第三次石山合戦
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駿府へ戻った具房。家康から不在の間の様子を訊ねる。
「督の面倒をよく見てくれていた。おかげでーー」
そこで言葉を切り、明後日の方向に視線を向ける家康。具房も釣られてそちらを見た。その先では、
「つるさま! つぎはだいふごうがしたいです」
「よし、やるか」
二人が仲睦まじく遊んでいた。具房の狙いは成功といえる。まあ、ここまで仲がよくなるとは思っていなかったので、別れが心配になるところだ。
その日の夜、督姫が湯浴みをしているタイミングを見計らって鶴松丸と話をした。
「明後日?」
「そうだ。急だが、明後日に駿府を発ち伊勢へ帰る。明日、補給船団が到着すると連絡があった。その戻り便に便乗する」
北畠軍では武具や食糧が支給される。自弁が原則のこの時代としては特異な軍隊だ。生鮮品を伊勢から運ぶのは難しいため現地調達(地元の商人から購入する)となっているが、主食の米となれば話は別。補給拠点である長島から海路で駿河まで運ばれた。その船団が明日、到着するのだ。
戻り便では駿河の特産品や兵士たちの手紙などを運ぶ。だが、それでもまだまだ余裕がある。具房の車列はかなり多いが、それらを積む余裕があった。ならばとその船に乗ることにした。
なかには、船を特別に用立てようとする声もあった。しかし、具房はわざわざそんなことをする必要はない、と拒否している。念のため護衛艦はいるものの、特別なことは一切されていない。
次の日、鶴松丸は督姫に明日帰ることを明かした。案の定、督姫は抵抗する。
「もっとつるさまといっしょにいたいです!」
と言い、ついには泣き始めてしまう。幼子の泣きは人を狼狽させるが、例外はある。親だ。親は子の嘘を見抜き、泣いても喚いても惑わされることはない。これはある程度の経験を積んでいれば誰でもできること。親以外にも保育士さんや幼稚園の先生など、日ごろから子どもと接していれば身につく。むしろ親より後者の方が上手いまである。
そして、鶴松丸は保育系の経験が豊かであった。数多くの弟妹を持ち、面倒を見ることもしばしば。幼子が駄々をこねることへの対応も慣れたものだ。
「文通ーー手紙のやりとりをしよう。そうすれば、離れていても繋がっていられるぞ」
代案の提示。子どもの要求を見抜き、それに沿う提案をする。自分の都合も考えて。理解できていないようなら理解するまで説明し、納得できていないようなら納得できるように交渉する。
このとき注意しなければならないのは謙虚であること。自分の提案が最適解だと思わず、子どもの意見に耳を傾けなければならない。大人(年長者)が必ずしも正しいわけではないからだ。子どもだって人間。人間皆平等なのであれば、大人も子どもも等しい存在だ。貴賎(上下)などない。
だからこそ、押しつけはよくない。例外はあれど、交渉で自分の提案(不平等なもの)が一方的に受け入れられるだろうか? そんなわけがない。決裂するに決まっている。だからこそ、双方が納得できるものでなければならない。
「……うん」
今回はそれをするまでもなく督姫が納得した。彼女も幼いながら、別れがくることには薄々気づいていたのだ。駄々をこねたのは、少しでも伸びればいいと思ってのこと。目的は果たせなかったが、手紙のやりとりができるということで満足した。
翌日、具房たちは予定通り、補給物資を下ろして伊勢へ戻るガレオンに乗って駿河を離れた。この後、鶴松丸は約束を守って督姫と頻繁に文通を行うようになる。二人の仲は深まり、督姫が輿入れした後も仲睦まじい夫婦として有名になるのだった。
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具房が鶴松丸とともに駿河への旅をしているころ、畿内では信長が大きな動きを見せていた。
彼は、具房が持ち込んだ武田討伐案を遂行すべく準備を進めていた。その肝は石山の平定。ここに貼りつけている軍を武田討伐に注ぎ込む狙いがある。
(武田は弱っているとはいえ油断はならぬ)
だから、圧倒的な兵力差で叩き潰す。延々と続く石山本願寺との戦いに決着をつけるべく、信長は佐久間信盛に総攻撃を命じた。
「内府様(信長)も急だな……」
信盛は攻撃の準備を進めながらぼやく。先日までの方針は、囲んで締め上げて干上がらせるというものだった。それが突如として攻撃に変わったのだから、参ってしまう。
が、組織というのはそういうもの。信盛は何か言って不興を買うのは御免だと、ぶつくさ不満を漏らしながらも準備を整えた。
今回の攻撃は石山を囲む織田軍の全力を注ぎ込む。信長から与えられた虎の子の大砲(十五門)を木津に据えつけ、準備砲撃を行う。徹底して同方面の敵陣地を破壊した上で攻撃を開始。木津を突破口に、石山へ雪崩れ込むというシナリオを描いていた。
前回、塙直政が同じような計画を立てて大失敗した。そのときの経験から、大砲が置かれている場所の防備は特別に厚くしている。さらに不意打ちに備えるよう、口を酸っぱくして言い聞かせてあった。
この注意は慎重な信盛が何度も繰り返したために、前線の将兵からは疎まれた。命令なので仕方なく従うが、それが幸いする。本願寺がそこに攻撃を仕掛けてきたのだ。
「本当に来やがった!」
石橋を渡ろうとしたら、叩いて叩いて叩きまくれと言われ、嫌々ながら従っていたら本当に崩落したかのような驚きだった。
信盛の目が光っていたため、守りに漏れはない。一向宗は敵の守りが最も厚い場所を攻撃するという、戦争における大失態を演じた。結果は惨憺たるものがあり、織田軍の損害が百名そこそこであったのに対し、一向宗は千近い損害を出している。
「門徒が撤退。現在、追撃しております」
「よし……」
伝令の報告を聞き、安堵する信盛。直政の失敗を繰り返すことは避けられた。しかし、本当の勝負はここから。石山を陥落させるか、最低でも陥落寸前に追い込まなければならない。
(大筒よ、頼む……!)
信盛は石山攻略の秘密兵器である十五門の大砲にすべてを託す。
「かかれ!」
攻撃当日、信盛は攻撃を命じる。大砲が規則正しく砲撃を行い、正面に聳える防御施設を破壊していく。前線の兵士たちはそれを見て士気を上げた。
「凄え、城が粉微塵だ」
「見ろ。櫓が崩れるぞ」
「これなら石山も落ちるな」
そんな会話を交わす。しばらくの間、兵士たちは砲撃で破壊される石山御坊の姿を見ていた。
砲撃は小一時間ほどで止む。弾がほぼなくなったのだ。使っているのは北畠製榴弾のコピー品。炸薬が爆発することで、周囲の目標を破壊するという仕組みだ。信長は攻城戦に有用かつ、製造品を統一することで量産効果を高めるという狙いもあり、榴弾を製造しまくっていた。
大砲には火薬を大量に使う。装薬も多いが、榴弾を使ったことで炸薬の分まで火薬の使用量が増加。そのため値段が上がってしまい、織田家の財力を以ってしても一門につき二十発しか用意できなかった。
信長は榴弾を際限なく撃ちまくる北畠軍の財力に感嘆した。が、そこには誤解がある。そもそも北畠軍では黒色火薬はあまり使われない。銃砲の装薬は無煙火薬(雷酸水銀や綿火薬)で、黒色火薬は炸薬に用いられる程度である。理由は、硝石の確保が難しいからだ。
通常、大名は硝石を南蛮貿易で手に入れている。馬鹿高い値段で買うため、必然的に供給量は少ない。だからそれを使う黒色火薬は高くなる。一方、北畠家は硝石を古土法で自給しており、他より安価に生産できた。
しかし、古土法で使われる糞尿はこの時代、肥料としても使われる。特に北畠家の領地では人口増加が進み、食料の安定供給のためにも肥料は欠かせない。最近では畜産の発展により牛糞や鶏糞などの利用が進んでいるが、未だ人糞も重要な資源だ。
さらに、北畠家では各種のボルトアクション式小銃が開発され、盛んに運用されていた。そのとき、燃焼速度などの観点から無煙火薬が装薬として使われる。主力小銃に用いられる紙製薬莢は、上手く燃焼させるために古土法で得られる硝酸カリウムが使われており、同じ素材を用いる黒色火薬と材料が競合していた。
このような理由から、北畠軍が使用する黒色火薬の量は見た目ほど多くはない。この時代は火薬=黒色火薬であるために生じた誤解だ。
閑話休題。
「押し出せ!」
砲撃が止むと、織田軍が一斉に攻撃を開始した。木津から兵士を乗せた船が次々と発進し、石山を目指す。
対する一向宗は砲撃で混乱。前線の部隊は統制が崩壊していた。こんな状態では攻め寄せる織田軍を防ぐことはできず、木津方面は容易く占領された。
「よし、よしっ!」
報告を聞いた信盛は歓喜する。木津は石山が外部と連絡をとる上での重要拠点。ここを押さえたということは、完全に石山を孤立化させたことを意味する。大きな進展といえた。
「一気に押し切るのだ!」
これまで本城にはまったく歯が立たなかったのだが、ここにきてその一画を陥れた。信盛をはじめとした織田軍将兵の士気は上がり、イケイケになる。
だが、その興奮はすぐに冷めることとなる。木津を制圧した織田軍は、さらに城の内部へ侵攻しようとした。ところが、その先発隊が一向宗の反撃を受けて壊滅する。一向宗は敵を破った勢いそのままに、上陸する織田軍に襲いかかった。
「ふ、防げ! 防げ!」
急なことに織田軍は慌てつつ、どうにか防衛線の構築には成功。遠くの一向宗は弓や鉄砲で、近くの一向宗は血みどろの白兵戦で対処する。
一向宗の迅速な反撃は、後方にいた部隊を即座に投入したことにある。織田軍の砲撃で前線の部隊は崩壊したものの、後方にいた部隊はほとんど影響を受けなかった。だから織田軍の総攻撃が始まると、即座に援軍を送り反撃に出たのだ。
織田軍は、ようやく確保できた石山攻略の足がかりをみすみす失ってなるものか、と必死に踏み止まる。本陣の信盛もその重要性を認識し、各所から兵力を引き抜いて木津へと送り込んだ。
対する一向宗も、ここを確保されれば形勢が覆るとわかっているので、戦力を集中させる。
「ここを取られれば、石山が落ちる! されば、織田は我らを根絶やしにするぞ!」
「仏敵(信長)から信仰を守るのだ!」
「仏敵に仏罰を下すのだ!」
坊官たちもここが勝負どころだ、と門徒を駆り立てる。剣林弾雨の前に門徒たちは次々と倒れ、屍の山を築く。それに怯えて逃げ出す門徒も多かったが、後方で部隊に組み込まれた。
「仏敵から逃げる者もまた仏敵!」
そう言って罪を家族にまで着せようとするため、門徒たちは泣く泣く隊伍に加わり、突撃を繰り返した。
かくして前線は地獄となる。門徒たちは織田軍の前に文字通りの屍の山を築く。しかし、まったく何も効果がなかったというわけではない。
「まだ来るのか!?」
織田軍はやっと撃退したと思えば、またやって来る一向宗に次第に圧倒されていく。消耗を強いられ、織田軍はジリジリと後退した。
「踏み止まれ!」
先鋒を担っていた氏家卜全が叱咤する。鉄砲や弓矢など、飛び道具を積極的に活用して接近するまでに一向宗を消耗させ、白兵戦で止めを刺していた。そのような工夫で、一部を堅持することに成功する。
しかし、矢弾はいつか尽きる。そうすると兵数の差がものをいう。織田軍は息つく暇もない無停止攻勢に晒され、疲労が溜まる。不覚をとる者が増え、時間の経過とともに死傷者が増加。戦闘力は低下していく。そして、
「うっ!」
「殿!?」
前線で獅子奮迅の活躍を見せていた氏家卜全が討死する。そこから織田軍は一気に崩れていった。
急報を聞いて包囲軍に参加していた明智光秀や細川藤孝も駆けつけたが、戦線は完全に崩壊して収拾のつけようがない。
「十兵衛(明智光秀)殿。ここはもう……」
「退くしかないか……」
彼らにできたのは、被害を抑制しつつ撤退することだけだった。
この戦いで、織田軍は一万近い損害を出す。一向宗はその倍以上の損害を出しており、損害の上では織田軍の勝利といえる。しかし、織田軍は折角、確保した橋頭堡を喪失。戦略的には敗北を喫した。
そして、この一撃に全力を投じていた織田軍は肝心の弾薬が尽き、その戦闘力を大きく低下させていた。失陥した橋頭堡を奪回しようと攻撃を続けるが、徒らに兵員を消耗させるだけで何の成果も得られなかった。
「内府様にお知らせせよ……」
万策尽きた信盛は気が進まないものの、信長に報告を上げて援助を請う他に手はない。肩を落としつつ、使者を信長の許に出すのだった。