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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第八章
104/226

両大将

 



 ーーーーーー




 石山方面の収拾をつけた具房と信長は、揃って京へ入った。石山の蜂起に合わせて上杉や毛利が動く可能性がある。より綿密な行動計画を立てておく、というのが理由のひとつ。他に、二人の昇進があるからだ。


 信長は、前々からいわれていたように従三位権大納言兼右近衛大将に。


 そして具房は新たに左近衛大将に。


「なぜ?」


 北畠屋敷に入った具房は、絶対に裏で絡んでいる具教を問い詰めた。特に抵抗もなく裏の事情が明かされる。


「それはもちろん、織田家への対抗策だ」


 現職の今出川晴季を辞めさせてでも、朝廷は具房を信長の対抗馬にしたいらしい。下手をすると、大臣職にまで出世競争に使われるかもしれなかった。


(粛清対象じゃねえか……)


 具房には、北畠家が粛清される未来が見えた。自分の代は大丈夫。鶴松丸の代も何とかなるだろう。だが、孫や曾孫の世代になると甚だ怪しい。


「しかし、どうしてそこまでするのです?」


 実力的に、信長が天下人である。具房は補佐になれても、代わることなど逆立ちしたって出来っこない。なのに、朝廷は信長の出世に具房を対抗させた。具房にはその意図がわからなかった。


「怖いのだろう」


「怖い?」


 具教が漏らした言葉に、何が(怖いのか)? と問う。茶を飲んだ後、具教は言葉を続けた。


「鎌倉殿(源頼朝)も室町殿(足利義満)も、高官を得ると半ば独立してしまった。それは、対抗できる存在がいなかったからだ。だが、今回はそなたがいる。ゆえに、競わせているのだろう」


「……つまり、同格の存在を置くことで、朝廷から離れることを抑止している、と?」


「そういうことだ」


 具教は頷いた。事情は理解できたが、具房としてはたまったものではない。やはり粛清される未来しか見えないからだ。政治の世界だから、利用し利用されることは想定済み。しかし、使い潰されるのは御免だ。そちらがそういうつもりなら、具房も唯々諾々と従うつもりはなかった。


「まあ、上手くやれよ」


 具教はそれだけ言って、部屋を出て行った。


「やれやれ。父上も困った人だ」


 具房にとって、具教は頼りになる父親であった。だが、同時に自分を過大評価している節がある。具房の昇進には大抵、彼の影があった。今回の件もそうだろう。その根底には、具房なら上手く乗り切るだろう、という意識があることは間違いない。


(そんな大層な人間じゃないんだけどな)


 ただ、前世の知識があって、それを基に行動して結果を出しているだけだ。中身は凡人に過ぎない。今は、カンニングして百点とっている学生が東大受験させられているようなものだ。失敗は目に見えている。とてつもなく気が重い。


「名誉なことではありませんか」


 そんな具房を励ますのが、京に住む敦子だった。立派な人間じゃないのに、周りから期待されすぎている、と弱音を吐く具房を、彼女はそう激励する。


「……御所様が栄達すると、誇らしい」


「そうですわね」


 蒔の言葉に、すかさず敦子が同意した。さらに二人は、お市たち他の妻も同じだと言い添える。


「そうか?」


「……間違いない」


「わたくしたちが保証します」


 だから頑張ってください、と二人。愛妻たちにそう言われたら、やる気になってしまうのが男というもの。具房はもう少し頑張ろう、と気合を入れた。


 具房と信長の昇進は無事に終わり、二人は織田屋敷で今後のことについて話し合う。そのなかで、信長からの依頼があった。


「大和を?」


「ああ。悪いが、譲ってほしいのだ」


 それは、大和の割譲要求であった。曰く、畿内を領有していることこそ天下人の証。ゆえに大和を譲ってほしいと。


「それはさすがに……」


 具房は渋る。当然だ。大和は領国のなかでも大きな国である。それを手放すなどあり得ない。それは信長も予想しており、代案を用意していた。


「代わりに、四国を義弟殿に与えたい」


 それは、大和と四国の交換である。条件としては悪くない。問題は、四国が三好、長宗我部などの在地勢力、大友や毛利といった勢力の割拠する場所だということだ。平定にはかなりの労力が要る。武田、北条と緊張関係にある今、片手間にできることではなかった。


「せめて四国平定後ということになりませんか?」


「しかし……いや、そうしよう」


 信長はなおも何か言いたそうにしていたが、さすがに何の見返りもなし、理由もなしに領国を召し上げるというのは横暴が過ぎる。具房はこれが認められなければ徹底抗戦する、という覚悟で信長と交渉した。四方に敵を抱えている今、仲違いしている場合ではない。具房が言っていることも正しい。ゆえに、信長はその条件を受け入れた。


 大和をめぐる話で一時的に緊張した会談であったが、その後は和やかな雰囲気になる。基本、具房は東海道で家康や妹婿になる房信と協力して武田、北条連合と戦うこととなった。しかし、それだけをやっていればいいという話ではない。


 信長は徐に今後の構想を話し始めた。天下統一計画ともいえるものを。


 まず、戦線は六つ。


 北陸戦線


 東山道戦線


 東海戦線


 南海戦線


 山陽戦線


 山陰戦線


 だ。司令官は順番に浅井長政(柴田勝家)、織田房信、徳川家康、北畠具房、羽柴秀吉、明智光秀である。西海道(九州)については南海、山陽、山陰の攻略が完了すれば開始される予定だ。具房が気になったのは、その人選である。


「播磨に羽柴殿を?」


「サルも功績を多く立ててきた。それに報いる意味でも、国を与えようと思うておるのだ」


 なるほど、と具房は頷いた。そして、信長からの依頼は、播磨守護家・赤松氏への口利きだった。なぜ具房にやらせるかというと、赤松氏が北畠家と同じ村上源氏だからだ。実権はないとはいえ、播磨国主から領国を継承したという形式を整えたい、というのが信長の意向だった。説得材料として、具房が赤松氏に諭す。秀吉の下につけ、と。


「いい考えだと思います。早速、書状を送りましょう」


 具房はこの後、播磨へ書状を書き送っている。彼の国は守護家たる赤松氏の没落により、別所氏を筆頭に領主が割拠するという状況だ。信長に対抗できる勢力は国内に存在しない。すんなり支配されるだろう、と具房は読んでいた。


 実際、多くの領主が服属を受け入れた。西からは毛利家の脅威が迫っている。先だって、備中の三村氏が滅ぼされた。宇喜多直家は毛利家に服属している。播磨の諸侯は選択を迫られていた。つまり、織田につくのか毛利につくのか……という。そのなかで赤松氏やその重臣・小寺氏、別所氏は織田につくことを選択した、というわけだ。


 特に熱心に迎え入れたのが小寺氏ーー特に孝隆だった。播磨での拠点として、自らの居城である姫路城を秀吉に明け渡した。今後、秀吉は反抗的な領主を取り込んで播磨の領国化を進めつつ、毛利家との対決に備えることとなる。


「丹後を落とせば、次は但馬ですか?」


「毛利の手に渡る前に押さえたいところだ」


 但馬には銀山がある。その安全確保のためにも、但馬までは何としても押さえたいというのは自然な考えだ。


「ところで、四国はいつ向かう?」


 信長は話を四国侵攻に変えた。天下人としての威厳を示したい彼は、なるべく早く大和を領有したいのだ。その条件が四国との交換になった以上、四国侵攻は早ければ早いほどいい。だが、それは難しいだろう。


「石山と武田が片づいてからですね」


 動員できる人的、物資は限られている。戦線が増えればひとつの戦線に割けるリソースが減ってしまう。場合によると、劣勢に立たされるかもしれない。喧嘩をふっかけられたのならともかく、自ら喧嘩をふっかける必要はないだろうーーというのが具房の考えだ。


「調略などに留めましょう」


「……そうだな」


 信長は不満そうだったが、具房の言うことはもっともである。否定するわけにはいかなかった。




 ーーーーーー




 信長との会談は、彼に来客があるとのことで解散となる。その間にも色々な話を聞くことができて、具房的には満足であった。


(いよいよ安土城が築かれるぞ)


 具房はそれが楽しみで仕方がない。信長は会談のなかで、尾張と美濃を正式に房信に譲ると言った。そして岐阜城に代わる居城として、安土に城を築くとも。


 幻の城、安土城。ルイス・フロイス『日本史』に豪華絢爛な城とあるが、失火で失われて詳細は不明である。歴史家としては、是非とも目にしたい。火事になって焼けようが、その姿だけは後世に残す。そのために絵を何枚か描かせて、防火設備の整った場所に保存させようーーなどと考えている。学者としての血が久しぶりに暴走していた。


 ところで、信長の客とは伊達家からの使者だ。中央の有力者となった信長に贈り物を持参したのである。


 そして奇しくも同日に具房のところにも東北からの使者がやってきた。派遣元は浪岡氏。同族の浪岡北畠家からの使者である。


「左大将への補任、おめでとうございます」


「うむ。左衛門殿(浪岡顕忠)も久しいな」


 使者は浪岡顕忠。浪岡北畠家の現当主・顕村の従兄弟である。父・顕範とともに顕村を補佐していた。そんな彼が遥々京までやってきた目的は、具房の左大将補任のお祝いだけではない。


「三郎兵衛様(浪岡顕村)の授爵にお力添えをお願いいたしたく」


「まだ無位だったか。承知した」


 ひとつは、顕村の授爵を依頼すること。川原御所の乱以降、浪岡氏の力は衰えている。逆に中央で大きな力を持つ具房の力を借りて、代々補任されてきた侍従になろうというのだ。浪岡氏の所領は蝦夷地交易の重要拠点であり、彼らとの関係もまた重要。具房は快諾した。蝦夷地交易の利益からすれば、端金でしかないからだ。それで莫大な利益が得られるのだから安いものである。


 用事が済むと、歓迎の宴会が開かれる。最近では「北畠料理」などという名前がついているらしい。これは、挨拶に訪れた公家が振る舞われた料理に感動。口コミで情報が広まり、そんな名前がついたのだという。文化の先進地域である京の公家たちを唸らせた料理だ。貴種とはいえ、実態は田舎武士の顕忠からすればこの世のものとは思えないご馳走だった。


「美味い……」


 満足感を全身で表していた。具房としては、思いつく限りの料理は出し切った感がある。そのため最近は食事の質は現代だな、と満足するとともに慣れがあった。顕忠のような反応を見ると、この時代では特異なものなんだということを改めて感じる。


 顕忠は酒と料理を楽しんだ。その帰結として泥酔する。宴会の席では具房に色々と要求するつもりであった。そのために考えがあったのだが、酔った勢いで要求をすべてゲロったために台なしになってしまう。


 顕忠の要求は周辺情勢が不穏なので支援要請、両家の婚姻(顕村の娘と具房の縁者)、である。特に後者は重要だった。顕村には娘はいても跡継ぎがいない。そこで、中央から養子をとることにしたらしい。丁度、中央における有力者(具房)が同族である。これ以上ない相手だ。


 そこまで吐いたところで、顕忠の酔いは一気に醒めた。自分は何を言っているのか、相手に手の内すべてを曝すとは何事か!? と自分を責める。が、どうにか態度を取り繕った。


「できれば、左大将様(具房)のご子息と……」


「姫君はいくつなのだ?」


「静様は五つにございます」


 顕村の娘の名は静らしい。『静御前』というワードが具房の脳裏に浮かぶ。だが、同名の人物ならいくらでもいるか、と思い直した。


 跡継ぎを諦めるのが早すぎるように思うが、メリットはある。まず、これによって具房は浪岡氏の養子になった子どものことを気にかけるだろう。もし、浪岡氏が危機に瀕した場合、助けてくれる。北畠軍の精強さは東北にも伝わっていた。昨今、力を落としている浪岡氏からすればいい話だ。


 ふむ、と考える具房。話自体は悪いものではない。脳裏に息子たちがピックアップされる。現在、具房の息子は三人。長男の鶴松丸、次男の亮丸、三男の若竹丸だ。鶴松丸は跡継ぎのため、養子に出すことはできない。よって候補は亮丸か若竹丸ということになる。


(まあ、相性もあるからな)


 子どもの一生に関わることだ。簡単には決められない。まして、養子に出すのは遠く離れた東北の大名家。具房は心配だった。そこで、顕忠に一度、静姫を招待したいとの申し出を行った。


「まだ幼いだろうから、少し先のことになるだろうが」


 縁談自体は前向きに検討する、と伝えておく。悪い意味(実際はやらない)ではなく、いい意味で。


「承知しました。そのようにお伝えします」


 顕忠も好意的な回答を得られたことに満足して引き下がった。酒の失敗で交渉が決裂するより百倍マシである。彼はお土産を持って帰国した。








【解説】織田政権期における中央と東北の関係


 伊達家をはじめ、東北の諸大名は信長に使者を送って友好関係の構築に勤しんでいました。その理由について興味深い指摘がありまして、信長が蘭奢待を切り取ったことが、彼の権威の確立につながったというのです。蘭奢待を切り取ることができたのは時の権力者に限られたので、たしかにインパクトは大きかったかもしれません。以後、東北の大名は信長に続々と使者を送るようになります。


 東北の方には失礼ですが、元来、東北の人は「長い物には巻かれろ」といった純朴な人間が多いからという理由が考えられます。ちなみに、この観念は近代まで続き、純朴な東北や九州で編制された部隊は精鋭として重宝されました。特に弘前の第八師団のあだ名は「国宝師団」で、中央の期待の度合いがわかると思います。一般的に都市部よりも、地方の部隊が強いとされていました。その理由は……自分で調べてみてください。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] あとがきので、一言 最強師団が、九州や東北勢に対して、京都からの師団は、弱兵で通称が 「御公家様師団」だったとか(´~`)
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