98 お互い様
ハルカが【氷の槍】で倒されてからパーティーが全滅するまでは本当に一瞬だった。
まずヒールを失ったキリカがスノードラゴンの通常攻撃で倒されて、次に狙われたのは俺だ。爪による攻撃は何とか後ろに下がって避けたが、そうして距離が空いたところにスノードラゴンの突進から翼でなぎ払う攻撃を受けて俺は即死する。
その後も同じようにスノードラゴンは突進からの連携でマコト、シャルさん、最後にヒヨリを倒して戦闘は終了する。
こうして終わってみると、本当にギリギリのバランスで戦況は維持されていたんだと痛感した。仮に適正レベルと装備であればキリカはもっと耐えられただろうし、そうであればヒーラーの二人ももっと精神的に余裕があっただろう。
まあ今はそんなことを言っても仕方ない。勝てないことは最初から分かっていたのだから。
「さて、それじゃあデスペナが20分あるから、その間は自由時間にしましょうか。20分後にまたここに集合ね」
そしてフェリックに死に戻ると、パーティー全員にキリカがそう言ったので、みんなも了承する。
それにしてもキリカがこんな風にみんなをまとめるのは少し珍しい気がした。たぶんいつもならそれはハルカの役割だったと思う。
そのハルカはというと、街に戻って来てからは一言も発することもなく、キリカの言葉を聞くとすぐにみんなの輪から離れてどこかへと歩き出していた。
「……ハルカ?」
少し、いやかなり様子がおかしいハルカが心配になった俺は、あまり良くないことだとは思いながらも、その後をつけた。
まだプレイヤーがそんなに多くないフェリックの街中とはいえ、さすがに何人かとはすれ違う。
けれどハルカがどんどんと街の中心部から外れた場所に向かって行くと、そうしたプレイヤーの姿さえもついに見えなくなった。
そうしてハルカが足を止める。たどり着いたのは小さな木が一本だけ生えている狭い広場だった。
周囲には何もない。NPCすらいない。何のためにあるのかさえ分からないそんな場所に、ハルカは一体何をしに来たのだろうか。
俺がそんな風に少し疑問に思っていると――突然、ハルカは静かに涙を流し始めた。
ハルカの涙なんてもう何年も見ていないので、俺は少し動揺する。
――ハルカはどうして泣いている?
思い当たる理由は一つあった。でも本当にそうだとしたら、俺はハルカのことを、今の今まで勘違いしていたことになる。
「ハルカ」
「っ! ……ああ、お兄ちゃんか。何、どうかしたの?」
俺が声をかけるとハルカは一瞬驚いたように反応したが、すぐに笑顔を作ってそう問いかけてくる。
決して弱い部分を他人には見せようとしない、いつもの強いハルカがそこにいた。
たったそれだけのことだけど、それで俺の疑念は確信に変わる。
「俺は今まで、ハルカのことを誤解していたかも知れない」
「誤解?」
「昔からハルカって何でも最初から器用にこなせたけど、何か一つのことに真剣に打ち込んだりはしなかったから、実はずっと思ってたんだよ……もったいないな、って」
実際中学時代のハルカは部活に入らず、いつも家でゲームをして遊んでばかりだった。
今の高校ではどうしているか知らないけど、夏休みとはいえこうして毎日LLOを長時間プレイしていることからも、中学時代同様に部活には所属していないのだろう。
以前の俺とハルカはお互いに干渉しないことで良好な関係を構築していた。だから直接何かを言ったことはないけれど、それでも心の中ではハルカの才能がもったいないと思っていた。
俺にとって野球がそうであったように、ハルカにも熱中できる何かがあればいいのに、と。そんな風に、今思えば押しつけがましい自分勝手なことを考えていたのだ。
「でもハルカは、とっくの昔にゲームっていう真剣に打ち込めることを見つけていたんだよな」
俺は今までゲームを、失敗しても何も失うものはない、気楽な遊びだと思っていた。
たぶんその認識自体は間違っていない。LLOで失うのはせいぜいデスペナの時間程度だし、その時間も買い物をしたり街を観光したり他のプレイヤーと交流したりと、やれること自体はたくさんある。
だからデスペナも遊び方に一時的な制限が加わるだけで時間が無駄になるわけではないし、実際LLOの多くのプレイヤーはそう思っているだろう。
ゲームでは死んでも痛くない。だからこそ現実では出来ないような大冒険にもチャレンジ出来る。
ゲームでの努力はレベルやステータスという数字になって必ず報われるし、その努力の成果によって用意された課題を攻略することで達成感が得られる。
俺はLLOというゲームの楽しさをそんな風に理解していた。
しかしハルカはどうやらゲームというものを真剣に、より深く追求しているようだった。
ゲーム上では同じステータスでも、上手いプレイヤーと下手なプレイヤーの間には明確な差が生まれる。そうであるなら、もっと上手くなりたいと願うプレイヤーがいるのは必然だろう。
――他の人よりも上手くなりたい。誰よりも強くなりたい。
そうした願いは俺にも理解できる。俺の野球だって、元をたどれば最初はただの遊びだったのだから。
「……お兄ちゃんならきっとそう言うと思ってた。でも、だからこそ悔しくて、情けないんだよ」
ハルカからすれば、【氷の槍】を食らったのは普段ならありえない凡ミスの類に違いない。
野球に例えたら、たぶん平凡なフライを落球するようなものだろう。
俺もそういう経験は山のようにしてきたから、ハルカの気持ちはよく分かる。
「あれだよな。簡単なことをミスすると、今まで自分が真剣にやってきた努力が否定されたような気分になるんだよな。お前の真剣はそんなものか、って」
「そうだね。否定しているのは自分自身なのに」
そう言って俺たちは少し自嘲気味に笑い合う。
それは結局、自分で自分を許せるかどうか。そんな自己満足の話でしかない。
ちゃんとした仲間であれば、他人のミスを責めるようなことは決してしない。そんなことには何の意味もないと理解しているからだ。非難したところでミスは無くならない。だったら仲間全体でミスを減らす方法や、ミスによる被害を抑える方法を考えた方が、ずっと意味がある。
そういう意味では俺もハルカも、いい仲間に恵まれたのは幸運だ。
誰もハルカのミスを責めたりしないし、ミスをして落ち込んでいるハルカの代わりにキリカがまとめ役を買って出てくれたりと、みんなはお互いを尊重しながら支え合っていた。
そしてそんな仲間がいるからこそ、みんなのためにもっと頑張って活躍したいと思うし、逆に簡単なミスでみんなの足を引っ張ってしまうと、どうしても自分が許せなくなるのだ。
おそらくそうしたゲームと仲間への真剣な思いこそが、ハルカが涙を流した理由なのだろう。
「結局、お兄ちゃんは全部お見通しかぁ」
「そりゃ十年以上野球だけやってきたからな。こういうチームプレーにまつわる悩みなんかは、一通り経験済みなんだよ」
「……そっか。じゃあこれはお兄ちゃんも通った道ってことだね」
「そうなるな」
そう言ったハルカは、俺の勘違いでなければどこか嬉しそうに見えた。
何にせよミスをするのは仕方がない。重要なのはその後どうするかだ。
「さて、そろそろ集合時間だな。みんなのところに戻るか」
「そうだね……と言いたいところだけどお兄ちゃん、大事なことを忘れてない?」
「ん、何を?」
「お兄ちゃんは無断で私の後をつけた上に、恥ずかしい姿を覗き見したんだよ? だったら何か言うこと、あるよね?」
「あー、いや、それは……悪かった」
「……ふふ、今は気分がいいからそれで許してあげよう」
ハルカはそう言いながら、いつも通りの笑顔を浮かべた。
そんなハルカのすっきりした表情を見た俺は、とりあえずもう大丈夫そうだなと、そんなことを思う。
ちなみに最後のハルカとのやり取りは、別に俺がハルカを心配して追いかけたことを非難しているわけではない。むしろ俺が追いかけたこと自体は、話しやすい相談相手が来てくれて助かったくらいに思っているだろう。
ただ「心配かけてごめん」と素直に言うのは恥ずかしかったので、俺の非を指摘することでお互い様ということにしたのだ。
――心配かけたのは悪かったけど、お兄ちゃんもデリカシーがないことしたんだからお互い様ってことでいいよね?
全く、本当に素直じゃない妹だ。子供の頃はもっと素直だったと思うのに、どうしてこうなってしまったのか。
それでもまあ、今のこんな少しひねくれた兄妹関係も案外悪くないと、そう俺は思っていたりするのだった。