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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第九章
113/226

淡路視察行

 



 ーーーーーー




 東海道は平穏そのものである。少し前まで、血で血を洗う戦いが繰り広げられていたとは思えない。家康など、不気味だと表現している。とにかく、当事者でなければ信じられないだろう。


 だが、平和なのは東海道くらいのもの。他所では戦国時代という名に相応しく、戦乱が起きていた。


 北陸では、上杉謙信が遂に上洛を開始。越中を完全に支配下に収め、能登へと攻め込んでいる。能登畠山氏は七尾城に籠城して徹底抗戦の構えだ。


 織田北陸方面軍を指揮する浅井長政、柴田勝家は上杉軍の来襲を警戒。前線を押し上げるべく加賀へと侵攻したが、一向宗の凄まじい抵抗に遭って遅々として攻略できない。どこに敵がいるのかわからないという、日中戦争のような様相を呈している。


 また、関東では北条氏の動きが活発化しつつあった。目標は上野。関東管領という肩書きを利用して、何かある度に関東出兵を繰り返す上杉氏の侵入路を遮断することが目的だ。上杉軍が西へ向かっているので、空き巣的な行為といえる。もっとも、戦に卑怯も何もないのだが。


 中国方面では、播磨に入った羽柴秀吉が毛利氏と睨み合っている。小競り合いもたまに起こるらしく、油断できない。個人的に仲よくしている明智光秀、長岡藤孝からの情報によれば、信長は中国戦線を山陽と山陰の二つに分ける構想を抱いているという。その指揮にあたるのが光秀。戦後は山陰がそっくりそのまま光秀の領地だ、と信長に言われたらしい。


 石山は木津川口の戦いで敗れてから、一向宗は毛利家の支援を得られるようになり、士気旺盛になっているという。だが、あくまでも毛利と連携するつもりらしく、積極的に打って出ることはなかった。これが同地の織田軍の軍紀を緩ませているらしい。兵士による濫妨狼藉が多発し、近隣の領主は迷惑しているという。


(そういえば、大和や紀伊に摂津から逃れてきた難民が出ているという報告があったな)


 治安の悪化により、人口流出が激しい。和泉は信長の直轄領であり、堺という商業都市があることから影響は限定的だろう。だが、摂津を治める荒木村重からすれば堪ったものではなかった。


 このように、周辺地域では織田家が激しく戦っていた。だが、具房はーー石山救援のために出陣したことを除けばーー戦をしていない。温度差が激しかった。


 無論、具房たちも遊んでいるわけではない。平和であれば、平和であるなりに忙しいのだ。世の中に戦争がなくなったわけではない。戦争がいつ起こるかもわからない。だからこそ情報収集や訓練、装備の研究などなど、平和だからこそやることがある。


 さて、そんな具房は現在、淡路島に向かっていた。これも平和な期間にやらなければならないことだ。


 北畠家の仮想敵は武田家である。東海戦線を担当する徳川家を支えることが目的だったが、彼らの領国が拡大した結果、武田の味方である北条氏の領国に接続。負担が増大したことにより、全面的にバックアップすることになった。


 しかし、ここにきて新たな仮想敵ーー毛利水軍が出現した。木津川口の戦いで織田水軍を圧倒。織田軍は大坂湾の制海権を喪失した。以来、石山には頻繁に補給が行われ、かの地の物資不足は解消された。


 織田家にとって、この敗北は痛い。石山を抑えるためには相応の戦力を畿内へ留めておかねばならない。そうなると必然的に他所へ割ける戦力が減る。対する敵は全力でかかってくるから、厳しい戦いを強いられていた。国力では圧倒していても、戦線が複数あればひとつの戦線に投入できるリソースは限られてくる。おかげで戦局は膠着していた。


 石山攻略は、停滞した戦況を一気に変え得るものだ。織田軍は、石山に戦力を割いた状態で他家と拮抗している。であるならば、石山が落ちてそこの軍がどこかの戦線に加われば? その瞬間、均衡は崩れるだろう。それがわかっているからこそ、石山が落ちないように他の大名は立ち回っているのだ。


 逆にいえば、織田家が天下を統一する早道は石山を落とすことだ。だから信長は大軍を石山に張りつけ、陥落させようと躍起になっている。その認識は具房も同じだ。そしてこの戦いは早期に終戦することが望まれる。前回はほとんど関与できなかったが、今回は毛利水軍を叩く機会をもらった。ここで確実に殲滅し、制海権を奪取する、と具房は心に決めていた。


 毛利水軍を撃滅すべく、具房はとある作戦を立てていた。研究させている焼夷クラスター弾は作戦の根幹。開発に目処がついたため、具房は作戦実施の準備にとりかかっていた。その一環として、淡路島を訪問する。


 大坂湾の制海権を喪失しているため、行動は慎重に行われた。具房が乗る船は堺商人の船に偽装している。堺は信長の支配下に入ったが、政治と経済は別物。今でも堺商人は各地の大名と取引があり、商船も活発に運航されていた。それを利用したのだ。船団は、具房が乗る本船と商船に偽装した武装船で構成されている。だが、特に怪しまれることもなく淡路島に着いた。岸壁では淡路を領する三好咲岩の出迎えを受ける。


「三好殿(三好咲岩)よろしく頼む」


「は、はい」


 具房の声かけに、咲岩は笑顔で返答。しかし内心では呆れていた。


(左大将で源氏長者である人が淡路に来るなんて……)


 淡路はその昔、皇族の流刑地であった。淳仁天皇や早良親王が流されたことは教科書にも載っている。ぶっちゃけ、いい土地とはいえない。そこへ日本でも上から数えた方が早いほど偉い人間が自ら進んで来るのだ。咲岩からすれば、物好き以外の何物でもない。


 咲岩から裏で「物好き」といわれている具房。だが、彼にいわせればその評価は間違っている。偉い人間だからといって後方で踏ん反り返っているだけではいけない。どれだけ偉かろうが、必要とあればどんな場所にでも乗り込むべきであるーーそれが具房の信念だ。


 また、具房の淡路行にはいくつかの重大な意味がある。そのひとつは、先に述べたように淡路島が対毛利水軍の重要拠点であり、作戦において大きな役割を果たすから。淡路島は瀬戸内海と大坂湾とを結ぶ要衝。太平洋を大回りしない限り、島の北(明石海峡)か南(鳴門海峡)を通らなければならない。


 具房はここを決戦場と定め、作戦を練っていた。決戦に備え、徐々に部隊を展開していく予定である。織田水軍と協力したいところだが、拒否されれば後で文句を言われることを覚悟し、北畠海軍単独で決戦を挑むつもりだ。


 そして、淡路島の戦略的な価値はそれだけではない。明石海峡と鳴門海峡に挟まれているということは、すなわち畿内と四国を結ぶ重要な拠点だ。信長に大和を割譲する代わりに認められている四国切り取り次第。それを果たすために、淡路島は重要な拠点となる。


(阿波に上陸して、阿波と讃岐を制圧。主力を土佐へ向かわせて制圧した後、伊予は東と南から挟むように侵攻するかな?)


 具房が思い浮かべている四国攻略の進撃ルートは上記の通り。四国はど真ん中にある山地で分けられている。伊予、讃岐、阿波の三ヶ国は瀬戸内海に面しており、そこで発達した舟運網の恩恵を受けていた。しかし、土佐はそれらの国と四国山地で隔たれている。代わりのように太平洋に面していたが、外洋を航行することは稀な中世日本では、あまり意味がない。山がちな地形も相まって、南海道のなかでは(淡路を除くと)唯一の中国に格付けされている。


 正直なところ、土佐を攻めるのは面倒だ。先述のように四国山地があり、山越えの行軍など相当の苦難が予想される。一番してほしくないのは森林でのゲリラ戦だ。アナログなこの時代に、奇襲を効果的に防ぐ術はない。深い森の中では、忍の目も効果が限定されてくる。そのような状況で、奇襲を完全に防ぐことは不可能だ。


(……いっそ、太平洋から上陸して南北で挟撃するか?)


 マカオ航路は瀬戸内海ではなく、太平洋航路をとっている。慣れているから、たどり着くことはできるはずだ。問題は上手く奇襲が決まるのか。特に土佐を支配する長宗我部家の拠点・岡豊城を落とせるか、である。それができれば、長宗我部家を機能不全に陥らせることができるだろう。


(ま、それも要検討か)


 淡路島に来た目的の第一は、やはり毛利水軍と戦うための下準備。具房はそのことを忘れていなかった。


 島に上陸したはいいが、その後は周囲の目を気にして隠密行動をとる。もし、敵に具房の動きを察知されれば、淡路島に何かある、と勘付かれる恐れがあるからだ。


(特に小早川隆景は警戒だ)


 毛利家の頭脳ともいえる存在であり、史実では早々に豊臣秀吉に接近するなど、慧眼の持ち主である。このことが知られれば、何らかの対策を打たれてしまうかもしれない。だからこそ、隠れて視察をする。


 隠密性を高めるため、具房は四国遍路の巡礼者に化けていた。遍路道の起点である高野山は具房の支配下にあるため、その協力も得ている。本当に遍路へ行く者と一緒に島を歩く。彼らは具房の存在を隠蔽することに協力する見返りに、具房は四国への船を出す。そんな持ちつ持たれつの関係だった。


 具房たちは島の北部へ上陸。徒歩で南へと向かい、南部の港から四国へと向かう。ただし、具房はここで別の船に乗り、堺へ戻ることになっていた。


 だが、これだけでは淡路島を縦断するだけになる。具房の目的は島の地形を把握することだ。単に現地を見聞すればいいというわけではない。現地に詳しいガイドが要る。


 そこで白羽の矢が立ったのが安宅信康だった。現在は咲岩の下で働いているが、彼は淡路島の元領主。島のことには詳しい。なので、ガイドとして具房に協力することになった。


 もっとも、ただのお遍路さんに領主サイドの人間がついて回るというのもおかしい。怪しさ大爆発であり、何かあると喧伝しているようなものだ。なので、信康は咲岩の命令で領内の巡察に出たところ、日程がたまたま具房たちお遍路さんの行程に被ったーーという言い訳を作った。何度も起きれば怪しいが、これであれば一回限りであれば「偶然」で済まされる。むしろ、これで両者の関係性に気づく方がおかしい。


 到着した翌日から視察は始まる。まずは護衛の忍たちが先行し、脅威の確認を行う。


「問題ありません」


「半蔵、ご苦労」


 二代目となった服部半蔵を労う。いつもは蒔がやることだが、今は産休中のため半蔵が代わりをしている。ちなみに代替わりした忍だが、このクソ忙しい状況で楽隠居などできるはずもなく、初代服部半蔵は今も働いていた。もっとも、現場に出ることはほとんどなく、後進の育成やゲリラ・コマンド戦術の教導に従事している。


 閑話休題。


「ここは岩屋といいます。ここが対岸との距離が最も狭くなっている場所です」


 信康は明石海峡の最狭部へと案内し、そう説明した。事前に具房は案内してほしい場所のオーダーを出している。内容は、


 ・島の南北にある平地あるいは丘陵


 ・上記の場所は海峡の最も狭い場所になるべく近いこと


 の二点。狭い島なので、選択肢はほぼひとつ。難しくもなんともなかった。


「十分な広さだな。少し手を入れる必要はありそうだが……」


 現地を見た具房の感想である。求めていた以上の場所だ。脇には川があり、水には困らない。近くに山があるのもグッドだ。高ければより遠くまで見渡せる。具房は、北部における作戦遂行は問題なさそうだ、という評価を下す。


 次に南部を目指す。案内役の信康は島の西部を、具房は東部を南下する。道中はお遍路さんに扮していることもあり徒歩だ。転生してからーーいや、転生前も含めてこんな長距離を歩いた経験はない。前世ならばヒーヒー言っていただろう。だが、現世では日ごろから鍛錬を欠かさないため、体力的には余裕があった。


 そして、いくら旅とはいっても鍛錬は欠かさない。軽い筋トレと素振りは必ずやる。普通のお遍路さんはやらないので、やはり忍による結界を張った上で、だ。しかし、同行している人間は知っている。そして具房は思わぬ申し出を受けた。


「剣の稽古を?」


「はい。道中、危ないこともあるかもしれませんから」


 護身術として剣術を教えてほしい、というものだった。なるほど、世の中は物騒である。武術を身につけておいて悪いことはない。具房はもちろん快諾した。旅が終わるまで、夕方は合同で剣の稽古をすることになる。


「そこ、剣先が乱れているぞ。こうやるんだ」


「はい!」


「よしよし。その調子だ」


 具房は間違っている点を指摘して矯正する。ひたすらそれを繰り返し、旅が終わるころには、お遍路さんたちは素人の域を脱していた。


 また、剣の稽古を通してそれなりに仲良くなった。その成果か、お遍路さんのひとりがある申し出をしてきた。


「肖像?」


「はい。稽古をつけていただいたお礼といってはなんですが、感謝を込めて絵を描かせて頂きたいのです」


 彼曰く、自分は絵の心得があり、寺では頂相の製作にも関わっていたという。


「あまり時間はありませんが、せめてものお礼に」


 と言いつつ、どこか迷惑ではないですか? と言わんばかりに見てくるお遍路さん。捨てられた子犬のような目に、具房は敗北した。


「飛び切りの美男子に描いてくれ」


 そんな戯けた返しをする。絵を描くのは、身を清めた後ということになった。一気に描き切るのではなく、島を出る直前に完成するよう、毎日少しずつ描いていくことにする。剣の稽古が終わると、濡らした布で身体を拭う。その後、休憩も兼ねて絵を描いてもらう、というサイクルができた。


 淡路島を徒歩で縦断するという、現代では考えられない旅程だ。しかし、具房は見事に成し遂げた。終着点である阿那賀では、先に到着していた信康が待っている。翌朝、忍たちによる露払いの後、視察に向かった。


「遠いな」


 案内された場所は、海峡の最狭部から程遠い。だが、信康によるとここ以外に平地や丘陵部はないという。


「それに、敵はここを通らないと思います」


「なぜだ?」


「潮の流れがとにかく速いのです。なので我々も、四国へ行くときにしか使いません」


 地元の船乗りでさえ躊躇するような難所なのだという。たしかに、海面を見れば猛烈な勢いで潮が流れている。航行する船は一隻もない。


「渦を巻くこともあって、呑み込まれたら木っ端微塵。そんなところに突っ込むのは命知らずくらいのものです」


 敵が通る可能性は極めて低いので、あまり神経質になる必要はない、というのが信康の意見だった。具房は考えておく、と答える。もっとも口だけで、北部と同等の準備を進める腹だ。可能性は「極めて低い」であって「ゼロ」ではないのだ。海戦がどのような結果になるにせよ、毛利水軍には可能な限りの打撃を与えたい。


(慢心は身を滅ぼすからな)


 そう考えるからこそ、具房は手を抜かない。


「参考になった。感謝する、安宅殿」


「お役に立てたなら何よりです」


「咲岩殿にもよろしく伝えてくれ」


 具房は、具体的にどうするかは伊勢に戻ってから決めることだとして、信康に案内してくれたことに対する礼を述べた。このまま堺へ戻ることになっているため、ここでやらなければ機会がない。


 恐縮した様子の信康だったが、後日お礼に北畠産の物品を贈ると言うと喜んだ。高級品で、信康のような地方領主ではなかなか手が届かないらしい。


(もう少し廉価なものも出すか?)


 だが、それだとブランドイメージが落ちる、と具房。こちらは悩みどころであった。


 信康とはその場で別れる。船が出る時間まで待つことになるのだが、先に四国行きの便が出ることになった。お遍路さんたちを見送りに、具房は港に顔を出す。その際、例の絵を渡された。


 刀の柄を握り、鞘尻を地面に突いている。背景には鳴門海峡があり、渦潮が渦を巻いていた。墨で描いているため白黒になっており、カラー写真と比べると味気ない。が、墨絵独特の味があった。


 実は、具房の姿だけならば既に完成していた。だが、背景は鳴門海峡と渦潮がいい、と具房が言ったため、船が出るまでの時間に背景を描き入れた。


「素晴らしい出来だ」


「ありがとうございます」


 具房は上機嫌である。お遍路さんも、ささやかなお礼ができたことに満足していた。そして彼らは船上の人となる。再会を誓って。


 具房も間もなく乗船となる。遠ざかる淡路島を見ながら、具房は堺に戻ってからの行動を考えていた。何よりも優先するのは、お遍路さんに描いてもらった絵。掛け軸にするか額縁に入れるかして、雪への贈物にするつもりだ。


(あいつは岐阜から動けないからな。いい土産になる)


 これを見て、淡路島に行ったような気分になってくれればいいな、と具房は祈った。


 後日。具房からの贈物は雪に無事、届けられた。添えられていた手紙には、体調を気遣うとともに、淡路島へと行ってきたことの報告と、そのときに絵を描いてもらったということが綴られていた。


(お兄様の肖像!)


 雪が歓喜したポイントはそこである。部屋の掛け軸がすぐさまこれに替えられ、固定されたことはいうまでもない。


「いいな、お兄様は」


 結婚によって籠の中の鳥になった雪は、滅多なことで外出はできない。覚悟はしていたが、この生活は想像以上に辛い。自由を与えてくれていた具房や、結婚していながらもかなり自由に活動しているお市たちのことを羨む。そして、暇があれば掛け軸を眺めるのが、雪の新たな日課となった。







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