134 お節介
「あ、そうだキリカ。チトセ君、少し借りていい?」
「借りていいって、別に私のものじゃないし、何か約束があるわけでもないんだから本人に直接訊いたら?」
「それもそうね。それじゃあチトセ君、お姉さんと二人で少しデートしない?」
ミヤコさんはそう言って目を細めて笑う。顔だけ見れば知的で色っぽい雰囲気の美人さんなのだけど、そういう風に誘われても全くドキドキしなかった。
もう俺の中では完全に変な人というか、残念な感じのキャラでミヤコさんの印象が固まってしまったのかも知れない。
「悪いけど、変なプレイヤーが寄ってきたら警戒するようにハルカに言われてるから」
「あはははは! やっぱり手ごわいなぁ、君は。少しくらいドキッとしてくれても良いのに」
「あっ! そろそろハルカたちとの約束の時間だから、私は行くわね。ミヤコ、チトセに変なこと言って困らせるんじゃないわよ?」
俺がハルカの名前を出したことで思い出したように、キリカはそう言って足早に立ち去ってしまう。
……まさかこの状況でミヤコさんと二人きりにされるとは思わなかったのだけど、さてどうしようか。
「またキリカは初対面の人間を平気で二人きりにしちゃうんだから……。全く、みんながみんなキリカみたいに、すぐ誰とでも仲良くなれるわけじゃないのに、ねー?」
「え? あー、いや、どうなんだろうな」
「……そういえばチトセ君も体育会系のコミュ力お化けな人だったっけ」
「別にそういうわけでもないけどな。さすがに誰とでも仲良くなれるわけじゃないし」
「それってもしかして、暗に私とは仲良く出来ないって言ってる?」
そんな風に図星を指されたので、俺はとりあえず笑って誤魔化した。
ミヤコさんは変な人だけど、頭の回転が早いことは少し話しただけでも分かる。あまり俺の周りにはいないタイプだった。
強いて言えばハルカに近いのかも知れないけど、それをハルカに言ったらきっと怒られるので、そう感じたことは忘れることにする。
「でも本当に、君みたいな子っているんだね」
「俺みたい?」
「うん。こうあるべきだと信じた自分の姿に、完璧になりきってしまえる子」
「…………?」
「たぶん君は野球で勝つために、エースとしての重圧や期待を一身に背負ってチームを引っ張ってきたんだと思うけど……そうした意味では君のアンガーマネジメントは完璧。アスリートとしては理想的な状態なのよね」
言葉だけだと褒められているようにも思えるが、ミヤコさんはどこか悲しそうというか、可哀想なものを見るような目をしていた。
その瞳に映る感情は――同情。
それは間違いなく、俺が今までほぼ向けられたことのない感情だった。
「でも君の場合はそれがおそらく、野球をしているときだけじゃないの。普段から理想の自分であろうとしているから……だからいつも負の感情を自分でコントロールしてしまう」
「……確かにミヤコさんが言うような面もあるかも知れないけど、でもそれは別に良い事なんじゃないのか?」
アンガーマネジメントによって負の感情に振り回されないというのは、私生活においても良い結果をもたらすのではないかと俺は思う。
しかしミヤコさんは俺のそんな考えとは違うことを言った。
「人間は理性だけじゃ生きられない、感情の生き物だよ。だから感情を常にコントロールして生きるなんて、それはとても歪なことなの。泣きたいときには泣いて、怒りたいときには怒って……それは人として当たり前のことなのに、君は野球を辞めた今でもそれが出来ないでいる」
「それは……」
ミヤコさんが指摘したことは俺にも自覚があることだった。
俺はもう自分が野球の出来ない体であると理解しながらも、未だに野球に未練を持っている。俺は野球への気持ちを全く吹っ切れてなどいなかった。
だからこそ俺は今でも周囲の期待に応えられる人間であろうとして、そうした感情をコントロールし続けているのかも知れない。
いつか理想とした、チームのマウンドを預かるエースの在るべき姿。それは試合中にどんなことが起きても、決して心を乱すことはない絶対的な存在だった。
そんなエースであって欲しいと周囲が望んだから、かつての俺はそうなろうとした。そしてそれは、野球を辞めた今現在でもそうなのかも知れない。
もしそうであるなら――確かにそれは歪なことだと言えるだろう。
「ごめんね、初対面の人間が君の心にずけずけと踏み込んで……でもこの際だから言ってしまうと、君の近くにいる人はきっとそんな歪さに気付いているんだよ。そしてそれは無理をして感情を押し殺しているように見えるから、いつか潰れてしまわないか心配で仕方がないのよ」
「いやまあ別に謝らなくていいけど……でもミヤコさんは俺にそんな話をして、一体何をどうしたいんだ?」
「ん? そうねぇ……借りを返したい、ってところかな」
「借り?」
「そ。ハルカちゃんに、昔ちょっとね」
ここでハルカの名前が出てくる意味を考えるが、それは考えるまでもなく、直前にミヤコさんが言った「君の近くにいる人」というのがハルカだからに違いなかった。
「ハルカちゃんは君が思っているよりもずっと、君のことを心配しているんだよ。まあそんなこと、距離が近くなればなるほど伝えづらいことなんだろうけど……あいにく私は完全に部外者だからね」
そう言ってミヤコさんは目を細めていたずらっぽく笑う。
ミヤコさんは、ハルカが俺のことを心配しているという。確かにそれはハルカが俺をこのゲームに誘ったことからも分かる。
問題は、それを知った俺がどうするべきかという話だった。
「ミヤコさんの話は一応分かったけど、それを聞いて俺は何をすればいいんだ?」
「んー、それじゃあ例えば、君がハルカちゃんの立場だったら、何を思うかな? 絶望の淵にいるお兄ちゃんに、どうして欲しい?」
ミヤコさんのその言葉を聞いて俺は頭の中で想像してみるが、どうにも上手くいかない。
そもそもハルカが俺や野球のことをどう思っているのかなんて、俺は全く知らないのだった。
「そんなに難しく考えることでもないと思うけど。普通に元気になって欲しいとか、そんな感じでも間違ってはいないわよ?」
難しく考え過ぎる俺を見かねたのか、そんな風にヒントを出してくれるミヤコさん。
ミヤコさんがどうして突然こんな話をしようと思ったのかは全く分からないけれど、何となく一つ思ったのは、ミヤコさんは変な人ではあるけれど案外面倒見が良くてお節介な人なのかも知れない、ということだった。




