VS 呪い
【お知らせ】
作者は日本近現代史の研究者なのですが、論文を書くために現在、史料調査を行なっています。ただ、某世界的感染症のおかげで非常に効率が悪く、時間だけが過ぎていくという有様です。かなりヤバいので、しばらくそちらに専念することになりそうです。なので、感想の返信が少し遅くなるかもしれません。送っていただけると励みになりますし、どしどし送っていただきたいのですが、返信が遅いことだけは気に留めていただければと思います。
なお、投稿についてはこれまで通り、毎週日曜日と水曜日(午前零時)で二月までは予約しています。ご安心ください。それまでに史料調査も終わる……と思います。他の人が仕事を投げてこなければ。
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具房は京の滞在日数を伸ばした。待ちぼうけさせた敦子への埋め合わせだ。また、お市たちの出産予定日が近い。今度こそ立ち会うんだ、と具房は並々ならぬ執念を燃やしていた。
しかし、今年はそれほど肩肘張らずともよさそうだ。今も各地で戦いは続いているが、どこも膠着状態に陥っている。
加賀は南部の一向一揆を掃討しつつあり、北部への侵攻を目論んでいる。だが、一向宗もこれ以上の後退はできない。決死の覚悟で抗戦しており、なかなか進めないーーと長政からの手紙にはあった。
東海地方は本当に何も起きない。武田家は戦力の回復に専念している。長篠での大敗と遠江、駿河の失陥は想像以上のダメージを与えたようだ。それをやってのけた具房も、効果の程に驚いている。
石山では泥沼の戦いが続いていた。こちらはたまに本願寺が動くものの、限定的な攻勢に止まっている。織田軍もすぐに反撃して失った場所を取り戻すので、よくいえば一進一退、悪くいえば泥沼の攻防が続く。
中国方面では秀吉が攻勢に出ていた。毛利家の尖兵である宇喜多氏と戦っており、城のひとつである上月城を囲んでいた。信長は年内に落とせればいい、と秀吉が言っていたと話すが、それまで毛利が待ってくれるかは疑問である。
このように各地で起きている戦いは具房が介入する必要はなく、お市たちの出産までには帰国できそうだ。予定日は多少、前後することがある。なので、多少余裕をもって帰国するつもりだ。
ただし、それはこのままいけばの話だ。さすがにどこかで大動員が確認された、みたいな事態が起きれば残らざるを得ない。だが、忍たちによればそのような兆候は見られないという。具房は安心した。
情報通り、在京中は何も起こらず、無事に帰国を迎えた。
「寂しくなります……」
「すぐに戻ってくる。それから今度は、敦子が伊勢に来るといい。いい所だぞ?」
「是非」
微笑む敦子。強がりだということは察せられたが、妻の出産に立ち会うことは具房の悲願なのだ。ここは意思を強く持って彼女と別れる。
帰国するにあたっても、伊賀を通って帰る。雪が嫁いだことから、近江〜美濃〜伊勢というルートを考えていた。時間があれば尾張にも寄ろうかな、と。だが、在京日数を延ばしたため、代わりに寄り道するルートは消滅。伊賀から伊勢に入るという短距離ルートを馬に乗って進む。馬車を使わないのも、移動速度を上げるためだ。
帰れないという呪いとの戦いである。ここまでは順調だが、油断はできない。が、具房の懸念は杞憂に終わり、無事に伊勢へ着いた。津では鶴松丸が出迎えてくれる。いつもはお市たちも一緒だが、今回は出産間近ということで、屋敷から出ないように言っていた。妻のなかで出迎えてくれているのは毱亜だけだ。
「お帰りなさいまセ」
「ただいま」
先に挨拶したのは毱亜。男尊女卑の傾向がある戦国時代だが、伊勢ではそういう雰囲気が払拭されつつある。原因はもちろん具房だ。南蛮では「レディーファースト」という、女を優先させる風習があるそうだ、と言って妻(女性)を立てる。学校でも男女同権に異論があった際の反論材料のひとつに使われていた。
これに対して、具房を「南蛮かぶれ」と批判する者もいた。どうやら鉄砲の大量導入で弓矢や刀剣の使用機会が減ったーー要するに武士らしい仕事が減ったことに不満を抱いていたらしい。具房は言論の自由を認めているので、批判した者を処罰することはなかった。代わりに、チクリと言い返している。
『わたしが南蛮かぶれなら、そなたは唐かぶれだな』
と。日本の文化は中国から伝わったものが多い。武士の多くが信奉する仏教はインド発祥で、中国(と朝鮮半島)を経由して日本に伝来した。靴を履くという習慣も、中国から伝わったものだ。実際に『魏志倭人伝(正確には『三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条』という)』には、倭人(日本人)が裸足で暮らしている、という記述がある。同書には当時の日本人は手掴みで食事をしていたともあり、箸を使う文化も中国から伝わったものだ。
具房を「南蛮かぶれ」と批判するならば、「唐かぶれ」という批判は甘んじて受けなければならない。上記のように生活の至るところに中国の影響がある以上、言い訳はできないのだ。
「鶴松丸も留守をよく守ってくれた」
「はい。……といっても、何もしていませんが」
鶴松丸は苦笑するが、具房からすれば子どもに大人同様の働きをさせる方が間違っている。実際、留守といっても政務は文官たちが行なっており、鶴松丸は普段通りの生活をしていた。
「そうだ父上。剣の稽古をつけてください」
「いいぞ。しばらくゆっくりできそうだからな」
具房は脳内にスケジュールを思い浮かべる。何か起こらない限り、年始まで上京する必要はない。お市たちの出産予定日はーー大幅にずれたとしてもーー年始の上京に支障はなかった。その間、稽古をつける時間はある。だから鶴松丸のおねだりを快諾した。
だが、先ずはお市たちだ。身体に障るからと出迎えはしなくていいと言ったが、本人たちはやりたかったはず。きっと。多分。だから三人のところへ急ぐ。
「帰ったぞ」
「「「お帰りなさい(ませ)」」」
三人は屋敷の玄関で出迎えた。
(いや、屋敷から出るなって言ったのは俺だけど……!)
まさか、玄関で出迎えられるとは思わなかった。玄関なら屋敷から出てません、の論理だろうが、具房からすれば大した違いではない。まったく、と呆れるとともに嬉しくなる。
臨月ということもあり、三人のお腹はぽっこりと膨らんでいた。これまでも見たことはあったが、臨月の状態を見たのは初めてだ。三人とも、いつもはスリムな身体をしているのに、妊娠すれば大きく膨らむ。出産すれば元通り。……女体の神秘だ。
具房はお腹の子どもに障るから、という理由で三人を奥に押し込める。はいはい、と苦笑しながらそれに従った。
このときの具房は明らかにテンションがおかしかった。笑い上戸のように、とにかく三人に絡む絡む。
「お、蹴ったぞ。元気な子になるぞ」
お腹に耳を当て、無邪気に騒ぐ。
お市たちが庭に散策へ出れば、
「大丈夫か? 足下には気をつけろよ」
と付き添ってしつこいまでに注意喚起する。彼女たちを心配するからこそだが、人によっては迷惑と感じるレベルだ。
「旦那様」
当然、お市に注意された。だがそれは、具房が度を過ぎた心配をするからではない。
「少しは子どもたちにも構ってあげてよ」
私たちに構いすぎだ、とお市。帰国してから、具房は暇な時間をすべてお市たちのために使っていた。以前は家族全員に平等になるよう気を払っていたのに。そこをお市は注意したのだ。
「だが……」
反論しようとする具房だったが、葵が機先を制した。
「心配していただけるのはありがたいのですが、私たちは大丈夫ですから」
「……そう。御所様よりも、侍女たちの方が(お産に)詳しいし」
葵と蒔が続けて、間接的に邪魔だと言う。具房は思いっきりへこんだ。そのおかげでテンションが下がり、冷静になる。そして、冷静に考えれば、過剰に心配しすぎたようにも思う。猫なども、構いすぎれば病気になるというし。
「わかった」
具房は納得して引き下がるが、どこか残念そうな雰囲気を纏っていた。それを感じたお市がフォローを入れる。
「今まで通り、家族と平等に接してくれればいいから」
うんうん、と頷くのは葵と蒔。家族との接し方を見失っていた具房は、その方法を示された。
「あ、でも子どもたちには謝りなさいよ」
「あと、毱亜さんにも」
「もちろんだ」
ある日、突然心変わりして普通に接するような厚顔無恥な人間ではない。自分に非があるのだから、先ず謝って許しを得るべきだ。それが筋というものである。
翌日から、具房は今まで通りに家族との時間を設けた。そして会う人会う人に、申し訳ないと謝罪する。年少組はまだわかってないようだが、宝たち年長組には怒られた。
「代わりに遊んでください」
と要求される。求めるものが遊びなのは、婚約者が決まれどまだまだ子どもということか。具房は喜んで応じた。
昼は年少組も交えたお飯事、大人数でできる双六、男の子とは一対多形式の稽古などをして日々を過ごす。
夜はお市たちとその日の出来事を語りあう。主な話題は子どもたちのこと。日ごろ、子どもたちの面倒を見ているのは彼女たちだ。だが今は、あまり遊びに付き合えない。外での運動は特に。代わりに具房が相手しているわけだが、やはり気になるらしい。
そうこうしているうちに時は流れ、遂にその日がやってきた。政務が終わり、いつものように子どもたちと遊んでいた具房。彼の許に侍女が慌てた様子でやってくる。
「奥方様(お市)が産気づきました」
と。告げられた瞬間、具房は駆け出す。が、分娩室には入れてもらえなかった。男子禁制。居ても邪魔だということだ。
「落ち着いてください」
「いや、だが……」
「……落ち着く」
「う〜む」
無理だ。具房は心配で落ち着かない。誰が何を言っても効果はなかった。困ったね、とその場にいる者たちの心はひとつになる。
煩悶とする時間は、一時間かもしれないし、五時間や六時間も経過していたのかもしれない。その長い時間の末に、赤ん坊の鳴き声が聞こえた。
「男の子です」
出てきた産婆が告げる。
「お市は?」
「眠っておられます」
出産で疲れたらしく、子どもの姿を確認すると眠ってしまったという。子どもを見た後、眠っているお市にありがとう、と感謝を伝える。起きてから改めて伝えるつもりだ。
数日経って蒔、さらに葵と出産した。蒔は男の子、葵は女の子を産んだ。具房は熟慮の末、
お市の子どもは夜叉丸
葵の子どもは唯
蒔の子どもは呉竹丸
と名づけた。夜叉丸は夜叉のような何かを護る子になってほしいという願いから。唯は同時期に産まれた子どもで唯一の女の子だったから。呉竹丸は竹シリーズ第二弾である。
「疲れた……」
継続的に緊張状態にあったことから、具房はすっかり疲弊していた。これで少しは休めるな、と思っていたが、三人の出産が終わるころには年末に差しかかっていた。
「そろそろ上洛しませんと……」
家臣が言いにくそうにしながらも、現実を突きつける。彼も具房が疲れていることは百も承知。だが、信長や京の公家との予定もあり、重病でもなければ上洛してもらわなければ困るのだ。
「「「頑張ってください」」」
という家族の声援を背に、具房は上洛していった。