最終章 千と一夜の物語
「帰ったの」ぶっきらぼうにその女は言い放つが、少し動揺しているようだった。
「ああ。帰ったぞ」俺が王宮に帰ってきたことなど彼女は知らないはずはないだろうに。
「何か、いる? 」『栄養飲料』はアルコールに似たモノもある。
脳内の快楽物質を活性化させ、酒より愉しく何より美味くそして二日酔いもしない代物だ。
「それとも、何か食べるかしら」
王族が口にする『食べ物』もまた最高級の代物だ。
体調を整え、傷の具合をよくし、毒や病気から身を護り、味もまた素晴らしい。
女官がギターのような楽器を鳴らす。
故郷の三味線に似ているが、材料は。異なる。
「奴隷の虐待は禁止したはずだが」「奴隷じゃないわ。『人』は皆死ぬし、蘇るの」
カゲロウは艶然と微笑んだ。「それがこの世界の定め」
狂っている。
「あの楽器は、人革。だよな」「そのまま使ったりはしないわ」
「俺たちが食う食い物は。人間か」「人間の身体を作るものが人間には一番必要なものでしょう」
「俺達が倒してきたバケモノどもは」「皮肉ね。小久保といえど、全てを賄うことは出来なかった」
人間はつまり女だけで繁殖することが可能らしい。
技術的に可能となったとき、この世界の女たちは一度男を特殊な病を使って全て殺した。そうだ。
「伝説の魔物って言うけど、ちょっと力が強いだけの頭の弱い生き物ね」
しゃあしゃあといってのけるカゲロウ。
「でも、システムは不完全だったのね。種の多様性を保てなくなったわ。『不完全』を取り除いたのが致命的だったかも知れないけど」
そういえば、この世界にいる女共は容貌にも知性にも運動能力にも優れた者しか。いない。
「『肉』のあまりから、種の多様性を生み出すために作った奴らが特権階級になるのは必然ね」
それでも、システム管理者の一族は王族として君臨したが。
魔物どもからすれば彼女らがいなければ存在できず、少女たちからすれば魔物なくして種を保つことはできない。
「シン」「なんだ? 」
カゲロウは儚く微笑んだ。いつもの自信に満ちた傲慢な笑みではない。
「『愛してる』って言ったら信じるかしら。私が。あなたを愛しているって言ったら」
この世界には。『愛』と言う言葉はない。
月を、『輪』を大きな雲が覆い、俺たちの身体を闇に閉ざす。
衣ずれの音がして、彼女を覆う装飾品が地面に落ちていく。
「初めて一つになった日。覚えている? 」覚えている。お互い厭々だったな。
「好きな女がいるって。言ってたよね」ああ。遠い故郷の思い出だ。
「アイツが憎かった。ソイツが憎かった」らしい。な。
「全てを手に入れているはずなのに、アナタを手に入れたはずなのに。アナタの魂は私を向いていない」
雲が動き、月明かりが。『輪』の輝きが彼女の一糸纏わぬ身体を照らす。
「アイツが、子供と共に死んだときだって。そう」シズルか。
「『男』だったッ 『男』だったッ! 奴隷女の産んだ子供が男だったっ!!! 」
母子ともに。よく頑張った。と思う。
あのやかましくて明るくて、騒がしい娘はもう俺の記憶の中にしかいない。
墓すらつくってやることが出来ず、この中庭の奥に俺が置いた石しかない。死体は何処かにいってしまったしな。
「美味しかったでしょ。あの料理。最高級の加工技術を使ったのよ」ああ。美味かったな。身にしみる美味さだった。
一糸纏わぬ彼女に俺は着物を着せてやる。
「憎いでしょ。私がッ 」もういい。
「殺したいほど。憎んでよッ 愛してよッ 」
俺は軽く抱きしめてやった。この哀れな少女を。
初めて一緒になった時か。
自ら猿轡をはめ、身体を拘束する台に震えながら身を預けようとする少女にはいつもの傲慢さは無かった。
未知の恐怖と不安に脅え、俺を魔物として睨みつけようとするも歯が噛みあわない。
「身体は許すが、心は許さぬ」と呟く声すら儚げな少女。とても剣をとって反乱軍の中核を担った女とは思えなかった。
俺は彼女の猿轡を外し、台から引き剥がすと彼女の唇を奪い、寝台の上に導いてやった。
唇を合わせながら、お互いの痛みを。気持ちを。身体を思いやりながら。
やがてお互いを求め合うまでに至ったあの夜は。あの夜を再現するかのような今の月明かりと彼女の微笑みは。
きっと幻だ。