村理
「1/4の確率で生き返る」
この村にはそんな理があった。
そしてそれはこの村だけの秘密だと。
死んだら生き返ることはない。それがこの世の理。
その理から外れている事が知られたら、村が、村人がどんな酷い扱いを受けるか分からない。
不完全な不死ではあるが、それは多くの者にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。
人体実験や差別の対象になってしまう。
だから知られてはいけない。
そう言い聞かせられた。
そしてある日、俺は実際に生き返る場面を目の当たりにした。
親戚の「儀式」に参加した時のことである、死んでから3日経過したところだった。
箱の中からガサガサと音がし、腕を覗かせる。
そしてその遺体は体を起こし、神妙な面持ちをする親族達とは対称的に間抜けな顔を向けるのだ。
特に親しかった者は涙を流し、故人であった者のもとへ行き抱きしめ合う。
そして名前を呼び、思い思いのことを話し、ただただ感謝をする。
故人も最初は戸惑うのだが、次第に状況を理解し、共に涙する。
俺自身は2回生き返る場面を目にしたが、どちらもそんな感じだった。
調べた事がある。
医者が心肺停止を確認すると、葬儀屋へと連絡が行き、遺体は棺の中に納められる。
そして翌日、あるいは翌々日には通夜、葬式が行われ火葬が行われる。
それが一般的らしい。大体は1週間以内に事を終えるようだ。
しかしこの村では違った。
遺体は氷が詰められた箱の中に納められる。ここまでは似ている。
その箱の前で親族や親しかった者達が1週間毎日祈りの儀式を行うのだ。
1週間眠る事なく祈り続けるという儀式ではなかったのだが、
息子を亡くしたある両親、母子家庭であった母親を亡くした娘など、文字通り1週間祈り続けることもあった。
実際に確かめた訳ではないが
1週間経ち、この世のものとは思えない憔悴しきった顔で葬儀を主催する姿から想像はついた。
生き返るのは「死んでから1週間以内」
そのため、1週間祈り続けた後、葬儀の準備に取り掛かるのだ。
1/4の希望にすがり絶望へと落とされるのだ。
まさしく神の気まぐれ、イタズラだ。
生き返る場合は、死んでから1週間以内。
そのため通夜や葬式は1週間以上経ってから行われるようになっていた。
生き返った者達は、病気などが治っていた。
若返ったりはしないのだが、その年齢相応の健康的な状態で生き返る。
もう一つの共通点として、記憶が曖昧になってしまうことがあった。
自分の名前や近所の方々の名前などは覚えている一方で、家族の名前は思い出せない。
逆に自分の事が思い出せないなど、個人差はあるが記憶が断片的になるのだ。
とはいえ、愛する家族が生き返るということはこの上ない喜ぶべきことであった。
一部の記憶をなくしていようが関係ない。
本来ならば奇跡とも言えるこの現象が25%で起きる。
ある意味幸せで、ある意味残酷な世界だった。