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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十章
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信長の決断

 



 ーーーーーー




 石山からの報告は信長に伝わった。普段の彼ならば信盛を叱責するところだが、こと石山に関しては諦観を覚えつつある。


「やはりダメか……」


 はあ、と深いため息を吐く。報告では大砲の弾を使い果たしたことも記されており、打つ手なしといった状況だ。どうしたものか、と頭を悩ませる。


(武田を攻めるためには石山を落としたい。だが、攻め手がない……)


 信長としてはかなりの砲弾を用意したつもりだが、攻略にはまだまだ足りないということがわかった。しかし、今回用意した以上の砲弾を揃えるとなればかなりの時間がかかる。北畠家から買うことも考えたが、金がない。


 他所から兵力を引き抜くことも考えたが、どこから引き抜くのかということになる。


 房信が率いる軍は武田への備えであり、攻めるとなれば主力となる軍だ。軽々しく動かせない。


 北陸軍は御館の乱で混乱している上杉家の隙を突いて越中方面へ攻め込んでいる。折角の機会だ。戦力を引き抜いて侵攻を停滞させたくない。


 中国軍は毛利軍と対峙している。明石での海戦で水軍の戦力こそ大きく削いだものの、陸軍は無傷。司令官の秀吉は苦労していた。そこから戦力を引き抜くほど、信長は鬼ではなかった。


 結局、どこも余裕はないという結論になった。天を仰ぐ信長。手はある。奥の手にして究極の一手がある。気づかなかったのではない。敢えて残しておいたものだ。使いたくはない。が、


(……背に腹はかえられぬ)


 信長は密かに決断を下す。そして、書状を認めるとそれを北畠家に届けるように言い渡した。


 書状が伊勢に届いたのは、具房が駿河から帰ってから間もなくというタイミングだった。


「義兄殿(信長)から?」


 具房は書状を開いて読み進めるが、徐々にその顔は険しくなった。そこへお市がやってくる。


「旦那様、兄上から書状が来たの?」


「ああ。お市宛てじゃないけどな」


 お市が来たので、険しい表情を隠す具房。大名としての振る舞いにも慣れ、こういう演技もこなせるようになっていた。読み終わったので、彼女に書状を渡す。


「『石山攻めに加勢して欲しいから、打ち合わせのために京へ……』って、また他所へ行くの?」


「悪いな。だが、呼ばれたからには行かないといけない」


「それはそうだけど……」


 わかってはいるが、もやもやした思いを抱えているといった様子のお市。彼女がこのような反応をする理由を具房は察していた。


「毱亜のことは任せたぞ」


 その懸案をお市に託す。そう。先日、毱亜の妊娠が発覚したのだ。敦子に先を越され、焦っていた彼女。お市たちも配慮して自分の順番を譲るなど協力していた。その甲斐あって懐妊となった。


「任せて。旦那様は、敦子さんをよろしくね」


「ああ」


 先に妊娠した敦子は出産が近づいている。このところドタバタしていて会いに行けていない。具房は彼女を労ういい機会だと思い、いくつか指示をするとすぐさま京へと上った。


 京の織田屋敷で信長はすぐに会ってくれた。忙しく、アポがあっても何日か待たされるのが普通なので、かなりの特別待遇だ。具房がいつも特別扱いされているというわけではない。だからこそ、今回はよほど切羽詰まっているのであろうことが察せられた。


「義弟殿。これまで断り続けてきておいて虫のいい話であるのはわかっている。が、恥を忍んで頼む。石山に兵を出してくれ」


 信長は具房に要求をストレートに告げた。


「急にどうされたのです?」


「先日、石山を総攻めにしたのは知っているだろう?」


 具房は頷く。その顛末も聞いていた。織田軍は備蓄した砲弾をすべて吐き出して総攻撃を行い、石山の一画を占領する。しかしその後は占領地の拡大に失敗し、一向宗の猛攻を受けて石山から叩き出された。


「新たに大筒の弾を得るには時間がかかる。武田攻めの前には石山を落とさねばならぬから、時間がない。義弟殿に頼るしかないのだ」


 悔しそうに信長は言う。己だけの力でやるのだと、これまで直接的な支援は断ってきた。しかし、自分の力だけではどうにもならず、最後は結局、具房の力を借りなければならない。それが堪らなく悔しい。


 だが、信長はその思いを克服した。プライドという感情的で不合理な、けれども抗い難い気持ちを抑え、具房を頼るという合理的な選択肢を選ぶ。


 そんな信長の心中を、具房は理解できない。当たり前だ。彼と自分とでは生い立ちも価値観も異なるのだから。具房は戦国の世の中に慣れたとはいえ、その本質は現代人。心根からしてまったく異なる。


 戦国時代は日本のみーー広く解釈してもせいぜい東アジア(朝鮮半島、中国)、東南アジア、イベリア半島(スペイン、ポルトガル)程度だ。そこで蓄積された知識は深くとも浅い。


 しかも、多くの人間は外国に関心がない。触れることがないからだ。現代であれば、例えばテレビや動画、写真を見て実際の風景や文化を知ることができる。別に自ら求めずとも、ただ普通に暮らしているだけでそれらの情報は手に入った。


 これが戦国時代であれば、自らが求めない限りこのような情報は得られない。あるいは大名や商人が外国由来のものを持っていても、余裕がなければ気にかけることもなかった。逆にいえば、生活に余裕があるからこそ大名や商人は南蛮や東アジア貿易に目を向けられたのである。


 そのような狭い世界において、人の能力は輝く。たとえば、ルネサンス期に理想とされた万能人。芸術や科学など、あらゆる分野に長けた人物を指す。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロがその典型例だ。実際、彼らの業績は凄まじいものがある。


 しかし、彼らのような存在は現代においては出現し得ない。なぜか。それは、現代がとてもつもなく広く深いからだ。人間の営みによって蓄積された知識は膨大。極めることは一生かかってもできない。足掻く間にも蓄積され、確実に厚みを増していく。さながら、拡大を続ける宇宙のよう。


 深厚な知識の蓄積がなされ、極めることが困難になれども人間は諦めない。彼らは更に「分野」を創り、学ぶべきものを狭めた。量が多いなら減らせばいいじゃない、という至極合理的な発想だ。もっとも、その程度でどうにかできるほど単純ではない。体系的な知識を細分化することは困難であり、根本的な解決にはなっていないのだ。


 ともあれ、人間はそうして自己満足をし、大きな事績を挙げた人物をその道の「権威」だとか「第一人者」とかいって持て囃している。だが、彼らは万能人ではない。分野を狭めているのだから。


 世界は残酷だ。人がどのような状況にあってもーー成功していても、食うに困っていても、個々人の事情を斟酌することなく、世界は時間を進める。何があろうと、社会は動く。動くことを強いられる。


 だが、その機能を維持するためには一部の人間ーーすなわち王侯貴族といった一部の特権階級だけでは足りなくなってしまった。必然、他から人材の供給を受ける必要がある。それが当初は商人であり、やがて一般大衆にまで波及するのだ。市民革命や民主化運動、共産主義革命はこれで概ね説明できる。


 具房はこのように、社会の分業化が進んだ現代に生まれた。だから自分ひとりで何でもやろう、なんて考えは持たない。そんなことは無理だとわかっているから。だから自然と他人を頼ることができる。それこそが彼の強さだ。


 それでも、挫折の悔しさはわかる。順風満帆に進んだ大学(院)生活、その最後である博士論文を教授に落とされた経験があるからだ。他にも大小いくつもの挫折を経験している。信長と具房の年齢はひと回り以上離れているが、前世も合算すれば具房の方が上。つまり経験が濃い。だからこそ、その気持ちは痛いほどわかる。


 具房にできることは、その気持ちを黙って受けること。信長の思いを継ぐことだけだ。だから具房は万感の思いを込めて返答した。


「お任せください」


 と。




 ーーーーーー




「敦子。具合はどうだ?」


「大丈夫です。皆さんもよくしてくれますし」


 具房は初産となる敦子の負担を減らそうと様々な工夫をしていた。彼女にほぼ任せていた京での公家外交は、断れる相手に対しては中断。断れない相手でも、具教たちを派遣している。


 さらに、京の屋敷で敦子の世話をしている人々は以前、交代で伊勢に派遣されて一年程度の育児研修を行った。北畠家の育児はやはり他家とは異なっており、いざ彼女が妊娠出産というときに無用なトラブルを引き起こさないためだ。周りが妊婦の世話に慣れておけば、それだけストレスも減る。新たに人を派遣することもできるが、初対面の相手だと何かと気を遣う。繊細な時期だからこそ、顔見知りで固めたい。


 このように、徹底して敦子の負担を減らす対策をとってあった。それが奏功したというなら、具房も色々とやった甲斐があるというものだ。


 一方の敦子は無事だと言いつつも、具房の横に座って頭を肩に預ける。要するに甘えていた。寂しかったということだろう。気持ちを察してか、蒔は隠れて護衛している。侍女たちも部屋の外に控えていた。


 周りの配慮によって二人きりの空間が生まれる。具房もこの後、特に仕事を入れていない。なので、敦子は会えない間に蓄積していた話を一気に開陳した。


「石女だと言う方もいて、不安でした」


 曰く、妊娠したと言ったところ、多くの人々から祝福された。だが、一部にはなかなか信じてもらえなかったという。そのほとんどが以前、彼女を「石女」と陰口を叩いていた人だという。


「それは許せんな」


 具房は敦子の話に大いに共感し、怒りを覚える。その一方で、


(こういう心ないことを言う奴はいつの時代もいるんだな)


 と、達観した目で見ていた。前世では大学院生で人生を終え、社会を経験していない具房。だが、教授の小間使いみたいな院生をやっていると、社会の汚いところが色々と見える。傍観者であるからこそ強く感じられた。学生のいじめなどまだ生温い、本当の闇を。


 そうして回顧している間にも敦子の話は続く。具房は意識を考えごとと相槌に二分して対応した。聞き役に徹する。会話はあまり得意ではないからだ。前世では人と話すより、史料と向き合う時間の方が長かったことが影響している。大名生活により改善されてはいるものの、心根は変わっていなかった。


 しかし、やがては敦子の関心が具房の近況に移る。さすがに相槌だけでは済ませられず、話をしなければならない。とりあえずお市たち、伊勢にいる家族の話をする。トップニュースは毱亜の妊娠だ。


「まあ。おめでとうを言わないと」


「手紙を送ってやってくれ。毱亜も敦子のことを気にかけていたぞ」


 奴隷として生きてきたせいか、毱亜は家族愛が人一倍強い。愛情に飢えているからこそ、自らまず愛を注ぐ。その多くは家族。そうなったのは、容姿で他人には拒絶されるかもしれない、と恐れていたからだ。もしかすると、どこかで侍女の陰口なんかを聞いたのかもしれない。理由はどうあれ、毱亜は具房とその周り以外の人間と接することを恐れていた。


 とはいえ、いつまでも引き籠りをしているわけにもいかない。具房としてはそれでもいいと思っていたが、お市が荒療治も必要だと主張。学校に通うことになった。


 最初は浮いた存在だったが、マカオ帰りの子どもは慣れているらしく、彼らと交流を持ったことをきっかけに徐々に打ち解けていく。交流するにつれて毱亜の優しさが知られ、人気者になっていった。


 優しさの淵源である愛の渇望、その裏返しである無償の愛を注ぐという行為は、特に社会的弱者に刺さった。彼女自身も愛を遠慮なく注ぐことができる彼らとの交流は気に入ったようで、ボランティア活動に目覚める。具房もそれに目をつけ、ボランティア事業を彼女に任せた。今ではお茶を淹れるだけでなく、北畠家の慈善事業を一手に担っている。そして領内のキリスト教徒を中心に、彼女の名前から聖母マリアに擬えて「聖母様」などと呼ばれていた。


「伴天連(キリスト教)の逸話に擬えられているのですね」


「彼女の名はそこからつけたからな」


 ピッタリなあだ名だ、と具房。毱亜の優しさは一種の狂気であるが、それがいい方に向いているうちは介入しない方針だ。


 こんな調子で家族の話をしていたが、ネタが切れてしまう。そうなると、質問を受けてそれに答えるというスタイルに切り替える。すると遠慮がちに、信長と何の話をしたのかと訊いてきた。


「差し出がましいようですが……」


「構わんよ」


 話すとヤバイことは話さなければいいのである。具房は内容を取捨選択して事の次第を話した。事情を聞いて落胆する敦子。


「わたくしのためではないのですね……」


 自分の出産が近いということで具房が来てくれたと思っていた敦子。彼女は出産まで居てくれるものだと考えていたが、話を聞く限り難しいのだろうと察した。


「いや、多分大丈夫だ。立ち会えると思うぞ」


「本当ですか!?」


「ああ」


 敦子はパァッと顔を明るくした。そんな彼女に具房は微笑みかける。


 具房の想定では石山攻略の準備にはそれなりの時間がかかる。兵士を動員し、石山に集めるのにおよそ一ヶ月。物資の確保と運搬には二、三ヶ月を見込んでいた。このような具合に、準備は今日明日で終わる話ではない。その間に敦子の出産は終わるだろう、と具房は見込んでいた。


「京に留まって準備をするからな。敦子は女子がいいんだよな?」


「はい」


 本家と無用な諍いを起こさないためにも、政略結婚に使える女の子がいい、と敦子はずっと言っていた。


「そうなるといいな」


 具房は産み分けられるわけでもないし、そこまで気にしなくてもいいのではと思ったが、言いたいことは呑み込んでそうなるように祈る。こんな具合に二人は語り明かすのであった。







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一人の人間が一生において掴める知識などごくわずか その通りです 懐古的に過去の人々の営みを学び、歴史を知った所で全能人間になれるわけもなく 世の中は広く、なおかつ日進月歩の自然科学の分野などは先が知れ…
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