炎と氷②
灯が学校に戻った頃には授業はすでに終わっていた。
当然担任から呼び出しをくらう。
灯は呼び出し通り地歴科の職員室に向かうと、そこにはなぜか雄介もいた。
「お、来たか鏡祢。」
二人は担任の前に並ばされる。
「二人で授業抜け出したって聞いてるぞ……お前らなあ…青春するのは大いに結構なんだが、授業中ぐらい我慢できんのか。」
同じタイミングで授業を抜け、二人とも終わるまで帰ってこなかったのだから、そういう誤解を受けるのは仕方がないかもしれない。
「せい…何…?」
全く予測していなかった言葉に灯はさっぱりついていけない。
「いや、おれほんとに腹痛くて…」
雄介はなんとかごまかそうとするも、騙せそうになかった。
「ごまかさんでいい。ごまかさんでいいが…今度から授業中ってのは辞めろな?」
雄介の嘘には騙されていないが、根本的に勘違いをしている担任教師。
「いや、だから…」
「ほら、もうすぐ授業始まるぞ。もう行け。」
「…はい。」
とりあえず解放され、教室に向かう二人。
「あの先生、何言ってたんだ?よく分かんなかったけど…」
灯は雄介に聞く。
「体育んとき二人とも授業抜けたから…どうも先生はおれたち二人が授業さぼって、その…逢い引きしてたって思ってるみたいなんだ。」
「なっ…逢い引きって…それはその……やっぱ何でもない…。」
灯は前髪をいじり、話題をそらす。
「…ところで、お前は何やってたんだ?」
「えっと…まあその、人助けというか…」
「ふーん…。」
灯は何かごまかそうとしている様子の雄介を少し怪しむ。
教室に戻り、席に着くとすぐ授業が始まる。
(…あの氷、まさかこいつ…?……いや、それはないよな。確かにこいつからも霊力は感じるけど…かなり弱いし。これであの氷結は無理だ。)
隣にいる人間を疑うも、やはり違うと思い直す。
(最初はとりあえずこれでいい。姿を見せるのはもうちょい後から…)
一方雄介は地道に信頼を得ようと考えていたのだった。
その夜。
灯は隊長室にいた。
「今日も流れてきた。ワイバーンが二匹。」
「そうか…やはり何か起きているのには間違いないようだな。」
隊長は少し考え込むような顔つきになる。
「天界側の問題じゃないのか?」
灯は尋ねる。
「いや、一応連絡は交わしたが天界に異常はないようだ。」
「そっか…ってことは人間界…やっぱあの学校…?」
「あくまで可能性の一つだ。今は手掛かりが無さすぎるからな。少しでも怪しいと思えるものから調べていくしかない。…それで、学校のほうでは何もないのか?」
「今のところ怪しいことは何もないかな。」
「そうか…。報告ご苦労だった。引き続き頼む。」
「うん…ところでさ……」
話を変える灯。
「逢い引きってさ…」
「何だ…?人間の学校ではそんなことを教わるのか?」
「あ、いや…えっと、何でもない!」
灯はそう言うと部屋を出ていった。
隊長室を出て、灯は家に向かいながら氷の霊能者の事を報告し忘れたことに気づいた。
(あ、忘れてた…まあ別に今度でいいよな。)
そう考えながら歩き、家に着く。鬼の家はみな同じような造りをしている。小さめの和風な家だ。
この時間帯はだいたい家には誰もいない。しかし、
「おかえり。」
家に入ると出迎えの声が届く。
「あれ…母さん帰ってたんだ。」
「うん、今日は深夜巡回なのよ。それでちょうどさっきまで仮眠をとっていたの。」
灯の母親、鏡祢沙織。灯とは違う地域で班長を務めている。
「そっか。」
沙織のいる部屋、居間にあたる場所だろう、灯もそこで少しくつろぐ。
「あ、そういえば…」
灯は何かを取り出す。
「これ、差し入れみたいなもん。」
灯が取り出したのはチョココーティングされたドーナツ。
「まあ…!これ人間界の食物よね、ありがとうね。」
ほとんどの者が人間界の食物を食べたことがないという死神に比べ、鬼はそこそこ人間食を受け入れている。
「うん、やっぱりいいわね。どうしてお父さんには分かんないかな~。」
ドーナツを食べながら沙織は言う。
「親父は頑固だからな…絶対人間食なんか食べないだろな。」
「ところで、あんた学校どうなの?」
「今はまだ何も怪しいことはないかな。」
「そうじゃなくて。学校ちゃんとやれてるかってことよ。」
「ああ…うん、やれてる。毎日人間食だし、けっこう楽しかったりするかな。習ってることはよく分かんないけど。」
少し笑顔で言う灯。
「そう、楽しんでるみたいね。あんたがその任務就くって聞いたときは心配したけど…。」
「大丈夫だって。」
「まあ任務抜きにして、あんたにはいい経験になるわね。」
「そっかな…。」
「ん、そろそろ行かないと。あんたその任務中は夜間は睡眠だったわね、それじゃおやすみ。」
そう言いながら沙織は立ち上がり、出かけていく。
「おやすみ。」
母が出かけ、灯は寝室へ向かう。
少し霊気纏い、体を洗清する。転装を解いて裸になり、寝間着を着て布団に横になった。
(あいつ、川瀬雄介だっけか…あいつもわずかだけど霊力を持ってる。神獣にも狙われるだろうし、結界内にも入れてしまう。あたしと深く関わっちゃまずいよな。あくまで学校のことでの協力者、それ以上はあいつの命を危険に晒すことになる…)
あれこれ考えているうち、灯は眠りに落ちていった。
翌朝、教室。
(信頼を得るには、やっぱ仲良くならなきゃ話になんねーよな…)
雄介は灯の信頼を得るための計画を練っていた。
(まずは…そうだ、呼び方からだな。苗字呼びじゃだめだ。それから…これからは飯は一緒に食って…あと…そうだな…あいつのこととか少しずつ詳しく聞いて、悩みとかあれば相談に乗ってだな…)
「何ぶつぶつ言ってんだよ。」
どうやら少し声に出てしまっていたようだ。灯に、なんだこいつ的な目で言われる。
「え、いや何でも…。あ、そうだ、その…隣のクラスに加賀峰ってやつがいてさ~、お前呼ぶ時とややこしいんだよな。だからお前のことは…えっと、灯って呼ぶから。」
「?…別にいいけど。」
(よっしゃ第一段階クリア!加賀峰とは一度も話したことねーけど…まあいいや。)
「そっか。それじゃ、おれだけ名前呼びってなんか違和感あるからお前もおれのことは雄介って、な。」
名前で呼び合うことからきっと友情は深まると考える雄介。
「…そうは言っても、お前のことはお前としか呼ばないからな。」
灯は素直に思ったことを言う。
「あ…そっすか…。」
(そう来たか!…呼ばれ方はまあいいか。そのうちどうにかなるだろ…)
少し予想外の返答だったが、計画に支障なしと判断する雄介。
その後もちょくちょく話しかけた。
そして昼休み。
「よし行くか!」
雄介は灯を購買へ誘う。
「お前それ…弁当だろ?買う必要ないだろ。」
「あー…今日は外で食おうと思ってな。灯と一緒に中庭でって。」
「ふーん…まあ何でもいいけど。」
二人は購買へ向かい、その後中庭で昼食をとり始める。
「お前、あたしばっかに構ってちゃ他の女の手助けできないだろ。平等じゃなかったのか。」
切り出したのは灯。
「あ、誰かから聞いたのか。まあ…それはあれだ。お前は他の人より困ってるように見えて…えっと…」
「気のせいだろ。あたしは全然困ってない。」
「そうか?こう、何か抱えてるもんがあるっぽいけどな…なんか悩みとかねーのか?」
灯は少し手が止まる。
「それはお前が関わるべきじゃないことだから、気にしなくていいだろ。」
「ん…とにかく、おれは絶対にお前のために動くから。なんかあったら言ってくれよ。おれのためによくねーとか、そんなことは考えなくていいから。」
真剣な目。
「うん…。」
(こいつ…こんな台詞を本気で言うなよな…!女みんなにこうなのか?)
雄介の人柄にまだ馴れきっていない灯にはやはりまだ恥ずかしい台詞だった。
昼休みが終わり、掃除、午後の授業が始まる。
「ほら、こういう……」
授業中も、分からないことで手助けする雄介。
そんな感じで一日は終わろうとしていた。
放課後になり、雄介はいつものように早々に帰ろうとするが、
「あの、川瀬くん…ちょっといい?」
隣のクラスの女子に呼ばれる。
「…?いいけど…」
人気のない校舎裏に連れられる雄介。
「あの…川瀬くんと鏡祢さんって、よく一緒にいるの見かけるけど…その、付き合ってたりするのかな…?」
「いや、そういう関係じゃねーよ。あいつ転校してきて色々困ってたりするから、助太刀ってやつだよ。」
「そ、そっか…川瀬くん皆に優しいもんね。」
「男は知らねーけどな。」
「それじゃあ、その…聞いて欲しいことがあるの。」
決意を固める女生徒。
「…何だ?」
「私、川瀬くんが好きです!付き合って下さい…!」
ベタな告白。
「あー…えっと、おれさ、好きとかそういう気持ちよく分かんねーから…。付き合うとかっていうのもおれには無理だと思うんだ。だから、その…ごめん。」
今まで何度も口にしてきた台詞。
「そっか…分かった…急に呼び出したりしてごめん…それじゃあね…!」
女生徒は泣き出しそうな顔で無理に笑顔を作ると、走り去って行った。
「はあ~…こればっかりは助けてやれねーよな…」
自分が女性を傷つけることに少しへこむ雄介。
(…かと言って、好きでもねーのに付き合ったところで何の解決にもならねーし…)
そんなことを考えながら、雄介は学校を後にした。
「今日は遅くなったな…」
公園前の角でつぶやく雄介。
角を曲がると、公園には結希の姿が見えたが、それとは別にもう一人いた。
「…ッ!!」
それは、刀を結希に突きつけている灯だった。
過去の記憶が蘇る。後悔、怒り、そんな感情が雄介の中で渦巻き、頭が真っ白になった。
そして、我を失う。
「…なっ!」
突如強力な霊力を感じ、振り向く灯。
そこには、全身が氷でできた、鬼のような姿をした者がいた。額には二本の角を持ち、顔は骸骨を思わせる。
「あれは…!」
その氷の鬼、雄介は灯に突進する。
腕ごと氷の刃に形を変え、振り下ろすが、灯は後方に躱した。
「うああああ!!!」
なおも灯に襲いかかる雄介。
「やめて!違うの兄ちゃん!!」
必死に叫ぶも、結希の声は届かない。
(これは…一応結界張っといて良かったよ…)
雄介の攻撃を刀を収めた鞘で受け止めながら思う灯。
(それにしても、こいつ強いな…!なんか暴走してるみたいだし…ちょっとくらいは…)
灯は、斬りかかってきた雄介の右腕を刀で止め、そのまま炎を放つ。
激しい蒸発音と水蒸気が上がる。
「く…あっ!」
右腕は溶けた。
雄介は膝をつき、あまりの痛さに逆に我を取り戻す。
「兄ちゃん!!」
結希が駆けよってくる。
「だ…大丈夫…。」
氷の腕は再生し始め、すぐに元に戻った。
「お前、誰だ。」
灯は問う。
雄介は立ち上がり、人間の姿に戻る。
「お前…!」
当然ながら驚く灯。
「答えてくれ灯。ここで何やってたんだ…!」
雄介は拳を握りしめる。
「…この娘を、終わらせる。」
「何でだよ!結希が何かしたってのか!?こいつは何も悪いことなんかしてねーんだ!!」
熱くなり灯の肩を掴む雄介。
「お前は!自分の妹をこんなところに永遠に縛りつけとくつもりかよ!」
手を振り払う灯。
「それは…だから、毎日おれはここへ来て…」
雄介は少しうつ向く。
「それで何がどうなるんだよ。…それにこいつ、もうそろそろ限界に近づいてる。」
「限界…?それ、どういう意味だよ…」
「いきなり説明しても分かんないだろうけど、心霊はいずれ寄り集まって妖怪になるんだ。こいつは強い思いで自我を保ち続けてきたみたいだけど…それももう…」
「妖怪…?そんなこと…」
少し混乱する雄介。
そこへ結希が口を開く。
「兄ちゃん、私がお願いしたことなの。…妖怪になんてなりたくないし…それに、私がいつまでもここにいちゃ、兄ちゃんの心からあの日の傷を消せない…」
「どういう意味だ…?」
雄介は妹の言葉を理解しきれなかった。
「死んでもなお続くような強い思いがないと、心霊はそもそも成り立たない。」
少し説明を加える灯。
「私が殺されて、兄ちゃんはすごく自分を責めてた。それが私には耐えられなかったの。兄ちゃんは何も悪くないのに…。私が幽霊としてこうして居る、この人の言う強い思いっていうのは、兄ちゃんをあの日の呪縛から解放したいって思いなの。それで、兄ちゃんのせいじゃないってずっと言い続けて、明るくしてたら、私のせいでついた兄ちゃんの傷もいつか癒せるんじゃないかって…」
結希は自らの思いを語った。
「…ばかみてーだな、おれ。毎日ここに通って、結希と一緒に居てやらなきゃなんて思って…見守られてたのは、おれのほうだったってのに…」
雄介は唇を噛んだ。
「それでね、気づいたの。私が居ることで余計に兄ちゃんの重荷になってるって。だから、こっそり消えて、成仏したんだなって思わせようと思ったの。」
「重荷なわけねーだろ…!」
「それでも、もうお別れだよ。」
「何でだ…!」
「最近、自分を失いそうになるんだ。…私、やだよ…。自分が分からなくなって、いろんな人の思いとごちゃ混ぜになって妖怪になるなんて…そうなる前に…兄ちゃんの妹であるうちに、終わりたいよ…」
涙をこぼす結希。
「結希……」
雄介は何とも言えない表情になる。
しばらくの沈黙の後、雄介は目を閉じ、震える声で言った。
「……………灯………頼めるか……」
「…分かった。お前も、いいんだな。」
改めて結希に問う灯。
「はい。お願いします…!」
それを聞くと、灯は刀を抜き、切っ先で結希に触れた。
結希の体は、少しずつ光の粒になって消えていく。
「兄ちゃん…死ぬ前も、死んでからも、ずっとずっとありがと…私、兄ちゃんの妹で、本当に良かった…!じゃあね……」
最期に笑顔を見せ、結希は消えた。
「…結希……。」
雄介は涙が止まらなかった。止める気もなかった。
その様子に、灯の顔も曇る。
「…ごめん。」
「…何で灯が謝るんだ。」
雄介は涙を拭う。
「妖怪だの何だの言っても、要するに私は、お前たち兄妹を二度と会えなくしただけだろ…」
「謝るのはこっちのほうだ。悪かった。こんな嫌な役回りやらせて…。それに感謝もしてる。ああやって結希が最期に笑えたのもお前のおかげだ。」
「…………。」
それでも灯の顔は晴れない。
「よかったら…お前の妹が死んだ日のこと、聞かせてくれないか?」
「うん…。4年前のあの日、おれは学校帰りに友達と寄り道してて帰りがけっこう遅くなってた。それで、あまりに遅いからって妹が親に内緒でこの公園まで出迎えに来てくれてたんだ。おれは公園でこっちに手を振る結希を見つけた。だけど、結希の後ろには…変なやつがいて…」
少し声が震える雄介。
「変なやつ…?」
「ああ。血塗られたような真っ赤な帽子を被ってた、じじいのような…化物みたいな顔してた…。そいつが結希を…手に持ってた斧で……」
言葉がつまる雄介。
「分かった、もういい。嫌なこと思いださせて悪かったな。」
「大丈夫だ。…それでおれは、我を失って…気づいたらその赤い帽子のやつは塵になって消えていった。そん時からだ。おれがこの力を使えるようになったのは。」
「そっか…。お前の妹を殺した正体…妖怪だ。」
「あれも妖怪なのか…」
「レッドキャップ…強い憎悪で無差別に人を殺す。」
雄介はそれの姿を思い出し、苦い顔をするが、すぐに何か決意したような顔つきになる。
「灯。おれ、お前のやってること手伝うよ。だから、詳しく説明してくれないか。」
「あたしが…やってること?」
「お前が化物と戦ってるの知ってるんだ。それで、色々迷ったりしてたけど、おれはお前と一緒に戦う。」
「…まずはお礼だな。昨日は助かった。あの氷、お前だったんだな。…だけどダメだ。」
灯は少し口調を強める。
「だめって…」
「お前はもうさんざんな目に合ってんだから、これ以上関わることなんてないだろ。これからは、普通の人間として普通の生活を、普通の幸せを生きていいんだ。」
灯は雄介の協力を拒んだ。
「逆だよ。」
「…逆?」
「ああ、逆だ。もうさんざん巻き込まれてるからこそ、これ以上おれたち兄妹みたいなことが起きねーように、まだ巻き込まれてないやつらの普通の"日常"が壊されねーように、自分にできる精一杯の努力をすべきなんだ。」
「だけど…」
灯はなおも不満げな顔。
「それに、女の子一人に戦わせてたら…結希に怒られるからな。川瀬の家訓はどうしたの!って…」
「………分かった。話すくらいなら…。」
不満そうな顔で了承する灯。
「ああ、最初はそれだけでもいい。」
うなずく雄介。
「だけど今日はもう帰れよ。」
「…何で?」
「お前、自分じゃ気づいてないみたいだけど、精神的な面でけっこうきてる。当然っちゃ当然だけど…今のお前には余裕がないんだ。」
「そんなことは…」
雄介は言い返そうとするが、灯が遮る。
「とにかく今日は駄目だ。」
「…分かったよ…なら明日だ。土曜日、学校は休みだからな。朝この公園で会おう。」
「分かった。」
灯は雄介の提案をのんだ。
―――――――――――――
雄介の自宅。
晩飯を食べ、風呂から出るとすぐにベッドに横になる。
灯の言った通りだった。
一人で落ち着くと、結希のことしか頭に浮かばない。
再び目頭が熱くなる雄介。
『じゃあね…』
結希の最期の声が耳にこだまする。
その声を聞きながら、雄介は眠りに落ちていった。
一方灯は、
いつもの隊長室にいた。
「今日は流界はなかったんだけど…その、学校に霊能者がいてさ、あたしに協力したいって…」
雄介のことを報告する灯。
「任務を知ってるのか?」
「いや、あたしが神獣と戦ってるのを偶然見たらしくて、それで。」
「そうか…能力は?」
「氷の鬼人。それもけっこうなレベルだった。」
「鬼人か…珍しいな。」
「うん。それでさ、そいつ昔に妹をレッドキャップに殺されてて…」
「…復讐ってことか?」
「そうじゃないよ。そいつは自分たちに起きたことを他の人に味あわせないためにって。」
「…そうか。おれはその人間がお前に協力するのに反対はしない。どうするかはお前が決めろ。」
「…分かった。じゃあ、今日はこれで。」
「ああ、ご苦労だった。」
こうして長い一日は終わった。
翌朝、雄介は目覚ましの音で起きる。
ふと見ると枕には涙の跡があった。
頬にも涙の渇いた跡。
雄介は見ていた夢を思い出す。
結希が笑っている夢。
妖怪も化物も出てこない、穏やかで幸せな夢だった。
(結希、ありがとうな。お前が最期に笑ってくれたおかけで、おれはこんな幸せな夢を見れた…。)
渇いた跡の上を新たに涙が一筋。
少しの間目を閉じると、雄介は涙を拭って部屋を出た。
――――――――――――――
そして公園。
灯はまだ来ていないようだ。
雄介はつい結希の姿を探してしまうが、そこにはもう結希はいない。
(しっかりしろおれ!)
雄介は自分に言い聞かせた。
「早いんだな。」
振り向くとそこには灯がいた。
「ああ、おはよう。」
二人はベンチに腰かける。
「あたしは、お前の協力を受けようと思う。炎と氷、対極の能力が揃ってるのは戦略的にも良いことだし…お前の考え方も、間違ってないと思うからな…」
「そっか、ありがと。」
雄介は少し微笑む。
自分の考え方が理解されると、やはり嬉しい。
「けど、あくまでお前はサポートだからな。お前だってあたしが守る対象のうちの一人ってことには変わりないのを忘れんなよな。」
「はいはい、了解です。」
「それじゃ、色々説明しないとな。」
灯は説明した。
精霊のこと、霊界のこと、神獣や流界のこと、霊能者や連盟のこと。
「なんつーか…普通なら馬鹿じゃねーのって言いたくなるような話だけど…」
「全部現実だ。人間は何も知らない。いや、そもそも知る必要もない。」
「お前が鬼…か。想像と全然違うな。むしろおれのほうが鬼みたいだし。」
「そうだな。だから霊能者たちは、自然を操る能力とかその姿から、鬼人って名称を付けたんだろな。」
「おれの他にも同じ、その…鬼人はいるのか?」
「うん。鬼人はだいぶ珍しいけど、連盟に。確か、炎のやつと、雷のやつと…あたしはそれくらいしか知らないけどな。」
「そっか。…それにしてもおれ、何も知らずに生きてきたんだな。」
「それが当然なんだけどな。」
「…お前が戦ってた化物…妖怪とは別もんなんだな。」
雄介は話を切り出す。
「妖怪は思念の塊だからな。」
「思念…。」
「生物が死ぬと、命の源である命泉と思念とが残る。その二つをまとめて魂って呼ぶ。まあ寿命で死ぬと命泉は残らないけどな。たいていは寿命の前に死ぬ。そうすると命泉は天界に還り、神族によって転生する。思念はそのまま消滅するのが普通なんだけど、昨日も言ったように、未練とか憎悪とか、そういうかなり強い思いがあると、消滅せずに心霊や怨霊として確立するんだ。妖怪っていうのは、消滅はしないけど心霊として確立するほどは強くない思念とか、長い間存在して自我が弱くなった心霊とかが寄り集まって混ざり合って、全く違う存在になったもののことを言うんだ。」
「妖怪……。」
雄介は無意識に拳を握る。
それを見た灯は付け加える。
「でも、妖怪にも二種類いる。一つは、理性を持たず、ただ無差別に暴れるやつ。もう一つは、ちゃんとした理性を持って、人を襲わずに暮らしているやつ。」
「そうなのか…?」
少し意外だった。
「妖怪はみんな悪いのかと…」
「無害な妖怪もいるぞ。だからお前も妖怪だからって攻撃するなよ。」
「気をつけます…。」
(そういえば昔、カブトムシ捕まえに行った山で妖怪っぽいの見た記憶があるけど…確かにあれは人を襲いそうな気はしなかったな…)
過去を思い出す雄介。
「…言い忘れてたことがある。」
突然改まる灯。
「…何だよ、いきなり。」
「……ごめんな。」
灯は謝る。
「な…何だ?何が?」
雄介は当然困惑する。
「さっきも言ったけど、ここは鬼の担当区域だ。そこでお前の妹が殺されたのは、あたしたち鬼が対応できてなかったからだろ。お前が遅く帰ったせいなんかじゃない。ほんとに…ごめん。」
灯は心から謝っていた。
「謝るなよ。人間は守られてるだけでいくら感謝してもし足りないくらいなはずなんだから。」
「それに、あれは4年も前の事だ。お前だってまだ子供だったろうし。」
雄介は少し灯を気遣う。
「まあ…確かに4年前はまだあたしは実戦任務には就いてなかったけど…あたし個人というより、鬼という種族としての謝罪だ。」
灯個人には何の落ち度もないにもかかわらず本心で申し訳ないと思っているあたり、割と律儀なようだ。
「灯ってけっこう真面目なんだな。………ところでさ、4年前はどうとかってので思ったんだけど…お前って実際のところ何歳なんだ?」
雄介は初めて会った時から同い年とは思っていない。
「……15。」
少しぶっきらぼうに答える灯。
「15か…納得と驚愕が同時に来たよ。」
「……?」
灯は首をかしげた。
「まあ最初から高校2年生には見えなかったからな、その点では納得だ。けど、15歳で一人であんな化物…神獣だっけか、を倒してたのを考えるとやっぱ驚くっていうか…」
「………………。」
子供扱いされているような気がしてムっとしつつも、一人での戦闘を感心されたことに少し良い気になる灯。
「…ふと思ったけど、何で学校に来ることになったんだ?」
もっともな疑問。
「ああ、そういや説明しなきゃだな。」
灯は真面目な顔に戻る。
「ここ最近、この辺りでの流界の規模、回数が異常なんだ。大きめの流界が短い間隔で何度も、それも同じ区域で起こるなんてのはどう考えても普通じゃない。それで、調べているうちに流界位置のだいたい中心にあの桜木高校があることが分かったんだ。」
「…いわゆる潜入捜査ってやつか…なるほどな、それで転校生か。」
「うん。…実はこの任務、あたしがやるのに反対のやつもいてさ。」
「何で?」
「上位霊力を持ち、班長を務める。戦闘力としては問題なかったんだけどな、あたしは学校ってものの経験がなかったんだ。」
灯は空を見上げた。
「学校…鬼たちのところにも学校あるんだろ?学所だったな、さっき言ってた。」
雄介は先ほど受けた精霊の説明を思い出す。
「うん。普通はみんな学所で知識と戦闘技術を身につける。だけどあたしは学所に行ってなかった。」
「行ってなかったって…そのわりには優秀に見えるんだけどな…」
「親父がさ、けっこうすごい鬼で…あたしは学所に通わず親父から全部教わったんだ。戦闘も知識も。だから、学校ってのに興味っていうか憧れみたいなの感じてたのかも。たぶんそれでこの任務に就きたいって立候補したんだ。」
ベンチから立ち上がり、うろうろしながら話す灯。
長い時間じっとしていられないところも、なんか子供みたいだなと雄介は思った。
「そっか。そりゃまあ学校全く知らないやつが学校への潜入捜査するなんてのは反対が出てもおかしくないな。」
「まあそれを何とか押し切ってな、ここにいるわけだ。」
「ふ~ん…でさ、中心に学校があるって…やっぱなんか関係あるのか…?」
おそるおそる尋ねる雄介。
「ん…今のところは何も妙なものは感じてない。ただの偶然の可能性も大いにあるんだ。けど、今はあの学校しかこの異常な流界に繋がりそうなもんがないからな、地道に調べていくしか…」
灯はため息混じりに答えた。
「そうか…」
雄介の脳裏にはクラスメイトや友人たちの顔が浮かぶ。
(学校が…もし本当に学校が何か関係してんなら…みんなの日常は…)
無意識に下唇を噛む。
「とりあえずそういうことだ。まあいきなり全部理解しろとは言わないから。」
「ああ、うん。確かに頭の中の整理がまだまだ終わりそうにねーな。」
「ちょっと一気に説明しすぎたな。…まあそのうち分かってくるだろ。」
「だといいけどな…」
若干不安げにつぶやく雄介。
「…お前、明日も時間あるか?」
「え?ああ、特に何もねーけど。」
「そっか。なら明日、連盟に行こう。」
「連盟…って人間の組織ってやつだったな。おれも加盟ってわけか…ちょっと緊張するな。」
「大丈夫だ、あたしが付いていってやるからな。」
小生意気に胸を張る灯。
「おー、これは頼もしいお子様ですな。」
雄介はからかった。
「こ…の!歳は下でもあっちの世界ではあたしのほうがずっと目上だからな!」
灯はムキになりながらも、
(こいつ、この様子じゃあ妹のことは自分なりにけじめつけられたみたいだな。)
昨日の雄介の妹のことを少し気にしていたようだ。
「冗談だって、そんな怒んなよ。」
「怒ってない。それじゃ、明日な。」
灯はベンチに腰かけながらぶっきらぼうに答える。
(…すぐムキになって…ほんと子供みたいで可愛いなこいつ。鬼っていってもそういうとこは人間とたいして変わんないんだな。)
「はいはい、明日ね。」
雄介はまた少し灯のことが分かった気がした。
「それじゃあ、あたしはそろそろ戻らないとだから。」
灯は腰かけたばかりのベンチから再び立ち上がる。
「ああ、分かった。また明日。」
灯はどこか人気のないところへ歩いていく。
それを少し見送った後、雄介も家へ帰る。
(結希…おれは闘うよ。これがおれの選択だ。正直怖いけど…灯もいるし、やれるだけやってみるから。)
雄介の戦う決意は固まっていた。