龍墜つ
今回、尺の関係でとても短いです。
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毛利軍の敗報は備中高松城にいる輝元たちに伝わった。これに激怒したのが義昭。
「またしてもしくじったか!」
「面目次第もございません」
義昭に呼び出された輝元は平謝りだ。小心者の義昭は、自分に意見する隆景や威圧感のある元春があまり好きではなかった。だから、自ら呼ぶことはしない。向こうから来れば会うが、気に入らなければ機嫌を損ねたと適当にあしらっていた。
その点、輝元はいいサンドバッグだ。若く人生経験が乏しいため、素直な性格をしている。義昭という権威に盲目的に従い、叱責されてもその鬱憤を晴らす矛先は家中へ向かう。だから、義昭はよく輝元を呼んでは当たり散らしていた。今回も同じである。
が、義昭は輝元を嫌っているわけではない。むしろ気に入っていた。
(織田や北畠のように面倒ではないからの)
要するに、御しやすい(自分の言うことを聞いてくれる)から気に入っているのだ。義昭の自分至上主義なところは、京を追い出されてからも変わっていない。むしろ地方の方がチヤホヤされるため、悪化していた。
義昭の目的は単純明快。足利家の復権である。三代・義満のときのように、絶大な権力を振るい諸大名や公家を従えるのだ。京の制圧も打倒信長も、その過程にすぎない。
(何とかせねば……)
思案する義昭。石山への救援は失敗した。輝元を介して受けた隆景からの説明では、水軍の再建には少なくとも二年かかるという。石山がそれまで持ち堪えられるかは疑問だ。落ちることも考えておかなければならない。
有利に上洛を進められるのは、石山が健在で織田家の戦力を分散させられている今。そして自身が帰洛するためには毛利、武田、上杉などが一致協力して同時多発的に上洛しなければならない。上杉、武田は計画を練っている。毛利は今回の作戦が失敗した以上、陸路で攻め入る新たな計画を立てる必要があった。
問題は、それを誰にやらせるのか。毛利両川はダメだ。作戦を失敗しており、何かと反抗的で気に入らない。が、彼らを除くとまともな武将がいないのも事実だ。
(……いや)
いる。目の前にいる輝元だ。軍勢の指揮は専ら叔父たち(元春と隆景)に任せているが、彼は謀神・毛利元就の孫だ。その手腕は高いかもしれない。もしかすると父・隆元の徳才を引き継いでいるかもしれないが、その可能性には目を瞑った。
「ここは貴殿が出るべきではないか?」
義昭は輝元に自ら軍を率いて上洛するように持ちかける。あの少輔次郎(毛利元就)の孫だ。軍才は叔父たちにも劣らない(かもしれない)。家臣に任せるのもいいが、ここは公方を佐ける存在として自ら采配を振るってはどうかと。
とにかく煽てて輝元を木に上らせる。若いからこそ調子に乗りやすく、義昭という武家の棟梁から己の将才を褒められたことで、狙い通りに輝元はその気になった。
「吉報をお待ちください!」
「うむ。期待しておるぞ」
義昭は輝元を快く送り出した。
成功すれば自分の権威が高まる。失敗すれば、それは輝元の責任。自分の権威に傷はつかないーーそんな計算の下、義昭は輝元を嗾けたのだった。
「なりません」
意気揚々と帰ってきた輝元は、義昭から自ら上洛戦を指揮するよう言われたと隆景に話した。準備を進めろというニュアンスで、隆景はそれを正しく受け止める。その上で反対した。
(都合よく使われているだけだ。受けるべきではない)
それが隆景の考えだった。しかし、面と向かって言うことは憚られる。輝元はよくも悪くも純粋だ。義昭の言われるがままになっている。これでは苦労して築き上げてきた毛利家が、義昭に私物化されてしまう。それを止めるのが自分の役目だと隆景は思っていた。
だが、輝元からすれば面白くない。隆景もそう思われることは織り込み済みで、何とか口実になりそうなことはないかと思案を巡らせる。結局、その日は有耶無耶になった。
変化があったのは翌日。隆景の許にある情報がもたらされた。
(これは使える!)
隆景はすぐさま義昭の許を訪れた。情報の緊急性もあったが、唆した人間を止める方が手っ取り早いからだ。
突如として面会を申し込まれたことで、義昭は身構える。上洛のことは輝元から聞いているはず。それに文句を言いに来たのだと思ったからだ。
その予想は半分正解。隆景の目的は上洛を止めること。文句とほぼ同義だ。ただ、彼がそのことを直接言わなかったため、外れになった(義昭は真意に気づいていない)。
「火急のお話ゆえ、ご無礼をお許しください」
「……何用だ?」
しょうもない案件ならそれを口実に責め立ててやる、と義昭。が、そんな考えは報告を聞いて雲散霧消した。
「越後の上杉殿が身罷られた、とのことです」
「なにっ!?」
織田包囲網の一角、上杉謙信が死んだという報告に義昭は衝撃を受けた。しかも、上杉家では謙信の養子たちーー景勝と景虎の間で家督争いが勃発しつつあるという。さすがの彼も、このまま上洛戦を始めたのでは北陸軍がやってきて苦戦することは予想できた。計画は白紙撤回せざるを得ない。義昭はその場で上洛を延期することを告げる。隆景が帰るとすぐに筆を取り、各所へ手紙を送り始めた。
一方の隆景も、上洛が延期されたことに満足していた。
(できれば長々とやってくれ)
心のなかでそう願う。謙信の死が、情勢を大きく変化させるのだった。
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謙信の死は当然、具房たちにも伝わっていた。むしろ、情報を掴んだ時期は毛利家よりも早い。明石で大勝利を収め、京へと凱旋してきた具房は早速、信長と対応を協議した。
「義弟殿(具房)。ご苦労だった。これで石山も落ちるだろう」
「ありがとうございます。滝川殿も活躍していましたよ」
「うむ。彼奴にも褒美を取らせよう」
一益の活躍をちゃんとアピールしておく。実際、彼らの鉄甲船が果たした役割は大きい。正直、具房はこの戦いで海軍の半数が沈むことを覚悟していた。ところが、実際に喪失したのは戦列艦二隻とフリゲート三隻のみ。損害は極めて軽微だ。
これは疑いなく滝川軍のおかげである。言い方は悪いが、彼らが毛利水軍のサンドバッグになってくれたから、北畠軍が受けた被害が少なかったのだ。そこは明らかにしておいた。
だが、今日の主題は謙信の死への対応。明石決戦での話もそこそこに、話題はそれに変わる。
「上杉が乱れているようだな?」
「ええ。弾正(景勝)派と三郎(景虎)派で争っている様子です」
謙信亡き後の上杉家の当主を決める内乱ーー史実における御館の乱だ。具房はすぐさま諜報員を増やし、情報を具に集めた。現在は、春日山城の内部で戦いが起こっている。優勢なのは景勝。先んじて武器庫や金蔵を掌握し、景虎を圧倒している。このように得た情報を、隠すことなく信長に伝えた。
信長は具房の耳のよさに驚きながらもそれを聞く。これまでもこのようなことはあり、その都度、裏取りを行った。結果はすべて正しい。実績があるため、信長は具房からの情報をほぼ鵜呑みにしていた。自分でも調べないわけではないが、具房から聞いた方が早い。どうせ同じ話なのだから。
「それで、何か企んでおるのか?」
具房の情報収集能力はとても高い。が、たまに予想していたのでは? と疑いたくなるほど早くに情報を集めてくることがある。そういうときに限って、何か悪巧みをしていた。信長は今回も何かあるのでは? と考えたのだ。
「そんなことは……いえ、隠し事はよくありませんね」
最初は隠そうとした具房だったが、すぐに考えを改めた。進めようとしていることは、信長にも関係することだ。だからある日、急に話を持ち込むよりも事前に話して気持ち的な準備をしてもらう方がいい。人払いがされていることを確認して、具房は腹案を述べた。
「端的に言えば……武田を滅ぼします」
「どうやるのだ?」
信長の目が鋭くなる。できるのか? とは訊かない。具房がやると言ったらやる。実現してしまう。出来ないことは言わない。だから信長はどうするのか? と訊ねる。
「それはーー」
武田家を滅ぼす策を語る。これを聞いた信長は最初こそ訝しそうにしていたが、やがて痛快だ、と笑った。
「面白い。我も用意を進めよう」
「お願いします」
かくして、武田家を滅ぼすために二人は策動を始めた。