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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十章
128/226

鶴旅 番外編


 番外編と題しまして、鶴松丸を駿河まで連れてきたのは半ばついで。こちらが具房の本当の目的となります。ではどうぞ

 

 



 ーーーーーー




 鶴松丸を駿府に置き、前線視察と称して具房は甲斐との国境にやって来た。ここは北畠軍が峠を確保し、その要塞化を進めている。要塞を視察しつつ、具房は状況の説明を受けた。


「現在、戦線は落ち着いています。一時は激しく攻め寄せて参りましたが、屍の山を積み上げるだけで何の効果もなく。諦めたのか、最近では睨み合いを続けております」


「そうか。夜襲などには十分、気をつけるようにな」


「はっ」


 具房は油断大敵と注意喚起をするが、あくまでも形式的なものだ。そんなことは十分にわかっている。


 また、陣地を奪取された場合も対応策は用意していた。後方に設置された砲兵陣地。普段は攻め寄せる敵に打撃を与えることが役割だが、陣地が奪取されたとの連絡が行くと、そこへ向けて砲撃が行われ、陣地ごと敵を吹き飛ばす。もっとも、陣地の再構築が面倒なのでそんなことやりたくない。だから出来る限り当初の陣地を守りきることを目指している。


 ある時の激烈な攻勢は鳴りを潜め、すっかり沈黙してしまった武田軍。なぜそうなったかといえば、御館の乱が発生したからだ。


 上杉謙信の死をきっかけに、その養子二人ーー上杉景勝と景虎ーーの間で後継者争いが起きた。景勝は譜代家臣を中心に、景虎は外様や外部勢力を中心に支援を受けている。


 序盤戦は景勝の勝利で終わっている。彼は謙信の居城である春日山城を占拠。景虎を追い出した。これを挽回すべく、景虎は反攻に出ている。また、彼は勢力を増すべく実家の北条家にも支援を要請した。


 北条家にとっては、関東平定を邪魔してきた上杉家を傀儡化するチャンス。二つ返事で応じるーーところだが、問題があった。折り悪く北関東諸侯軍との合戦中であり、余裕がない。そこで同盟相手である武田家に支援を要請した。


 武田家は同盟相手の要請である以上、無碍にはできず出兵を決めた。とはいえ、あちこちで敵と面しており、出せる兵は多くない。そこで、攻勢のため兵力を多く配置していた駿河国境から引き抜くこととなった。このため攻撃している余力がなくなり、国境は平穏そのものとなったわけである。


 その間に要塞線の構築は進んでいる。峠には鉄条網が張られ、敵の侵攻を阻む。照準も完全に済み、連絡が行けば正確無比な砲撃が降り注ぐ。攻撃が滞っているために、ますます陣地は攻略が難しくなっていた。


 ここには最近、編制が終わった徳川軍も参加している。彼らは北畠軍が構築した(している)巨大な要塞線を見て唖然としていた。だが、具房からすればこれでも野戦築城の範疇。本当の要塞とは、長島城のようにガチガチに固めたものをいう。


 そんな環境で、徳川軍は訓練を積む。教官は北畠軍。陣地を利用した防衛戦のやり方を、実際の陣地を使って教えている。攻め方も教えたいところだが、それは敵に攻略法を教えているも同然なのでやっていない。


「問題はなさそうだな。だが、気を抜かぬように」


「はっ」


 それだけ言って、具房は同方面における視察を終える。次いで伊豆・相模国境に向かった。こちらも北条家が北関東諸侯軍と合戦していることから、軍勢は少なく平穏そのもの。陣地構築は甲斐よりも順調に進んでいた。


 こちらでも駐屯する北畠軍により、徳川軍への指導が行われている。甲斐方面では視察が終わるとすぐにその場を離れたが、こちらは長く滞在していた。やることがなく暇なので、鍛錬がてら具房も自ら指導している。


 指導は二種類。普段から行われているのは、武術や戦術などについて。そして具房がいるからと行われたのが対抗演習だ。


 木刀や刃が付いていない槍、弾を装填していない銃を使って模擬戦を行う。部隊は攻撃側と防御側に分かれており、相手を殺傷しないこと以外は実戦と同じだ。具房は統監ーー審判のような役ーーとしてこれを監督していた。


 場は緊張感で満たされていた。北畠軍対徳川軍での対抗演習であり、互いのプライドがぶつかり合う。負けられない。


 演習は基本的に何でもありとはいえ、禁止されていることもある。殺人は無論だが、夜間の戦闘行為(偵察なども含む)も禁止だ。夜間、視界が制限された状態では何が起こるかわからないからこうなっている。


 夜間の戦闘行為は禁止されているが、だからといって演習気分が吹き飛ぶわけではない。相手に位置がバレないよう焚火を禁止しており、話し声もまったくない。おかげで熱い戦いが繰り広げられていた昼間とは打って変わって、辺りを静寂が支配した。


 夜、具房は星空を見上げながらお茶を飲む。仕事を終え、寝る前に一杯と思って自ら淹れた。演習をしている部隊は火の使用が禁止されているが、具房たちはその限りではない。


(やっぱり毱亜のお茶が一番だな)


 お茶を飲み、毱亜の腕前を再確認する。真似をして同じようにしているつもりだが、何か足りないらしい。何が足りないのか? と首を傾げながら飲んでいた。そのとき、


 ーーざわざわ


「ん?」


 具房は護衛の忍たちの気配が揺れていることに気づく。何事だろう、と思いつつ万が一に備えて臨戦態勢をとる。具房のことを快く思わない勢力は多い。足利家とか武田家とか。暗殺もよく仕掛けられている。何度もやられているので慣れたものだ。


 大抵は近づくこともできないが、たまに警戒網を潜り抜けてくる猛者もいる。今回はその口らしい。だが本当にヤバければ蒔が飛んでくるので、臨戦態勢をとりつつも具房に焦りはなかった。


「……御所様」


「どうした蒔? 何かあったか?」


「……お客さん」


 具房の許にやってきた蒔は「客」を連れてきていた。忍装束から覗く顔は細く、無精髭が生えている。やや猫背で、くたびれきったサラリーマンといった様子だ。どこにでもいるような中年男で、パッとしない。見た目は三下だが、具房は警戒心を引き上げる。


(この男、強いな)


 それもかなり。懐の拳銃に手をかけながら、具房は話しかけた。


「どなたかな?」


「名乗るほどの者でもーー」


「……風魔小太郎」


 カッコつけようとしたのか、情報を秘匿しようとしたのか、どちらなのかは判然としないが、名前を伏せようとした小太郎だが、蒔にあっさりとバラされてしまった。


 具房は驚きを禁じ得ない。風魔小太郎といえば、北条家の暗部を担うトップ。こんな大物が来るとは思わなかった。


「ごほん。本日は我が主、北条相模守(氏政)の書状を持参した」


 蒔の手を介して書状を受け取る。中身を読んだ具房は、


「返事を出す。しばし待たれよ」


 と言って紙と筆を用意し、サラサラと返事を認める。北畠家の中では楷書が用いられるが、他家との通信では草書を使う。幼少期から練習し、公家社会(中央)では能書家として名が通っている。王羲之のような流麗な筆致で書き上げた。


「これを北条殿へ」


「承知致した」


 返事を受け取ると、小太郎は立ち去った。


 しかし、この接触は表向きにはなかったことにされる。小太郎が隠密行動をとっていたため、隠蔽工作は楽だった。具房は何事もなかったかのように特別演習の統監を務める。そして、それが終わると帰る用意を始めた。


「適度な緊張感を持ち、職務に励むように」


「了解」


 例によって注意喚起をしてから具房は陣地を後にする。そしてこのまま駿府へーー帰らなかった。車列は駿府へ向かう。だが、具房は蒔とわずかな護衛を連れ、夜のうちに抜け出した。


 具房が向かったのは金剛王院東福寺。現代でいうところの箱根神社だ。芦ノ湖に近く、雄大な景色を見ることができる。そしてここは北条家の勢力圏だ。小田原駅からバスでおよそ一時間の距離にある。


 境内の一室で具房はある人物と面会する。風魔小太郎を従えた武士ーー北条家当主・北条氏政だ。北関東諸侯と合戦をしているが、一時的にそこを抜けてきた。


「お初にお目にかかる。北条相模守にござる」


「北畠大納言だ。此度の面会、受けてくれて感謝する」


「大納言様からのお誘い、お断りするはずがございません」


 嘘つけ、と具房は思う。利益が見込めなければ断っていたに違いない。氏政の言葉を額面通りに受け取るほど、具房は平和ボケしていなかった。大名としての具房は「ラブアンドピース」だとか「一本のペンで世界を変えられる」なんて言葉は忘れている。戦国の世は「力こそすべて」なのだから。


「ところで、本日はどのようなご用件で?」


「相模殿(氏政)に頼みたいことがあるのだ」


「伺いましょう」


「貴殿らの所領の港を使わせてもらいたい」


 要求を述べた途端、場の空気が固まる。そして、


「はははははっ! これは面白いことを仰られる。我らの港を使いたいと、そう申されるのですな?」


 氏政が笑う。一頻り笑うと確認をとってきた。具房は頷く。途端に氏政の表情が変わった。


「受け入れられませんな」


「なぜだ?」


「なぜ? 敵を利するような酔狂な真似をするのは上杉(謙信)くらいのもの。我らは違う」


「道理だな。ーーが、それでよいのか?」


「……どういうことです?」


 怪訝な顔をする氏政。だが、具房はすぐに答えずお茶をひと口飲み、間をとる。


「そうだな……例えば家督争いで分裂した家があったとしよう。候補のひとりが養子に入った同盟相手の一族で、劣勢。当然、支援しようとする。本来なら自分たちで支援するのが筋だが、同盟相手は合戦中で忙しい。そこで、支援を求められた。同盟の誼があり、出兵するだろう。困るのは家督争いをしている片割れだ。外部から干渉されて自らの優位が揺らぐことは望まない。何か手はないかと考える。答えは簡単だ。父が幾度となく争った領土を割けばいい。父がなし得なかった偉業を成したと、家中にも示しがつくだろう。それに、周りをほとんど敵に囲まれていれば、兵を出したくないのが本音であろうよ」


「それは……我らを脅しているのですか?」


「脅し? 人聞きが悪いな。ただの例え話ではないか」


「……」


 脅しと言われたことについて、具房は心外だとばかりに例え話ということを強調した。氏政は黙り込む。


 具房は例え話と言ったが、あからさますぎた。この例え話が御館の乱を巡る北条家と武田家のことを指していることは明らかだからだ。そこに、多少の未来予想図を含ませているだけである。


 これが示唆するのは、武田家の背信。勝頼が景虎を支援すべく兵を出せば、景勝は北信濃を武田に割譲することで和睦を行うというのだ。美味い話だが普通は受けない。だが、武田家の状況を考えればその可能性はないとはいえない。


 まず、周囲を敵に囲まれていること。北条家が押さえる関東方面以外はすべて敵。そのため必要とされる備え(軍備)も多い。しかし、最近は戦で負け続けたために武田軍は消耗している。長篠の打撃からはどうにか回復したものの、カツカツだった。そのような状況で大規模出兵を行うのは無理がある。


 さらに武田家は、勝頼の求心力が絶望的なまでに低い、という問題も抱えていた。信玄の時代から仕えてきた宿老と、勝頼が重用する若手との対立が先鋭化している。さらに一門は中継ぎに過ぎない存在なのに大きな顔をして、あまつさえ独裁を目論む勝頼に反発。公然と反抗するという始末だ。


 このような状況でも、勝頼は自身が独裁することを諦めていない。貪欲に材料を探し続けている。その材料になり得るのが、北信濃の領有だ。勝頼を懐柔するため、信玄が奪取できなかったかの地を明け渡すことは十分、考えられる。


(確実にするために上野もつけるやもしれん)


 氏政は領土割譲というワードから、上杉家が持つ上野の所領も武田に引き渡されることを考えた。関東の統一を掲げる北条家にとって、それは厄介な動きだ。上野は「関東」なのだから。


 武田家は要請に応じて兵を出しているが、背信行為を行う可能性はーーこうして考えるとーー高い。そしてそれは、景虎つまりは氏政の兄弟を見殺しにしたということ。同盟を続けられるかといえば、特別な事情がない限り難しい。心情としては、すぐにでも破棄して敵討ちをしたいところだ。


 では、翻って北条家はどうかといえば、こちらもなかなか苦しい立場にある。烏合の衆に過ぎない北関東諸侯だが、意外に粘り強く泥沼の戦いが続いていた。国力の差でどうにか押し切れるだろう。しかし、そうして勝ったとしても疲弊してしまっている。その間に情勢がどう変化しているか予想はできない。最悪のシナリオは武田家が滅ぶこと。織田や徳川に併呑されれば、その時点で北条家は詰む。


 そして、その最悪のシナリオが実現する可能性は低くないというのが悲しいところだ。かつては味方として頼もしい存在であった武田家も、最近はパッとしない。


 具房はここに交渉の余地を見出していた。遅まきながら、氏政は彼の意図に気がつく。今回の面会のお題目である『港を使わせてもらいたい』という要求は、船を寄港させろというような単純なものではない。真の内容は、同盟相手を変えないか? という提案だったのだ。


 だが、これには致命的な欠陥がある。北条家を動かす最大の動機が、武田家が滅亡するかもしれないという危機感にあるという点だ。今のところは問題ない。ーーそんな氏政の思考を見透かしたかのように、具房が呟く。


「幸い、我らはこのところ暇でしてな。そろそろ暴れようかと思っているところなのですよ」


 暴れるというのが合戦をすることであるのは子どもでもわかる。なるほど、北畠軍はほとんど動いていない。先の明石海峡戦においても主体は水軍だった。陸軍がやっていることといえば駿河の国境警備。さぞかし暇だろう。


 では、どこで暴れるというのか? 北畠軍が四国攻めを計画しているとの噂はあるが、噂はどこまで行っても噂。それにそんな兆候はない。


 中国方面は、毛利の陸軍が生きているから可能性は低い。北陸から御館の乱に乗じて上杉を叩くとなれば現実味はあるが、かの地を預かる柴田勝家と具房は仲が悪い。やはり可能性は低かった。


 石山について、北畠は初期を除いて基本的にノータッチ。駿河から北条領に侵攻するという手もあるが、侵入した途端に小田原城が立ち塞がる。後背から武田が襲ってくるかもしれず、あまり現実的ではない。


 ……こんな具合に可能性をひとつひとつ潰していった結果、氏政は答えにたどり着く。それは武田侵攻。北畠軍が暴れる(攻める)先は武田だったのだ。


(成算はある。武田は単独で駿河から飛騨にかけて長大な戦線を抱え、そこを守る兵は決して多くはない。それに今は越後に兵を出していて、さらに少なくなっている。だが、敵は織田、徳川に加え北畠の三者でこれを支えている……)


 氏政は国境が山地であるとはいえ、その兵力差は絶望的だと感じた。織田は美濃と尾張の兵が余っているし、徳川も三河や遠江から攻め入れる。ここに無傷の北畠軍がほぼ全軍加わると考えれば、武田の滅亡も夢物語ではない。


(一度抜かれれば、武田に挽回するだけの力はない)


 領内に侵入を許せば、後は各個撃破されてしまう。北条は北関東諸侯との戦いと景虎救援に忙しく、まともな兵力は送れない。孤立無援で武田は滅ぶ。


 それに長篠の戦いを考えれば、北畠軍の攻勢を武田軍が防げるのかという疑念も生まれる。ともかく織田や徳川の軍とは一線を画す存在であり、特別な防備が必要であることは議論を待たない。攻め口を見誤れば前線を突破され、後は蹂躙されるだろう。


 武田が終われば次は北条だ。衰えつつあるとはいえ、北関東諸侯はまだ健在。連動して動かれると逆に北条の側が圧殺される。関東統一とかそういう問題ではない。氏政は突如として、重い重い政治課題を背負わされる羽目になった。


「……お話は某の一存で決めるわけにはいきませぬ。しばしお時間を頂きたい」


「承知した。相模殿の賢明な判断を期待する」


 氏政は家中に諮らなければならない、と判断を保留した。小田原評定のことは具房も知っているので了承する。が、圧力をかけておくことは忘れない。


 具房がひと仕事を終えたような軽い足取りで寺を後にしたのに対し、氏政は難題を背負わされたような重い足取りで寺を後にした。







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