第1章 ドラグーン・ゲヘナ〈15〉
「なんだったら、あとでもう1回『ドラグーン・ゲヘナ』へログインしてみようと思うんだけど、織部くんはどうする?」
「おれは英語の宿題あるから」
「そう云えば、そんなこと云ってたね」
ふたりは階段を2階へ上がると、それぞれの部屋へわかれた。織部は食堂で夕食を済ませた。今夜のメニューは豚のしょうが焼き定食だった。
指紋認証システムで部屋の鍵を開けると、腹のくちくなった彼は部屋のベッドですこし横になった。
ゴーグル式PC〈リンクス〉をかけて、インターネットの『ドラグーン・ゲヘナ』情報交換サイトへアクセスすると、地震の記事にまぎれてヨッシーのことが画像つきで公開されていた。
「……ノリノリじゃないか」
かくし撮りの画像かと思っていたら、カメラへむかってしっかりニャンニャン・ポーズを決めていた。背後には恥ずかしそうにうつむくオフィーリアの姿が見切れている。
織部は地震関係の記事には目もくれず、すぐに〈リンクス〉をはずして枕元に置いた。
冥い部屋の窓からレースのカーテンごしに月あかりがさしこんでいた。織部はあおむけのまま体をじりじりとずらして、居待月のぼんやりとした丸い輪郭をながめた。闇のしずけさと月の醒めた光が心地よかった。
このまま眠ってしまいたいと思ったが、教科書1ページ分の英文和訳の宿題がある。宿題がわりふられたのは数日前だが、まったく手をつけていなかった。ギリギリまで宿題に手をつけないのは織部のよくない癖だ。
「やるしかないか」
覚悟を決めた織部はベッドから体を起こすと、机のあかりだけつけて窓のカーテンを閉めた。
机の足元に置かれたカバンの中から筆記用具や英語のノートをとりだそうとして困ったことに気がついた。英語の教科書を学園に忘れてきた。
ここは寮なので、同学年のだれかから英語の教科書を借りれば済むだけの話ではある。しかし、英語の教科書へ書きこんでおいた英文和訳の範囲をおぼえていなかった。
「……めんどうくさいけど、学園までとりにいくしかないか」
ジャージに着がえた織部は〈リンクス〉でちょっとした作業をおこなうと、手ぶらで麒麟寮をでて成城寺学園へとむかった。
正体不明の殺人鬼が徘徊していると云われても、午后7時半をすぎたばかりの夜の街はあかるく、いき交う人や車のながれはいつもとかわらない気がした。
学園運動部の終了時間が午后7時なので、寮へ帰る生徒とすれちがうこともある。だれにもなにも云ってこなかったが、べつに問題はないだろうと思った。
学園正門へつくと、すでに人の気配は絶えていた。あかりの消えた校舎の黒々としたシルエットが星空よりも冥い。織部は通用門をぬけると校舎裏の職員専用出入口へまわった。
学園や寮の警備システムは連動しているので、織部はでがけに寮の警備システムからハッキングして、織部の指紋でも職員専用出入口を解錠できるようにしておいたのだ。金品や劇薬の保管庫でもなければ、さほどハッキングはむずかしくない。
指紋認証システムに指をおいて職員専用出入口のロックを解除すると校舎へ入った。背後で扉が自動的にロックする。織部は靴を脱ぐとスリッパも履かずにそのまま教室へむかった。
(人気のない夜の学園は廃墟みたいで楽しいな)
『ドラグーン・ゲヘナ』の地下迷宮探検みたいな気分で冥い校舎を進む。月あかりにぼんやりとうかぶところと影になる部分のコントラストが強くて、まっ暗な影の中にドラゴンやモンスターがひそんでいる気がした。
階段を上がって2階の教室へつくと、自分の机の中から英語の教科書をとりだした。窓際へ近づいて月あかりを頼りにページをめくると、教科書の隅に和訳部分の範囲が記されていた。
(よしよし。教科書奪還クエスト終了。あとは寮へ帰るだけ、と)
織部が教科書を手に教室をでようとしたら、廊下の方でガタンッ! となにやら物音がした。首のうしろが冷たく逆立つ。
(びっくりした。なんだ?)
校舎に織部以外の人間がいないことは承知している。妙な物音におどろいた自分の小心ぶりに苦笑しながら廊下へでると、階段の前に黒い人影が立っていた。
(……!?)




