予防策
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本願寺が大筒を使ったという報告を受けた具房は、すぐに砲兵部隊を向かわせた。
「おお、やってるやってる」
砲兵隊長は遠目に見ておー、と声を上げた。呑気なものである。それをため息を吐きながら見ているのが副官だ。
「隊長。仕事をしてください」
「いやいや。俺が細かく指示するより、君たちがやった方が早いだろう?」
「気持ちの問題ですよ。まあ、事実ですけど」
「そこは違うって言うべきところじゃないか?」
隊長が隊長なら、副官も副官だった。なかなか舌鋒鋭い。まあ、凸凹コンビで上手く回っているのだが。
二人がそんな話をしている間にも部下たちは黙々と準備を進め、完了させていた。その報告が上がってくる。
「砲撃準備、完了しました!」
「ご苦労様」
「隊長、なに他人事みたいなことを言ってるんですか。陣地に行きますよ」
え〜、すぐ終わるでしょ、とかぶつくさ文句を言う隊長を引きずって陣地へと連行する副官。準備はともかく、砲撃の命令は出してもらわないと困るのだ。
「目標は?」
「はっ。敵砲が五門確認されています」
「奪われたものすべてだな。一度で仕事が片づくな」
よし、と隊長。優秀な人間なのだが、サボり癖があるため昇進に響いていた。本人はまったく気にしていないが。
「各隊、照準はいいか?」
「第一中隊、よし!」
「第二中隊、いつでもいけます!」
「第三中隊、(発砲)許可はまだですか!?」
隊長が問うと、威勢のいい返事が返ってくる。満足そうに頷き、
「撃て!」
と号令。砲声が轟く。
放たれた砲弾は、敵砲の周囲に着弾。それを示す土煙が朦々と上がる。砲撃の直前だったようで、火薬に引火したらしい。閃光が瞬く。その数、三。
「二門逃したか……。次弾装填! 第一中隊は後方へ照準変更! 挟むぞ」
「再装填急げ!」
中隊長たちが部下を急かす。しかしさすがというべきか、三十秒足らずで再装填は完了した。
「撃て!」
轟音再び。土煙に交じって爆炎が二つ見えた。
「目標の破壊を確認!」
「よし。陣地を引き払うぞ」
北畠軍は素早く撤退する。ただの二斉射で厄介極まりない大砲を沈黙させたその腕前に、現場で目にした織田軍はもちろん、伝え聞いた信長も驚嘆した。
「凄まじいな、義弟殿の兵は……」
「日ごろの訓練の賜物です」
具房は満足そうだ。それに頷きつつも、信長は内心で別のことを考えていた。
(砲の鍛錬ができてたまるか!)
火縄銃を戦で使うだけでかなりのコストがかかっている。大砲はそれ以上だ。前者でさえまともに訓練できていないのに、後者の訓練など考えたくもない。そんなことをすれば、織田家の財政は間違いなく破綻する。
信長は、北畠軍の砲兵隊が訓練しているのは間違いないと考えていた。そうでなければ、今回の戦果は説明できない。であれば、北畠家の財政はどれだけの規模なのか。その辺りのことを知りたいと思ったが、下手に突いて変なことになっても困る。彼は見て見ぬふりをすることにした。
「さて、もうじき九鬼(嘉隆)の船団も着く。これで石山は完全に包囲するわけだが、これからどうする?」
信長が訊きたいのは、敵対する姿勢を打ち出す上杉、毛利にどう対応するかということだ。
「北陸に関しては柴田殿に任せるしかありません」
具房ができることは少ない。早々に加賀を制圧し、上杉家の来襲に備えたいところだ。彼らの奮闘に期待したい。
「中国方面は、欲を言うなら播磨と但馬か因幡を押さえたいところだ」
「波多野殿や赤井殿がやる気ですからね」
赤井直正を筆頭に、丹波国衆が山名領への侵攻を訴えている。以前、彼らは山名祐豊から侵攻された。その恨みを忘れておらず、息巻いているのだ。
しかし、信長は重大な可能性を見逃しているーーと具房は見ていた。それは水路である。江戸時代、長崎の防備をガチガチに固める江戸幕府の政策を、林子平は『海国兵談』を著して批判した。今の具房はまったく同じ心境である。
毛利家はこれまでの敵とは毛色が違う。彼らが中国から動員する強大な陸軍は脅威だ。だが、一番はやはり水軍。これに対抗する必要がある。
「海に不安がありますね」
「不安か?」
「ええ。毛利の水軍は強大だといいます。備えておいて損はありません」
大したことなければよかった、それでいいのである。危機管理にやりすぎはないのだから。
「それでどうするのだ?」
船団を派遣して守りを固めるのか、と信長。しかし、あまり石山攻めに干渉してほしくない雰囲気を感じていた具房は、それを否定する。
「船団は派遣しますが、それは海上封鎖に加わるためではありません。石山に通じる要路を塞ぐためです」
「まさか、義弟殿ーー」
「淡路を攻めます」
淡路島は瀬戸内海と大坂湾を繋ぐ水路上にあり、明石海峡と鳴門海峡の間にある要衝だ。ここを治める安宅信康は三好一族で、義昭と一緒に信長に反抗していた。ここは石山の包囲網を強化する意味でも、淡路を押さえておきたい。
「先に咲岩殿(三好康長)を使者に送り、降伏を呼びかけます。拒否すれば、我が軍が行って島を占領します」
「……そこは三好に任せるのであれば、いいだろう」
「わかりました」
具房は島の占領統治は面倒だと思い、信長が引き受けてくれるなら好都合だと快諾した。
三好咲岩が呼び寄せられ、二人が連名で認めた書状を持たせて淡路島に送り込んだ。
三好家が讃岐での反乱、土佐(長宗我部)からの圧迫を受けている今、信康には畿内からの侵攻を防ぐ重大な役割が与えられていた。そんな彼が受けられるはずもなく、織田、北畠何するものぞ、とこれを拒否する。
具房はならば戦いだ、と本国から戦闘艦隊と志摩兵団(臨時編成)とを呼び寄せた。
「淡路の攻略は今後の戦いに重大な影響を及ぼす。頼むぞ、弥五郎(九鬼澄隆)」
「はっ」
艦隊司令官になった澄隆をそう激励して送り出した。今回、艦隊に随伴する上陸兵団は臨時編成された部隊だ。志摩兵団に充当される予備役兵で編成されているため、志摩第二兵団とでもいうべきものだった。
なぜ二線級の部隊が臨時編成されて投入されたかというと、本隊は徳川救援のために待機しているからだ。そのため、他所に転用はできなかった。
(たまたま演習のために集まっていたから、編成に時間がかからなかったな)
予備役兵は秋の収穫が終わると集められ、演習に参加する。丁度、そのタイミングで臨時召集がかかった。集合して部隊として編成されているのだから、後は船に乗せて石山まで運べばいい。そんな事情もあり、北畠軍は極めて動きが早かった。
一方、信康は水軍に自信を持っており、侵攻を待ち構えていた。陸戦はともかく、船戦では負けない、というのが彼をはじめとする三好軍の総意だった。これは、北畠軍に同行している三好咲岩も同じであった。
「九鬼殿。勝てるのか?」
心配になった咲岩は澄隆に問いかける。
「ええ。殿は勝てぬ戦はされない方ですから」
「……」
とは言うが、勝敗がわかるならばそれは神仏の類である。咲岩は不安を覚えた。そこへ、兵士のひとりがやってくる。
「司令(澄隆)。偵察隊から報告です」
「敵船団は?」
「未だ港に留まっております」
報告を受けた澄隆はふむ、と考え込む。別に敵船団が出てきて戦闘になってもいいのだが、どうせなら楽に勝ちたい。
「艦隊は増速。一気に距離を詰め、敵船団を港へ押し込む」
「はっ!」
澄隆は艦隊に増速を命じた。港湾を封鎖し、敵船を無力化することが狙いだ。
「滝川殿(一利)に明朝、上陸だと伝えよ」
「はっ!」
艦隊間の通信は手旗信号で行われた(夜間であれば発光信号が、戦闘中には旗旒信号が使われる)。具房は信号の細かい内容は知らないーー辛うじてわかるのはモールス信号のSOSだけーーので、アルファベットに適当に割り当てて対応した。離れていても意思疎通ができるため、澄隆たち海軍首脳にも好評である。
なお、暗号化はされていない。平文での通信に問題はないのかという疑問が浮かぶ。実際、戦国時代には宣教師によってポルトガル式ローマ字が伝えられていた。だが、それが表記されている初例は1581年の『日葡辞書』であり、多くの人間はそもそも知らない。北畠海軍でも、アルファベットと信号パターンをマスターしているのは士官と通信士だけだ。なので問題はない。
「艦隊旗艦より通信です。『ミヨウチヨウジヨウリクヲカンコウス(明朝上陸を敢行す)』以上!」
「腕が鳴るぜ」
通信兵の報告に反応したのは滝川一利ではなく、同乗していた利益だった。滝川一益と同族で、前田家(利久)の婿養子となった利益。しかし、お気に入りの家臣である利家を引き立てたい信長が、義父・利久を病弱という理由で当主から降ろしてしまった。利久と利益はやむなく、一益を頼る。
一益は二人を保護したものの、利益の扱いには困ってしまう。利久は剃髪して俗世を離れたからよいものの、利益は戦に出るでもなくぐーたら生活(芸術に傾倒)を送っている。これは何とかしなければ、という使命感を抱いた一益は、軍事訓練が厳しいと評判の北畠家へと送り込むことを考えた。信長に問い合わせると、即座に許可される。彼からすれば、利家の立場が安定するので万々歳だ。かくして利益の北畠家への仕官が打診される。その窓口となったのが、娘婿の一利だった。
『えっ?』
話を聞いた具房は困惑した。
(前田利益って、慶次だろ? いいの?)
性格に多少の問題はあるが、優秀な武将である。そんな人間を貰ってもいいのか? ファイナルアンサー? と再三確認した。しかし、一益も背後にいる信長も、是非是非と猛プッシュする。一益は文化活動に変調した利益の態度が改まるようにと願って。信長は、利家の地位が盤石になることから熨斗をつけてでも送り出したいところだ。
そんな経緯があり、利益は北畠家に仕官した。北畠家では一利が面倒を見ている。貧乏くじを引いたわけだが、北畠家に仕官してからの利益は人が変わったようだった。
御所様こそ我が主君、と言って憚らず、仕事もきちんとこなしている。昔の利益を知る人物が見れば、別人説を唱えかねない。さすが北畠家、と具房の株はうなぎ登りだった。
利益がまともになった理由は、やはり北畠家(具房)の寛大さだろう。初対面のとき、利益は泥のついた大根を持ってきて、
『この大根のように見かけはむさ苦しいが、噛めば噛むほど滋味の出る拙者でござる』
と言った。普通の大名なら激怒してもおかしくないところを具房は、
『そうか。ではよく噛まねばな』
と返した。使い倒してやるからな、という意味だが、利益は具房の度量の広さに感服した。義叔父の利家なら、こんなことをされたらカンカンに怒る。それに比べて具房はなんと寛大なのか、と。
さらに具房は、武士といえども領国の一員として働き、税を納める必要がある、と説く。同時に、その義務さえ果たせば犯罪を犯さない限り、何をしてもいいという権利がある、と諭した。これは仕官する前の生活について暗に言っているわけだが、やることやっていればそのような生活をしても文句は言わない、ということだった。これもまた、利益をやる気にさせる。
そんなわけで、利益は北畠家の家臣となった。具房は彼を人材不足の感がある志摩兵団へと送り込んだ。そこには無論、彼に協調性を身につけさせるという意図もある。もっとも、(そこそこの)やる気を出した利益は優秀で、兵団の新兵訓練を見事に乗り切った。その後は軍学校に入校し、北畠軍の戦術をみっちり学ぶ。
卒業してしばしの休暇が与えられ、さてどの部隊に配属しようかーーとなっていた矢先に、この出兵となった。志摩兵団の指揮官は不足しているため、利益は全体を統括する参謀的な立場で参戦することとなった。……もっとも、本人は前線で戦う気満々なのだが。
「程々にな」
一利は既に彼を制御することを諦めていた。面倒を見て、細かなところは具房に丸投げしようーーというのが彼の判断だ。
やるぞお前ら! という利益の呼びかけに、兵士たちがおおーっ! と歓声を上げる。利益のカリスマ性は遺憾なく発揮されていた。
明朝。起き出した安宅信康は愕然とした。居城・洲本城の眼前に敵船団が並んでいたからだ。今から水軍を出したのでは、敵の的になるだけ。先頭から一隻ずつ撃沈されることは目に見えていた。信康はやむなく、城の防備を固めるよう命じる。
しかし、それは遅すぎた。北畠軍は既に攻撃準備を整えていたからだ。
「撃て!」
澄隆の号令で、戦闘艦隊の各艦が砲撃を始める。特に戦列艦の大砲装備数は日本船ではあり得ない数であり、それを浴びせられる安宅側はたまったものではない。兵たちはクモの子を散らすように逃げ出した。
「青旗、揚げ!」
澄隆は各砲が十発ほど撃ち込んだところで、マストに掲げる赤旗を青旗(実際は緑色)に変えた。これは上陸の合図だ。
「よし、行くぞ!」
これを見た上陸第一派が一斉に押し寄せる。そのなかには利益もいた。先頭に立って安宅軍に襲いかかる。
利益は槍兵を率いて敵中に躍り込む。その背中から援護射撃が飛び、安宅軍は簡単に蹴散らされてしまう。
洲本城も北畠軍が持つ火砲の攻撃に晒され、呆気なく陥落。信康はわけがわからないまま降伏するしかなかった。
頭が潰された淡路島の諸勢力はまともな抵抗もできず、一週間ほどで占領された。安宅水軍は出撃さえできないまま無傷で鹵獲され、織田水軍に組み込まれることとなる。北畠軍の完全勝利といえた。
「咲岩殿。あれ(北畠軍)は何なのですか?」
「わからぬ……」
これには咲岩も乾いた笑いしか返せない。それは信長も同じで、出鱈目な結果にただ呆れるしかなかった。
ともあれ、淡路島の陥落には大きな意義がある。石山包囲の一角として、対毛利の水軍拠点として、そして将来的な四国攻略の拠点として。戦略的に大きな意味があった。
【余談】海国兵談の要約
江戸幕府さん。長崎をガチガチに固めてますけど、海に国境はないんですよ? 江戸の防備固めなくてどうするんですか? 馬鹿じゃねえの?
【その他】前田利益
前田慶次こと利益の経歴は、不明な点が多々あります。義父・利久が利家に所領を譲った永禄十年から、利家に仕える天正九年まで、確かな記録はありません。なので、作中に説明したような生活を送っていた、ということにしました。ご了承ください。