棄て犬
ビリッとダンボール箱に貼られたガムテープを剥がすと、中から真っ黒で小さな仔犬が、千鶴を見てひと鳴きした。
「どうしたの? きみは···」
千鶴の住む町でも、棄て犬や棄て猫の話は出てくるが···
わんっ!
仔犬は、千鶴の指をぺろぺろと舐め始めた。
「お腹すいてるの?」
千鶴は、盛んに指を舐め続ける仔犬の身体をソッと撫でるも、今日は給食のない水曜日! あげられるものは、何ひとつなかった。
「ごめんね。 今日、給食なかったから···」
千鶴は、そう言い再びダンボール箱の蓋を閉めようとしたが···
折しも、明日から大雨の予報で、空を見上げると今にも雨が振りそうな気配。
「よいしょ···」
千鶴は、そのダンボール箱を抱え、家に帰る事にしたが···
「だめだ。 元あった場所に戻してきなさい」
「······。」
帰ってきてはいないと思っていた父親が、珍しく家にいて···
仔犬は、不思議そうな顔で腰に手を当て、困った顔の父親と泣きそうな顔の千鶴を交互に見ては、箱の中でくるくる回っていた。
「···でも!」
「わかるだろ? 母さんの動物アレルギーが、どれだけ酷いか···」
千鶴の母·英子は、重度の動物アレルギーで、いつもは薬を飲めばなんとかなるのだが、時々発作を起こして病院に運ばれる事もあった。
「······。」
「棄てられていたのは、判るがうちじゃ無理なんだよ。千鶴···」
飼わせてあげたいという気持ちも父·雅路の胸にもあったが···
「少し待ってなさい。パパもついていってやるから···」
「はい···」
千鶴は、再び箱の蓋をしようとして仔犬と目が合う。
真っ黒な身体に真っ黒な目···
左目の部分に傷があり、その部分だけ線を引いたように毛がなかった。
パタパタとスリッパの音を立て、顔を上げると父親が、小さな毛布と器、袋を手にし、毛布をその箱の中に敷くように詰めていた。
「今夜から雨が降るから。寒くないように、雨があたらない場所に置いておかないと···」
「うん···」
大きな傘を手に、ダンボール箱を抱えた父親と一緒に公園まで戻り、あまり雨のあたらない防災器具倉庫の裏手へと進む。
カシャカシャと青草がなり、
「ここでいいか。千鶴、傘広げて」と父親が大きくて少し重そうな石で傘とダンボール箱を押さえる。
「飛ばない?」心配そうな声で聞くも、千鶴は袋の中に入っていた牛乳と僅かなパンを小さくちぎっては、箱の中に入れた器に入れていく。
「あぁ。雨風は、しのげると思うからな。すまんな、飼ってやれなくて···」
口の周りを牛乳で白く染めている仔犬の背中を撫でながら、暫く眺めていたが、仔犬がお腹をぱんぱんに膨らませ、眠りに落ちると···
「さ、今の内に」
「うん···」
父親に手を引っ張られるように、千鶴は公園を出て家へと戻っていった。
夕方になると、ポツポツと降っていた雨が窓を打ち付けるように激しくなり、千鶴は、勉強をする手を止め、心配になったが父親と一緒に仔犬が濡れないようにと傘をさしたり、お腹が空かないようにと牛乳やパンを与えた事を思い出し、明日学校帰りに様子を見に行こうと思った。
次の日から千鶴は、給食で余ったパンや食べられそうなおかずをコッソリと袋に入れては、仔犬に食べさせたり、名前をつけて膝に乗せては学校や家での話をしてあげたりした。
「最近は、ちぃちゃん苦手なお肉もよく食べてくれるから、ママ嬉しい」と母·英子も目を細めて笑う。
「そう? お腹空いてるもん」と言いつつ、母親が見てない隙を見計らってビニール袋にお肉のおかずをチョコチョコ入れては、翌日学校帰りに食べさせていた。
だが、そんな幸せで楽しかった日にも終わりがくる。
この日も千鶴は、給食で余ったパンと牛乳を横断バッグにしまい、いつものように防災器具倉庫の裏手へと回ると···
「あ···。いない! じゃない! 箱もない」
仔犬が入っていたダンボール箱も器も傘も跡形もなく、仔犬の名前を読んでも返事をする事がなかった。
「そうか。きっと他の人が拾ってくれたんだよ」
「そう···かな」と千鶴は気落ちした声で言葉を返す。
誰か優しい人が、見つけて育ててくれるだろう···
きっと、大きくなったら自分の事を忘れてしまうだろう···
1日が過ぎ···2日が過ぎ···
新たな棄て犬の話も耳に入らず、どこそこで犬が事故にという話も耳に入らないまま、いつしか千鶴も成長し···