対毛利決戦兵器「カクテル」
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木津川口の合戦で大敗を喫した織田軍は現在、鉄甲船を建造して捲土重来を狙っている。造船を任された滝川一益(お隣さん)の依頼もあり、設計・建造は北畠家でも行われていた。領内で和船を建造する大きな造船所は、ほぼすべて鉄甲船を建造している。
だが、それはあくまでも織田軍の対策。交渉して次回の海戦に参加できるようにした具房は準備に余念がない。来るべき戦いに備え、秘密兵器の開発に勤しんでいた。
最も理想的な戦いとはどのようなものか。世界中の兵士に訊けば、彼らは口を揃えて答えるだろう。ワンサイドゲームだと。
ただ、ひと口にワンサイドゲームといっても色々な形がある。思い浮かべやすいのは、戦中に米軍が行った日本への本土空襲だろう。迎撃機もほとんどなく、対空砲の命中率は一万分の一。文字通りのラッキーパンチ以外に被害を被らないのだ。これほど楽なものはない。
刀剣が主要な兵器である戦国時代でそれは可能なのか。もちろん可能だ。使うのは職人育成の過程で大量に余る壺やガラス瓶、ボロ切れ、そしてある加工をしたナフサ(粗製ガソリン)である。ナフサは浪岡家と縁がある出羽(秋田)の安東家から入手した。それを蒸留し、ナフサに加工している。
「くそうず(石油)は凄い臭いですな」
「鼻が曲がる」
「……」
立ち会いの家臣たちは鼻を手で覆ったり、布を当てるなどしてどうにかその臭気を絶とうと苦心していた。だが、その程度でどうにかなるはずもなく、臭いに顔を顰めている。葵など、無言で布を差し出していた。
「そうか?」
しかし、具房はそう思わない。前世でも、ガソリンスタンドの臭いを「いい匂い」と言っていた人種だ。むしろこの臭いを「臭い」と言う人間の心理がわからなかった。
それを奇異の目で見る家臣たち。
そんな家臣たちを奇異の目で見つめる具房。
……相互理解は至難の道である。
「それで御所様(具房)。これをどうするのですか?」
葵が軌道修正を図った。彼女も具房のことが理解できなかったが、彼へ向ける信仰にも似た感情が「そういうもの」として処理させた。この問いに、話が進まないと思っていた具房が乗っかる。これはな、と殊更大きな声を出して注意を逸らした。
「こうやって油を壺に入れる。ボロ切れを口に詰めれば完成だ」
子どもにもできる簡単な作業で出来たのは火炎瓶。デモ隊から軍隊まで、抗争によく使われるものだ。簡易な構造だからと馬鹿にしてはいけない。ワンチャン、戦車を撃破できる代物だ。簡単にできるくせに威力が高い。
製作上の注意点は、ボロ布と容器の口との間に隙間ができないようにすること。さもなければ、投擲しようとしたときに油が降りかかり、自分が火達磨になる。
「えっ?」
な〜んだ、簡単じゃん、と思っていた家臣たちの顔が引き攣る。まさかそんな危険なものだとは思いもしなかったからだ。及び腰になってしまったため、具房が自ら実践することになる。かくいう具房も素人なのだが、まあいいかと用意させていた火種からボロ切れに着火。前に投擲する。
火炎瓶がパリン、という音を立てて割れる。中の燃料が飛び散り、ボロ切れの火が引火。一気に燃え広がった。数十秒間、炎が上がり続けた。
次に標的を用いた実験に入る。使うのは廃船から出た廃材だ。火炎瓶が割れると炎が広がる。廃材は枯草に火が点いたかのように燃えた。
「水をかけてくれ」
「? 消えますよ?」
「いいから」
具房に促され、燃え盛る廃材に水がかけられた。
「あれ?」
ところが、予想に反して炎は消えない。勢いも弱まっていなかった。
「お、おい! もっと水を持ってこい!」
「はいっ!」
消火すべく、何度も水がかけられる。だが効果はなく、廃材が燃え尽きるまで鎮火しなかった。
「この兵器ーーわたしは火炎瓶と名づけたが、これは水をかけても消えない火を起こす。船に当たればどうなる?」
「「「……」」」
一同、絶句する。火炎瓶に当たったが最後、沈むまで火災が続くのだから。船乗りからすれば悪夢でしかない。
具房が作り出した火炎瓶がこのように悪魔的な能力を獲得しているのは、ナフサに施した加工にある。原油から精製したナフサに、鯨油から取り出した脂肪酸(パルミチン酸)と大豆から取り出したレシチンを配合していた。これらが増粘剤の役割を果たし、火炎瓶はナパーム弾に近しいものとなる。ナパーム弾による炎は、親油性のために水をかけても消えない。そのことを、日本人は身に染みて知っている。
なお、現代において民間人や密集地帯への焼夷弾(含ナパーム弾)攻撃は条約(過度に傷害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる通常兵器の使用の禁止又は制限に関する条約、特定通常兵器使用禁止制限条約)によって禁止されている。
通常の戦闘で使用できないというわけではないが、非人道的と言われることもあった。それを知りながら開発しているのは、毛利水軍に負けるわけにはいかないから。毛利の勝利はすなわち義昭の勝利。彼のことだ。敗者に容赦はしない。特に、自分のプライドを傷つけた相手には。家族を不幸にしないためにも、具房は勝たねばならない。人道などは二の次だ。リアリスト的な思考をする具房は、何よりも勝利を優先した。
「しかし御所様。これでは毛利に対抗できても、勝ちにはならないのでは?」
ナパーム弾もどきの火炎瓶の威力に絶句していた一同。そのなかで葵が鋭い質問をした。たしかに、火炎瓶の飛距離は毛利水軍の焙烙火矢より短く、具房が考えていた一方的に叩くという戦術はとれない。
「そうだな」
と素直に認める具房。もちろんどうするのかは考えていた。
そもそも、この実験は火炎瓶の性能を実際に確認することが目的だ。そしてそれは達成されている。具房が目論んだように、水をかけても消えないようになった。が、あくまでもこれは第一段階。本当の開発はここからだ。
「だから、射程を延長する」
「具体的にどうするのですか?」
「砲で撃ち出す」
「なるほど」
それなら射程を延ばせると納得する一同。とはいえ問題は残っている。それを指摘したのも葵だった。
「それでは、入れ物が壊れてしまうのでは?」
「それが問題だ」
はあ、とため息を吐く具房。葵が言ったように、火炎瓶を砲弾に詰め込んで撃ち出したのでは、中身が破裂してしまう。というか、大砲の弾を作ることすら難しい。上手く破裂させなければならないのだから。なかなか案が思いつかず、行き詰まっていた。そこで案を募集したのである。
しかし、そう簡単に案が浮かぶはずもなく。結局、とりあえず作ってみようということになった。試作された砲弾は、以下のようになるよう工夫された。
発射の前に導火線に火を点け、着弾の前に内蔵された火薬が爆発するようにする。そのとき中にある子弾(ナパーム弾仕様)が飛び散るとともに、爆炎で後部にあるリボンに引火し、それが導火線となり炸裂。船に当たれば燃え尽きるまで火達磨にするし、当たらず着水しても爆発する。
所謂クラスター弾みたいな構想だ。こちらは今日、条約(クラスター弾に関する条約、オスロ条約)によって使用が禁じられている。だが、条約が作られた理由は不発弾が発生するからだ。この方式も導火線に火が点かなければ不発弾が発生するが、信管を使ったときとは違って、(火を点けない限りは)いつ爆発するとも知れない危険物にはならない。だからセーフ。
試作された砲弾が砲に詰められる。発射して、途中で拡散すれば成功。それ以外は失敗となる。安全面を考慮して、具房たちは少し離れた場所に壕を掘り、身を隠していた。発射は簡単な装置を作って、紐を引っ張れば発射できるようにしている。これは新型砲を試射するときによく使う。
「撃て!」
ドン、と発砲音。これはいつものこと。成功か? と壕から顔を出す。砲に問題はない。後は、砲弾が上手いこと上空で爆発し、中にある子弾擬きの金属棒が飛び散っているかを確認するだけだ。
ただ、これが少し面倒だ。なぜなら、子弾を射撃演習場の森の中に入って探さなければならないから。もちろん具房も参加する。立場的にやらなくてもいいのだが、それは彼の良心が許さない。少し憂鬱な気分になりつつ、
「緑旗を揚げろ!」
と号令。射撃演習場に設けられた掲揚台に掲げられている旗が赤から緑に変わる。これは射撃演習場における危険度を示していた。赤旗は『射撃中につき危険』を表し、緑旗は『安全』を表す。総火演などで見られるものと同じだ。立ち入ってきて、砲弾に巻き込まれて事故死ーーなんて事態は起こしたくない。それゆえの配慮だ。このことは軍のみならず、住民にも周知されている。
「では捜索開始!」
再び号令がかけられ、具房たちは横一列になって子弾の捜索に取りかかる。葵は森の外で、上がってくる報告を集計する係になっていた。成功したにせよ、失敗したにせよ、子弾の散布状況を知ることは重要だ。
(洋服が欲しい)
鬱蒼とした森を歩きながら具房は思う。外に出る(汚れることが予測される)ので、汚れてもいい格好で来た。しかし、和服は工夫したところで森などは歩きづらい。和服での生活に慣れた今でも、その思いは変わらなかった。
(今度、輸入して適当に改造させるか)
適当な理由をつければなんだかんだで認められるだろう。いいか悪いかはともかく、今の北畠家は具房が独裁ともいえる権力を獲得している状態だ。伊勢の乱によって無駄に歴史と伝統のある分家が壊滅し、具房の指導の下で北畠家は南北朝以来の栄華を誇っている。それが具房の指導力に直結していた。ゆえに、家中において具房はかなり自由に動ける。服装を変えることもできるだろう。
(ミシンなんかの器械も開発しよう)
人海戦術は効率が悪い。過度な効率化(器械化)は害であるが、ある程度の器械化は行うべきだーーというのが具房の主張である。
「あ……」
そんなことを考えていると、子弾を見つけた。すかさず手にしていた呼子笛を吹く。ピーッ、という耳障りな音が響く。聞けば、あちこちで同じような音が鳴っていた。具房は子弾の散布に成功したことを確信する。
作業を終えると森を出た。葵の許へ歩み寄ると、何も言っていないのに子弾の散布状況を説明してくれる。この辺りは付き合いの長さからくる阿吽の呼吸だ。余談だが、これでたまにお市の嫉妬を買うことがあった。
「まだいくつか見つかっていないものもありますが、概ね散布状況は良好といえます」
「意外に上手くいったな」
「はい」
実弾になるとまた変わってくるかもしれないが、結果は良好といえる。意外に早く開発が終わるかな? と具房。葵も、もしかすると鉄甲船より早いかもしれません、と乗っかる。普段、慎重な二人が楽観論を口にしたことで、早く終わるかもという期待感が膨らむ。だが、残念ながらそうはならなかった。当初は良好な結果を残したが、これ以降の開発は難航する。
最大の問題は信頼性だった。何度やっても子弾の導火線に火が移らない。確率は平均で五割ほど。いくらなんでも低すぎる。少しでも信頼性を上げるため、幾度となく改良が行われた。その数、十数種。うち、採用されたのはひとつだけだった。
「できた……」
開発に携わった者は完成したとき男泣きしたという。だが、具房はそんなことは関係ない、とばかりに次の案件を持ち込む。迫撃砲弾を撃針を使って撃てるように改造する、というものだ。
「「「……え?」」」
その無茶ぶりに、職人たちは呆気にとられるとともに、軽く絶望した。
タイトルにある「カクテル」とは、火炎瓶のことです。海外では、火炎瓶を「モロトフカクテル」とも言います。第一次ソ芬戦争(冬戦争)の際、ソ連はフィンランドに対してクラスター弾を投下しました。ソ連の外相モロトフはこれを『パンを落としている』と説明。クラスター弾(モロトフのパン籠と呼ばれた)に対するお礼としてカクテルを進呈する、という意味で「モロトフカクテル」と呼ばれました。