明石決戦 後編
今回、視点移動が激しいです。
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「楽なものだな」
村上武吉は船上で呟く。彼が乗る船の周りは大小六百にも及ぶ船が取り巻いている。村上、小早川といった瀬戸内の有力な水軍がすべて参加している大船団だ。その指揮官が自分だと思うと、武吉は自分も出世したものだと優越感を抱く。
この大船団は石山へと向かっている。物資を満載した船は四百隻以上。その他の船も、多少の物資や門徒を乗せていた。こんなことができるのは、前回の戦いで織田水軍を壊滅させ、それほど激しい妨害は想定されていないからだ。
「織田軍は船を作っているとの情報もありやすぜ」
「ふん。一年やそこらでどれだけの船が造れるというのだ」
「それもそうですな」
頑張っても、出てくる敵は百かそこら。練達の自分たちが負ける相手ではない。細やかな抵抗を排除し、石山に物資を運び込み帰るだけの簡単な仕事だ。
船団は自分たちこそ日本最強の水軍だ! と主張するかのように瀬戸内の海を威風堂々と航行する。そして間もなく淡路島という地点までやってきた。
「お頭、どうします?」
「明石を通るぞ。鳴門の荒海なんぞ通りたくもない」
「へい!」
武吉は迷わず明石海峡を通過すると告げた。淡路島を挟む二つの海峡ーー明石と鳴門。いずれも潮の流れが速い難所といわれているが、前者の方が比較的緩やか。よほどの事情がなければ鳴門を通ることはない。
船団の動きは数日前から北畠軍に察知され、マークされていた。当然、準備を整えて待ち構えている。天気は晴れ。波も高くはない。『天気晴朗なりて波高からず』といったところか。作戦通り、滝川軍の鉄甲船が海峡出口に陣取っていた。
「お頭、敵です!」
淡路島が見えるのとほぼ同時に、鉄甲船も見えた。武吉はひと言、
「でかいな」
と呟く。見えている鉄甲船は、側を走る関船とほぼ同じ大きさ。水平線ギリギリの位置でそれだけの大きさなのだから、近づけば自身が乗る安宅船よりも大きな船だということがわかる。
「が、大船だから強いというわけではない。……野郎ども! 船戦の何たるかを奴らに教えてやれッ!」
「「「応ッ!」」」
武吉の号令で旗艦の士気が上がり、雄叫びが上がる。それは周りの船に伝播し、やがて船団全体に伝わった。
毛利水軍は速度を上げて明石海峡へ突入を始める。先頭を行く船の船員が目前の敵を見て、
「横腹を晒して……間抜けな奴だな」
と漏らす。横にいた仲間が乗っかった。
「船が大きすぎて、まともに動けないんじゃないか?」
「それだ」
「馬鹿な奴らだぜ」
はははっ! と笑い声が上がる。
直後、彼らは炎に包まれた。
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淡路島に設置された砲兵陣地。その近くにある山の頂上には監視哨が置かれていた。常に数名の兵士が立ち、接近する船団がいないかを監視している。毛利水軍が近くにいると伝わってからは、これまでより人数を増やしていた。
監視員全員が、目を皿にして西の水平線を見る。そのうちのひとりが船を発見した。通商の船かと思ったが、ぽつぽつと数が増えていき、ぱっと見で二十を数えられるまでに増える。こんな船団はあり得ない。
「敵だ!」
反射的に叫ぶ。
「どこにいる?」
「西北西です!」
促され、その方向を見る。報告の通りに船団の姿があった。やや時間が経っているため、数は五十ほどに増えている。
「よし、緊急警報を出せ。内容は『敵船団接近す。直ちに迎撃態勢をとられたし』だ」
「はっ。『敵船団接近す。直ちに迎撃態勢をとられたし』送ります」
通信員が一定の規則(モールス信号)に従って紐を引く。紐の先には鈴がつけられており、下にいる通信員がリレーして麓の陣地に伝える。この方法は狼煙を上げるよりも敵に気づかれにくいという利点があった。具房も敵に警戒感を抱かせずに済むことから、可能な限り信号を使うようにと言っている。タイムラグもほとんどない。むしろ、細かい命令を伝えられるのでこちらの方が優れているともいえる。
ともあれ、こうして情報は島のあちこちに伝達された。島は蜂の巣を突いたような大騒ぎになる。砲兵陣地では砲を展開。続いて照準、弾込めとなる。雨に濡れないよう、射撃位置から退避させていたのだ。それをやり直すのは訓練でこなしているとはいえ大仕事。それでも十分とかからずにやってのけた。
港では船員が船へ飛び乗り、揃った船から次々と出港する。海へ出た後も弾込めなどで忙しい。だが、その動きは島に来てから何度も訓練したもの。未熟な滝川軍も含め、全体が敵の到着前に迎撃準備を整えられた。
開戦の狼煙は砲兵が上げることになっている。込められているのは、この戦いのために開発されたナパーム弾。これが決まるか否かで戦いの行方が決まるといっても過言ではない。島に来るまで、演習場で何度も撃った。中身は着色した水だったが、どのように撃てば効果的かはすでに判明している。後は訓練通りにやればいい。兵士たちはそう自分に言い聞かせた。
射撃のタイミングは戦場を俯瞰している監視哨が判断する。花火が打ち上がったときが、開戦の合図だ。そのときを固唾を呑んで待つ。一秒が一時間にも感じられるような長い長い待機の末、
ーーダーン!
と青空に大輪の花が咲く。合図の花火だ。
「撃てーッ!」
間髪入れずに砲撃の号令が下り、陣地は耳をつんざく砲声と朦々とした砲煙に包まれた。
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炎の壁が生まれた。空中に炎の壁が生まれ、先頭を進む船へ降り注ぐ。木でできた船は当然のことながら燃え上がった。奇怪なのは、水をかけてもそれが消えないこと。それどころか、水面さえも燃えている。
服に火が移った。消えない。水をかけても、叩いても。服を脱いでも皮膚が燃える。堪らず海へ飛び込んでも火が消えることはない。
「……何が起きたのだ?」
「さあ?」
「わかりませぬ……」
旗艦の船員たちは武吉を含め、目の前の光景が理解できなかった。ただ言えることは、先陣を切った数十の船が一撃で葬り去られたという事実だけだ。
「北畠は妖術を使うのか……?」
そんな荒唐無稽な話も出てくる。が、目の前の現象を説明できないため、それは変な信憑性を持たせた。
「あの船がやったのか?」
「だが、煙が上がってないぞ?」
「どこから煙が?」
「島だ!」
砲煙が淡路島から上がっていることに気づく。それで攻撃が島からのものだと知った毛利水軍。異常事態に接して混乱していたのか、少し珍妙な意見が飛び出す。
「……攻撃してこないあの大船は張りぼてか?」
そんな考えが生まれる。常識の埒外にある巨大な船を目前にして、虚仮脅しではないのかという疑念が生じた。武吉は決断する。
「増速しろ。お前ら、死ぬ気で漕げ! 多少、攻撃されても構うな! 突っ切るぞ!」
号令を受け、漕ぎ手が力の限り船を漕ぐ。旗艦の増速を見て、味方もそれに倣った。速度の速い小早、関船を先頭に毛利水軍が明石海峡へ突入していく。それを北畠軍は正面から迎え撃った。
鉄甲船が砲撃を始める。こちらはただの鉄塊を撃ち出すだけ。加害半径はそれほど大きくない。だが、今は敵船がひしめいている。撃てばほぼ当たるというくらいに密集していた。
クラスター弾による攻撃は派手であるが、運動エネルギー弾による攻撃も負けず劣らず。前者が船を燃やし尽くすのに対して、後者は船を一瞬にして破壊する。直撃を受けると、木片を撒き散らしながら船が爆散する光景には凄まじいインパクトがあった。
ナパーム弾が空に炎の花を咲かせ、鉄弾が高い高い水柱(頻繁に木片が交じる)を上げる。その中を毛利水軍は驀進した。
「ちっ。運が悪い。逆流だ」
折り悪く潮は大阪湾から瀬戸内海へと流れていた。そのため水軍は全速を出すには至らない。
「相手が向かってこなくて助かったな」
流れに乗って接近戦を挑まれることを警戒していた武吉。だが、敵にそのような動きはない。どうやら彼らは明石海峡に陣取って戦い、瀬戸内海には出ないつもりらしいと察した。まあ、向かってきたなら焙烙火矢などで焼き討ちするだけだが。
「ん?」
そんなとき、鉄甲船の背後から数隻のフリゲートが現れる。まさかの新手。少数だが、小型の船なので機動性は高いことがわかる。流れに乗って接近されたら厄介だ。武吉は応戦の準備を急がせる。が、彼が心配したように敵が突っ込んでくることはなかった。
「敵船、反転しました」
フリゲートは鉄甲船の周りをグルリと周回すると、大阪湾の方へ舳先を向ける。警戒感を煽り、あわよくば戦列が乱れればという狙いだったのだと武吉は結論づけた。
しかし、その読みは外れ。北畠軍の真の狙いは海流だ。毛利水軍へ強い海流が流れるようになったのを見て、フリゲートが進出。ある置き土産を残していた。
「……樽?」
ある船員が、船にまとわりつく樽を目にする。直後、樽が爆発した。
「な、何だ!?」
近くにいた者は、急な爆発に驚く。上空から落ちてくるクラスター弾に目を奪われ、下に目が行っていなかった。そのため、状況を理解するのにかなりの時間を要した。
「樽だ! あの樽が爆発するぞ!」
「さっきの船か!」
気づくが、今さらどうにもできない。
「回避! 回避だ!」
船員が舳先にへばりつき、樽の有無を確認。回避していく。だが、躱しても樽の方から寄ってきた。しかも、かなり速い。
「なぜ!?」
愕然とする毛利水軍。カラクリは、これが連繫水雷だから。以前、武田水軍を撃破した実績がある。狭い海峡では回避行動を制限され、戦列も乱れやすい。運よく回避に成功しても、あちこちで団子状態になっていた。これを見逃す北畠軍ではない。
次々に砲弾が降り注ぐ。陸上から砲撃する利点は狙いが正確であること。決戦に備え、予め照準してあった。現代であればコンピューターが瞬時に最適な諸元を教えてくれるが、戦国時代にそんなものがあるはずもなく、試行錯誤と経験で照準を完成させている。
団子になったところへクラスター弾が正確に撃ち込まれ、次々と船を炎上させていく。毛利水軍の被害はこの時点で二百を数えた。だが、武吉は突入を続ける。団子になった船に砲撃が集中した結果、そうならなかった集団が海峡を突破し、鉄甲船に迫りつつあったのだ。
「突撃しろ! あの船を火達磨にしてやれ!」
武吉が旗艦で吼える。言われるまでもなく、前線ではやられた味方の仇だ、と猛烈な攻撃を始めた。
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「敵が鉄甲船に迫りましたな」
「いよいよ本番だな」
淡路決戦の指揮を任された九鬼澄隆は、静かに闘志を漲らせる。決戦は最終段階に入っていた。ここまで、毛利水軍に波状的に攻撃を仕掛け、その戦力を削ってきた。後はガチンコでぶつかり、雌雄を決する。
「各艦へ伝達。『我に続け』」
それは直ちに信号で各艦に伝えられた。旗艦を先頭に、北畠軍の主力部隊である戦列艦が戦場に進み出る。
先に決戦の火蓋を切ったのは毛利水軍。鉄甲船には通常の弓に加えて火矢、焙烙火矢が降り注ぐ。が、鉄板で守られた巨船は燃えることなく、相も変わらず攻撃を続けていた。洋上の要塞に恥じない戦いぶりだ。
必殺の焼討ちが通用しないことに、毛利水軍は混乱する。そこへ北畠海軍の戦列艦が姿を見せた。
「砲撃始め! 味方には当てるなよ!」
鉄甲船に当たらないよう注意しながら、戦列艦の砲門が開かれる。毛利水軍は一隻あたり百門を超える大砲による砲撃に見舞われた。比較的小口径の大砲だが、その面制圧力は絶大。次々と命中し、船体をズタズタにして海の藻屑にしていった。
「左舷十五度より敵、接近!」
「面舵十五。距離を保ち、正確な砲撃に努めよ」
接近されれば距離をとり、意識が逸れれば接近してくる。北畠軍のアウトレンジ戦法に、毛利水軍は徒らに被害を増やしていった。
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戦闘は最終盤を迎えていた。船団の過半数が海峡を通過しつつあり、武吉の乗る旗艦も海峡に突入している。だが、大きな安宅船はいい的であり、特に陸上からのクラスター弾に狙い撃ちされていた。それは、武吉の乗る旗艦も例外ではない。
ーーボン!
上空で小さな爆発音。それは砲撃を受けた証だ。空を見れば、黒い筒が赤い炎の帯を引きながら落ちてくる。炎が筒と接触した瞬間、再び爆発。炎の花が咲き誇る。
ドロリ、という音がしそうな粘着質な炎。溶岩にも似ている。それが降り注ぐと、木だろうが人だろうがお構いなしに燃やす。焼き尽くすまで。
武吉の旗艦も炎上する。必死に海水をかけて消火を試みるが、ナパームには効果ゼロ。その間にも火災の範囲は広がり、船はあっという間に火達磨になった。
「お頭、逃げてくだせえ!」
「おう!」
まだ火の手が回っていない船尾から這々の体で脱出する武吉。敵弾が降り注ぐなか、しばしの遊泳(強制)をさせられる。彼を拾ったのは、快速の小早だった。
「退くぞ」
「えっ?」
意外な言葉に目を丸くする部下。しかし、武吉は気にせず重ねて撤退を命じた。
「安宅船はいい的だ。かといって、関船や小早では動きが鈍るし、数が足りん」
今回の輸送作戦の主力は、大量の物資を積める安宅船だった。貨物が増えれば機動性は低下するが、元よりそんなものを期待していない安宅船ならば気にならない。が、低速で船体が大きい安宅船は大砲にとってはただの的でしかなかった。
では、関船や小早に積めばいいのではないかと思うが、そう単純ではない。そもそも積載量が違う。今回の作戦を関船や小早で行うのなら、今の倍は必要だ。そんな船はどこにもない。よしんば用意できたとしても、長所である機動性が失われる。海峡に突入すれば樽(連繫水雷)にやられるか、躱して密集したところに砲弾を叩き込まれて一網打尽だ。
「鳴門からなら行けるのでは?」
「同じだろう」
明石だけをガチガチに固めているとは考えにくい。程度の差はあれ、同じように防備が固められているだろう。そして何より、
「鳴門は明石以上の難所だ。危なすぎる」
世界でも有数の鳴門海峡の速い潮流が行く手を阻んでいた。
武吉は既に海峡を突破した船は石山へ向かうよう指示した。海峡をもう一度通るのは危険極まりない。それよりも、無事に石山へ着ける可能性に賭けた。自身を含め、海峡を突破できていない船は撤退させる。
「一対一か。……次は負けんぞ」
道中、武吉は再戦を誓う。彼らは特に追撃を受けることなく、無事にそれぞれの拠点へと帰還した。
悲惨だったのは、海峡を突破して石山へ向かった者たちだ。まず、その場で北畠軍の激しい追撃を受けた。帆走時の速力ではとても敵わない。だから全力で漕ぐ。だが、漕いでいるのは人間。当然、疲れる。あっという間に追いつかれ、袋叩きにされた。
幸運にも逃走に成功した者もいたが、目的地はバレバレ。待ち伏せを受け、沈められた(一部は降伏)。それをすり抜けても、石山沖には織田水軍が待機している。
「少ないな?」
そんな疑問を抱きつつ、九鬼嘉隆は「残党」といえる毛利水軍を殲滅。こうして具房の明石決戦は大成功を収めたのだった。