鶴旅 駿府編
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「遠路遥々、お疲れでしょう」
「いやいや。三河守殿(信康)をはじめとして、家中の人々に手厚くもてなされました。疲れるなんてとんでもない」
具房は問題ないと答えた。それならいいのですが、と家康。挨拶はそこまでにして、鶴松丸が紹介される。
「倅の鶴松丸です」
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、督のこともよろしく頼むぞ」
「はっ」
残念ながら、具房が期待したような娘をやるやらん的な緊張感はなかった。まあ、既に話はついているので当然なのだが、具房としては面白くない。つまんねー、と思いながら話を進める。
鶴松丸を連れて駿府にやって来た具房だが、ここに用事はない。鶴松丸を督姫に会わせるだけが目的だ。しかし、家康にとってはそうではない。慣れない統治方法に四苦八苦しており、パイオニアたる具房に数々の相談をぶつける。本多正信も呼ばれ、政治についての話になった。
難しい話になったことで、鶴松丸はここに居る必要はなくなる。具房は家康に頼み、督姫のところに彼を連れて行ってもらった。
「……だーれ?」
督姫は現れた鶴松丸を、珍獣でも見るかのようにじっと見つめる。つぶらな瞳が鶴松丸を捉えて離さない。
「北畠鶴松丸です」
「姫様の夫となる方ですよ」
侍女が補足をする。督姫はそれで納得したらしい。
「とくです」
と可愛らしい返事をする。まだ四歳(数え)であるが、そんなことは知らんと厳しく芸事を仕込まれていた。そのため四歳児にしてはそれなりに礼儀作法を知っている。
鶴松丸は若干のカルチャーショック。北畠家では具房の方針により、子どもは六歳まで(特に本人が望まない限り)習い事はやらせていない。まだまだ右も左もわからないのに、習い事をさせても無駄なだけだ、というのが具房の持論だ。家庭を預かるお市とは認識の相違があり衝突もあったが、最終的に七歳からはお市に任せるということで決着している。
このように北畠家は特殊な家庭であり、鶴松丸も事前にそのことは言い含められていた。だが、実際に目にするとやはり驚きを禁じ得ない。まだ未熟な鶴松丸はそれが顔に出てしまう。が、それを侍女は督姫の礼法が上手かったから驚いたのだと認識した。
「督。今日は何をしようか?」
「ばばぬき!」
「よし。それをやろうか」
侍女が渋い顔でもしない限り、鶴松丸は督姫の要求を呑むつもりだった。具房からもそうするようにと言われている。二人は将来的に結婚するが、そのときの関係をなるべくよくしようとの魂胆からだ。今回は侍女がむしろ率先して南蛮カルタ(トランプ)を用意している。
二人でやるのは面白くないので、侍女二人も参加して四人での対戦となる。とくがやる! と言って意気揚々とカードを配り始める督姫。鶴松丸はそれを横目に見つつ、侍女たちに真面目にやるように言い含める。
(遠慮は無用だ。言うまでもないかもしれんが、何よりも督に楽しんでもらえるようにするぞ)
((しょ、承知しました))
カードが配られ、ゲームが始まる。督姫から始まり、まず彼女がカードを侍女から取った。次が鶴松丸。
(ババを引いても関係なし。適当に引くか)
と、無造作に彼女のカードを一枚引こうとする。
「む〜」
カードに手をかけた瞬間、督姫が唸る。それを取るな、と言わんばかりだ。
(あ、ババを持ってるな)
まだ幼いから、ポーカーフェイスはまだ難しいようだ。ここは敢えてババを引こうと鶴松丸。隣のカードに触れる。
「む〜」
まだ渋い顔。さらに隣。
「っ!(にこっ)」
督姫の顔が綻ぶ。鶴松丸はババだと確信してそれを引いた。
(やっぱり)
ババだった。督姫はにこにこと嬉しそうだ。督姫に楽しんでもらうことが目的なので、これでいいかと鶴松丸は隣の侍女にカードを引かせる。
結果、督姫が一抜け。侍女ひとりが二抜けで、鶴松丸が三抜け。ババはもうひとりの侍女となった。
(わかりやすいな〜)
と鶴松丸は内心で思う。ババ抜きは相手に感情を曝さないことが大事だ。その点、まだまだ感情のコントロールができない督姫はわかりやすい。まあ、この年で感情を偽れるのならとても恐ろしいし、わかりやすいからこそ結果を容易に操作できる。特に問題はない。
問題があるのは侍女たち。はっきり言ってわかりやすすぎる。それでいいのか、と心配になるレベルだ。実際、鶴松丸は侍女たちの表情などからババの位置を看破し、三抜けになった。二抜けでないのは、督姫が抜けてすぐに侍女のひとりが抜けたためである。
しかし、これは鶴松丸の感覚が麻痺しているだけだ。北畠家はさすが発祥地だけあって、ババ抜きひとつとっても非常にレベルが高い。滅法強いのは具房。ババ抜きのときは感情が抜け落ちたかのように無表情になる。だから感情がまったく読めない。
次に強いのがお市。具房からノウハウを吸収し、いい勝負をするようになっている。
伸びたお市に抜かれたものの、蒔も負けず劣らず。葵や新参の毱亜はそれほど向上心を持っていなかったが、高いレベルで競うなかで自然と強くなった。
そんな親たちに囲まれるなかで育った鶴松丸の腕前も高くなっている。本当に遊びとして楽しんでいる徳川家の人間に、遊びがどこかへ行って勝負になってしまっている北畠家の相手になるわけがなかった。
何度かやり、督姫がほぼ毎回一抜けになった。とくが一番! とはしゃいでいるが、実際は鶴松丸が調整しているだけである。勝ちが多いので、たまに二抜け三抜けになっても気にした様子はない。
が、そろそろ飽きてきたらしく別の遊びがしたい、と言うようになった。リクエストに応え、遊びを七並べに変える。こちらは人間の心理を読む必要すらなく、自分のカードを止めておけばいい。それが七に近い数字で、なおかつ複数枚あれば一抜けできる確率は非常に高くなる。
「(出せる)札がないよぉ……」
が、それで督姫にも被害が及んだ。ヘソを曲げられては堪らないので、鶴松丸はその戦術を封印することとなる。
こうなると単純に運勝負となるため、鶴松丸はたまに最下位となった。督姫はケラケラと笑っている。反対に侍女たちはどうしよう、とか申し訳ないといった雰囲気を出していた。
鶴松丸は気にするな、と侍女たちに言う。これはあくまでも遊びであって、そこに社会的地位を持ってくるようなみっともない真似はしない。督姫に対しても子どもだから優遇しているだけであって、もし分別がつく年齢になれば容赦しなかっただろう。
そうこうしているうちに、七並べににも飽きた督姫。今度は神経衰弱を始める。これは純粋に督姫が強かった。彼女は記憶力がいいらしく、次々とカードを揃えていく。鶴松丸がそれを猛追。対して侍女たちはカードが減るまで揃えることができなかった。
「やった! とくのかち!」
「強いな、督は」
鶴松丸は賛辞を贈る。これは本心からだ。督姫はえへへ、と嬉しそうに笑う。そうしてあれこれ遊んでいるうちに夜になってしまった。
「そろそろ夕食のお時間です」
別の侍女が呼びに来た。
「もうそんな時間か」
外を見て、鶴松丸は体感以上に時間が経過していたことに気づく。そろそろお開きにしよう、と鶴松丸は提案した。督姫は渋ったが、滞在期間中にも遊ぶということで落ち着かせた。
その後、広間で具房たち一行の歓迎会を兼ねた宴会が始まる。冒頭、知らない人がいる、と督姫が具房に怯えた。家康が何か言いかけたが、具房が止める。
「北畠大納言。鶴松丸の父だ。よろしく」
「つるさま(鶴松丸)のちちうえ?」
本当? という目を鶴松丸に向けてくるので頷いた。すると安心したのかとくです、と元気に挨拶をした。
(申し訳ない……)
(初めてなのだ。気にしていない。後で叱るとかはしないでくれ。こっちが申し訳なくなる)
(わかりました)
具房の意向もあり、督姫の失策は不問にされた。
全員が席に就いたところで乾杯となる。具房は出された料理を見て驚く。海鮮がメインだが、ぼたん鍋が出されていたからだ。
これは、北畠軍が長らく駐屯している影響だ。彼らが山に入って動物を狩り、食べている。それを見て食べたいと思った者が倣い、メジャーになっていった。北畠軍は乞われると調理を指導している。
具房がやって来るため、徳川家の料理人たちは北畠軍から好みの味を教えてもらっていた。それに合わせて調味しているため、具房はまるで伊勢で食事をしているような気分になる。
だが、北畠に寄せてばかりいるわけではない。ちゃんと独自色も出している。その役割を担っているのが駿河独特の海鮮ーーサクラエビだ。これがカラッと揚がったかき揚げになっている。口にすればサクッと音を立て、瞬時にサクラエビの旨味が口一杯に広がった。
さらにシラス丼もいい。白飯とともにかき込めば、シラスの塩味をご飯の甘味が包んで絶妙なハーモニーを奏でる。駿河のご当地グルメを具房は堪能した。
他方、鶴松丸は督姫と楽しく食事をしていた。お子様ランチのように、プレートに少量の料理がいくつも載っている。督姫はそれをひとつひとつ美味しそうに食べていた。
「つるさまはいつまでいるの?」
雑談するなかで、そんな疑問が投げかけられる。
「え?」
訊かれて、そういえばいつまで滞在するのか聞いていないことに気づいた鶴松丸。すぐに訊ねた。
「まあ、明日や明後日ということはない。一週間後か、半月後か……そのくらいだ」
どんなに伸びても一ヶ月はかからない、と具房。鶴松丸は珍しい、と目を丸くした。大体、具房が何かやるときは綿密な計画が立てられている。これまでの道程も計画があり、それに基づいて旅をしてきた。それがここにきてまさかのノープラン。驚きを禁じ得ない。が、それはまだまだ序の口だった。
「それから、わたしは明日からしばらく前線の視察に行く。その間、失礼のないようにな」
「わ、わたしも行きます!」
「そなたは督姫との約束があるのだろう? 気にすることはない」
具房は同行を願い出た鶴松丸を、督姫との約束を盾に断った。そして翌日、具房は鶴松丸を置いて前線の視察に向かう。彼が不在の間、鶴松丸は督姫の遊び相手となった。