第1章 ドラグーン・ゲヘナ〈22〉
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その夜、織部は『ドラグーン・ゲヘナ』へログインしなかった。帰寮後はいちども〈リンクス〉の電源を入れていない。
昨晩の一件が自分の妄想なのかどうかは依然としてなぞのままだが〈リンクス〉や『ドラグーン・ゲヘナ』が妄想のひき金であれば、しばらく触れずにようすを見たほうがよいと判断したためだ。
いつもの癖でついつい〈リンクス〉へ手をのばしかける織部だが、宿題をしたり、ベッドでごろごろとマンガ本を読みながら、その誘惑をなんとかやりすごした。
(〈リンクス〉がないと間がもたないって……一種の依存症なのかな?)
ぼんやりとそんなことを考えていたら、寮の中が騒然としている気配に気がついた。共用廊下をあわただしくかけまわる人の気配がする。
(なんだろ? 防災ベルとか鳴ってないから火事じゃないよな?)
織部がいぶかしみつつベッドから上体を起こすと、織部の部屋のドアがあらあらしくノックされた。織部がドアを開けると、顔面蒼白の沖田が立っていた。
「なんで〈リンクス〉の電源入れてないのさ!」
「どうした?『ドラグーン・ゲヘナ』でなにかあった……」
「ゲームの話じゃない! 殺人鬼だ!」
「殺人鬼?」
昨晩の件のことかと内心狼狽する織部の表情に気づかず、沖田が早口でつづけた。
「みんな事件のことで動揺してる。いいからこっちきて!」
ふだんは泰然自若としている沖田が冷静さをうしなっていた。
織部がわけもわからないまま沖田に手をひかれて1階の食堂へ下りると、寮に1台しかないTVの前に寮生がむらがっていた。
壁に埋めこまれた大きなTV画面が殺人鬼の事件を報じていた。画面の右上に「速報」の2文字が踊る。
『……被害者は鋭利な刃物のようなもので胸部を刺しつらぬかれ、通報をうけた警察と消防がかけつけたところ、現場で死亡が確認されました。被害者の身元は成城寺学園高等部1年、15歳の篁芳乃さんと確認され……』
「ヨッシー!?」
TV画面に映しだされた生徒手帳の顔写真に織部の全身から血の気がひいた。
『……篁芳乃さんはふたり部屋の学園寮に住んでおり、午后10時50分頃、近所のコンビニへでかけたまま、しばらく経ってももどらないことに不安をいだいた相部屋の女子生徒および数名の寮生で探索へでかけたところ、コンビニから数メートルはなれた路地であおむけに倒れているところを発見され……』
「……本当にヨッシーなのか?」
織部の問いに沖田が頭をふった。
「わからないけど……多分。ヨッシーに何度コールしてもでない」
「草壁とかに確認は?」
「市姫さんとかはヨッシーと寮がちがうし、外出禁止が徹底されているからヨッシーの鳳凰寮へ確認しにいくこともできない。ほかの女子寮のコたちもパニクってる。ぼくも鳳凰寮の女のコにコールしてみたけど、ヨッシーと数名の女のコたちは寮にいなくて、寮の前は警察と報道陣でごったがえしているらしい」
織部は自室へかけもどると〈リンクス〉の電源を入れて芳乃へコールした。しかし、でる気配はない。次に織部は市姫へコールした。
『もしもし、織部くん!? 何度もコールしたのに……!』
イヤホンからヒステリックな市姫の声が聞こえてきた。
「ごめん。今日はなんだかつかれてて〈リンクス〉の電源を切ってたから。……事件の話、本当なのか?」
『わかんないのよ! ヨッシーにコールしても通じないし、ヨッシーの寮のコたちもわかんないって泣くばっかだし! 鳳凰寮にいきたくても寮の前に警察がいてでられないし!』
市姫も沖田とおなじ情報をくりかえす。
「おちつくんだ、草壁。まだ学園や警察から連絡があったわけじゃないんだろ? なにかのまちがいってことも……」
気休めにもならないと知りつつ、つとめてやさしい口調で語りかけると、市姫がイヤホンの向こうで嗚咽した。
『はぁぁ……私ヤダよ! ヨッシー死んじゃうのヤダよ! 今日だってあんな楽しかったのに、ヨッシーと会えないのヤダよ!』
「草壁……」
織部は市姫の悲痛なさけびに言葉をうしなった。




