明石決戦 前編
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備中高松城まで後退した元春と隆景は、輝元から敗戦について糾された。敵より多くの兵を持ちながら、有力武将までもが討たれている。「大敗」といって差し支えない。
「どういうことなのだ、叔父上たち?」
「面目ない」
「北畠の力を見誤りました」
二人は消沈する。まんまと敵の罠に嵌ってしまった。返す言葉もない。猛烈に後悔しており、輝元の叱責も甘んじて受けた。だが、そんな二人にも我慢できないことがある。上座にでん! と座っている足利義昭だ。
「足利家の兵を預かりながら敗れるとは……汝等は公方の威を何と心得る!?」
といった具合に叱責してくる。とりあえず思ったのは、兵は毛利家のものであって足利家のものではない、だった。毛利家は家臣であり、家臣のものは主君のもの、といったジャイアニズムの発露である。
二人からすればふざけるな、という話だ。毛利の兵は毛利のもの。元就や隆元が苦労しながら少しずつ領土を広げていった結果、毛利家は今のような大国を治める大々名となった。そこに足利家は関与していない。なのにまるで自分の手柄のように言われると腹が立つ。
(なぜ我らは協力しているのだ?)
隆景は最近、ふとそんなことを思うようになった。強大化する織田家に対抗するためには諸大名との連携が必須。それは他家も考えるだろう。対織田大連合のなかにあって主導的地位を手にするために、京から追放された義昭を保護した。この目論見は当たり、打倒織田を達成した暁には、毛利家こそが室町幕府の庇護者となるだろう。
しかし、ここにきてその判断が誤りだったのではないかと思ってしまう。隆景の目に映る義昭は、配下の功績もすべて自分のものと勘違いし、将軍とは傍若無人に振る舞うものだと思っている愚か者だ。
(これなら織田に従い、領国を安堵されておいた方が得だったのでは?)
少なくとも交渉はすべきであった。強大化する織田家に焦り敵対したものの、その判断は軽率であったと後悔する。実際、織田家に従って影の天下人などと称される北畠家という実例がある。判断を焦りすぎたことは間違いない。
が、いくら嘆いたところで賽は投げられたのだ。今さら針路を変えられるわけではない。これは絶滅戦争だ。義昭は決して信長を許さない。反対に信長もまた、義昭を決して許さないだろう。生き残れなければ滅ぶ。これはそういう戦争だ。
隆景がそんな諦観を抱いている間にも話は進む。義昭は上洛を急いでいる。今が絶好の機会だからだ。今年、対織田連合を組んでいる有力勢力が一斉に攻勢を開始する手筈になっていた。
毛利家は既に攻撃を開始している。
上杉家は降雪のため帰国したが、雪解けするや北陸道を一気に南下して京を目指す予定だ。
武田、北条は共同で駿河へと侵攻する。
このように、三方面からの侵攻が予定されていた。しかし、これでは足りない。織田家は似たような状況にありながらも何とか凌いできたのだから。
最後の一手が必要だ。その鍵となるのが石山。ここに籠もる一向宗を蜂起させ、第四の戦場を作る。四箇所からの全力攻撃であれば、織田家も綻びを見せるだろうーーというのが連合側の判断だ。
そして、そのために必要なのが補給だ。石山は長年籠城し、城内の人間は疲弊しているはず。攻撃を始めるにあたって、元気な人間を送り込んでやる必要がある。そこで毛利家は、以前のように海路を使った補給を企てていた。
「石山への救援はしくじるでないぞ、小早川」
「はっ」
思うところがある隆景だったが、義昭の言葉に黙って頭を下げる。輝元は余裕といった様子だ。
「ご安心ください。我が水軍は精強です。織田も水軍の再建を進めているでしょうが、我らの敵ではありません」
「そうか」
自軍が圧倒的に優位だと聞かされて、義昭は満足そうに頷いた。
上杉は春に動くということで、毛利軍は余裕がある今のうちに動くことになった。隆景は自身の水軍(小早川水軍)や村上水軍を動員し、石山へ向けて送り出した。
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毛利水軍の動きはすぐに具房たちの知るところとなる。
「今こそ決戦のとき!」
具房は直ちに準備を始める。熊野にいた水軍を、陸上部隊と一緒に淡路島へ送り込んだ。信長も石山方面の兵力を増強。滝川一益や九鬼嘉隆らに軍船を率いて石山沖に向かうよう命じた。具房の淡路決戦案に基づき、一益はさらに淡路島へ船を向かわせる。その途上の堺で具房と対面した。
「大納言様(具房)」
「滝川殿。助勢に感謝する」
「いえ、日ごろお世話になっていますから。むしろ、これくらいしかできず申し訳ない」
一益は逆に恐縮した様子だ。彼とは領地が隣ということで、色々と交流がある。大名と他家の家臣ということで、力の違いは明らか。ゆえに持ちつ持たれつどころか、一益の方が一方的に寄りかかっているような状態だ。これくらいのことで、という思いは強い。
実際、北畠家の恩恵は大きなものがある。その最たるものは交易だ。滝川軍は他の織田家臣の軍に比べて装備が充実している。それは彼の領地が伊勢に隣接しているから。商都となった津へと繋がる道が通っており、そこには毎日のように大量の荷物が通る。海運が主力だが、陸運がゼロというわけではない。
隊商が通ると領地に金が落ち、それが一益の元に税として入ってくる。その金が軍備に回され、滝川軍を強くしていく。軍が強いと功績となり、信長からの覚えもめでたくなる……。そのメカニズムがわかっているから、津という街を創造した具房には感謝していた。この程度、という思いは本心だ。
挨拶を終えると、早々に軍議に入る。といっても一益は作戦に従うだけだ。軍議はその説明から始まる。
「作戦はこうです。明石、あるいは鳴門海峡の突破を試みる敵船団を海峡出口で待ち構え、これを撃破します」
「我らはどうすればいい?」
「滝川殿は、鉄甲船を明石海峡の出口に並べて封鎖してほしい」
「承知しました。だが、敵に突破された場合はどのように?」
「全軍が通過するまでそのままで。鉄甲船の防御力なら、敵に囲まれても問題ないので」
具房は鈍足の鉄甲船を固定砲台に用いることとした。陸上部隊(砲兵)と共同で、敵に打撃を与える。鉄甲船は大型の大砲を装備しており、パンチ力は折り紙付きだ。
逆に、北畠海軍はガレオンやフリゲートが主力であり、軽快であるが木製であるため(特に火器への)防御力が低い。大砲の威力も鉄甲船に劣る。そこで具房は機動防御を採用した。鉄甲船によって形成された防衛線を突破した敵船を優速な北畠海軍が始末する。
「しかし、それで防げますか?」
「海峡を通過する前後には、陸上部隊が絶えず砲弾を撃ち込む。もちろん完全に防げるわけはないが、相当の打撃は受けるだろう」
作戦目的はあくまでも石山への補給を断つこと。毛利水軍の殲滅ではない。半数でも撃破すれば補給は滞るだろう。そんな計算の下、この作戦は立てられていた。
作戦の全体像と目的を把握した一益は陣頭指揮を執るべく淡路島へ。具房は堺に残る。本人は行くつもりだったが、周りに止められた。仮に負けた場合、島で孤立することになる。それは危険だと。たしかに、と具房も引き下がった。
「では頼むぞ」
「お任せを」
淡路決戦を指揮する九鬼澄隆に全てを任せた。敵が来るまでの間、淡路島で過ごすことになった一益。彼には作戦を聞いて気になったことがあった。
作戦を説明してくれた具房はこう言っていた。『海峡を通過する前後には、陸上部隊が絶えず砲弾を撃ち込む』と。すると気になるのが、用意した弾薬の量だ。火薬はかなり高価で、信長も大々的に使用することはない。だから、どれだけの弾薬が備蓄されているのか興味が湧いたのだ。
なお、一益は「絶えず砲弾を撃ち込む」という具房の言葉を疑ってはいない。彼がやると言ったら本当にやってしまうことは、これまでの付き合いから知っている。だから彼の興味は島に蓄えられている弾薬に向かった。大量の高価な火薬を見たいという欲求は、金塊の山を見たい現代人のそれと似ている。
「いいですよ」
一益が頼むと澄隆は快諾した。火気厳禁、とあちこち調べられたものの、火が熾るようなものは何も持っていない。すぐに入室が許される。
「……」
そして絶句した。目の前には弾薬が入っているという木箱。それが部屋を満たしている。想像を遥かに超えていた。しかし、アメリカ軍のようになる、と決意した具房が内政チートを行い、工業力が同時代としては化物となった北畠家の物量はこんなものではない。
「まだありますよ」
折角だからと澄隆は島内に点在する弾薬庫をいくつか見せた。どこも部屋いっぱいに弾薬が詰め込まれている。一益は目が眩むような思いがした。
戦いが始まり弾薬が消費されると、弾薬庫から追加の弾薬が次々と陣地に届けられるという。これで、絶え間ない砲撃が実現されるのだ。
(これは敵わん)
具房が味方でよかった、と一益は改めて感じた。
北畠軍の軍備に度肝を抜かれながらも淡路島での待機は続く。敵が来るまで暇で士気が低下しそうなものだが、そこは具房が対策してある。明石のタコや、鳴門の鯛を使ったいつもより豪華な食事を提供し、スポーツなどのレクリエーションを行なって上手くストレスを解消させた。滝川軍もこれに参加し、一緒に楽しんだ。計算などが入る遊びはできないが、棒倒しなど運動する遊びは楽しめた。
一益はほう、と感心する。遊びひとつにもそれなりの知識が必要とされる。点数計算などがその最たる例だ。北畠軍の兵士たちは知的レベルも高いのか、と一益は衝撃を受ける。
そのように過ごしているうちに時間は過ぎていった。そしてある日の朝、ついにそのときがやってくる。
「毛利水軍が出港しました!」
これを受け、島ではこれまでの弛緩した空気は一変して警戒態勢が敷かれる。特に北畠軍の変わり様が凄まじい。昨日までワイワイはしゃいでいた人間が、厳しい表情で遊ぶこともなく軍務に従事している。これに滝川軍は驚いたが、やがて影響されて緊張感が生まれた。
砲兵は自分たちが使う砲に異常がないか念入りにチェック。整備にも余念がない。
船員も甲板を清掃し、可燃物はなるべく撤去。帆などの機構が動くかチェックし、弾薬を運び込む。甲板を清掃するのは、船上で負傷した際に傷口に雑菌が入る確率を下げるためだ。衣服も出撃時は清潔なもの(新品)になる。日本海軍の伝統のようなものだ。
理想は数日前に敵を捕捉すること。だが、発見が遅れればその日のうちに戦うことになるかもしれない。いつ敵が現れてもいいように、一定数の兵士は常に持ち場について出撃に備えた。