第4章 おだやかな世界〈3〉
「……シンジツ、ヲ、シレ。ゲンジツ、カラ、メヲ、ソムケル、ナ」
扉の外からもれ聞こえるおそろしい声にも動じず、御厨紫峰が肩をすくめて云った。
「あきれた。もうかぎつけてきたなんて」
「あれって鉄の剣の殺人鬼……?」
「ここは寮とおなじセープポイントだから大丈夫。でも、めんどうだからエリアを移すわ」
一瞬、まわりの空間が小さくゆがんだと思ったら、保健室がしずかになった。扉の外にあった気配も消える。
「御厨、きみはいったいなにを……?」
「私の脳内にフォルダされた『成城寺学園・保健室』へあなたとともに転移した。外部リンクを遮断したので〈覚者〉の邪魔は入らない。今は私とあなたの脳だけが直結している」
「御厨、さっきからきみはなにを云っているんだ?」
「真実を。……って、これじゃさっきの〈覚者〉みたいね」
自分の言葉に皮肉っぽい微笑をうかべた御厨紫峰が、織部のとなりのベッドへ腰かけると、織部の顔を正面から見つめて云った。
「ここは『おだやかな世界』とよばれる仮想世界、いわばゲームのなか。あなたたちがゲームだと思っている『ドラーグン・ゲヘナ』こそ現実世界なの」
「……『ドラーグン・ゲヘナ』が現実で、ここがゲームのなか?」
御厨紫峰のとっぴょうしもない発言に織部はただただ呆然とした。
「今は何年だかわかる?」
「西暦2028年。……龍宝12年?」
「『おだやかな世界』のモデルとなった世界は、今からおよそ1200年前の西暦2016年で滅亡している。龍宝なんて年号もなくて、本当はその前の平成でおわっている。この世界は大地の記憶をもとに〈夢顕師〉が創造し〈視想師〉が管理・運営する脳内ネットワークの仮想世界」
西暦2016年、地球は惑星規模の災厄に見舞われた。数万年から数十万年単位で起こる〈ポール・シフト〉とよばれる磁場の反転によって、地軸が半日たらずで180度近く転回した。
文字どおり、地球が「ひっくりかえった」のである。
急激な地軸の転回は地殻変動と異常気象をもたらした。
世界地図は劇的に書きかえられ、人類の築き上げたあらゆる文明は崩壊し、多くの動植物が死滅した。
〈ポール・シフト〉にともなう一時的な地磁気の消失によって太陽の放射線にさらされた大地は荒廃し、生きのこった人々は地下へもぐって、ふたたび地上で生活できる日を夢見ながら数百年と云う刻をすごした。
「今、私たちの本当の世界『ドラーグン・ゲヘナ』にある旧時代の神殿や地下迷宮はその時のなごりよ。再利用と云うべきかしら?」
さらに地上の汚染を深刻なものとしたのが、世界中に配備されていた原子力発電所などの核関連施設だった。
人類が想定しうる災害をやすやすと飛びこえた〈ポール・シフト〉はそれらの施設も壊滅させ、今も地球すなわち『ドラーグン・ゲヘナ』の世界を汚染しつづけている。
「私たちの世界をおびやかすドラゴンは汚染濃度の高い地域で生まれて世界中へ散らばっていったそうよ。急激な環境破壊の中、地下へ逃げのびた人々が私たち〈鬼人〉として進化適応し、地上へとりのこされた人々のなれのはてがドラゴンとなった……」
「なにをバカな……」
織部は御厨紫峰の語る言葉を言下に否定しようとしたが、御厨紫峰はかまわずつづけた。
「あなたが夜の校舎で覚者と戦った形跡があとかたもなく消えていたことや、覚者に殺されたはずの篁さんがなにごともなかったかのように生きかえっていたのは、覚者と云うバグによって書きかえられたプログラムがリセットされたから。昨日までいたはずの幡随院くんや長宗我部くんたちが消えてしまったのは、かれらが本当の世界で命をおとし……」
「やめろっ!」
織部が御厨紫峰の両肩に手をかけてベッドへ押し倒した。




