信長サーチ
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天正五年(1577年)のこと。信長は自室で悩んでいた。石山が攻略できていない現状、どの戦線でも守勢に回るしかない。戦力が絶望的なまでに足りないのだ。そして肝心の石山攻略は頓挫している。木津川口の海戦で水軍が壊滅。報告では、再建にあと一年は必要とのことだ。それまで、信長は堪えるしかない。
それはわかりきっていることであり、悩みの種にはならない。では何について悩んでいるのかといえば、北畠家に関することだ。
かの家には謎が多い。まずその経済規模。北畠家の経済規模は、畿内一円を支配する織田家と同等かそれ以上のものだ。伊勢湾航路、さらには紀伊半島を押さえる要衝に領地があるため、海運業が盛ん。ゆえに、他領と比較しても規模が大きいのは理解できる。が、倍以上の領地を持つ織田家に比肩することはない。織田家は広大な領地に加えて堺、津島、熱田、最近では敦賀といった商都を支配し、戦国大名のなかでも屈指の経済規模を持つからだ。
第二に、精強な軍隊だ。大多数が足軽(徴兵された領民兵のこと)でありながら、常勝無敗の精鋭軍を形成している。規律も高く、信長が知る限り略奪の類はほとんど起きていない。織田軍はそうはいかず、足軽の統率に苦労していた。是非とも、そのノウハウを知りたい。
また、充実した装備も見逃せない。足軽全員が、北畠家から与えられる武具を身につけている。共通の軍装による統一感もさることながら、それだけの力があるのだと周囲に喧伝することにつながっていた。織田軍は、未だ信長直属の部隊でしか実現できていない。もっとも、こちらはその他にも領主軍の存在があり、軍装の統一までの壁は厚かった。
北畠軍といえば、ほぼ全員が鉄砲を装備していることも特徴だ。織田家でも堺や国友、日野といった産地で量産は進めているが、とても全軍に供給できるような数は作れない。しかも、その鉄砲は織田軍のそれよりも性能がよかった。射程、威力、連射性能のどれも負けている。信長はダメ元で購入を打診したが、断られた。ならばとコピーしようとするも、鉄砲鍛冶は匙を投げてしまう。作り方がわかればそっちを作っている、と。
だが、それで諦める信長ではない。北畠軍の様子を具に観察していた結果、古い鉄砲(ミニエー銃)であれば再現できるのではないかと考えた。自軍や浅井軍、徳川軍に供与された鉄砲を見ても、その構造は同じだという。ならばと鉄砲鍛冶たちに試作させている。
第三に、先進的な統治機構。具房という大名の下に様々な権力が集まっているという構図は他の大名と同じだ。決定的に違うのは、間に家臣を挟んでいないこと。大名と領民がダイレクトにつながっている。これは伊勢の乱で権力を掌握したからだが、かなり特異な形態である。こちらはかなりオープンで、信長も色々とノウハウを仕入れていた。ただ、やはり領主という中間層の存在が邪魔をしている。
お市を具房のところへ入れたのは、今川家や斎藤家に対抗する上で、北畠家を道三に代わる後ろ盾にするためだ。予想外に勢力が伸び、新たな同盟相手として提携する一方で、そのノウハウを何とか入手したいと考えるようになった。その構造上、最も取り入れられるのは具房の側にいるお市だ。ところが、彼女も政務のことはわかっても、軍事などはノータッチ。彼女がもたらす情報は、間諜によって信長にもたらされるものばかり。完全な機能不全に陥っていた。
(食えぬな、義弟殿は……)
信長は具房に高い評価を与えていた。先進的な政策を果断に実行する指導者として。信長との協調姿勢を見せつつも、一線は決して越えさせない。それでいて不快感を与えない、卓越した政治のバランス感覚の持ち主として。
織田家臣のなかには、北畠家を潰してしまえという声も少なくない。しかし信長からすれば世迷言も大概にしろ、と言いたくなるような暴挙だ。そもそも具房は信長に積極的に協力してくれている。それを討った場合、信長の面目は丸潰れ、信用はガタ落ちだ。今後、調略に応じる勢力はいなくなるだろう。
それに、信長には北畠軍に勝てるビジョンが思い浮かばなかった。一対一であれば勝てるだろう。しかし、包囲網が敷かれている今、北畠家をも敵に回せば織田家が負ける。確実に。火力と兵士の練度が違いすぎる。
(だから四国を与えるのだ)
四国は何もない。瀬戸内海や太平洋航路の中継地ではあるが、それだけだ。具房は貧しい土地を開発しようとする。そのために多大な資金を使う。こうして北畠家の財力を削ぐ、というのが信長の狙いだ。彼は北畠家の強さの淵源は財力である、と見抜いていた。さすがに未来の知識までは思い至らなかったようだが、それでもさすがの洞察力である。
結局のところ、信長に具房を潰す気はまったくない。上手く使えば大きな成果を挙げてくれる、と評価していた。とはいえ、いつまでも北畠家にリードされているのはよくない。信長は密偵を放ち、北畠領内の機密を暴こうとする。
が、これが上手くいかない。北畠家は真珠や中国産に劣らない上等な絹製品、銃火器を販売して儲けている。これは常識ともいえる話だ。その技術を得ようと、多くの大名が産業スパイを働いていた。信長は最古参である。当然、他所よりも経験は豊富。それでも得られた情報は少ない。
「どうだった?」
「申し訳ありません。得られたものはなく……」
「そうか……」
残念だが、もう半ば諦めてもいた。真珠を採っている村は、志摩の人里離れた場所にある。村を訪ねる者以外、足を運ぶ者はいなかった。近づくだけでもひと苦労。さらに周りには忍による警戒網が張られ、侵入者には見張りがつき、必要とあれば排除する。密偵はこうして排除していた。
養蚕については、特に隠すことはしていない。細々とだが、日本でも生産されているからだ。ただし製糸などの加工は職人街で行わせ、技術を秘匿していた。
信長が調べたいのは、ストッキングの製法。保温性があり、防寒具として用いられている。織田家にはお市を通じて伝わり、信長の正室・帰蝶をはじめ、妻たちも愛用していた。さらに敦子によって、公家社会にも浸透。上流女性たちの間で大ブームとなっていた。
ストッキングは北畠領の学校で女子の冬服として着用が認められており、卒業後にいくつか買い求める者もいた。半ば消耗品なので、品質の低い絹を使っている。なので、一般女性でも頑張れば買えた。このルートで民衆に普及する。
信長がストッキングに目をつけたのは、使われている絹の品質が低いので、織田家でも作れると踏んだからだ。職人の努力の甲斐もあって製造には成功する。
だが、商品にするには大きな壁があった。単純に生産量が足りないのだ。上流階級の女性に売るには、消耗品とはいえそれなりの品質が求められる。なのでターゲットは必然的に民衆となるのだが、今度は量の問題が発生した。領内の農家で作らせるにしても生産施設、桑畑などの整備が必要となる。繭の採取に成功しても、製糸を行うための設備が必要。安いものなので大量生産しなければ採算がとれない。かなり長期的な投資となる見込みだ。信長はこれを短縮しようと技術を盗もうとしているのだが、上手くいっていない。
そして、信長が求めてやまないものが銃砲の製造知識だ。北畠軍とは合戦でよく共闘するが、その異常性には気がついている。特に火縄銃は射程がまったく違う。まるで別物だ。外見はほぼ同じなので、ちょっとした工夫で射程を伸ばしているのだろうと推察。ヒントを得るべく、職人街へ間諜を放った。工場に潜入しようとすると捕まってしまうが、街で遊んでいる職人に話を聞くことはできた。
「職人によれば、銃身に溝を刻んでいるのだそうです」
「溝を? それで射程が伸びるのか?」
「そこまでは知らないようです。が、我らが作るものとの違いはそれくらいで……」
忍が話を聞いた職人も、全容を把握しているわけではない。彼はあくまでも現場の職人であり、現場ではひとつの部品をひたすら作り続けているだけ。話を聞いた職人がたまたま銃身の仕上げを担当していた、というだけの話だ。全容を知るには設計を担当している技術者に話を聞かなければならないのだ。
それはともかくとして、信長は早速、銃身に溝を刻んだ銃を作らせることにした。ところが、作った鉄砲は何もしていないものよりむしろ性能が悪かった。射程は溝を刻んだことでエネルギーロスが増えたため、より短くなっている。もちろん威力も低い。
「なぜだ!?」
上手くいかないことに、信長は癇癪を起こす。それを向けられた忍はたじたじだ。
「情報は間違っていないはずなのですが……」
忍は困惑する。自分は情報を集め、報告することが仕事。技術がどうのこうのと言われても困ってしまう。ただ、聞いてきた情報を伝えただけなのだから。
情報は間違っていないはずだ。話を聞いた職人が、銃の製作をしていることは調べてある。その彼が溝を刻んでいるというのだから、それが秘訣なのは間違いないのだ。
うんうんと唸り、試行錯誤を続けたが、性能のいい銃はできなかった。織田家にとっての悲劇は、銃にばかり目を向けていたことである。ミニエー銃はライフリングを刻んだ銃の他に、銃弾も重要な要素だ。弾体後部に切り込みを入れ、木片を差し込む。発射時のガスを受けて木片が食い込み、弾体をわずかに膨らませる。これによってライフリングと銃弾が噛み合い、ジャイロ回転するようになるのだ。織田家の失敗は正確にライフリングを刻めなかったことと、銃弾の技術を得られなかったことだった。
長篠合戦でお披露目されたボルトアクション式小銃の技術は、信長が最も欲しいと思っているものだ。発射速度がまったく違う。だが、その断片しか情報を手に入れられなかった。最高機密であり、警戒も厳重。織田方の忍が、ここまで警戒するか? と疑問に思うほどのものだった。
だからといって諦めるわけにはいかない。多くの犠牲を払いながら、製造に携わる職人に接触することに成功する。だが、そうして手に入ったのは部品ひとつの知識だった。
ボルトアクション式小銃には高い情報統制がかけられている。全容を把握しているのは具房とわずかな技術者だけ。現場の職人には製造する部品の設計のみが教えられ、組み立てる人間には部品をどこそこに嵌め込むように、と指示されている。
余談だが、ボルトアクション式小銃はこのような非効率的な手段を用いて機密保護を図っており、製造には高い工作精度(職人技)が求められるため、実のところ生産性は低い。そこで北畠家では方針を変更。当面は三旗衆、伊賀兵団、志摩兵団といった少数精鋭の部隊のみに配備することにしていた。
大砲については情報が得やすい。具房も特に隠していないからだ。北畠軍で使っているものと巷で使われているもの。どちらも大した違いはない。差があるとすれば砲弾だが、知識チートを使っても信管は作れなかった。榴弾が導火線に火をつけて爆発させるという仕組みなので、見た目でバレバレ。隠すだけ無駄だ。だから普通に売っている。最近は、織田家も真似て作っていた。信頼性は、まだまだだが。
これについて、具房は問題ないと考えていた。理由は基礎工業力の差。日本で最大の国力を持つ織田家と比較しても、先進的な製鉄技術を有する北畠家は、粗鋼生産量で上回っていた。これは生産できる兵器の数量差に現れ、大砲でいえば砲弾量の差につながる。正面から撃ちあったとしても、砲弾量で圧倒できるということだ。
ただし、大砲の類は何でも情報を明かしているというわけでもない。迫撃砲(擲弾筒を含む)の技術は秘密とされていた。大砲は重く、移動に難がある。このようなデメリットがあるから、秘密主義という批判をかわす意味も込めて大砲については品物を売り、情報を開示していた(儲かるという理由もある)。
しかし、そのデメリットを克服し、この時代としては十分な破壊力を持つ迫撃砲は、北畠軍の技術的な優位性を崩す。なので明かされていない。軽量化のため、擲弾筒は砲身が薄い。それでいて射撃時の圧力に耐える強度がなければならず、二律背反する要素を両立させる技術は高度なものだ。武田家をはじめ、簡単そうだと安直に模倣して失敗する例が後を絶たない。信長も同じ失敗をやらかした。
「何としても秘密を探るのだ!」
信長は忍に発破をかける。北畠家の技術を盗み出すべく。
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伊勢、津城にて。
具房は仕事に復帰した蒔から、月例報告を受けていた。諜報関係は、基本的に護衛の忍から報告される。
「……今月、摘発された間諜は二十七件。先月より増えてる」
「先月が二十三件、先々月が十八件……相変わらずの増加傾向だな」
「……長篠での合戦から微増中」
やはりボルトアクション式小銃のインパクトは凄まじかったようだ。噂が広まり、その技術を確かめるため、あるいは真偽を確かめるために全国から間諜が集まっているらしいーーそう具房は推測する。摘発された者は氷山の一角にすぎず、領内に潜伏している者は倍以上いるのだろう。
「内訳は?」
「……主なところで織田が八件、武田が七件、北条が五件。所属不明は三件」
「義兄殿も大変だな」
具房は信長に同情する。家を守るべく、具房は織田家と徹底した協調関係を築いていた。さらに織田家臣や朝廷、親織田の大名などとも友好関係を結び、簡単にはーーというよりよほどのことがなければーー縁を切れないようにしてある。
具房も人間だから、全員と仲よくというわけではない。柴田勝家とは、とても仲よくできそうにはなかった。というか、相手から拒絶されている。それはともかく、反北畠の動きが出ても信長は動きにくい状況を具房が作った。タカ派の筆頭である勝家は有力な家臣なので、家中の分裂を避けるためにも何か行動しなければならない。その結果が、間諜を送り込むというものだった。具房にいわせれば諜報力の無駄遣いである。敵の防備が最も厚いところに仕掛けてくるのだから。
「いつものように、教育できる者は教育しておいてくれ」
「……わかった。伝えておく」
言葉に止まらない「教育」をして、それに応じた者は解放。二重スパイとして活動させている。大名に報告を上げている者の大半は、教育を受けた者であるケースが大半だ。成功すれば責任者とされ、北畠家に対する諜報を任される(裁量が増える)。それを上手く利用し、罠へと誘導して捕縛。協力者を増やすという方法を具房は採っていた。その甲斐あって、今や流出する情報をほぼコントロールするまでになっている。
このように具房は表向き信長に従いつつ、裏で自分に有利なように暗躍しているのだった。