第4章 おだやかな世界〈6〉
「……メザメヨ、センキ。ゲンジツ、カラ、メヲ、ソムケル、ナ」
頭上から呪文のような覚者のつぶやきがもれ聞こえてきた。
(……正気じゃない!?)
オリベには『おだやかな世界』が虚構で『ドラーグン・ゲヘナ』が現実と知っている者の言葉とは思えなかった。覚者もだれかなにかにあやつられているらしい。
オリベは巨大な南門わきの小さな通用口から城塞都市オルムテサミドの外へでた。
『ドラーグン・ゲヘナ』すなわち現実の世界はまだ夜だった。夜になってから城塞都市の外へでることはまずない。ほほをなぶる夜気がどこか清々しく心地よかった。
オリベの背中ごしに通用口の木の扉を内側からガリガリと爪でこする音がした。覚者は外へでてこられないらしい。じきに覚者の気配が扉の奥へ消えていった。
オリベは広大な闇へ目をこらした。しかし、御厨紫峰らしき〈鬼人〉の影は見えない。
(とりあえず、云われたとおりにしてみるか)
「イメルア・レア・ルイ」
オリベが呪文をつぶやくと、かれの足元で魔法陣が展開した。
魔法陣から鞍と手綱のついた長い首と足をもつ鳥型の騎獣がせり上がる。自然とオリベがその騎獣へまたがるかたちとなった。
魔法陣からあらわれたのは長い尾羽の優美なダイオウヒクイナドリだ。自腹で買えば2000万ギルはくだらない。
単騎の騎獣に乗るのは初めてのオリベが慣れない視界の高さに動揺していると、ダイオウヒクイナドリは躊躇なく広大な闇へ向かって走りだした。
オリベもあわてて手綱をつかむ。ダイオウヒクイナドリは氷上をすべるかのようになめらかな走りをみせた。あまりにも快適な乗り心地にオリベは場ちがいにも心おどらせた。
(それにしても、この騎獣はどこへ向かっているんだ?)
オリベを乗せたダイオウヒクイナドリは、城塞都市アギハベラミド方面はもとよりオンドロイボナの森にも目をくれず、なにもないクエタカント平野をひたすら南下していた。
オリベは〈メモリング〉でマップ画面を開いて自分の現在位置を確認してみたが、周囲に目指すべきランドマークは見あたらなかった。
野営をくりかえし3日ほど南下すれば農業地として特化した城塞〈田園〉都市ヌエルマデミドがあるにはある。しかし、そこが目的地とは考えにくい。
(おれは御厨紫峰にかつがれたのか? いや、しかし、かつぐと云っても、なにをどうかつぐつもりなのか……)
保健室でのできごとはドッキリやトリックで仕込めるレベルではないし、こちらの世界でも御厨紫峰の云ったとおりになっている。
オリベはしかたなくダイオウヒクイナドリに身をゆだねることにした。夜空をふりあおぐと、満天の星空に緑色のオーロラがたなびいていた。
幽玄で美しい光景に目をうばわれながら、オリベはここが今もドラゴンに蹂躙されている地獄のような世界だとは信じられなかった。
一方、たんなるイベントとしかとらえていなかった地震やジギゾコネラ火山の噴火が現実の天災だと思うと、胸中に不安がこみ上げてきた。
トルナクロイブ神殿の地底湖から姿をあらわし、キルドワン湖方面へ飛び去ったレベル73の凍壊竜エシムギゴルドスが、いまだ城壁の修復が完全でない城塞都市アギハベラミドを急襲すれば壊滅的被害をこうむるであろう。
アギハベラミド警備のクエストについている柴田彰子、すなわちアムネリアのパーティーも無事では済むまい。
(これがゲームでないとすれば、魔導師がオンドロイボナの森で自分だけの杖をさずかるクエストやトルナクロイブ神殿のラスボス・リャンメンスクナは一体なんだ?)
オリベのパーティーは未経験だったが、トルナクロイブ神殿のリャンメンスクナ攻略はレベル40前後のパーティー必須のクエストである。中級者レベルへの登竜門と云ってよい。
(そう云えば、ウラエイモス樹海調査団には、指揮官の『深紫の百足団』以外、レベル40前後のパーティーがひと組もいなかった。アギハベラミド警護のクエストよりレベルアップできるはずのクエストに中級者レベルのパーティーがいなかった理由って!?)




