしまう最近です。