鶴旅 畿内編
新章突入早々、鶴旅シリーズ始まります。具房の子ども鶴松丸が各地を旅するお話です。閑話のようですが、本編です。割と大事なので、読み飛ばさないようお願いします。
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伊勢国の中心都市・津。この地を支配する北畠家の本拠が置かれ、堺などの商業都市にも負けないほど経済的に発展していた。それもこれも、具房が自重せず内政チートを行ったからだ。
街の中心には城がある。津城だ。戦闘というよりは、人々に北畠家の強大さを見せつけることが狙いである。特徴は、美しい城壁の天守。初めて見た者は、その美しさに思わず感嘆の声を漏らす。
そんな天守の下に具房が暮らす屋敷がある。前当主・具教は京の屋敷に住んでおり、弟妹もそちらへ移っていた。だから、屋敷に住むのは具房の家族だけだ。
北畠家は具房の代で急速に勢力を拡大した。同盟相手の信長は天下人。具房はその義弟であり、朝廷との関係も深い。武家としては信長に次ぐ実力者であり、何かと忙しかった。そのため年の半分は京にいる。
一応、具房がいなくても政治は回る。村長や町長が細々とした政治を行い、中央政府は官僚たちが回しているからだ。具房はそれを承認するだけである。
が、北畠家ほどの名門であれば体裁というものがある。具房がいない間は、領主代理(留守番役)が形式的に置かれていた。従来はお市がその役目を担っていたのだが、最近は鶴松丸が任されている。そろそろ元服(成人)であり、政治的な経験を積ませようという狙いがあった。お市や葵の補佐を受けつつ、日々仕事をこなす。
ある日のこと。京にいる具房から手紙が届いた。これ自体は珍しくない。家族に対してはかなりの筆まめな具房。いつどこでもーーそれこそ戦争をしていても手紙を送ってくる。しかも、家族ひとりひとりに宛てて。読み書きできるようになった子には必ず書く。わかるように平仮名オンリーで書くという親切仕様である。
鶴松丸もこの手紙を楽しみにしていた。自分の後継者に宛てたものだから、内容は勉強や武芸に励んでいるかと問うようなものだと思われがちだ。そういう要素もあるにはあるが、ごく一部でしかない。ほとんどは他愛もない話だ。体調は悪くないかというお決まりの問いに、庭の花が咲いたとか、近くの住民が何かしてくれたなど。堅苦しい話はほとんどない。純粋に家族と交流したいという具房の気持ちが伝わる。
なかでも鶴松丸が好きなのは紀行文。具房はどこかへ行くと必ず、その土地の風土について書く。気候や地形、特産品などなど。鶴松丸はそれを通して外界を知る。いつも伊勢にいる鶴松丸にとって、手紙は外の世界を知るための貴重なツールだった。
「これが鶴松丸の分ね」
「ありがとうございます、母上」
お市から手紙を受け取った鶴松丸。何が書かれているんだろう、とワクワクしながら封を切る。
「え?」
鶴松丸は手紙を見て驚く。前半はいい。いつも通り体調を心配し、勉強しているかと訊かれ、自分(具房)は何々した、何処へ行ったと書かれてある。目玉はやはり淡路決戦。なるべく戦うなと教えられているが、やはり勇ましい戦いというのは気分を高揚させる。しかも具房は小説風に脚色しているため、面白い。なお、具房が寄越した戦記風の手紙は後に『〇〇合戦演義』と本当に小説化され、大衆小説の火付け役となるのは後の話。
閑話休題。
ここまではいつもの手紙だ。問題は追伸。鶴松丸が驚いたのはそこだった。そこには、
『伊勢はお市に任せて上洛せよ』
とある。鶴松丸はそれに驚いた。これまで伊賀、志摩、大和、紀伊といった北畠家の領地は何度も巡った。具房も暇があれば各地を巡るよう鶴松丸に勧めているのだが、領外には出したことがない。一種の禁令だったのだが、今回それが解かれることとなった。
「どうしたの?」
「父上が『上洛するように』と」
「まあ」
お市も驚いた様子だったが、具房の指示だからと疑問を挟まず準備を進める。次期当主が動くとあって、それなりの人員が動く。今回は淡路から帰還していた戦列艦に乗って京を目指す。船を使うのは、紀伊半島を回って田辺や和歌山を経由して来るように、と具房から指定されているからだ。
(何でだろう?)
不思議に思いながらも言われた通りに準備する。寄港地に設定したのは鳥羽、田辺、和歌山。それらを経由して堺へ入港。そこからは陸路で上京する。堺には具房が迎えを手配するとのことなので、護衛はほとんど連れていない。
道中は特に危ないこともなかった。伊勢は無論のこと、紀伊も北畠家の支配を受け、町は大きく発展。生活レベルも向上し、人々の多くは善政を施す具房を支持している。だから笹竜胆(北畠家の家紋)を掲げた船を襲う者はまずいない。
そして、民衆の支持はそのまま鶴松丸にも向かった。善政を敷く具房の嫡子ということで、人々の期待は大きい。それは行く先々で歓声や差し入れなどという形で現れた。
「侍従様(鶴松丸のこと)! ようこそ!」
「これ、朝獲れた魚です。どうぞお持ちください!」
「こちらは朝獲れの山菜です!」
という具合に、次々と領民が現れては歓迎の言葉を述べたり、贈り物を置いていく。
「ありがとう」
鶴松丸はひとりひとりに礼を言う。それは具房のスタイルに倣ったものだ。鶴松丸が幼いときは、具房が彼を連れて各地を巡っていた。そのとき、どんな身分の相手でも自ら対応していた光景が目に焼き付いている。それを模倣した。
そんな調子で堺への船旅を続ける。和歌山からは、淡路から派遣されてきた船団が護衛にやって来た。石山で戦闘が継続している以上、何かが起こる可能性はないことはない。万が一に備えて護衛を増強した。
ただ、幸にして何かが起こることもなく船は堺に着いた。そこまで送ってきてくれた船は淡路へ向かう。明石決戦で毛利水軍に大打撃を与えたとはいえ、東京急行が行なわれないとも限らない。滝川軍は帰ったが、北畠軍は(数は減ったものの)駐屯を続けている。
堺で一泊する予定なので、時間には余裕がある。鶴松丸は送ってくれた感謝を込めて、淡路島へと向かう船団を見送った。その後は納屋へ向かう。今井宗久から招待を受けていたからだ。
「ご無沙汰しております、若殿」
「今井殿。お久しぶりです」
「そうですなぁ。かれこれ五年はお会いしておりませんでしたか」
宗久は昔を懐かしむように目を細める。幼い頃の鶴松丸の姿を思い浮かべているのだ。が、あの頃はまだ子どもで今なら絶対にやらない失態(黒歴史)が多くある。鶴松丸は話題を逸らしにかかった。
「今回は、父に呼ばれて上洛しております。何か伺っていることはありませんか?」
「ん? はは、これは失敬。昔話をしに来られたわけではなかったのでしたな。お父上の件ならばひとつ情報があります」
「どのような?」
「どうやら旅の準備をされているご様子」
宗久からの情報提供を受け、鶴松丸は考える。まず浮かんだのは帰国する準備をしているというもの。が、それを『旅の準備』と言うだろうか?
(俺の考えすぎか……?)
細かいところがついつい気になってしまう鶴松丸。疑問を疑問のまま放置するな、という具房の教えもあり、ならばと訊いてみた。
「伊勢へ帰るのでしょうか?」
「そう思ったのですが、どうも違うようです」
宗久が得た情報では安土や岐阜、清洲の他に岡崎や浜松など東海道方面にかけて頻繁に連絡がとられている。つまり、今回の目的地は東海道ということだ。
「徳川殿に会いに行かれるのではないでしょうか」
「なるほど」
具房の目的が家康との面会であるらしいことはわかった。が、不可解な点は残っている。鶴松丸が呼ばれたことだ。
(京の留守はお爺様や叔父上に任せるはず。なのになぜ俺を呼んだんだ?)
わからない。京にいる親族(具教や具藤など)には、彼らが伊勢に戻ってきたときに会っている。年単位で離れているわけではない。公家たちへの顔見せなのかもしれないが、彼らとも伊勢詣に来たときに会っている。そう何度も会う必要性を感じない。
あれこれ悩んだが、結局、呼び出された理由はわからなかった。さすがの宗久も具房の心のなかまでは見通せない。だが、鶴松丸は諦めきれず、京に着くまで悩み続けることとなった。
「長旅お疲れ様」
京に着いたのは夕方。鶴松丸は北畠屋敷に入ると、自分の部屋に入って旅装を解く。ひと息吐くや、具房の部屋に通された。そこで労いの言葉をかけられる。
「父上。今回の上洛は何が目的なのですか?」
鶴松丸は挨拶もそこそこに今回の目的を訊ねる。京には北畠一族が揃っており、考えようによっては族滅のチャンスだ。万が一のことがあったらどうする? と具房を責める。が、当の本人は知らん顔だ。信長がそんなことをすれば北畠家を敵に回す。上杉が内紛で脱落したのに、自ら敵を増やすようなことを彼がするとは考えにくい。だから考えすぎだ、と一蹴した。
「父上(具教)たちはもうすぐ戻るだろう。明日からしばらくは各家への挨拶回りだ。それが終わったら駿河へ行くぞ」
「駿河へ?」
「徳川殿に会って挨拶をせねばな」
娘さんをください(この場合は貰います?)という結婚における通過儀礼的なものだ。もう話はついているので断られることはないが、現代人の思考が残る具房としては是非ともやってもらいたいところ。他にも、正室となる督姫と顔合わせするという目的もある。会っておいて損はない。
京では信長は無論のこと、五摂家や清華家、在京していた長政を訪問した。一部では素っ気ない対応をされたものの、概ね好感触だった。例えば信長は、
「大きくなったな」
と鶴松丸の成長を喜ぶ。彼は房信と仲良くしてくれ、とも言った。具房と信長の関係のようになってくれという願いからだ。具房も賛成である。
長政たちからは今後ともよろしくと言われた。北畠家は織田家と並ぶ重要なパトロンであり、代替わりしてもそうあり続けて欲しい、というメッセージである。それは北畠家にあまりいい気持ちを持っていない一部の公家も同じ。
これに対する鶴松丸の返答は、もちろんというもの。若輩者ですがよろしくお願いいたします、と続けた。強者が下手に出ると恐ろしい。今回、面会した者たちは思った。北畠の次代も切れ者だと。
鶴松丸もそれを意識して面会に臨んでいた。自分に注目させるために。具房の強者ぶりは天然物だ。普段から物腰柔らかく、どんな相手にも丁寧に接する。それが強者が下手に出ている、と認識されているだけだ。対して鶴松丸のそれは計算されたいわば養殖物。さすが織田(時代の麒麟児)と北畠(伝統ある名家)とのハイブリッドである。
夜は連夜、宴会と呼べるほど豪華な食事が出た。鶴松丸がやってきたことに具教が喜び、具房に夕食を豪華にしてはどうかと言ってくる(圧力をかけてくる)からこうなった。
嫡孫ということで、だだ甘お爺ちゃんと化している。親バカ全開だが、偏屈じじいになられるよりはマシかと具房はご馳走を用意させた。京という立地上、日本海と太平洋の双方の食材が入ってくる。急な宴会だったが、それなりのものを用意することができた。
「しかし、明日からまた居なくなるのか。寂しいのう」
具教は別れを悲しむ。そうだ、と具藤やその他の兄弟たちが同意した。
「兄上(具房)。鶴松丸の元服はどこでやるのですか?」
「京でやろうと思っている」
烏帽子親として信長が立候補していた。彼から偏諱を受ける予定なので丁度いい、と具房はこれを受けるつもりだ。天下人である信長を伊勢まで呼びつけるわけにはいかないので、鶴松丸の元服は京でする予定である。
「そうか! ならそう遠くないうちに会えるな」
「初陣も近い。鶴松丸もそのつもりでな」
「はい、父上」
「よし、鶴松丸。飲め!」
酔った具教が鶴松丸に酒を勧める。が、具房が止めた。酒は(御神酒などを例外として)十八からだと。
「むう。儂の子は皆、下戸で困る」
「酒は飲むより嗜む方がよいのです。ですよね、兄上?」
「そうだな」
具房の薫陶により、兄弟は酒を溺れるように飲むよりも楽しむようにして飲むようになっていた。これは具房の貢献が大きい。彼は酒の品質を向上させ、清酒をはじめとした美味い酒を多数生産させていた。これによって酒が単に酒精で酔うためのものではなく、味を楽しむものとなった。具房以下の世代はそんな環境で育ってきた。だから酔うために酒を飲んできた具教と認識の差異があるのだ。
酔った勢いも手伝って、酒の認識について親子であーだこーだと議論が始まる。鶴松丸は出された料理を完食すると、巻き込まれて堪るか、とそそくさと退出して就寝した。
飲酒年齢が十八になっているのは、平均寿命の差を考慮した結果です。注意するまでもありませんが、一応。
お酒は二十歳から。酒は飲んでも呑まれるな。
これを守って楽しみましょう。