第1章 ドラグーン・ゲヘナ〈17〉
「このあたりの公衆電話ってどこだ!?」
通学路のどこかに電話ボックスがあった気はするが、それがどこかは思いだせない。
「とりあえずはコンビニ前か!?」
成城寺学園から最寄りのコンビニまで徒歩10分。走ってもまあまあの距離だ。職員専用昇降口へとむかう織部の前にふたたび人影が立ちはだかった。
(……はさみ撃ち!? 殺人鬼は複数!?)
しかし、今度の人影はハッキリと人の姿をしていた。
夜目にも美しく長い黒髪、凛とした瞳、ほそくしなやかな体躯に短いスカートからのぞくスラリとのびた脚線美。学園の制服を着た女子生徒だった。
「……御厨紫峰!?」
「あなたは今朝の先生の話を聞いていなかったの? あとは私にまかせてとっとと寮へ帰りなさい。このことはおぼえていても他言無用」
蔑むような口調で一方的に云いはなつクラスメイトの美少女に織部は目を白黒させた。
「私にまかせてって……」
「きたわ」
御厨紫峰のつぶやきにふりかえると、階段の上から飛び下りた影が、たたらを踏んでよろめいた。〈鉄の剣〉をつっかえ棒に倒れこむのを防ぐ。
「メ、メザメ、ヨ、センキ。……ゲンジツ、カラ、メヲ、ソムケル、ナ」
御厨紫峰が胸の前で両手を左右にのばすと、いつの間にかその左手には豪奢な装飾のほどこされた細剣が握られていた。
「これ以上、こちらの世界への干渉は許さない」
御厨紫峰が織部の横をかけぬけると、黒い影の殺人鬼に雷撃のような鋭い突きを見舞った。黒い影が突きを避けるようにひろがると、黒い影の殺人鬼も御厨紫峰も霧のように姿を消した。
「……御厨? 御厨ァ!」
入学以来いちども会話をかわしたことのないクラスメイトの名前をさけびながら、織部は周囲をさがしまわったが、御厨紫峰の姿も黒い影の殺人鬼の姿も見あたらなかった。
階段をかけ上がって2階へもどると、先刻、廊下や天井に飛散した白い消火剤も、切断された消火器の破片も転がっていなかった。
消火器はなにごともなかったかのように通路のトイレ脇に鎮座していた。織部が急場しのぎの武器としてつかったモップもおちていない。
「……?」
狐につままれたような、と云うのはこう云う状況を指すのだろう。織部自身もすくなからず消火剤をかぶったはずなのに、冥い窓ガラスに映りこんだ織部の頭や身体に消火剤の痕跡は微塵もなかった。
念のため、2階と1階をもうひとまわりして、黒い影の殺人鬼と御厨紫峰がいないことを確認すると、織部はいろいろと腑におちないまま帰路へついた。
7
「おはよう……ってどうしたの? 朝からつかれた顔して」
いつもよりおそい時間に登校してきた織部の顔色に千姫がおどろいた。
「おはよう草壁。英語の宿題でちょっと寝不足」
織部が力なく笑った。英語の宿題に手間どったことも事実だが、昨晩の学園での出来事が頭からはなれなかった。どう云うことなのだろう? と考えれば考えるほど、織部はわけがわからなくなった。
考えられることのひとつは、妄想あるいは幻覚である。
〈リンクス〉の〈疑似体感型ゲーム〉に没入しすぎると、現実と仮想現実が曖昧になると警鐘を鳴らす脳科学者もいるらしいが、織部は自分がそこまで『ドラグーン・ゲヘナ』にハマっているとも思えなかった。
とは云え、黒い影の殺人鬼がマトモでなかったことを考えると、その自信も微妙にゆらぐ。
殺人鬼の輪郭を茫洋とさせる黒い靄も非常識だが、彼が〈鉄の剣〉をもっていたことが、織部の妄想である可能性を示唆している気がした。




