反撃への鼓動
シモン……いや、ルースは峠の先にある村へと向かっていた。そこでは秘密裏に反マグスの勢力が人を集めていた。そこで、聖王騎士団の元副隊長と落ち合い、その勢力に加わるつもりでいた。彼の誘いで無ければ動きはしなかった。ルースは副隊長の事は伏せ、その事を4人に伝えると彼等も一緒に参加したいと言い出した。もう引くには引けない。
5人が村に到着する頃には、東の空が闇から薄い藍色に染まり始めていた。
ルースは副隊長から聞いていた、地下組織の管理人ひろゆきという男を探すことにした。とりあえず村はずれの宿を借り、ジョーカルド達はそこで休ませた。
村の中央に水汲み場がある。朝早くから、女達が朝食の支度のためか水を汲んでいる。賑やかな笑い声を聞くと、少し心が和んだ。ここはまだ平和なんだな。
いや、危機は迫っている。副隊長はこの村でセスの凶刃に倒れた。おそらくザ•マンとその飼い犬も。
幸か不幸か、セスの目的は自分にあったためこの村は難を逃れたのだ。しかし、いつかはこの村も襲撃されるだろう。時間がない。
「申し訳ない。人を集めていると聞いて来たんだが、何か知らないか?」
ルースは女達の輪に割って入った。
女達の顔が一瞬に曇り、黙り込む。
「誰に聞いたの?」
細身の女が聞き返した。
「風の噂だ。ひろゆきと言う男に会えばわかると聞いたが。」
「男?…」
女は目を丸くした。暫しの沈黙の後、周りの女達が大声で笑い出した。
「まぁいいわ。着いてらっしゃい。」
女は不機嫌そうに、水の入った壺を抱えて歩き出した。何がいけなかったのだろう?ルースにはわからなかった。
ルースは女から壺を取り上げて、自ら抱えた。
「あら、優しいんだね。」
「その分、剣の腕は無いがな。」
「その優しさが、戦場で命とりになるかもしれないねぇ。」
「そうならない様に気をつける」
「ふっ、馬鹿だねぇ……。」
「何がだい?」
「さぁ……なんだろうねぇ」
そんな問答をしていると、女はある建物の前で足を止めた。周りを見渡し、ドアの前に立つ。
「イブン!お客さんだよ」
錠を外す音がして、分厚いドアがゆっくりと開いた。そこには肌の黒い男が立っていた。
「ユキさん、おはよう。」
肌の黒い男は、女にぶっきらぼうに挨拶した。
「はい、おはよう。あの人はまだ寝てるのかい?」
女はドアに寄りかかりながら尋ねた。
「あの人、起きてる。」
「そうかい。お客さんを連れて来た。入らせてもらうよ。兄さんも着いておいで。」
そう言うなり女は建物の中へと入って行った。戸惑うルースに肌の黒い男は顎で入れと促した。壺を抱えたまま入ろうとしたが、男が邪魔で入口で挟まってしまった。男はため息をひとつつき、ルースから壺を取り上げて上へと持ち上げた。ルースはその下を少し屈んで通り、中へと入った。
入ってすぐ、天井から吊るされた幾つもの布をかけ分けて奥へ進むと、大きな丸いテーブルがあり、そこに女が座っていた。
「こっちに来て、待ってて。」
女が隣の椅子を引いて、座るように促した。
ルースが席に座ると同時に、黒い肌の男が部屋に入って来た。もう壺は持っていない。
「イブン、あの人はどこだい?」
「奥にいる。呼んで来る。待つ。」
イブンは更に奥の部屋へと入って行った。
あの人と言うのがひろゆきか。
ルースは僅かに緊張していた。油断出来ない。下手をすれば、自分はここを生きては出れない。何故なら、部屋を覆う布のあちらこちらから、僅かに殺気を帯びた気配を感じる。
完全に囲まれている。
イブンが戻って来た。その後に、眼光鋭い男が入って来た。二本の長い剣を背中に携えている。双剣使いか。
ルースは反射的に立ち上がった。
部屋の四隅から、僅かに金属の擦れる音がした。剣の柄に手をかけた音だろう。わざと音を立てて牽制しているのだろう。余程の自信が無ければ出来ない真似だ。手練れが揃っているな……。この一瞬でルースは悟った。
「私はルース。この村で人を集めていると聞いて来た。あなたがひろゆきなのか?」
その問いが、双剣使いの男の眼光を緩めた。そして、豪快に笑い出した。
「まったくもう、ひろゆきってのはねぇ……。」
女が言葉を挟んだ。
「あたしだよ。あたしがヒロ•ユキ。みんな勘違いするのさ」
その言葉にルースは急に恥ずかしくなった。水汲み場で女達が笑ったのは、この事だったのか。しかし、これで良かったのかもしれない。四方から放たれていた殺気は、双剣の男の笑い声でかき消されていた。
「まぁ間違うのも無理はない。ユキ、そうカリカリするな。」
双剣使いがユキをなだめる。
「別にいつもの事だからね。慣れたもんだよ。」
ユキも諦めたような顔をしている。
「申し訳ない。すっかり…。」
ルースは深々た頭を下げた。
「剣士がそんなに簡単に頭を下げるんじゃないよ。それに謝られると余計に居心地が悪いんだよ。」
ユキは真顔で答えた。やはりまだ機嫌が悪い。
双剣使いの男は、ドスリと椅子に座った。屈強な体つきではあるが、それ以上の重量感がある。おそらくは、その服の下に薄い鎧を付けているに違いない。それは当然の事だろう。いくらユキが導き入れたとしても、得体はしれない。
「いゃあ、失礼した。私はセイクと言う者で、ウィンティス王国から、人を集めにこの村へ来た。君はどこの軍人だったんだい?」
その質問に、ルースは戸惑った。ただの探りなのか。それとも確信を持った上での問いなのか?いづれにせよ細かい嘘は、後々自分の首を絞めかねない。
「ヨハンス国でした。」
その答えを聞いて、セイクは目を閉じた。ユキは腕を組んだまま、黙って2人の会話に耳を傾けている。
「なるほど、大変だったな。君も戦いには加わったのか?」
目を閉じたまま、なおも質問を続ける。
「はい。」
多くは語らない方が良さそうだ。
「マグス軍と剣を交えて、どう思った?素直な見解を聞かせて欲しい。」
「マグス軍の中には人間ではない者も加わっているようでした。並の人間では敵わないでしょう。」
セイクは、そこで目を見開いた。真っ直ぐにルースを見据えて問う。
「では、どうすれば勝てると思う?」
セイクとルースは瞬きもせず、互いの目の奥を見た。この問いに、それ程の意味はない事をルースは見抜いていた。言葉ではない答えをセイクはその目で問いかけている。それにルースは答えているだけだ。どちらかが剣に手を掛ければ、すぐに斬り合いになりそうな緊張が周囲を包み込む。その緊張を破ったのはルースのひと言だった。
「その答えを探しに、ここに来た。」
セイクの顔に笑みが浮かんだ。
「よくわかった。他の4人もここへ連れて来なさい。こちらの仲間も紹介しょう。」
知っていたのか。それ程の大きくはない村だ。他所者が来ればすぐにわかる。
ルースはジョーカルドの待つ宿へと向かった。宿では皆食事を終えて、疲れ果てて眠りについていた。昨夜の件もあるから無理はない。セイク達との待ち合わせは夜だ。大勢で行動するには夜の闇の中がいい。
自分の為に用意されている冷めたスープを喉に流し込みながら、ルースは副隊長の事を考えていた。セスによって殺されたのなら、この村の何処かに亡骸があるはずだ。弔ってやりたいが、今はそれも出来ない。
夜に備えて、眠りについた。
日が落ち辺りが闇に包まれた頃に、
ルース達は宿を出た。北斗の持つ杖の先端が淡く光り、道を照らす。
「魔法ってのは便利なもんだな。」
ルースが何気に呟いた。
「しかし、万能ではありません。」
なおが即座に答えた。
「そうですねぇ。しかも人を生かしもするし、殺しもする。使う人次第ですもんねぇ。」
ジョーカルドがそれに続ける。
「剣も……同じ……。」
柏崎が、控えめに主張する。
「いやいや、剣は斬る為のもんだろう。なぁ、ルース。」
北斗がルースに返す。厄介な問いかけをどう切り抜けるかと思案しているうちに、セイクのドアの前に着いた。ルースが3度叩くと、ドアが僅かに開いて、イブンが顔を覗かせた。
なおが少し後ずさりした。黒人を見るのは初めてだろうし、しかもイブンは大柄だ。子供のなおには余計に大きく威圧的に見えたのだろう。
「みんな、待ってる。入れ。」
相変わらずのぶっきらぼうぶりだが、不思議と嫌な感じがしない。
5人は足早に中へと入った。
テーブルの部屋に入ると、そこにはセイク、ユキ、イブンの他に、2人の男がいる。テーブルを挟んで5対5の状態になった。
「わざわざすまない。私はセイク。
ウィンティス王国から、マグス軍の動きを探るために、このサウル村に
駐留している遊撃隊の隊長だ。」
「遊撃隊?ウィンティスの軍隊が何故、このような村で人集めを?」
疑問をぶつけたのはジョーカルドだった。
「いい男がいないからよ。」
妙な声色を使う男に、ルース側の5人の目が集まった。
「あら、なによ、その化け物を見るような目は。」
「ゴロウ、ちょっと黙ってて。」
ユキが男を制した。男はしゃなりとユキに向き直った。
「ちょっとユキちゃん!その呼び方やめてよ!あたしのことは、ヨッシーって呼んでって言ってるじゃない!」
「五郎松 芳雄だろうが!」
もう1人の男が口を挟んだ。ヨッシーは、またしゃなりと振る。
「タマちゃん!フルネームだけはやめて!割とマジでやめて!お願い!」
タマちゃんと呼ばれる男は背筋を伸ばし、軍人らしく構えた。
「セイク遊撃隊、魂 燃郎!よろしく頼む!」
こちらは暑苦しい。
「ちょっとタマちゃん!あたしの事、無視した?ねぇ、無視したわよね?」
ヨッシーとタマ。あまり組みたくはないと正直思った。
その後は互いに自己紹介を淡々と終わらせた。立ったまま、話しは続けられる。セイクが地図をテーブルに拡げた。そこには隣接する五つの王国が記されている。
「この南西から北東にかけて連なるレムール山脈を挟んで、南側に、西からレムラント王国、その東がイルーダ王国、その南にヨハンス王国となる。そして山脈の北側、つまりこちら側だが、西にウィンティス王国と東がノーランド王国になる。我々がいるこのサウル村は、このふたつの王国のちょうど中間地点に位置する。」
ひとり背伸びをしながら地図を覗き込んでいたナオを、イブンが持ち上げ椅子の上に立たせた。
「ありがとうございます…」
ナオが感謝を伝えたが、イブンは何も返さなかった。
「これまでのマグス軍の動きはこうだ。まずヨハンス王国へと進軍、あの無敵と呼ばれた聖王騎士団以下、ヨハンス軍を殲滅し、占領。」
ルースの顔が僅かに曇る。
「その後、時をおかずにレムラント王国へと進軍し、同じく占領下に収めている。」
ナオの小さな拳が震える。それはレムラントの他の3人も同じだった。
「さて、これから予想される動きだが、見ても分かる通り、レムラント王国とウィンティス王国の間にはレムール山脈がある。あの大軍団を進めるには、流石に難があると考えられる。次に軍を進めるなら、イルーダ王国だと考えるのが妥当だろうと思う。」
「そこでマグス軍に対抗するために、ウィンティス、ノーランド、イルーダの3王国間で同盟が結ばれた。
現在、イルーダへとウィンティス、ノーランド両軍が集結しつつある。」
そこで セイクが一息入れた。それを待っていたかのように、北斗が山脈の一点を指差した。
「ここに山脈を越えることの出来るルートがある。馬は使えないが、少人数の部隊ならば、こちら側へ入れる。現にあたし達もここを越えて来た。」
「それは承知している。そのルートを通った場合、立ち寄る可能性が高いのが、このサウル村だ。」
セイクが淡々と語る。
「やはり、そうなりますよねぇ。」
ジョーカルドも同意を示す。
「実際にここの村人が、峠の方でマグス軍らしき人間を目撃したと報告を受けている。人数は4人。そのうち1人は、まだ子供だった。」
この言葉によって、部屋の空気が凍りついた。探るような沈黙が漂い始める。
「いや、この人達は違う。俺は森の中で、この人達に命を救われた。マグス軍の連中は他にいる。」
沈黙を破ったのはルースだった。
「わかっている。その連中はそれぞれ違う鎧を身につけていたらしいが、マントはマグス軍のものだった。おそらくは傭兵だろう。」
セイクは尚も淡々と続け出した。
「あからさまに軍人と分かる格好をしているところを見ると、偵察が目的だとは思えない。」
「じゃあ、何してやがるんだ?」
北斗がたまらず口を挟んだ。
「そこが問題なんだ。何をしているのかがわからない。君の意見を聞かせてくれないか、ルース。」
セイクの射るような視線がルースを動揺させた。セイクはどこまで知っているのだろうか。
「偵察でないとすれば、俺達のような残党を狩っているのかもしれない。」
嘘ではなかった。
「いや、その線は薄いな。あたしや柏崎には目もくれなかった。もし、ただの残党狩りなら、自分から引いたりはしないだろう。」
そう否定したのは北斗だった。
「あいつら…とても強い…。」
柏崎が囁く。
「そうですねぇ。ルースさんを襲った化け物はともかく、北斗さんと柏崎さんが遭遇したという剣士は、かなりの腕の持ち主のようですし。」
ジョーカルドが疑問を重ねる。
「いくら傭兵といえども、それだけの手練れを残党狩りの為だけに送り込むだろうか?」
セイクは視線をルースからそらしてはいなかった。会話の間も、ルースの表情から何かを読み取ろうとしていたのだ。それをルースも感じとっていた。
「そんなの簡単じゃなぁい。その追ってる何者かが、そいつらより同等か、それ以上に強いって事じゃないかしらん。ねぇ、タマちゃん?」
今まで黙って聞いていたヨッシーこと五郎松芳雄が、隣に立った魂燃郎の肩に手を掛けて答えた。
「オカマ、触るな。」
タマちゃんの意識は別のところにあった。
「オカマじゃないのよ!オカマじゃないのよ!エンジェルちゃんよ!」
「ええい!気色悪い!」
タマちゃんが追撃の一喝。
「地獄の…エンジェル…」
柏崎が囁く。
人を集めている理由がわかった気がした。
「とにかく!」
セイクの声が部屋中に響いた。
「理由が何であるにせよ、そいつらを野放しには出来ない。こちらから仕掛ける。」
「ひとつお聞きしたい事が…」
ジョーカルドが遠慮がちな声を出した。
「みなさんはウィンティスの遊撃隊という事ですが…別働隊にしても、その……人員が少ないような……。」
素直な疑問ではある。それはルースも感じていた。
「確かに。人がいない。ウィンティス軍の司令官は、ここの重要性を理解出来ていない。長く平和が続いていたので、平和ボケしてしまっている。何度も進言したが聞き入れてはくれなかった。何とか腕の立つ猛者を引き抜いて来るのが精一杯だった。恥ずかしい限りだ。」
猛者?その言葉で思考が停止した者が何名がいた。しかし、ルースだけは疑問は感じなかった。初めてここに来た時に向けられた剣気から、おおよその見当はついていた。
「まぁまぁ、本体を相手にするわけじゃないし、何とかなるんじゃない?でも……」
北斗はそこで言葉を詰まらせた。
「でも?何?」
ユキが優しく語りかけた。
「キルス……あいつだけはあたしが討つ。」
「キリト?」
「マグス軍にレムラントの仲間を売った裏切り者だ。奴らの仲間になってた。あいつだけは許せない。」
北斗の表情がこわばる。あの時の悔しさが蘇って来た。
「国を追われた君達の悔しさは計り知れないだろう。我々とともに戦ってくれないだろうか?もちろん報酬は出す。君達が仲間であるなら心強いのだが。」
セイクのその言葉は愚問に思えた。
「最初からそのつもりで来てますからねぇ。他に行くところもありませんしねぇ。でしょ?みなさん。」
そのジョーカルドの言葉に、皆は笑顔で応えた。
「感謝する。では、早速明日から峠にいる刺客を討つために動く。今日はゆっくり休んでくれ。」