半蔵、ファーストミッション
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忍者を配下に加えた鶴松丸。領地は与えられない(その気もない)ため、鶴松丸のポケットマネーで雇われることになった。貸しがあるからといって無償労働を強いるほど彼も鬼ではない。そして早速、彼らに任務が与えられる。
「滝川(一益)殿と接触せよ、ですか?」
「そうだ。私としては、将来的に織田家と同盟を結ぼうと考えている。その交渉窓口として、彼と友好関係を結びたいのだ」
先日、信長は弟の信勝を殺害した。伊勢守家の信賢が岩倉城で抵抗しているが、もはや信長の支配体制を揺るがす国内勢力はいない。史実では、来年の初頭に統一を成し遂げるだろう。そうすれば、具教も約束通りに同盟へ向けて動き出すと予想していた。
「承知いたしました」
今は七月。猶予は約半年だ。なるべく急げと発破をかけ、半蔵を送り出した。
この他、服部党は防諜や諜報、様々な工作に動き回っている。文句が出そうなものだが、金払いはいいため不満はない。むしろ、生活が安定すると喜んでいる。鶴松丸は、非正規の派遣から正社員になったようなもの、くらいに考えていた。
「……殿。大殿(具教)のご使者が参っております」
そう取り次いだのは、半蔵の子である服部弥太郎正成。鶴松丸より五歳年上で、身辺の護衛を務めている。常に冷静で寡黙だ。鶴松丸は兄のようだと思っている。彼と過ごす時間は、割と好きだ。いつも茶を飲みながら他愛もないことを話している。
「通してくれ」
そう答えると、使者と目される人物が入室してきた。
「本日は何用かな?」
書類を処理する手を止め、使者を見やる鶴松丸。
「ご当主様がお呼びです」
「わかった」
目上の者に呼ばれたら、何をおいても行くのがこの時代の礼儀である。断るなどあり得ない。
正成と猪三を連れて城に向かう。留守番は権兵衛と葵に任せてきた。二人は落ち着いており、多少のことがあっても問題はない。猪三は暴走しがちなので、手許に置いて手綱を握るようにしていた。
二人とは途中で別れ、ひとり具教が待つ部屋に向かう。そこでは呼び出した具教の他に、祖父の晴具もいた。最近はあまり表舞台に立たなくなった祖父の登場に、鶴松丸は少し面食らう。
「お爺様。どうされたのですか?」
「なに。そなたにとって大事な話であるゆえ、この老骨も出張ったまでじゃよ」
「大事な話……?」
何かあったかな? と鶴松丸は脳内で検索をかける。しかし、思い当たることはなかった。
「わからぬのも無理はない」
はっはっは、と笑う晴具。鶴松丸には何が何だかさっぱりだ。
「父上」
「おっと。そうじゃったな」
そんな晴具も、具教にたしなめられると居住まいを正す。場が引き締まったのを感じた。鶴松丸も気を引き締める。それを待ったかのように、具教が口を開いた。
「鶴松丸。来月、そなたの元服を行う」
「えっ?」
それは早すぎでは? と思う鶴松丸。まだ十一歳である。だが、具教はやると重ねて言う。
「そなたが申したように、尾張は弾正忠家によって統一された。余も武士。約束は果たそう」
「では!」
「うむ。織田と同盟を結ぶ」
鶴松丸はお家生存計画の第一段階がクリアできそうなことに喜ぶ。後は信長が話を受けるか否かだが、こればかりはどうしようもない。とはいえ、一番の障害は家中の説得だと考えており、それがクリアされたのは大きい。
ただ、他にも問題がある。それはどうやって織田家とコンタクトをとるかだ。具教はそこに悩んでいると漏らした。この話が流れてはまずいので、鶴松丸は同盟締結をより確実にすべく、情報を開示する。
「それならば、織田家の家臣、滝川を使うといいでしょう」
出自は定かではないが、伊勢の出身であるらしいこと。家臣としては新参だが、鉄砲の扱いに長けていて、信長に目をかけられているらしいということを伝えた。さらに人を派遣し、コンタクトをとっているとも。
「もう手を打っておったのか」
「はい。それに、人脈が広くて困ることはありませんし」
織田家と同盟するにしても敵対するにしても、交渉窓口があって損はない。鶴松丸はそうつけ加えた。晴具と具教は感心したように唸る。そして、そういうことならばと鶴松丸の案を了承した。
だが、鶴松丸が用意していた材料はこれだけではない。
「それと、織田家は岩倉城を陥落させるとすぐ、幕府に尾張支配を認めてもらえるよう動くでしょう。その手助けを我らが」
室町幕府は既にあってないようなものだが、それでも幕府権威に従う者は多い。だからこそ、その承認を得るーーつまり守護に任じられることの意味は大きかった。
「なるほど。そうなれば、美濃と近江を通って京に上ることとなる。織田の正室は斎藤の妹じゃが、確執がある。六角に至ってはかなりの根回しが必要じゃろう。そこに我らが入る余地があるか」
「さらに、幕府との関係も。斎藤は美濃の簒奪者。幕府との関係は、必ずしもよいわけではありません。動くとすれば六角ですが、こちらは織田との縁はなく、動く理由がありません」
「そこまで考えておったか。……見事じゃ」
晴具が手放しに褒める。鶴松丸は軽く頭を下げた。
「では、鶴松丸の策でいくとしよう」
「よろしくお願いします」
「任せよ」
具教は頼もしいオーラを出す。だが、話はそれだけではなかった。
「それでだ、鶴松丸」
「はい」
「そなたが元服するのに合わせて、長野攻めを行う。それが初陣だ」
「承知しました」
ついにきた、というのが鶴松丸の率直な感想だ。戦いは好きではないが、計画を進める上で戦争は避けて通れない道である。もちろんそれなりの葛藤もあったが、葵たちを助けた日に盗賊を斬ったことで踏ん切りがついた。
「いい顔だ」
「じゃな。愚息が初陣したときよりもいい顔をしておる」
「父上っ!」
「ガハハッ!」
晴具が珍しく豪快に笑った。具教が狼狽していることから、そのことは彼の黒歴史なのだと察する。そんなこんなで空気が弛緩し、真面目な話は終わったのだと察した鶴松丸。それでは、と言って退出しようとする。そんな彼を、具教が呼び止めた。
「そうだ。智松丸(弟)が寂しがっていたぞ。時間があるなら会ってやれ」
「はい」
そういえば最近、弟に全然会えていなかったと反省する。今日は急ぎの予定もないので、弟に会っていくことにした。
(そういえば、弟は具藤と名乗って長野家に養子に入るんだったな)
北畠家が長野家を傘下に入れたのは永禄元年(1558年)。つまり今年だ。であればこの戦い、北畠家にとって躍進の一歩となり得るはずである。
(まずは伊勢の統一からか……)
今回戦うことになる長野家は、伊勢中部に拠点を持つ国人領主である。それより北には、北勢四十八家と呼ばれる国人集団がいる(厳密には長野家もこれに含まれるが)。ここには六角なども影響力を持っており、攻撃すればすっ飛んでくるだろう。
(だけど、反撃した結果なら追認するしかない)
鶴松丸は悪い笑みを浮かべる。最高のプランを思いついたのだ。後はこれを実現するのみ。
(ーーおっと。いけない、いけない)
邪悪ともいえる笑みを浮かべていることに気づき、鶴松丸はパチパチと頬を叩いて引き締める。こんな顔を可愛い弟に見せるわけにはいかない。
「智松丸、久しいな」
「あっ! 兄上!」
智松丸がダッシュで近づいてきて抱きつくーー直前に急停止。一礼する。鶴松丸より五歳下の男子で、具教の次男だ。最近は兄の話を聞いて、自分も兄上のようになる! と一念発起。家臣から剣を習っている。鶴松丸はこの弟が可愛くて仕方がなかった。その溺愛ぶりは、侍女たちが『若様は将来、子煩悩になられますね』と噂するほどだ。
鶴松丸としては、そんな可愛い弟のために卜伝を師匠として派遣してもよかった。しかし、それは具教から止められる。曰く、臣下をそう易々と貸すものではない、と。鶴松丸は卜伝が自身の家臣であると聞いて驚いたが、当の卜伝は何を今更、といわんばかりに冷静だった。
「兄上! 剣の稽古をつけてください!」
「ん? ああ、いいぞ」
弟にせがまれ、稽古を始める。体格が違いすぎるために打ち合いはしないが、素振りを見てどこが悪いのかを指摘して回る。兄弟のコミュニケーションとしてこれはどうなのかと思わなくもない鶴松丸だったが、智松丸が満足しているならばそれでいいか、と思い直した。
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鶴松丸が元服や初陣の準備、家族サービスなどに忙殺されているころ、半蔵もまた忙しなく動いていた。
「それではよろしくお願いいたす」
「任されよ」
半蔵は首尾よく一益との接触に成功した。関係も良好であり、信長への取り次ぎも担ってくれるとの約束もとりつけることができている。
(それもこれも、あの書状のおかけだな)
鶴松丸は具教から半蔵に交渉の一切を委任する書状をもらい、それを半蔵に送っていた。一益に会うことまでは順調だった。しかし、鶴松丸の名前だけでは一益はなかなか首を縦に振らない。それは鶴松丸が、現状では何の権限も持たないためである。約束はただの空手形でしかないのだ。だが、具教の書状によって状況はガラリと変わる。鶴松丸の行動が、現当主のお墨付きをもらっていることだとわかるからだ。
(それに、この同盟は織田にとっても悪くない話だ)
尾張の統一がほぼ見えているとはいえ、信長の状況は厳しい。義父・斎藤道三の死によって、美濃は敵となった。東を見れば今川という有力大名がおり、ここに伊勢の西部戦線を抱えれば、とても気は休まらないだろう。そんな状況で、戦線がひとつ減るのだ。受けない手はない。
(だが、なぜ殿は織田と同盟を結ぼうとするのだ? 普通なら、斎藤や今川と結ぶべきなのに)
領内がゴタゴタしている今、つけ入る隙はいくらでもある。そんな相手と同盟を結ぶよりも、他と組んで滅した方がいいと半蔵は考えていた。しかし、鶴松丸にも何か考えがあるのだろうと自分を納得させる。弾正忠家による尾張統一を予見していた、という話を卜伝から聞いていた彼は、鶴松丸が何の理由もなく同盟相手に織田家を選ぶとは思えないからだ。
「……津島でも見て帰るか」
仕事を終え、後事はひとまず部下に託すことにしている。信長とのやりとりが始まるのは、もう少し先になるからだ。敵が攻めてきたなどの緊急性の高い案件でもなければ、君主との謁見には時間がかかるためである。その時間を利用して、半蔵は鶴松丸へ進捗状況を報告すべく帰るつもりだった。寄り道はあくまでも情報収集のためである。断じて私用ではない。
しかし、半蔵の目論見は外れた。彼は鶴松丸のように信長の気質を知らなかったのだ。基本、即断即決をする信長は、一益から話を聞くや、自分の耳で聞きたいと半蔵を呼びつけるように命じた。かくして半蔵は、予定よりもはるかに早く信長と謁見することになったのである。
「……」
(なぜだ!?)
予定が狂い内心慌てている半蔵。だが、理由はそれだけではない。目の前にいる信長に圧されているのだ。
(誰だ、上総介(信長)をうつけなどと言ったのは? こんなうつけがいてたまるか!)
半蔵は内心で悲鳴を上げる。それは信長から放射されているプレッシャーが理由だが、前評判との乖離にも原因はあった。半蔵が調べるまでもなく、世間の信長評は「うつけ」で済まされる。念のために調べても、それを覆すようなものはなかった。なのに、いざ対面してみるとその存在感に呑まれそうだった。
強烈。
そのひと言に尽きる。
(殿も同じような気配がしたが、ここまで威圧的ではなかった。殿が月のごとき静かさを持つならば、この男は太陽のごとき苛烈さを持っている……っ!)
半蔵は察した。鶴松丸と信長ーーこの二人は陰と陽。二人は出会うべくして出会うのだと。
「織田上総介である。北畠家からの提案、相わかった。同盟について、交渉をしたい。こちらは滝川を使者に立てよう」
「あ、ありがとうございます」
話がすらすらと進むため、半蔵はついていくので精一杯だ。普通、交渉はこんなにすんなりといかない。利害調整などで、下手すると年単位の期間が必要になることも珍しくないのだ。だが、信長はもはや同盟の締結が確定事項のように話している。彼の許に話が行って、たった数日なのにもかかわらず。
結局、半蔵は終始『はい』と『ありがとうございます』という言葉しか発しなかった。そして信長は、怒涛のトークを終えるとすぐに席を立つ。
「滝川。後は任せた。上手く運べ」
「ははっ!」
一益へと華麗なバトンタッチを決め、去っていった。
「半蔵殿はすっかり圧倒されておりましたな」
「え? いや……」
一益が話しかけてくるが、半蔵はどう反応していいのかわからなかった。そうですね、話が早すぎて……などと言って、我が殿を侮辱するとは何事か! と機嫌を損ねれば今までの苦労は水の泡である。だが、そんなことはない、と言える状況でもない。側から見ても、完全に受けに回っていたのは明らかであるからだ。結局、半蔵は曖昧に笑う。
一益はそんな半蔵の内心を悟ったのか、反応を待たずに言葉を足す。
「無理もありませぬ。慣れないうちは厳しいですからな。かくいう私も、最初は半蔵殿と同じでした」
あはは、と笑う一益。半蔵は心のなかで全力で同意した。