大包囲
前回(101話)、誤字報告を頂いた方へ。
具に報告
という一文を、具房に報告したのか? それとも左近に報告したのか? という意味で受け取られて誤字報告を頂きましたが、「具に」で「つぶさに」と読みます。こと細かく、詳細にといった意味です。紛らわしくてすみません。
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左近率いる大和兵団の本隊、具房率いる三旗衆が石山に到着したときには、既に戦闘は終結していた。
「遅刻したかな?」
そんなことを言いながら、具房は織田軍の本陣として使われている天王寺砦に入った。先に現地入りしている信長と会見するためだ。予定外の行動であるため、方針を再確認する必要がある。具房は先に信長と一対一で面会した。
「来援感謝するぞ、義弟殿(具房)」
「我らは一蓮托生。当然のことです」
これには自分が困ったときも助けてね、という意味があった。領国の位置からすると具房が窮地に陥る可能性は低いかもしれないが、万が一ということもある。保険をかけておいて損はない。
「ところで、先の戦で負傷したとか。体調はどうですか?」
「心配することはない。弾が一発当たっただけだ」
信長は問題ないとは言うが、その銃弾は当たりどころによっては人は死ぬのである。前線へ出るとは何事か、と具房は信長を叱りつけた。
「相すまぬ。だが、ははっ」
「何を笑っているのです?」
「いや、爺(平手政秀)のようだと思ってな」
懐かしかったのだ、と信長。彼が大名になってからーー正確には政秀が自害してからーーこうして相手のためを思って叱られることはなかった。そのため、懐かしく感じたのだ。
信長は優しい顔で、
「不思議だな。義弟殿は年下だが、不思議と爺に似ている。そうだ。これからは爺と呼ぼう」
「そんな。平手殿には及びませんよ」
具房は全力で辞退した。政秀ほど信長には尽くしていないからだ。政秀は信長のことを思って自害するほど忠節を尽くした。一方の具房は、救援を求められれば快く応じているものの、裏では信長と戦うことになったときに備えて色々と準備している。見事な二枚舌。政秀と同列に語られるのは気が引けた。
「ーーって、誤魔化されませんよ」
「むう。バレてしまったか」
本来の目的を思い出した具房。信長を叱っていたはずが、気がつくとしんみりした雰囲気に流されてしまっていた。慌てて軌道修正する。信長はバレたか、と現代なら舌を出していそうな感じで苦い顔をした。それがおかしくて、二人は笑いあった。
しばらく話したあと、二人はそれぞれの家臣が待つ部屋に移動する。そこで今後の方針ーー石山の攻略について話し合う。さしあたって決めなければならないのが、塙直政に代わる石山攻めの司令官だった。
「弾薬の類を奪われたのは痛いが、それは義弟殿が工面してくれるそうだ。今は石山攻めの大将を決めねばならぬ」
信長は弾薬と大砲を奪われた責任を塙直政に丸投げした。死者に鞭打つような行為だが、実際に責任は彼にあるのだから当然ともいえる。またそうすることで、この件についての責任追及はしないと表明した。具房からすれば甘いのだが、他家のことなので黙っておく。
「殿(信長)が大将になるのではないのですか?」
「それも考えたが、いつ武田や北条が動くかわからぬ。軽々には動けん」
あくまでも武田や北条に備えた動きだと説明する。上杉や毛利に参戦の動きがあることは、まだ一部の人間のみの秘密だ。
「なら、明智殿はどうでしょう? 石山の戦には常に参戦しております。一向宗との戦い方もよく心得ておられるかと」
「いや、長岡殿(長岡藤孝)の方が適任です。かの細川家の一門なのですから」
信長が意見を募集すると、明智光秀と長岡藤孝の名が挙がった。その二人は互いに目を見合わせる。まさか自分が指名されるとは思っていなかったようだ。
「お待ちください。我らより適任者がいるはずです」
「それは?」
「荒木殿(荒木村重)です」
「所領も近く、戦上手。石山のような堅城を落とすにあたっては適任といえるでしょう」
二人は揃って村重を持ち上げる。割と必死だ。そこに具房は彼らの本音を見た。それは石山攻めをやりたくない、という考えだ。堅城を落とすことができれば、武人としてこれ以上ない名誉が得られる。だが、失敗すれば己の名誉が傷つく。そして堅城は後者のようになることが多い。ハイリスクハイリターン。難しいから見返りも多いのだ。当然といえる。
そして、村重はやる気だった。元は池田家臣だったが、信長に従ったことで義昭に従った主家は没落。結果として、摂津の国主となった。ただ、あくまでも成り行きにすぎない。そこで石山を陥落させるという武功を立て、武威を示して支配を強化するのが狙いだった。
「荒木か……」
しかし、信長は渋い顔をする。村重は優秀な武将だ。だからこそ信長も重用し、あちこちの合戦に参加させている。だが、優秀だからと重用しすぎるのも問題だった。それは、尾張から従っている譜代衆の反感を買う恐れがあるからだ。しかも今回、塙直政を司令官に起用して失敗している。自分が目をかけている人間を使うことも憚られた。信長はしばらく悩んでいたが、脳内検討の末に司令官を決める。
「後任は右衛門尉(佐久間信盛)とする」
色々と勘案した結果、佐久間信盛を起用することにした。彼は譜代衆であり、三方ヶ原で失態を犯して叱責を受けると謹慎させられ、復帰してからも部将のひとりに立場を落としている。なかなか引き上げられなかったことからも、信長が信盛を重用していないことは明らか。そんな人間を使うことで、先の懸念を払拭する狙いがあった。
また、本願寺は強攻で落ちるようなものではない。直政の強攻が失敗したことからもそれは明らかだ。そこで、信長は戦術を包囲戦術に切り替えることにした。必要なのは負けない力。負けても被害を最小限に留める力だ。その点、「退き佐久間」との異名をとる信盛は適任といえた。
「汚名を雪げよ」
「ははっ」
信盛の下には主だった武将のうち、村重のみが残される。では、光秀たちはどこへ差し向けられるのか。
「二人には五郎佐(丹羽長秀)とともに丹後を攻めてもらう」
丹後守護・一色義道はこのところ、信長に反抗的であった。比叡山の僧侶を匿ったり、義昭に協力したりと。そして、丹後は但馬に隣接しており、山名氏の後ろには毛利がいる。このまま放置していれば、丹波と若狭が危ない。その先にあるのは山城ーーつまり京だ。ここを奪われることは、信長にとって重大な政治的打撃である。
さらに、若狭に攻め込まれた場合、加賀で戦っている北陸軍の退路が断たれる。こちらも由々しき事態だ。そこで、信長は前線を押し上げる決意をした。相手は室町幕府で四職という要職を務めた名家・一色家。対峙するには圧倒的な戦力か、相手以上の名声が必要だ。で、今回は石山攻めで戦力に余裕がないため後者を選択した。一色家を凌駕する名門は、将軍か三管領しかいない。長岡藤孝は傍流だが、その三管領の血筋である。対抗馬としては十分だ。
かくして戦力の割り振りは決まった。次なる議題は石山攻めの動きである。方針としては包囲して兵糧攻めにするのだが、問題はどこで包囲するか、という点だ。一向宗は追い払ったものの、城砦付近まで押し込まれたことに変わりはない。ここで包囲するのか、それとも本願寺まで押し返すのか。論点はそこにあった。
「右衛門尉。何か意見はあるか?」
信長はまず、責任者である信盛に意見を求めた。信盛は少し考えてから話し始める。
「寺周辺まで押し込みましょう。城砦はあくまでも詰めの城とする方がよいかと」
「荒木はどうだ?」
信長は村重にも訊ねた。ここで村重は思案する。
(ここで佐久間殿と同じ意見を出したのでは、殿の印象に残らぬのではないか? いや、しかし塙殿の失敗で攻撃的な献策は嫌われるやも……)
独自色を出そうとすれば嫌われる恐れがあり、迎合すれば埋没してしまう。どちらも一長一短で、なかなか難しいところだ。そして、信長の前なのであまり熟考している暇はない。急いで算盤を弾き、結論を出した。
「城砦に留まるべきかと」
「それは?」
「寺周辺にいると、不意に襲撃を受けて塙殿のように大損害を受けかねません」
村重の主張は過去の戦訓から、本願寺の周りに陣取っていたのでは奇襲を受けて損害を出す恐れがある。だから、ある程度の距離をとり、たまに攻撃して消耗させる程度でいいのではないか、というものだった。積極策と消極策との折衷案である。
「ふむ……」
石山を攻める有力武将の意見が割れた。信長としては、信盛が主張する積極策を採りたいところ。しかし、村重が言うように思わぬ損害を受ける可能性がある。今後、上杉や毛利が敵に回ると考えれば、戦力はなるべく温存しておきたい。消耗の抑制という観点からは、村重の策も魅力的だった。
決めかねた信長は、もうひとりの有力武将ーー具房に目を向ける。
「義弟殿はどう考える?」
「そうですね……わたしなら、蟻一匹這い出る隙間もないほど、徹底的に締め上げます」
慈悲は無用、と具房。いつもは穏健な彼の過激な言葉に場が騒つく。しかし信長は過激な言葉が魔王な心を刺激したのか、ニヤリと口許に大きな弧を作った。
「具体的には?」
「やるからには徹底的にやります。陸は寺の付近まで接近し、空堀と柵で完全に囲います。海にも船団を派遣し、海上封鎖を行いましょう」
ただし、と言って具房は問題を指摘する。それは、奪われた大砲だった。日本に大砲が伝来するのは本来、天正四年(1576年)のこと。大友宗麟が国崩し(フランキ砲)を購入したのが始まりである。しかし、この世界では具房が既に大々的に活用し、織田家はもちろん、浅井家や徳川家にも広まっていた。また、諜報によると各大名家でも試作が行われているという。まあ、鋼材の品質が劣悪なため、次々と暴発事故を起こしているようだが。
それはともかく、原理としては火縄銃と変わらない。ゆえに製造は不可能でも、現物があれば運用可能だ。しばらくは本願寺からの砲撃に備える必要がある。
「たしかに、あれがこちらに向けられるのは脅威だ」
信長は具房の懸念をもっともだと言った。その上で、対策はあるのかと問う。具房は頷く。彼が用意しているオプションは二つ。
一、特殊部隊を潜入させ、破壊工作を行わせる
二、砲撃戦で破壊する
このうち、具房は二を推す。前者は成功率が低いからだ。
(まさか、間接照準で撃つはずないだろ。もし撃ってきても、当たる確率からすれば奇跡に近い)
火縄銃と同じ原理で動くということは、その発想も近しくなる。運用形態は、姿を暴露した上での直接照準が想定された。北畠軍の砲兵隊であれば、姿を現した敵を狙い撃つことができる。排除は容易だ。仮に間接照準で砲撃されたとしても、着弾の様子から大体の位置は掴める。そのように訓練していた。
「面白い。そうしよう。右衛門尉もよいな?」
「はっ。異存ありません」
こうして方針は決まった。織田軍は翌日から動く。まずは一向宗を本願寺へ追い返す。雪辱を果たさん、と明智、長岡、荒木勢が奮闘。一向宗をあちこちで潰走させ、初期目標を達成した。具房たち北畠軍は、援護射撃などの裏方に徹する。
水軍は、九鬼嘉隆率いる織田水軍が動員された。具房も出すと言ったのだが、信長に丁重に断られている。東海道に備えろ、とのことだ。たしかに北条水軍は強大だが、里見水軍なども相手にしているため、それほど脅威ではない。その上、一個戦闘艦隊は常時、駿河に張りつけている。石山にも十分派遣は可能なのだが、無理をすることはない、と具房は引き下がった。
代わりに具房が担ったのは兵站だ。特に火器と火薬を信長は爆買い。伊勢から堺まで海路で運び、そこから陸運する。それだけの仕事なので、非常に暇だった。毎日、本陣で報告を聞くだけである。
寺の外にいた一向宗は駆逐され、寺内に引き籠もった。それを確認すると、各隊は陣地の構築に入る。ちなみに包囲が完成すれば、具房たちは撤退しようという話になっていた。だが、その前に一向宗が動く。
「報告! 佐久間右衛門尉様の陣に大筒が撃ち込まれました!」
戦いは、新たな局面を迎えた。