70 秘密
クランの設立を終えた俺たちは一旦現実の晩飯のためにログアウトすることにした。長い一日だったというか、昼間から休みなしでずっと動き続けていたのでさすがに三人娘も疲れた様子だった。といってもVRゲームなので肉体的な疲労はほとんどないのだけれど。
ちなみにVRゲーム機は使用者のバイタルサインを常時測定していて、平常時と比べて数値に異常が出ると警告が出てそのうち強制的にログアウトさせられるらしい。
だから空腹状態とかアルコール濃度が高いとか、酷い時には睡眠不足なんかでもログイン出来なくなったりするという話だった。
「――ですので、ゲーマーの間には『VRMMOをプレイすると健康になる』といったクリシェもあったりします」
「クリシェ?」
「常套句という意味です」
食堂で手早く食事を済ませてゲームに再ログインしたら、ほぼ同時にシャルさんもログインしてきたので俺たちは二人で少し雑談をしていた。ちなみに他の三人はまだ戻って来ていない。
それにしてもシャルさんは物知りで難しい言葉なんかもよく知っていた。天才肌のハルカとはまた違った雰囲気の頭の良さを感じる。
シャルさんからは一見するとクールでミステリアスな大人の女性といった印象を受けるけど、しかし実際のところはかなり貪欲で胸の奥には熱いものを秘めていたりもする。
彼女は現実の世界では一体どんな人なのだろうか。そんなことをふと思ったりした。
「そういえばチトセさんは、野球をやられているのですか?」
「え? ああ、俺は子供の頃からずっと野球ばかりやってたんだ。ただちょっと前に怪我で辞めちゃったんだけど」
「それは、えっと……すみません」
「いや、謝らなくていいって。俺が怪我をしたのも野球を辞めたのもただの事実で、それは変わりようがないことなんだから」
俺が野球をしていたことも、怪我をしたことも、それが理由で野球を辞めたことも、全てが事実だった。その事実をごまかしたところで、今さら何が変わるものでもない。
といっても未だに野球には未練があるし、正直なところ全く吹っ切れてもいないのだけど。
「それに他のみんなはハルカから聞いて知ってることだし、シャルさんだけ知らないってのも変だしな」
もちろん積極的に自分から言いふらすようなことではないけど、特別隠すようなことでもない。それにきっとこんなものは、どこにでもありふれた話に違いないのだから。
「……好きなことを続けられなくなる悲しみは、私も少しだけ分かる気がします」
シャルさんはそんな風に言った後、ただ沈黙するだけだった。
そうして少し空気が重くなってしまう。完全に俺のせいなので、ここは責任を持って俺から話題を変えることにしよう。
「そういえばシャルさんっていつも市場でどんな風にして稼いでるんだ?」
「それは秘密です……といつもなら言うところですが、チトセさんには特別に少しだけお話します。といっても何も難しいことはしていなくて、基本的には市場に流れている素材を買ってそれを生産でアイテムに加工して売るというのを繰り返しているだけです。ただ私の場合は錬金術師としての生産だけではなく、全ての生産職の生産品でそれを行っているのが特徴的なのかもしれません」
「あれ、でも自分の職業と違う生産品って、作るのに失敗したりもするんじゃないのか?」
「そうですね。ただそれでも失敗する確率を考慮に入れた上で、期待値がプラスになる生産だけをひたすら行えば確実に儲かります。幸い私は全職分の現在判明している全レシピを記憶しているので、素材の値段と生産品の相場を見た瞬間に儲かるかどうかは判断できます」
「今何かさらっとヤバいこと言ったよなこの人」
「チトセさんも真似したければしてもいいですよ? もちろん市場は私の戦場なので、全力でお相手することになりますけど」
「……いや、やめておくよ」
「それが賢明だと思います」
そう言ってシャルさんはくすりと笑った。
おそらく俺に手の内を明かしても、絶対に真似をされないという自信がシャルさんにはあったのだろう。
さすがに市場の支配者と呼ばれるだけのことはある。たぶん今この世界で一番お金を持っているのはシャルさんだろうし、それはこの先もきっと変わらないように思えた。
「シャルさんって、一体何者なんだ?」
「それは秘密です」
思わず俺はそう尋ねるが、シャルさんはその一言でさらりとかわすのだった。