表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北畠生存戦略  作者: 親交の日
第八章
101/226

第二次石山合戦

 



 ーーーーーー




 本願寺が蜂起しようとしているとの情報を得た信長は、加賀の一向宗を攻めるためと称して軍を集めていた。不安感を煽り、本願寺を暴発させようというのだ。そして、その狙いは的中する。


「本願寺が動きました!」


「よし。出陣だ」


 信長は直ちに出陣を命じた。天正三年(1575年)のことである。


 差し向けるのは、塙直政率いる五万。前回の石山攻めでは大失態を演じた直政。彼が大将になったのは、信長に直訴したからだ。


『汚名を雪ぐ機会を!』


『よかろう』


 目をかけている家臣の直訴に、自ら出陣しようとしていた信長は応えた。もちろん、これ以上の失敗は許さない。それは直政もわかっている。


(殿から奥の手も授かっている)


 それは期待の裏返しだということを理解していた。直政は着陣すると諸将を集め、作戦を示す。


「周知のように、石山は難攻不落の堅城だ。闇雲に攻めたのでは、徒らに被害を出すだけ。某は身に染みて知っている」


 直政は自戒を込めて言う。これに荒木村重が質問を投げかけた。


「このまま包囲して兵糧攻めに?」


「いや。石山は船で補給をしている。包囲しても効果は薄いだろう。それに、殿も早く片づけることをお望みだ」


 だから兵糧攻めにはしない、と直政は明言した。実際、信長からもできるだけ早く落とすようにとの注文を受けている。これは毛利が動いたとき、これに対応する兵力を手許に残しておきたかったからだ。中国の覇者ともなれば、動員する兵力は相当なものとなる。片手間に相手をできると思うほど、信長は楽観視していない。


「ではどうするので?」


「一撃にかける。そのための策を殿から授かっている。各々方はそのつもりで、入念な準備をお願いしたい」


「「「承知」」」


 策があるならば、と諸将は納得した。攻め口は海上補給路である楼岸と木津。そこには秘策のため、直政自ら布陣して準備にあたる。


 では、その秘策とは何なのか。答えは大砲であった。北畠軍が強力な砲兵部隊を擁し、稲葉山や観音寺といった堅城を呆気なく陥落させた。それを目にした信長は、石山に同じ手を使おうとしたのだ。数年間、各方面から集めた大砲は十門。火薬も五百発余を確保している。直政はこれを一度の攻撃に使おうと考えた。


「急げ!」


 直政は陣地構築を急かす。石山を早く落とせ、という信長の注文に沿おうとした結果だ。


 だが、直政の考えには誤算があった。一向宗が蜂起したのは、窮地に陥った加賀の負担を分散させるためだ。そのためには、石山にできるだけ兵力を集中させなければならない。そこで彼らがとった手段は攻撃だった。


「行け!」


 夜。突如として一向宗が攻めてきた。直政は防戦を命じるが、同胞を救うのだという号令に感化された門徒たちの攻勢は激しく、圧倒される。


 また、一向宗には別の理由もあった。直政たちが陣地を築いていた楼岸と木津は、石山への海上輸送路の要である。ここを押さえられることは看過できなかった。その結果が猛攻である。


 対する直政も必死だ。ここを落とされれば、陣地に据えつけていた大砲と火薬が失われる。直政は徹底して死守を命じるとともに、諸将へ援軍を求めた。


「直ちに向かう!」


 救援要請を受けた荒木村重や明智光秀、長岡藤孝は援軍を送る。直政がそこで奥の手を発動させようとしたことを知っていた。その失陥は避けなければならない。ゆえに、自ら援軍に向かう。


 だが、それは間に合わなかった。押し寄せる門徒たちに、迎撃態勢が整っていなかった塙隊は不利な状況で戦闘に突入する。しかも、彼我には装備の差もあった。本願寺は門徒が主体だが、財力にものをいわせて鉄砲をかなりの数、買い入れている。おかげで、火力は戦国でもトップクラスに高い。具房の工作で雑賀衆がいなくとも、手強い相手だ。


 対する塙隊は刀と槍、弓矢という貧弱な武装しか持っていなかった。直政は南山城の実質的な支配を任されていたが、財政的な余裕は皆無で、鉄砲などの最新の武器を満足に揃えられていなかった。事実、彼らが保有する鉄砲はわずか十丁余。大砲は信長から与えられたものだ。数でも劣っている。これで一向宗の攻撃を凌げるはずがなかった。


 拮抗はほんの一瞬。すぐに蹂躙され、直政を含むほとんどの兵が討死した。虎の子の大砲と弾薬もそっくりそのまま奪われてしまう。金銭に換算すれば、天守を備えた城がいくつも建つ規模だ。大失態再びである。


 そして、被害はそれだけでは済まなかった。勢いに乗った一向宗は追撃をかける。その途上で、援軍に向かう織田軍と接敵した。遭遇戦である上、敵を倒したばかりの一向宗の士気は極めて高い。織田軍に不利な要素が重なり、大苦戦に陥る。


「お、落ち着け! 落ち着くのだ!」


「冷静に!」


 荒木村重や明智光秀が混乱を収拾しようとする。だが、まったく効果がない。四苦八苦して、ようやくわずかな部隊を落ち着けることに成功した。ただ、その間に戦況はどうにもならない程に悪化していたが。


「ダメです。兵たちは混乱しており、一向宗とまともに戦うことすらできていません」


「ここは退こう」


「退くといってもどこへ?」


 光秀たちは合流し、防戦しながら方針を話し合う。撤退することは早々に決まった。粘っても、やがて圧倒される。ここは仕切り直す必要があった。問題は、どこまで退くかということだ。限界点は、本願寺周辺に築いた城砦群である。そこを抜かれると、本願寺に対する締めつけが弱くなってしまう。戦に絶対はない。万が一のことを考えると、防衛はそれより手前で行いたいところだ。だが、


(ここまで崩れていると無理だ)


 光秀は冷静に現状を認識していた。直政を救援するため、そして彼の重要性を考えて、全員が主力ともいえる部隊を率いてきた。元の陣地に戻っても、守りきることは難しいだろう。そもそも陣地は野営が主眼で、防衛はほとんど考えられていなかった。


「城砦まで退きましょう」


 光秀は決断した。今はあらゆる面で味方が不利。対応を誤れば、全軍が崩壊しかねない。態勢を立て直すにしても時間が必要だ。時間を得るためには、一向宗の攻撃を跳ね返さなければならない。そのためには、大きなアドバンテージが必要。それを提供するのが城砦だ。


「本気か?」


「ええ。それしか手はありません。城砦に籠もって時間を稼ぐ。殿に援軍を依頼し、到着するまでの時間を稼ぎましょう」


 一向宗の勢いを止めるにはそれしかない、と光秀は籠城を主張した。この場にいるのは、織田軍でも戦の上手い者たち。彼らも薄々、それしか手がないことに気づいていた。


「ここは明智殿の策に従おう」


 藤孝はこれに賛成し、村重も仕方ないか、と同意した。三人は遅滞戦術を展開しながら城砦に引き上げる。同時に、救援を求める使者が信長の許に送られた。


 京で塙直政の討死、自軍の敗北を聞いた信長は直ちに軍の参集を命じる。同時に具房にも援軍を求めた。


「了解した。直ちに出陣しよう」


 具房は武田の来襲に備え、石山には向かわない予定だった。しかし、石山の軍勢が半壊したという緊急事態にあっては四の五の言っていられない。何かあったときに、と臨戦態勢は整えていたので、問題なく出撃できた。


 動かしたのは大和兵団。距離的に近く、また元僧兵が主体であるため北畠軍のなかでも屈指の精鋭部隊だった。指揮官は島左近。長篠での戦功により、大和兵団の団長に就任していた。


 先行する大和兵団の後を具房率いる三旗衆が追う。具房は信長とともに中軍か後軍として戦場に入ると思っていた。ところが、情報収集にあたっている忍からの報告を聞いて愕然とする。


「義兄殿(信長)が自ら小勢で向かった!?」


「はっ。軍の参集が遅い、と既に集まっていた兵三千を率いて先行されました」


「……」


 具房は言葉を失う。信長ほどの立場にある人間が激戦地に正面から突っ込むのはどうなんだ、と。説教したい気分になるが、今さら止められない。ただ、後で小言は言ってやると決意した。


「……起きたことは仕方がない。大和兵団に、行軍速度を上げるように伝えろ」


「了解しました!」


 大和兵団の左近に具房の命令が伝えられ、彼らはその歩みを早めた。左近の対応はそれだけではなく、足の速い騎兵部隊を突出させる。そのなかにひとりの若者がいた。名は蒲生治秀。足利義昭を奉じて上洛した際、降伏した蒲生定秀から預かった亀千代が元服し、そう名乗っている。「秀」は蒲生氏の通字。「治」は六角義治からの偏諱だ。具房から偏諱がないのは差別ではなく、定秀の意思を尊重した結果である。


『六角あるところに蒲生あり』


 という定秀の言葉はよく覚えていた。だから亀千代の元服にあたっては、烏帽子親を六角義治に任せ、偏諱も彼から与えさせている。かつての主君、六角一族に義理を通そうとする蒲生氏の思いを無碍にできるほど、具房は非情ではなかった。


 治秀は大和兵団の騎兵小隊長を務めていた。盗賊討伐で初陣は既に済ませている。その指揮は巧みで、将来有望な若手であると軍内でも評判だった。具房も、鶴松丸の側近候補としてマークしている。


 そんな治秀は小隊を率い、本隊よりも先を進んでいた。忍に次ぐ第二の目である。部隊で最初に石山に到着したのも治秀の小隊だった。目前では、一向宗に織田軍が籠もる城砦が激しく攻められていた。


「小隊長、早く加勢を!」


「逸るな。少なくとも、大隊が合流してからだ」


 治秀は若いが、とても冷静だった。彼は幼少期から具房の薫陶を受けて育ち、北畠家(具房)独特の空気に染まった世代である。その思考は極めて合理的で、この時代の一般大衆とは異なる価値観を持っていた。


 奇襲攻撃を想定した治秀は部隊を戦場から見えない場所に留め、後続を待った。騎兵隊主力が到着すると、治秀は偵察の結果を(つぶさ)に報告する。併せて、騎兵による奇襲攻撃を提案した。


「よし、それでいくぞ」


 隊長は意見具申を認め、騎兵隊単独の奇襲を行うことを決意する。それを聞いた兵士たちは盛り上がった。ただ、あまりにも戦意が高く、援護射撃に難色を示す者が多く出る。敵中で斬り結ぶ花形をやりたいと思うのは人の性であり、地味で損な役回りの援護射撃をやりたくないというのも当然だ。


「貴様ら……」


 雷が落ちかけたが、治秀がスッと名乗り出た。


「自分がやります」


 と。地味な、しかし重要な役を引き受けた治秀の評価は上がった。本人にそのような意図はなく、ただやるべきことをこなそうとしただけである。


「前進!」


 本隊が突撃態勢を整えているのを横目に見ながら、治秀は自隊に前進を命じた。馬を軽く駆けさせ、戦場に姿を現す。隊列は雁行(V字)。ただし、本隊のために中央は開けている。なので、正確には逆「ハ」字だ。彼らは騎乗したまま発砲した。


「ふん。そんなところから撃って当たるわけがーー」


 嘲る坊官に、報いを与えるかのごとく銃弾が命中する。射程を誤るようなアホは、前線に出てくる北畠軍にはいない。銃器の諸元と感覚は、訓練で叩き込まれる項目のひとつである。


 北畠軍が装備する銃は、同時代のものより射程が長い。一向宗が保有する鉄砲の有効射程は約100メートル。対する北畠軍のそれは約900メートルだ。一向宗が持つ鉄砲の最大射程がーー多く見積もってもーー700メートルだから話にならない。治秀たちは敵の銃弾が届かないところから一方的に撃ちまくった。


「奇数分隊、三連射! 偶数分隊は二連射だ!」


 射撃は極めて機械的に行われる。分隊単位で交互に射撃。再装填リロードの間も射撃を途切れさせないためだ。先に弾を撃ち尽くした分隊は、別の分隊が発砲している間に再装填を済ませる。


 また、逆「ハ」字の陣形は、向かってくる敵に対して微妙に角度をとることができた。これは、十字砲火が形成できることを意味する。こうすることで、命中率が飛躍的に高まるのだ。


 武器の性能差もあり、一向宗は一方的にやられていく。しかし、数はこちらが上だと遮二無二攻撃を続けた。嵐のような弾雨を突破できた者は極めて少ない。そして、やっとの思いで弾雨を潜り抜けた一向宗を待っていたのは、苦難を乗り越えた者に与えられる栄誉ーーではなく馬蹄だった。


「突撃ッ!」


 号令一下、騎兵隊が突撃を開始した。一向宗は反撃しようにもできない。なぜなら、治秀の部隊から絶えず放たれる銃弾が、鉄砲を構える暇さえも与えなかったからだ。現代戦における分隊支援火器と同じような役割になっていた。


「第一、第二分隊、射撃止め! 前進! 第三、第四分隊は射撃を継続!」


 治秀は味方が射線に入りそうになると、「ハ」字の裾を広げて射界から外した。


「増援を阻め。左右に斉射! お前たちも騎兵なら、横から殴られるのが一番困ることはわかっているだろう」


 そう言って、治秀は一向宗の増援を断つように射撃するよう命令する。騎兵は突破力こそ高いが、横からの攻撃や囲まれると滅法弱い。それをカバーすることが、彼らに与えられた仕事だ。


「さすが藤次郎(治秀)だ」


 痒いところに手が届く治秀の支援に、隊長は笑みを浮かべる。


「敵の態勢が整っていないうちに抜くぞ!」


「「「応ッ!」」」


 隊長の声に、騎兵たちは短く応える。正面にいた一向宗は弾雨を浴びて消耗していた。銃を撃つまでもなく、馬蹄で踏み潰す。本番は、後ろにいる奴らだ。


「一向宗の背後を脅かす。突撃ッ!」


 彼らは騎兵銃を乱射し、喊声を上げながら突入した。一向宗はその大半が、まともに訓練も受けていない素人兵である。そんな彼らが地響きを立てながら猛スピードで突っ込んでくる騎兵を見たらどうなるかーー答えは恐慌状態になる、だ。


「た、助けてくれ!」


「死にたくねえ!」


 素人兵は調子に乗ると強いが、乗れないと弱い。先ほどまでは織田軍を景気よく撃破し、城砦をほぼ一方的に攻め立てていたために調子に乗っていた。だが、北畠軍の騎兵突撃を受け、その熱に冷水をぶっかけられた形になる。熱狂が醒めれば、一向宗といえどもただの素人集団にすぎない。あっという間に軍勢が崩壊し、北畠軍に圧倒された。


 そのときを見計ったかのように、城砦から織田軍が出てきて追撃をかける。運よく後方にいた者、逃げ出せた者は助かったが、前後を挟まれた一向宗は囲まれ、ひとり残さず討たれた。


 こうして第二次石山合戦は一勝一敗の引き分けに終わった。








【解説】銃の発達と十字砲火


 え〜、本当は長篠合戦のときにやるつもりだったのですが、あれがこれして解説がずれ込みました。なぜなのかは作者にもわかりません。まあ、気にしたら負けです。


 それはさておき、作中で北畠軍が使用していたミニエー弾(それを使用する銃)は、マスケット(前装式滑腔式銃、火縄銃もこの一種)の発展形であるということは説明しました。では、どれだけ発展していたのか、ということを理論的に説明したいと思います。


 結論からいうと、ミニエー銃は革命的なものでした。有効射程は火縄銃で100メートル、ミニエー銃(エンフィールド銃)は900メートルです。マスケットを装備した軍とミニエー銃を装備した軍が一キロの間隔を開けて対峙した場合、理論的には1000名のマスケット兵を、25名のミニエー銃兵で殲滅可能となります。概説はWikipedia(エンフィールド銃)に載っているので、それを見ていただければ充分です。


 これだけでもかなり凶悪な代物ですが、さらにヤバいのが十字砲火です。あくまで機関銃での試算ですが、正面から敵(横隊の静止目標)を撃った場合、命中率はおよそ二割。ところが側方から撃つと八割に跳ね上がります。敵を側面から撃つ十字砲火は、敵の攻撃を阻む上でとても効果的です。どれだけ効果的かというと、場合によりますが、機関銃陣地(一個分隊、十名程度)で師団(一万人程度、国によって違う)の攻勢を防ぐことができます。なので、第一次世界大戦後の陸戦は、小銃よりも機関銃と砲の数がものを言いました。


 最後は余談になりましたが、データなどで見てみると、銃器の発達の目覚ましさ(エンフィールド銃が生まれたのが1850年代、二百年前にすぎません)、十字砲火の有用性がおわかりいただけたと思います。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 本作で降伏交渉したのは定秀ではなく、蒲生賢秀だったような。
[一言] 第二回目の石山本願寺との戦いが始まったか! 流石に手強いだけあって織田方の武将が早くも戦士、最も本願寺側も具房の介入でそれなりの手傷を受けたようだけど、一筋縄ではいかないなこれは・・・。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ