第1章 ドラグーン・ゲヘナ〈23〉
『泣かないで、市姫。……織部くん? 私、柴田彰子。今、市姫の部屋にいるさ』
ふたりの会話に彰子が加わった。市姫の〈リンクス〉経由で多人数との同時会話も可能になる。視界の隅に小さな画面があらわれると、床のカーペットに腰を下ろし、ベッドへもたれかかる彰子と、彰子の胸にだかれて泣いている市姫の姿が映った。彰子が鏡ごしに自分の〈リンクス〉に映る映像を送ってきたのだ。
「柴田さん?」
『私も市姫とおなじ朱雀寮だから。こっちの心配はしないで。私が市姫についてるさ』
「ありがとう、たのむよ」
『私も今夜はひとりでいたくないさ。……なんであんなにあかるくていいコが……』
気丈にふるまっていた彰子の声にも涙がまじり、映像が市姫の後頭部と床のカーペットだけになる。彰子が市姫をだきしめながらうつむいたからだ。
織部の〈リンクス〉に信輝からコールが入った。そのまま接続する。
『なあ織部、聞いたかニュース? 本当なのかな? そのヨッシーが、ヨッシーが……』
「……わからない」
織部の部屋がノックされた。ドアを開けると〈リンクス〉をかけた沖田が入ってきた。かれも織部たちの会話に加わる。
スピーカーからは市姫と彰子のすすり泣く声が聞こえる。その声に信輝も泣きだした。
『ぐすっ……どうしてだよ? どうしてヨッシーなんだよ?』
『……泣くなよ信輝くん。男だろ?』
沖田がしずかに云うと信輝が声をあらげて反駁した。
『どうして男が泣いちゃいけないんだよ! 友だちが殺されたんだぞ! あんないい子が殺されて……どうして泣いちゃいけないんだよ!』
『バカシンキ! 殺されたとか云わないでよ! ヨッシーは、ヨッシーは……うわぁぁん!』
信輝にやつあたりした市姫がふたたび号泣した。
「やめろよ信輝。沖田だって哀しくないわけないだろ?」
織部が自分の視界に映る映像を信輝へ送った。白い顔でうつむいて涙をこらえる沖田の表情に信輝が沈黙した。織部が映像を切る。
「みんな辛いんだ。でも、おれたちがしっかりしなくてどうする? おまえはパーティー最強の神装槍鬼じゃないか」
『うん。……だけど、だけどさ……』
スピーカーから信輝の言葉が消え、すすり泣く音へとかわった。
『……なんかわかったら連絡するさ。それじゃ』
柴田が市姫ともども通話を切り、信輝も無言で通話を切った。織部と沖田も通話を切ると〈リンクス〉をはずした。
「……織部くん。これって現実なのかな?」
織部のベッドに腰かけている沖田が消え入りそうな声でたずねた。
「わからない。おかしな気分だ。殺人鬼の事件なんて自分たちとは関係ないと思ってた。TVのニュースで聞いただけだから微妙に実感がわかない気もするけど、なんか不安で哀しくて胸がわさわさするし……」
「……イヤだよ、こんなの」
沖田が両ひざをかかえて顔をかくすと、小さくまるまった背中がふるえていた。
「おれだって……イヤだよ」
11
織部が目ざめると、寮はすでに閑散としていた。時刻はすでに午前8時をまわっている。急がないと遅刻だ。
学園へいく支度を済ませて食堂へ下りると、そこにはだれもいなかった。
食堂のカウンターにオレンジ色のプラスチックのトレイがおかれていて、ラップでつつまれたおにぎりが数個載っていた。朝寝坊した生徒や昼食用に用意されたものだ。食堂の壁面に埋めこまれたTVが昨夜の殺人鬼事件を告げていた。
『……被害者は幡ヶ谷区の高校に通う15歳の少女で……』
「くそっ!」
織部はTVの主電源を切ると、トレイの上のおにぎりをひとつとって寮をでた。
(……今日はまず全校集会になるんだろうな)
織部は暗鬱とした気分で歩いていた。食欲はあまりなかったが、おにぎりをゆっくりと咀嚼する。
織部は芳乃のことを思っていた。芳乃は舌足らずな口調とあかるい性格で場を盛り上げるムードメーカーだった。マイペースな性格と誤解されがちだが、相手に悟られないよう気をくばるのが上手かった。
昨日もそうだ。階段わきのくぼみで芳乃とキスしているとかんちがいされた時のことである。
織部は市姫に英語の宿題で寝不足だと半ばごまかしたが、芳乃は織部のようすがいつもとちがうことに気づいていたからこそ、キスなどと云う沖田たちの早とちりに乗っかって、織部をからかうことで元気づけようとしてくれたのだ。




