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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第一章
12/226

三旗衆

 






 ーーーーーー



 具房の電撃戦によって伊勢統一に成功した北畠家。国内に敵がいなくなり、しばらくは内政に勤しむこととなった。そして、最も忙しいのは具房本人である。突如として湧いた広大な所領(伊勢半国)。これを統治しなければならないのだ。とりあえず、具房は初陣で預かった千の軍勢を率いて行政府とする安濃津城に入った。


「やっぱり小さな城だな」


「そう言うなよ」


 猪三がつまらなそうに言い、権兵衛がたしなめる。具房も仕方がない、と苦笑した。安濃津城ーー現代では津城と呼ぶのが一般的ーーを現代人が一般に認識する近世城郭として整備したのは藤堂高虎である。十六世紀末〜十七世紀初頭の話だ。それまでは城といっても砦のようなもので、北畠家の本拠地である霧山御所とは比べるのもバカらしくなる。


 一行はぼやきつつ城へと入り、即日、付近の地侍(国人領主)に参集を命じた。伝達に時間がかかるため、彼らが城に揃ったのは十日後のことである。


「さて、諸君に集まってもらったのは他でもない。人質を返還するための条件についてだ」


 北伊勢に侵攻した際、一族のほとんどを人質としていた。ほとんどの氏族が、合戦に出ていた者を除いた全員が人質になっているというような状況だ。その返還を飴にして、具教(指示したのは具房)は全面降伏を強いている。ただ、その条件は具房次第とされていた。それがこの場で通達されようとしているのだ。集まった面々は息を呑む。


「そ、それはどのような……?」


 我慢ならなかった者が声を上げる。それに具房はゆっくり頷いてタメを作り、次いで衝撃的な条件を突きつけた。


「諸君には版籍奉還を命じる」


「「「っ!?」」」


 版籍奉還。それが意味するのはつまり、領地(版)と領民(籍)を具房に差し出せというのだ。それが人質を返す条件だと。これは国人層にとって、北畠家への服従を意味する。服従か一族滅亡か。具房はその二択を迫っているのだ。もちろん、どちらもはいそうですかと受け入れられるものではない。だが、


「承知いたしました。我ら神戸家は、侍従様に版籍を返させていただきます」


 北勢四十八家で大きな勢力を持つ神戸家がそれに賛同した。彼らは遡ると北畠の一族であり、その支配下に入ることに異存はない。具房の侵攻においてもいち早く協力した。彼らには事前に話は通し、サクラを演じてもらったのだ。


 しかし、この時代の人間の土地に対する執着心は異常である。人質をエサにしても、全員が従うとは思えなかった。そこで、それらの功績に報いるために、具房は従わなかった者の所領の統治を任せると約束していた。また、具房の重臣として遇することーーすなわち将来の北畠家における地位を約束している。


「そうか。であれば、これまでの所領を知事として統治することを認めよう」


 具房は予定調和とばかりに書状を発給した。目の前で認めるというパフォーマンスまで見せて。神戸家が従ったことに加え、この場で素直に従えばどうなるかを目の当たりにした豪族たちは、従う者がちらほらと現れる。最終的に、半数ほどが従った。彼らは例外なく知事としてこれまでの所領を統治することを認められている。


 その一方で、頑なにこれを拒否する者たちがいた。それは六角家の影響を受けているーーというより臣従しているーー関家だ。彼らはいざとなれば六角家に頼るぞ、という姿勢をほのめかして具房に譲歩を迫っていた。が、残念ながら既に上では話がついているのである。


 具房の北伊勢平定では、関家も例外なく攻撃された。これによって、彼らのボスである六角家が北畠家に抗議をしてきた。それに対して、具教はこのように反論している。


『我ら北畠家は伊勢国司並びに守護の家系である。これに反抗するということは、公方様(将軍)ーーさらには主上(天皇)に逆らうことを意味する。貴殿らは、そのような逆賊に手を貸すというのか?』


 そう言われると引き下がるしかない。畿内情勢は混沌としているが、それでも幕府や朝廷には一定の権威があった。こと伊勢国では北畠家の立場は強い。それを利用した形だ。六角家も名門であり、権威には弱い。


 このような事情もあって、関家の抵抗は無駄であった。具房は一ヶ月ほど待ち、その間に臣従した者については神戸家と同様に知事としての地位を認めている。だが、それを過ぎた者には容赦しなかった。神戸家を主力とした軍を差し向け、関家の亀山城など反対派の拠点を陥落させた。


 具房の行政改革は版籍奉還のみではない。美濃、尾張との国境である要地、長島には権兵衛を入れた。補佐として佐之助も同行させている。二人ならば、上手く治めてくれると具房は考えていた。


 また、具房は軍制改革にも着手する。これまでは戦争があれば領民を臨時に兵士へと仕立て上げていた。これを改めて常備軍を編成するのだ。そのために葵(安濃津で具房の秘書を務めている)を中心として大急ぎで戸籍が作成された。知事の家臣が村々を回り、人口調査をする。紙は十分な量を用意できなかったので、木板に書きつける。これは安濃津に保管され、紙が用意でき次第、写される予定だ。


 こうして作成された戸籍を基に徴兵を行う。それも法令として札を立てた。これに基づいて新兵二千名が徴兵された。彼らは安濃津城と長島城に集められ、訓練が行われる。これで既存の兵と合わせて、具房は三千の軍を常に保有することとなった。まだまだ足りないが、現在の経済力ではこれで精一杯だ。


 これで初期にできる改革はひとまずやりきった。安心した具房が城でのんびりしていると、こちらも仕事が落ち着いた葵がやってきて問う。


「兵たちは訓練に明け暮れています。太郎様。彼らに何かしてあげられることはないでしょうか?」


 と。それを聞いた具房は少し考え、閃く。


「なら、名前を与えよう」


「名前、ですか? しかし、数千人となると……」


「いや、そうじゃない。部隊としての名前だ」


「それは……いいかもしれません」


 じゃあどんな名前にするのか、と色々と話し合う。晴具に漢詩文の素養を叩き込まれた具房は無論、それを側で見ていた葵もかなりの教養人だ。二人の専門家が議論を尽くした上で、


「よし。部隊の名前は白居易の雪月花にしよう」


 安濃津で訓練されている部隊を雪、長島で訓練されている部隊を月、そして半蔵率いる忍者部隊を花と命名する。これらに部隊名となっている雪月花をあしらった旗を与えた。いい名前だと思う反面、軟派だと思われないかと心配した。しかし、心配は杞憂に終わる。いい名前だ、と気に入られたのだ。これは後に三旗衆と呼ばれるようになり、具房の持つ精鋭として恐れられることとなる。




 ーーーーーー




 具房が気ままに改革を断行するなか、安濃津に来客があった。ひとりは北畠家の重臣・鳥屋尾満栄。現在、織田家との同盟交渉を担当している。その行き帰りに立ち寄ったのだろうことは容易に推測できた。問題は彼ではない。その同行者である。


「そちらは?」


 満栄と対面した際、何気なく訊ねた具房。重臣級の家臣は大体記憶しているが、見たことがなかったためである。外交を任されるのだから、それなりの身分であるはず。ただ記憶していないだけか、あるいは満栄の家臣だったりするかもしれない。どちらにせよ、覚えていて損はない。ということで紹介お願い、と訊ねてみたところ、


「お初にお目にかかります。某、滝川久助と申す者。織田上総介(信長)様より、北畠家との同盟交渉を任されております。此度は伊勢統一、誠におめでとうございます」


「おお。貴殿が滝川殿か。話は半蔵から聞いている。色々と助けてくれているようだな。感謝する」


 冷静を装ってはいるが、具房は内心でかなり動揺していた。なにせ、滝川一益である。信長の重臣のひとり。歴史をやっている人間として興奮しないわけがない。


「ところで、今日はなぜここに?」


 満栄が安濃津に立ち寄るのはわかる。尾張と伊勢を行き来していると、安濃津を通過することになるからだ。ついでに様子を見てくるようにと具教から頼まれていてもおかしくない。


 だが、滝川一益が寄った理由は不明だ。具房は将来的に、安濃津へと拠点を移すつもりである。しかし、街の開発は未だ計画段階であり、まともな宿場町すらないような状況だ。要するに、立ち寄る理由がないのである。具房の質問は、そういう事情も込みでのものだった。


 そしてそれは、少し考えれば容易に想像できる質問であった。それゆえに事前に回答を用意していたらしく、すぐに答えが返ってきた。


「はっ。実は上総介様が上洛するお考えです。北畠家には同盟に先立ち、幕府と朝廷に渡りをつけていただきたいのです」


「そういうことか」


 いよいよ信長が上洛しようとしているらしいと聞き、具房は史実通りだとほくそ笑む。また、それを聞くと安濃津に立ち寄った理由も見えた。


「あいわかった。さらば、この太郎が父上に口添えいたそう」


「誠ですか!?」


「うむ。武士に二言はない」


 一益の機先を制して口添えを約束する。具房からすれば何も問題はない。元々、信長の上洛を支援することも同盟を具教に提案する際に説明してあり、納得してもらっている。つまり、これはただの茶番なのだ。それで恩を売れるのなら乗らない手はない。


 その日の夜は宴会が開かれた。一益も気分よく飲んでいる。とはいえ、あまり豪華なものではない。急なことだったので仕方がないのだが、具房は少し納得いかなかった。もてなされる側の二人は、そんなこと気にせず飲んでいる。仲はよさそうだ。


(しかし、いくら仲がよさそうでも戦国時代なんだよなぁ……)


 食事(宴会)の風景を見るたびに具房は思っていた。戦国時代の食事は現代と少し異なり、戦乱仕様になっている。どういうことかというと、箸の向きが違うのだ。


 現代では食事をする人が右利きであることを前提にして箸先が左にあるが、戦国時代では右利きを前提にした上で、箸先を右にして置く。これは、箸を武器として使われないようにするためだ。箸先を右にしておけば持ち直すための時間が必要になるから、防御する時間的余裕が生まれる。食事さえもピリピリしているのがこの時代なのだ。


 だが、そんな問題が起こるはずもなく宴会は終わる。翌日、具房も用意を整えて安濃津を発った。その際、彼らに同行したのが月部隊である。行進訓練、という名目だ。


「これだけの護衛があると安心ですな」


「いや、そう言っていただけるとありがたい。何分、彼らは新兵なので色々と至らぬところもあるでしょうが……」


 一益は頼もしい、と笑う。多くの護衛をつけたことで悪い印象は与えなかったようだと具房は安堵する。


 事前に先触れを出していたので、霧山御所に着いてから具教に面会するのに待たされた時間は短かった。その席で一益が上洛に対する支援を要請し、具房もこれを支持する。そして認められる、という一連の茶番劇が繰り広げられた。


 しかし、予定にないサプライズもあった。それは、北畠軍も上洛に同行することだ。曰く、これは両家が同盟関係にあることをアピールする絶好の機会なのだと。さらに、北畠家も面会に同行するという形であれば、まず面会を断られることはない、と。そういうことならば、と具房も納得した。


 そして、年明けの永禄二年(1559年)。信長は五百の兵を率いて尾張・清洲を出立した。これに対して北畠家も具房が三旗衆より選抜した千の兵を率いて長島を発ち、両軍は美濃・大垣にて合流した。







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