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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第九章
118/226

不協和音


 前話 禁軍について読者様から何通か、なぜ信長の反対を押し切って禁軍を設置したのか? というご質問がありました。引っかかりを覚えた方は他にもいらっしゃると思い、少しヒントを出したいと思います。


 あらすじにもあるように、具房は北畠家の滅亡を回避するために信長に接近し、滅ぼされないよう殖産興業や富国強兵策を進めた結果、伊勢は一大強国に上り詰めました。歴史の流れに抗うためのその策は、具房の予想に反して彼を天下のナンバー2に押し上げてしまいます。別に具房は天下を取ろうとは考えていません。政治とか面倒ですから。


 彼の終始一貫した姿勢は、あくまでも北畠家(ひいては自分)の存続です。しかし、このままいくと間違いなく自分(北畠家)は天下統一後の粛清対象になります。それを回避するためにはどうすればいいのか? そう考えたときの答え(解決策)が、両者の立場に隔たりを生じさせる要因となりました。ヒントは二人が描く天下像の違いです。禁軍の設置は、具房が描く天下像に必要なひとつの要素なのです。では、その違いは何なのか? 是非とも考えてみてください。

 

 



 ーーーーーー




 夏。京にいた信長の許へ来客があった。


「お助けください!」


 能登からやってきた長連龍は開口一番、助けを求める。具房は世界を? と心の中で註釈を入れて茶化した。彼の口ぶりが、ラノベによくある異世界転生に出てくる、世界を救ってくれという神様的な人物を想起させたからだ。


 ちなみに、ガリ勉だった具房がなぜ知っているかといえば、高校時代に同じ陰キャとして連んでいたオタクに布教されたからだ。それ何? と口にしたのが運の尽き。読んでいたラノベのあらすじを、オタク特有のマシンガントークで一気に捲し立てられた。喋りが上手かったのも質が悪い。結局、気になってしまってラノベを読んだ。面白かった。元々、読書が習慣みたいだった具房はオタクに勧められるままに読み、卒業するころには立派なオタク認定を受けるまでにのめり込んだ。


 声をかけなければよかったのに、と思われるかもしれない。弁護すると、具房は頑張った。半年間も耐えたのだから。でも、気になって仕方がない。なぜか? オタクは机上にラノベのタワーを作っていたからだ。机が前にあるので、黒板を見ていれば自然と目に入る。だからつい、口にしてしまったのだ。


 閑話休題。


 もちろん、連龍の『お助けください!』は、世界単位で救ってくれ、などという高尚なものではなかった。そもそも、そんなことができる人間がいたならば、日本の戦国時代なんてとっくの昔に終わっているだろう。


 彼は能登畠山家を代表し、信長に救援を求めてきたのだ。畠山家は上杉軍の一度目の能登侵攻を防ぎ、攻略を諦めた謙信は救援要請が来ていた関東へとその矛先を変えた。上杉軍の主力が撤退したことで、畠山家は反攻を開始。占領された土地を奪回していった。だが、そこへ謙信が舞い戻ってきた。関東では戦果を挙げられず、義昭からは関東なんてどうでもいいからさっさと上洛しろ! と矢の催促。これに謙信は応えたらしい。


 そして今度こそは、と上杉軍の殺意は高かった。畠山軍はまともに戦っていられるか、と外に出していた軍勢をすべて居城の七尾城へ集結させ、籠城する。さらに周辺住民も城へ入れた。戦闘員にするとともに、上杉軍から保護するためだ。まあ、血が滾っている相手には正しい判断といえるーーが、畠山家は加減をミスった。


 人間、生きていれば食事をする。当然のことで、兵糧は十分な量を確保していた。問題は、食べる物があれば出す物もある、ということだ。戦国時代に水洗トイレなどなく、汲取式のトイレ。城にあるわずかなそれを万の人間が利用するのだから、当然だがキャパが足りない。具体的には、どこに捨てるの? となるわけだ。いざとなれば糞尿を投げて防戦するわけだが、その間ずっと置いておくことになる。考えるまでもなく不衛生。案の定、城内では病気が蔓延した。これでは戦うどころの騒ぎではない。自力ではどうにもならないので救援を求めた。


「いいだろう」


 信長はこれに応じる。もっとも、彼は聖人君子ではない。きっちり対価は求めた。畠山家の服属である。ついでに、助けて恩を叩き売りし、上杉家に対する防波堤にしようとする意図が透けて見えた。発想が悪魔的である。


(だから魔王なんて言われるんだよ)


 とはいえ、この時代では力なき者は使い潰されるのが常。信長の発想も現代的な価値観からすれば悪魔的だが、この時代ではそうでもない。武田信玄とかも同じようなことはやっている。いや、妹の嫁ぎ先を容赦なく蹂躙するとか、あちらの方がやっていることはヤバいかもしれない。だが、信長ばかりが魔王だ何だと言われるのは、やはり日本史上のネームバリューの差なのだろう。


 だが、信長は邪悪な悪魔ではない。むしろ善良だ。丸投げするのではなく、アフターサービスも込み込みなのだから。彼は上杉軍と決戦するつもりらしい。総大将・浅井長政を筆頭に織田信興、柴田勝家、丹羽長秀といった北陸方面に所領を持つ家臣がすべて動員された。それだけでなく、西美濃三人衆や飛騨の金森長近、播磨の羽柴秀吉までも動員する。合計四万の大軍勢が編成された。


 この大軍を派遣し決戦を行わせるということは、上杉軍を叩いて弱体化させておくから、石山なんかが片づいて本気出せるようになるまで頑張れ、という信長のメッセージだ。悪魔的に親切である。


 なお、今回も北畠軍の出番はない。もちろん具房は加勢を申し出た。だが信長はこれは織田家の戦だ、と断っている。具房としても、東海道有事に備えて伊勢、伊賀、志摩兵団を温存しており、淡路決戦に向けた準備に傾注したいため、断られたのはむしろ僥倖だった。


「頑張ってください」


「はい。この重責を勤め上げます」


 京に呼ばれた長政は、具房の許を訪れた際にそう決意表明していた。軍神といわれる上杉謙信と戦えることは、武士として高揚するらしい。具房には理解できない感覚だった。だから月並みな言葉を送る。


 加えて、具房は人間関係に注意するように言った。これは、史実において柴田勝家が率いた畠山救援軍。そのなかで問題になったのが、勝家と秀吉の不和だ。仲が悪くとも、仕事は別というスタンスならいい。だが、彼らの場合は公私を混同し、挙げ句の果てに秀吉は無許可で軍勢を引き上げてしまった。その後、いくつかの不運も重なって、織田軍は手取川で上杉軍に敗北してしまう。


 今回、編成された軍には戦犯ともいえる勝家と秀吉のコンビがいる。そんな未来を知るからこそ、具房は人間関係に注意するように言ったのだ。


「孟子曰く、『天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず』。天の時は、長殿が救援を求めてきたこと。地の利は、長殿の案内があること。後は人の和だけですよ」


 大河ドラマのタイトルにもなった孟子の一節を引用しつつ、注意する。勝家と秀吉と名指ししないのは、そうなるとは限らないからだ。決めつけはよくない。長政なら何とかしてくれる、と期待して具房は彼を送り出した。




 ーーーーーー




 結論、無理だった。


 勝家と秀吉の仲の悪さは、具房の想像を超えるものだったようだ。帰ってきた長政の報告によれば、軍議にて二人が先陣を争った。長政は短絡的な勝家よりも、機知に富んだ秀吉を先鋒に選んだ。妥当な人選である。が、勝家はこれを不服とし、独断専行を行った。秀吉は面目を潰された、と史実通りに独断で撤退してしまう。長政は翻意を促したが、聞く耳を持たなかったらしい。


 結局、なし崩し的に勝家が先鋒となる。彼は後世で「かかれ柴田」「鬼柴田」とあだ名されるような猪突猛進ぶりを発揮し、ひたすら前進していく。……後続を置き去りにするような勢いで。


(どこのジョージ・パットンだ?)


 パットンほど猪突猛進を体現する人物はいない。二週間で千キロを移動するという、機甲師団を率いたことを考えても驚異的な進撃速度を記録した。類似の司令官として挙げられるのはロンメルか。三者は勇猛でありつつも理知的な一面を持つ(あるいは理知的である)ことも共通している。


 しかし、そんな勝家を以ってしても七尾城の救援は間に合わなかった。城内に蔓延した疫病に当主・畠山春王丸が罹患した上に死亡し、士気が低下した。ここで長氏の専横に反感を抱いていた遊佐氏、温井氏が謙信に内応。堅城として知られる七尾城も、裏切り者が出ると脆くも落城してしまった。城内にいた長一族は殺されたという。


 七尾城の陥落を長政たちが知ったのは、手取川を渡ってすぐのことだった。しかも、上杉軍が急迫しているという。直ちに撤退を決断した長政だったが、折り悪く増水していた手取川を渡るのは困難を極め、そうこうしているうちに上杉軍の襲撃を受けた。長政は殿を務め、必死に防戦。その甲斐あって、織田軍は撤退に成功した。とはいえ無傷とはいかず、一万人余りを失っている。多くは戦闘によるものではなく、増水した手取川に流されたためだ。


 戦闘によって最も消耗したのは、殿をしていた浅井軍だった。部隊の約半数が戦死傷あるいは行方不明。その数は四千余と、被害の四割を占めた。現代の基準に当て嵌めれば「全滅」と判定される被害だ。これを聞いた信長は彼を慮り、しばらく軍役は免除としている。


「それは災難でしたな」


 具房は同情した。浅井軍は、お家復興の象徴として、長政が手塩にかけて編制したものだ。合戦前、彼はその軍で「軍神」上杉謙信と戦えることを喜んでいた。だが、結果はまともに戦うことすらできないばかりか、肝心の軍が壊滅するというもの。その心中は複雑だろう。


「出来る限りの援助はします」


 と具房。あんまりなので、在庫の旧式装備を無償供与すると伝えた。長政は助けられてばかりですね、と力なく応える。その顔には悔しさが滲んでおり、無念さが窺えた。


 手取川における敗戦は、織田家中にも影響を与えた。大目玉を食らったのが、従軍していた織田軍の武将たち。特に勝手に離脱した秀吉に対する怒りは激しく、首を切るとまで言い出す始末だった。これは、具房も含めた周りの人間が何とか宥めている。


 具房は勝手に離脱した秀吉の責任は重いとしつつ、同情する余地はある、と述べた。「同情する余地」とは、勝家が抜け駆けして秀吉の面目を潰したことである。ある意味、それが原因だ。信長もそれを認め、秀吉に対しては今後の戦で功績を挙げるように、と罰を保留とした。


 こうして秀吉の沙汰が終わると、怒りの矛先は横でニヤニヤと笑っていた勝家に向けられる。具房に言われるまでもなく、独断専行は信長も問題視していた。戦功を挙げれば多少の命令違反は帳消しにされるが、今回は何の活躍もしていない。被害こそ浅井軍に次いで大きいが、それは先鋒だから最後に撤退し、その間に上杉軍の激しい攻撃を受けたからだ。しかも前線に留まって戦っていたわけではなく、逃げているところを攻撃された被害だった。弁解のしようがない。


「義弟殿(長政)に迷惑をかけおってからに!」


 信長は激怒しており、脳内には左遷がチラついていた。だが、秀吉の処罰を保留している以上、勝家だけを罰するわけにはいかない。なので、お咎めなしとなる。さらに、長政は軍の再建のためしばらく戦えない。そこで北陸方面軍司令官を(暫定的に)勝家が担うことになった。結果的に出世したことになるが、勝家はあまりいい気がしない。


「なぜ責められなければならないのだ」


 自邸に戻った勝家は、そう不満を口にする。


 秀吉が独断で撤退したのは秀吉のせい。


 独断専行は武士として当たり前。


 長政が大損害を被ったのは彼が不甲斐ないから。


 それが勝家の考えであった。だから、信長に怒られたことが納得できない。


「深刻だな……」


 柴田邸に送り込んでいる忍から報告を受けた具房は、織田家の状態に頭を抱えた。分断が凄まじい。信長は実力主義だといわれる。それは間違いない。秀吉や一益がいい例だ。しかし、それは止むに止まれぬ事情があったからだ。


 信長はうつけ者として有名だった。うつけエピソードには事欠かないが、特に有名なのは父・信秀の葬儀の際に抹香を位牌にぶちまけた、というものだろう。これを見た織田家家臣のなかには将来に不安を感じ、弟の信勝を支持する者、今川家に靡く者が現れる。このように、信長の家督継承は穏便に行われたわけではなかった。


 離れていった家臣のなかには、家の嫡子といった人間が多かった。そのため信長は自らの家臣団を編成するにあたって、家臣の次男以下や浪人を登用せざるを得なくなる(丹羽長秀は次男、前田利家は四男)。その後、信長は分裂していた織田(弾正忠)家を統一した。本来なら敵対した家臣は粛清する。しかし、背後には強大な今川家が控えており、早急に領国を纏めなければならない。そんな事情もあって、信勝についた古い家臣(林秀貞や柴田勝家)も家臣団へと組み入れた。こうして譜代のなかでも古参と新参という違いが生まれる。


 それが解消されないまま、信長の覇業が始まった。当初は尾張、美濃、南近江といった限られた地域だったので、両者の対立関係は顕在化していない。だが、義昭を追放して天下人となると一気に領国が拡大。譜代の家臣を各地の重石として派遣するが、ここで対立が先鋭化することとなる。つまり、守旧派である古参の譜代家臣と、栄達に燃える新参の譜代家臣との対立だ。


 古参からすれば、立場が下の者に抜かされることは絶対に避けたい。そもそも、そんなことは認めないというスタンスをとる者が多かった。なので、上がってくる者を蹴落とそうとする。また、下賤な者と見下す。勝家の心理はまさしくそれであった。


 織田家にとっての悲劇は、天下人になったために領国が急拡大し、事務も増えたことだ。通常、これには官僚が対応するのだが、織田家にはそれがない。最近になって信長は小姓を官僚的に運用し、事務の効率化を図っているが、まだまだ信長の負担は重かった。こうして仕事に忙殺されることで家中に対する統制が緩み、譜代家臣の対立は激化していた。


 そんな織田家の内実に対する憂慮はあるものの、最も大切なのは上杉軍の動向だった。手取川での敗報は既に広まっており、京は上を下への大騒ぎとなる。このまま上杉軍が京へ雪崩れ込んでくるのではないか? との憶測が広まったのだ。


(そんなことはないと思うけど……)


 手取川では確かに敗れたが、増水した川は織田軍の撤退を阻んだのと同時に、上杉軍の進撃を妨害している。時間的余裕は十分にある。


 さらに、敦賀の織田信興や若狭の丹羽長秀などの軍はほぼ無傷で撤退に成功していた。彼らなら上手く上杉軍を止めてくれるだろう。時間さえあれば、織田家はさらなる軍勢を送り込むことができる。そのときは具房も行くつもりだ。


 このように、冷静に考えれば上杉軍が京へ雪崩れ込んでくる、ということは現実的ではないとわかる。だが、パニックになると人間は判断能力が著しく低下してしまう。そしてそれは伝染する。やがて、ほとんどの住民がそれを信じてしまった。


「京の民を落ち着けるためにも兵を集めなければならんな」


 信長はそう言って動員令を出そうとする。今後の展開を知っている具房は落ち着き払っているが、そんなこと知らない信長は冷静さを欠いていた。たしかに兵隊がたくさんいるから大丈夫、というソ連式のアピールも重要だ。しかし、敵は攻めてこない以上はただの金の無駄でしかない。具房は何とか思い留まらせた。


「越前に柴田殿、若狭に丹羽殿、敦賀に彦七郎殿(織田信興)が居ります。そう焦らなくてもいいでしょう」


 徒らに騒ぐより、どっしりと構えておけばいい、と。信長も同意し、兵士を動員しなかった。代わりに具房も、民心の慰撫に協力させられてしまう。「協力」とはいえ、やることはただいつものように振る舞うだけ。さしたる仕事もなく、暇を持て余した。


 このように手取川での敗戦に端を発する一連の騒動の火消しに付き合わされた具房。おかけで予定が完全に狂ってしまう。夏休みというわけではないが、帰国してお市たちとゆっくり過ごすはずだったのに。現実は京で何をするでもなく漫然と過ごす日々。落ち着きを見せてきたのは年末のことで、具房は在京したまま年を越すこととなる。








 今年最後の投稿となります。この一年、拙作『北畠生存戦略』をお読みいただきありがとうございました。ここまでやってこられたのは、読者の皆様あってのことです。篤く御礼申し上げます。


 物語は順調に進み、プロット上では半分を過ぎていたりします。来年には完結する予定です。具房の生涯をどうか最後まで見届けてください。


 併せて新作の構想も練っているところです。ただ具体的な話は出来ていないので、何かアイデアがある方はご一報ください。寄せられたものは、長編か短編かはわかりませんが、なるべく実現させたいと思っています。ジャンルは日本史希望。何度も申し上げているように、作者は日本近現代史が専門です。ただ、近代西洋史であればギリギリ守備範囲かもしれません


 それでは皆様、よいお年を。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 明治維新や世界大戦の話も見てみたいです
[一言] 勝家と秀吉の仲の悪さは史実でもあったらしいですからねぇ。まぁ、秀吉は農民上がり、勝家は譜代の家臣、相容れられないでしょうけどね。 来年も更新お願いします。ではよいお年を。
[気になる点] 勝頼と勝家が入り乱れてますな。
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